大人になる約束

三木

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 行き先も決めずに大通りを走ってしばらくすると、ずっと窓の外を見ていた良がおもむろに振り向いて口を開いた。
「ごめん……なんか湿っぽくなっちゃって……」
 若者らしくない言い方をするな、と思って、裕司は少し笑って返した。
「謝ることじゃないだろ。今日はよくがんばったよ、お前」
「俺が? ……なんで?」
「なんでって……」
 横目に良を見ると、不思議そうでいて不安げな黒い瞳がこちらに向けられていた。その視線が産毛を撫でてくるようで、裕司は頬を掻く。
「気持ち的には、来たくなかっただろ」
「……」
「でもちゃんと来て、お母さんとも話したんだろ? お前にとって簡単じゃないことをしたんじゃないか?」
 良はきゅうと口を結んで答えなかった。それが泣くのを耐えている子どものように見えて、裕司はさりげなく目を背けた。
 大通りを走る車内は静かなようで、周囲の車両の音と街の喧騒が響き合って、常に重くごうごうと鳴っていた。
「……母さん、あんたのこと……」
 重い音のする中で、良の静かな声はどういうわけか鮮明に聞こえた。
「ちゃんとした人だから、よく言うこと聞きなさいって言ってた……」
 まるで独り言のような口調だった。裕司は苦笑する。いかにも親が我が子に言い聞かせる台詞らしいと思ったが、それをあの母親が言ったのだと思うと奇妙な心地がした。
「悪く思われなかったんなら何よりだが、ちゃんとしてるかどうかは怪しいし、言うこと聞かなきゃいけないなんてことはねえよ」
「……そう? 俺、あんたほどちゃんとした人知らないけど」
「そのうちボロが出るから、あんまりハードル上げないでくれ」
 良は首を傾けて、いかにも疑問だという目で裕司を眺めてから、また口を開いた。
「でも、俺があんたの言うこと聞かなかったら困らない? 俺あんたんちに住むんだよ」
 心から不可思議だという声だった。どうしてそんな無垢な声が出せるのだろうと思うと同時に、当然あの部屋に帰るものだと思ってくれていることが確かめられたような気がして、つい頬が緩んだ。
「そりゃ、程度問題ではあるけどな。でもお前にはお前の考えがあるだろ。俺の言うことがいつも正しいわけじゃないしな」
「……」
「まあ、お前が俺の話に耳を貸してくれなくなったら困るな。お前はいつもちゃんと話を聞いてくれるし……がんばって話そうとしてくれるだろ。だから意見が違っても、何ていうか、信頼できるよ」
 良は目を丸くして、ぱちぱちと瞬きながら裕司を見つめた。そして、意外なことに気が付いたという口ぶりでこう言った。
「……あんたって、俺の話聞くのしんどくないの?」
「ええ?」
「だって、俺、話すの遅いし、下手じゃん? あんた的には、俺が話するのってそんないいこと?」
 ちょうど交差点の信号が赤になって、裕司はブレーキを踏みながら、隣で目を丸くしている若い恋人を見た。
「俺的には、あんたがいつもがんばって聞いてくれてるんだと思ってた」
 嘘のない声で言われて、裕司は返答に困る。否定するのも肯定するのも違う気がしたが、すぐには感情にふさわしい言葉が出てこなかった。
「あー……、がんばってないわけじゃねえけど……、なんだ、無理してるつもりはないぞ」
 良は眉を曲げて、よくわからないという顔をしてみせた。その顔は確かに彼の普段の言葉よりずっと理解しやすくて、裕司は複雑な気持ちで微笑んでみせる。
「必要最低限の会話で充分な関係もあるんだと思うけどな、俺とお前の場合、お互い知らないことばっかりだし、その、話をするのは大事だと思うぞ。俺も言ってもらわないとわからないことが多くて、もっと察してやりたいとは思ってるけど……お前だって言葉にしてもらわないと困ることがあるだろ?」
 こんな言い方で伝わるだろうかと思いながら問いかけてみると、良は猫のように目を丸くした後、いかにも新たな発見があったとばかりの声を出した。
「それであんた、いつも怒らないで全部説明してくれるの?」
 今度は裕司の瞬く番だった。こんな話はこれまでもいくらもしてきたつもりだったが、同じことを言っても届き方がこんなに違うものかと思った。
 良の純粋に驚いたと言わんばかりの瞳はきらきらとしていて綺麗だったし、それが怖じ気もなく裕司から逸れないので、裕司は何だか可笑しくなってしまった。
「怒るも何も、お前、俺を怒らせるようなこと何にもしねえだろうが」
「そんなことないと思うけど」
「大体、俺が怒ったからって、お前が悪いとは限らねえんだからな」
 良は難しい顔をして首をひねった。その顔にわからないと書いてあるのが、そのまま見えるようだった。
「俺が一人でイラついてるだけかもしれねぇだろ」
 良は腑に落ちない様子だったが、ひとしきり首をかしげた末に、とうとう話題を変えてきた。
「……あんたはどっか寄りたいところないの」
 その声音にいくばくかの甘えを感じたのは裕司の都合のいい解釈だったかもしれなかったが、良の表情には陰りも憂いも見られなくて、そのことに裕司は少なからず満足を覚えた。
「そうだなぁ……どこかお前が喜びそうなとこに行きたいな」
 
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