大人になる約束

三木

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 裕司の台詞に良はぽかんとして、じわじわといたたまれないような表情になっていった。
「なんであんたって俺のことばっかりなの……」
 拗ねたように唇を尖らせて、けれどその声は弱くて可愛かった。
「そりゃ、せっかくお前と遠出してんだから、お前と楽しく過ごしたいだろ」
「だから、あんたが楽しいとこ行ったらいいじゃん。俺付き合うし」
 説得しようとする声音なのがおかしかった。本当に大事なことは譲らない頑固さを持っているくせに、そうでないときの彼は我を通すことにさっぱり慣れていなかった。
「お前が嬉しそうにしてるの見るのが趣味みたいなもんだって知ってるだろ。それにお前、大体何でも喜ぶだろうが」
 良は何か反論したいという顔をしていたが、結局明後日の方に目を背けて、別に何でもいいけど、と、ぼそぼそと言った。
 裕司から見れば良は驚くほど無欲で、金や手間がかかるようなわがままも言わなくて、その様はまるで部屋の片隅の観葉植物のようにも見えたけれど、それは彼がささいなことも楽しむ才能を持っているからでもあるということが、最近やっと裕司にもわかってきた。
 夕食の後に食べる少しの甘いものや、画面の中の美しい景色や、裏通りで出会う野良猫や、古びて今はもう用をなしていない看板や、そんな日常の中にある様々なものに、良は喜んだり驚いたり想像力を働かせることができた。彼は退屈を遠ざけるすべを知っていて、好奇心を育てることが得意だった。
 彼の優しさや美しさや賢さや繊細さや、色んな長所を好きだと思っていたけれど、良のその才能に裕司はいつの間にかたまらなく惚れ込んでいた。
 彼といると彼の見るものや感じるものの新鮮さに裕司も驚いたし、飽くことがなかった。同じものを見ても、彼の瞳に映るそれは彩度も解像度もまったく異なっているようだった。
 そういう彼と過ごすことが楽しくないはずがなかったし、彼を知るほどに彼と出会えたことを幸運だと思った。たくさん傷付いてきて心を弱らせていても、彼は自身の持つ魅力を何も損なってはいなかったし、それらをひとつひとつ見つけていくことは裕司の楽しみになっていた。
「ちなみに晩飯は何食いたい?」
 訊いてみると、良はまだ拗ねたふりをしているような、中途半端に不満そうな顔でちらりと裕司を見た。
「そんなの急に思い付かないんだけど……」
 その返事に、裕司は耐え切れなくて、くく、と笑う。いつも食欲旺盛な彼も、今日ばかりはそんなことを考える余裕はなかっただろうことは容易に想像がついていた。
「肉か魚か、米か麺か……何でもいいってことはないだろ」
「……」
「帰ってから作るんじゃあ、腹減るよな。食って帰るだろ?」
「まあ……」
 良は落ち着かない様子で、ぼそりと応えた。きっとその気がないような顔をしてみせたいのだろうが、そわそわとし始めているのが伝わってきた。
 どこかに二人で出かけようと言って、良が何にも気乗りせず興味を示さなかったことなどないのだ。
「そういやお前と寿司食ったことないなぁ」
 ふと気付いたことを言うと、良はぎょっとした顔をしてみせた。
「あんま高いとこやだよ」
 即座にそう言われて、それが彼らしいと思われて裕司は苦笑する。無駄遣いをしないのはいいことだし、経済観念が発達しているのは頼もしくもあったが、彼の場合は本当に金に困った経験があっての価値観なのだろう。そう考えるとどうしても切なかった。
 裕福だと胸を張れるほどの稼ぎや蓄えがあるわけではなかったが、良が心配しなければならないほど余裕がないわけではない。そのことを何度言って聞かせても、彼の倹約ぶりには強迫じみたものを感じることがあった。
「高くなきゃいいんだろ? 回転寿司とか好きなんじゃないかお前」
 何気ないつもりで言ったが、良は目も口もぽかっと開けて裕司を見た。その顔につい目を奪われそうになって、裕司は慌てて視線をフロントガラスの向こうに戻す。片側三車線の通りは大型車両も混じって交通が激しかった。
「……す、すっごい昔に行ったきりだから、好きも何もないけど……」
 そう言った良の手元がもじもじと袖をいじっているのが見えて、そろそろ素直に喜べばいいのに、と思った。子どものように行きたいとはしゃいだところで何も損をするわけではないのに、それが恥ずかしいのか妙な意地から抜け出せないのか。
 それにしても本当に嘘のつけないやつだ。そう思うと意識するより先に顔が笑ってしまっていた。
「じゃあ晩飯は決まりだな。それまで何するかなぁ」
 まだ日は高い。青い空には夏の真っ白な雲が大きく浮いていた。
 良は何も言わなかったが、横顔を見るとどうやら不機嫌を装うのはやめたらしかった。彼の緊張で強張る顔も、思い詰めた濡れた瞳も、今日はもう充分すぎるほどに見た。
 良が笑ってくれるのなら何も惜しいものなどないと言葉にしたなら、彼はまた戸惑ってうまく笑えなくなるのだろう。だから裕司は黙って助手席の良を盗み見る。
 強い日射しに目をすがめた良の頬に、くっきりと濃い睫毛の影が流れていた。

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