大人になる約束

三木

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 駐車場を出ると夏の日を浴びた木々が葉を厚く繁茂させていて、蝉の声はやかましいほどだった。
 幹線道路を離れた高台の上には、トラックの立てる地響きも街の喧騒も届かなくて、それだけで都会から逃れられたような気がした。暑くて、虫がうるさくて、緑が我らが季節とばかりに生長して存在を主張してくる。そんな中でうんざりするほど汗をかいて過ごすのが、裕司の中に刻まれた夏だった。
 遠くから子どものはしゃぐ高い声が聞こえてきて、きっと家族連れが来ているのだろう、と考えたところで、隣で良が裏返った声を上げた。
「裕司さん、裕司さん、裕司さん」
 半ば体当たりするように良が服に取りついてきて、裕司はよろけそうになった。
「うおっ、何だよ」
 人の服をわしづかみながら、良は裕司には見向きもせずに、あれあれ、と言った。
「にわとり、にわとりいる」
「え?」
 良が指差す方に目を向けると、遊歩道の脇で下草を踏みしめている雄鶏がいた。こちらには見向きもせずに、悠々と歩いてはくちばしで地面をつついている。赤いとさかが揺れて、生きた鶏など久しぶりに見たと思った。
「ああ……放し飼いなんじゃないか」
「は? え?」
「半野生化してるのかもしれんが」
「何それ。え? それ大丈夫なの?」
 良は裕司の服をつかんで離そうとしなかった。力の加減を忘れているらしく襟が絞まるので、裕司は仕方なく良の手を取って引き剥がした。
「大丈夫だからほっとかれてるんだろ。気の荒いやつなんか蹴ってくるからな」
 ひえ、と良は短い声を上げて、両手で裕司の腕にすがりついてきた。暑いやら気恥ずかしいやらで、裕司は腕を引こうとしたが、良には遠慮も躊躇もなかった。
「お前……だから大丈夫だって。鶏ぐらい学校で飼ってなかったのかよ」
「は? 田舎じゃ学校で養鶏するの?」
 いまいち会話が噛み合っていないな、と思いながら、そういえば近所の小中学校の周囲を歩いてもとんと生き物の声など聞かないことに思い至った。昔は本やテレビの中でも学校に飼育小屋があるのは当たり前だったから、裕司の出身地の問題ではなく時代の変遷ということか。
「世代だなぁ……小学校で生き物係とかなかったのか?」
「えー、金魚とか亀の世話するやつ……? あんたのとこ小学生に鶏の世話させてたの?」
 どう言っても伝わらないようだと感じられて、裕司は頭を掻く。早くも指先が汗で濡れて、日陰が恋しかった。
「俺の頃は、ウサギとか鶏とか、外の飼育小屋で飼ってたんだよ。でも、鳥インフルエンザなんかも流行ったし、廃れたのかなぁ」
「へえ……」
「つうか腕が熱いんだが。お前も汗ばんで気持ち悪くないのかよ」
 良は言われて初めて気が付いたというように自分の手元を見たが、それでも裕司の腕を離さなかった。
「だって、その辺に鶏歩いてるなんて思わないし……。うわ、ほら、あっちにもいるじゃん」
 またぎゅうと体を押し付けられて、蒸し焼きになりそうだと思いながら見ると、日陰の石段の上に並んでうたた寝をしている二羽がいた。仲のよさそうな雄と雌で、実に平和な光景だと思ったが、良にとってはとてものんびりと散歩ができる事態ではないらしかった。
 頼られていると言えばそうなのかもしれなかったが、夏の日射しの下でしがみつかれて──しかも人目のある場所で──喜ぶには、いささか己が平静すぎた。
「あぁ、喉渇いてきたな」
 ため息混じりに呟くと、良はそれを聞いているのかいないのか、こんなことを言った。
「なんか水の音しない?」
 人は少ないが蝉しぐれと葉擦れの音で、存外遠くの音は聞き取りづらかった。木々の屋根で歩道が日陰になってほっとしながら耳を澄ますと、きゃっきゃと楽しげな子どもの声に、確かに水を打つ音が交じっていた。
 右手は木々が茂って森のようで見通せず、左手は開けていたがただ広いばかりで何もなかった。そこを毛並みのよいレトリーバーが走っていく。飼い主が投げたフリスビーを追いかけているようだった。良もちらりとそれを見たが、特に何も言わなかった。
 裕司にしてみれば鶏よりも大型犬の方がいくらも怖いと思われたが、見慣れているものにはいちいち驚かないのが人間だ。生きてきた環境が違うのだなぁと改めて感じられて、何よりも彼自身が裕司には新鮮だった。
「ああ、噴水じゃないか?」
 歩道が折れた先に、細い水柱が立っては飛沫を残して消えていくのが見えた。ざあざあ、ばちゃばちゃと水の音がして、その合間で空に抜けるような子どもの声がした。
「あっすごい、わあ」
 良はそう言って、ようやく裕司の腕を離した。それでも良の手の形に熱がまとわりついたままで、すっかり夏の空気になったと思う。熱がちっとも逃げていこうとしなかった。
 歩道から続いた幅広の階段の下に、水柱を噴き上げては消える噴水があった。3人ほどの子どもがその周りを走ったり、飛沫をつかもうとするように手を出したりしていた。
「おーおー、いいなぁ。水遊び日和だよなぁ」
 うらやましいという気持ちをこめて呟くと、隣で良が小さく笑った。
「あんたがあれくらいの頃は、近所の川で遊んでたんでしょ?」
 よく覚えてるな、と思いながら、笑う良の黒い髪を撫でると、そこはやはり熱くて透明な汗が光を弾きながら散った。

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