大人になる約束

三木

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 噴水の周囲は舗装されていて、子ども達の濡れた足跡が広く重なり合っていた。
 花壇と遊歩道の向こうに売店があるのを見つけて、裕司は良の肩を叩く。
「何か飲もうぜ。熱中症になっちまう」
 良は頷きながら、噴水が涼しげに水を噴き上げている様をちらちらと見ていた。それは、服が濡れるのも構わずに遊んでいる子ども達への羨望にも見えた。
「……夏場は学校のプールが開放されたりしなかったのか?」
「え?」
「プールで遊んだりしなかったのかって」
 んー、と良は考える声を出して、首を傾けた。
「高校ではなかったけど中学では課外活動みたいなのやってたよ」
「お前泳げるんだっけか?」
「たぶん普通ぐらい」
 あまり興味のなさそうな返答に、おそらく良の頭の中では遊興のそれではなく、体育の授業が想起されているのではないかという気がした。
「……海行きたいって言ってたろう。帰ったらどこか泳げるところ探すか」
 言ったとたん、良は口を開けて裕司を見た。その目は何か驚くべきものを見つけたという色をしていて、やはり彼の中では話が結びついていなかったらしかった。
「えっ、えっ海水浴?」
「泳ぎたかったわけじゃないのか?」
「えっ、いや、あの」
 良は手をうろうろとさせて、言葉が出てこない様子だった。何もそんなに慌てなくていいのにと笑って、裕司は良の腕を叩く。
「お前が行きたいなら行こうぜ。俺も海なんか何年も入ってないし」
「う、うん」
「ああ、水着買いに行かないとなぁ」
 良はまだ戸惑った顔をしながら、それでも素直に頷いた。彼のために何か新調しようとする度に遠慮するのが彼の常だが、そうする余裕すら失っているのかもしれなかった。
「はー、暑いな」
 売店のひさしの下にたどり着いて額の汗を拭うと、良はきょろきょろと周りを見回してから、裕司の服の裾を引っ張ってきた。
「あの、……ありがと」
 何のことかと裕司が首を傾けると、良ははにかんで目線を外しながら言った。
「俺がしたいって言ったこと、いつも覚えててくれるし……色々買ってくれたり、時間作ってくれるから……その……嬉しいし……」
「……うん?」
「俺も何か返せたらいいんだけど……」
 いかにも困ったという声で言う良に、裕司は苦笑した。良はいつも、与えられたらそれ以上のものを返さなければいけないと思っている節があった。だから裕司が良のために何かする度に、喜ぶだけではなく困った顔をするのだ。
 甘えるということを早く覚えてほしい、と思いつつ、これまで良が己を律してきた経緯を考えると、すぐには難しいだろうこともわかっていた。
「いつも飯作って家事やってくれてるだろ。おかげで食費が浮いてるよ」
「嘘だぁ。二人分になったのに減るわけないじゃん。外食だってしてるのに」
「嘘じゃねえって」
 良に買い物をさせると安い食材しか買わない上に、良が来てから飲みに行くことがめっきり減って、実際飲食にかかっていた額は以前の方がいくらか多いぐらいだった。しかし、倹約家の彼がそれを知れば、きっと黙っていられないだろう。
 仔細には触れずに、裕司は売店のメニューを指さして、話を逸らした。
「ほら、お前も何か飲むだろ。それとも腹減ったか?」
 母親との対面を前にして、さしもの良も今日は食欲がふるわない様子だった。いつもの彼ならそろそろ空腹を訴えてもおかしくない頃合いだ。
 裕司の予想は外れてはいなかったようで、良はしばらくメニューを眺めた後に、遠慮がちに言った。
「……ソフトクリーム食べたい……いい?」
 本当は我慢したかったが食欲に負けたという声だった。可愛いやらおかしいやらで己の顔が緩むのを感じながら、裕司は返す。
「いいよ。暑いもんなぁ」
 どれにする、と振り向いて尋ねると、良は真剣な顔をして迷った末に、いちごミルク、と言った。
 何をしても何を言っても可愛いように思えるのは、贔屓目なのかどうなのかもうわからない。そんなことを考えながら、裕司が注文をしている間、良は行儀のいい忠犬のように傍らでじっと立っていた。
 そんなふうに待っていなくても、好きに過ごしていればいいのに、と思ったが、そういえば良はスマホも持っていないのだと思い出す。現代っ子であれば必需品であろうに、それすら欲しがろうとしないことを思うと、彼の振る舞いには隠遁者のごとき忍耐が染み付いているように思われた。
 いつか良もスマホに夢中になって話を聞いてくれなくなったりするのだろうか、と想像しようとして、それをうまく思い描けないでいるうちに、店員から商品を差し出された。
「──ほら、早く食えよ溶けるぞ」
「ありがと。美味しそう」
 白とピンクのしま模様が巻いているソフトクリームを手渡すと、良は素直に柔らかな笑顔を見せた。もっとそういう顔をしてほしい、と言いたくなったのを飲み込んで、日陰を探すとあいにくベンチは空いていなかった。
 座れなくても良は気にしていない様子で、二人で並んで木陰から花壇と噴水を眺めて蝉の声を聞いた。
「おいしー。あんたはよかったの?」
 冷えた麦茶のペットボトルをあおる裕司に、良はそう訊いてきた。
「俺は寿司の分空けてんだよ」
 なにそれと笑う良の顔は明るくて、ふと、こんなに鮮やかな夏はいつぶりだろう、と思った。

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