大人になる約束

三木

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 居間のテーブルに真新しいスマートフォンを置いて、良は険しい顔でその画面をつついていた。
 風呂から出てすぐ目に入った光景がそれだったので、裕司はもう少しで吹き出してしまうところだった。まるで未知の物体をいぶかしんでいるようだ。
「どうだ、操作はわかったか?」
 良の傍らに腰を下ろして訊いてみると、良は少しも表情を和らげないまま言った。
「なんかあっちこっちで迷子になるんだけど」
 裕司は耐え切れずに、くくく、と笑う。デジタルネイティヴ世代でも、数ヶ月スマホを手放して暮らすと勘が鈍るものなのか。
「最近の携帯は説明書もねぇもんな。前持ってたのとそんなに違うか?」
「んー……俺のけっこう古いやつだったし……」
 そう言った直後に、良はあっと声を上げた。開いていた窓をうっかり閉じてしまったらしかった。
「は? 俺今スワイプした?」
 見てなかったな、と返しながら、露骨に苛立ちの滲んだ声が新鮮で裕司はにやにやとしてしまう。こいつもこんな風に他愛のない機嫌の損ね方をするのだ、と思った。
「全然嬉しそうじゃないなぁ」
 おかしくてついそう言うと、良はきょとんとして裕司を見て、慌ててスマホから手を離した。
「あっ、やっ、いらないってんじゃないから」
「わかってるよ」
 たった一言で普段の良に戻ってしまうのがまた可愛くて、裕司は手を伸ばして良の後ろ頭を撫でる。少ししっとりとした感触がした。
 良は少し気まずそうにして、言い訳する口調で言った。
「……スマホあんのに使えなかったら意味ないじゃん」
「二、三日したら慣れんだろ」
「使わないと慣れないじゃん……」
「使えよ。スマホぐらい普通に使ってたんだろ?」
「それは、まあ……」
「ゲームとかSNSとか動画とか?」
「……そんなずっとやってたわけじゃないよ」
 わかるよ、と裕司は心の中で呟いて、良の滑らかなこめかみを撫ぜた。良は目をすがめて、息をつくと、再びスマホを手に取った。
「……なんか変な感じ」
「へえ?」
「あんたんちで、なんか、どんどん、何でもできるようになるから……」
 どういう意味だろう、と裕司が首を傾けたのがわかったのか、良は言葉を探す顔をした。
「俺は……最初はあんたと一緒にいられる時間が長くなったらいいなってことぐらいしか考えてなかったから……こんなに色々、服とか、何でも買ってもらうと思ってなかったし……」
 良の言葉だけを聞くと、まるで裕司が見境なしに物を買い与えているかのようだったが、そもそも良はほとんど何も持たない状態でここに来たのだ。着替えのひとつもなかったし、その時着ていた服だってろくにサイズが合っていなくて、靴だって随分くたびれて汚れていた。
 そんな有り様だったのに、良が遠慮をするから、裕司は生活に必要な物をただ買い揃えているだけで、小遣いだって大して渡してはいなかった。もっとファッションや娯楽に興味を示していい歳だと思うのに、良は裕司の私物を必要なときに借りることができればそれで充分だというようなことを度々口にした。
「あんたって、俺が何したって全然怒んないし、むしろ俺に何でもさせようとするっていうか……俺がしたいことだけさせたいみたいな……そんな気がするときもあるくらいで……」
 裕司は苦笑する。良の手の中の真新しいスマホは、まったく操作してもらえないせいで、黒い画面をただつやつやと光らせていた。
「そりゃ、お前がしたくないことなんてさせたくないからなぁ」
 良は黒くて艶のある無垢な瞳を裕司に向けて、いくらか幼さのある口ぶりで言った。
「俺、それがよくわかんないよ。あんただって、したくないことでも頑張らないといけないこといっぱいあったんじゃないの?」
 これ以上何を頑張るつもりなんだ、と内心でひとりごちて、裕司は良の手からスマホを取ってテーブルに置いた。最新機種ではないが、見た目よりも軽くて、さらりといい手触りがした。
 黙って裕司を見ている良の、何の警戒心もない表情に少し笑って、裕司は良の肩を抱き寄せた。
 人目のあるところでは抱き締める勇気もない己を思い出して、一瞬胸が痛くなったが、裕司の手に逆らわない良の温もりがすぐにそれを上書きしてくれた。
「……ほんとお前、俺を褒め殺す気だろう」
「あんたに言われたくない……」
 不服を表した声とともに、良の頭が肩にもたせかけられた。何の香ともわからなかったが、とても落ち着く匂いがした。
「お前の身内の悪口は言いたくないが、お前、家で我慢ばっかり教えられたんだろう。それをちゃんと覚えたのはお前のすごいところだけど、それだけじゃ人生何にも楽しくないぞ」
「……」
「楽しそうにしてるお前をもっと見たいんだよ。これは単なる俺の願望だけどな」
 良の手がさまようように裕司の肩から背中に滑って、ややあってから短くこう言われた。
「楽しそうって、あんたみたいに?」
 裕司は思わず身体を離して良の顔を見た。良はいたずらを仕掛けたような笑みを浮かべていて、裕司が何も言えないでいるうちにこう言った。
「俺の気のせいじゃなかったら、あんたはすごく楽しそうだよ。俺といるとき」

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