大人になる約束

三木

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 黒い髪を撫でる裕司の手に、良は少し困ったような顔をしていたが、嫌がろうとはしなかった。
 肯定されて身の置き場に困る彼を可愛いとも愛しいとも思ったけれど、早く慣れてほしいとも思う。裕司は良の間違いを指摘することはあっても、間違いゆえに否定する気は毛頭なかった。おそらく良はそれをまだ理解していないのだ。
「……牧のところがだめだったら、この辺で調理のバイト探すのか?」
 良ならばきっと断られたときのことも考えているだろうと思ってそっと訊いてみると、良はまた気恥ずかしそうな顔をして視線を揺らした。
 どうしてそんな顔をするのだろうと思いつつ返答を待つと、良はぼそぼそと、言いづらそうに口を開いた。
「……あの、詳しいことは何にも聞いてないからよくわかんないんだけど、調理補助の仕事したいなら、紹介できるところはあるって牧さんが……」
 それを聞いて、裕司はさすがに胸の内で、あの野郎、と呟いた。どうやら良はいたく気に入られたらしい。面倒を見てもらえることは有り難いが、何から何まで先回りされるのはいささか気に食わなかった。
「…………お前、いったいなんでそんなに牧に気に入られたんだよ」
 なめらかな頬を指でつまんでやると、良は、何すんの、と言って顔を振った。
「知らないよ、俺気に入られてんの?」
 そう言って裕司を見返す良は、冗談を言っているようには見えなかった。無自覚というのは可愛くもあるが罪深いとも思う。
「そうじゃなかったらそんなに世話焼かねえだろ」
「……俺そんなに牧さんのこと知らないからわかんないよ」
「牧じゃなくっても、そんなもんだろ。人間なんて」
 すると良は、酸いものでも噛んだような顔をして、裕司を見た。
「あんたが言うのすごい変な感じ……」
 裕司はぐうと詰まる。良がそう言うだけの心当たりは充分にあった。
「……俺だって、お前じゃなかったらこんなに気にかけないからな」
 渋い顔をして言った裕司を見て、良は表情を和らげた。そのまま笑うのかと思ったが、良は穏やかな表情をして言った。
「うん……それ、嬉しい」
「……そうか」
 うん、と良は頷いて、首を傾けた。
「俺あんたに心配かけてる?」
 え、と裕司は無意識に声を漏らした。良の問いかけを唐突だと思いながら、同時に強い指摘を受けたような気持ちだった。
 良は少し頭を揺らして、考える素振りを見せてから、また口を開いた。
「俺世間知らずだし……できないこと多いじゃん? あんたにいっぱい気ぃ遣ってもらってんのに、自分がしたいことばっかり考えていいのかなって思ったりするんだけど……でも、あんたにもっと自分のこと考えろって言われるから、ちゃんと考えなきゃなっていうのも思ってて……。なんか、矛盾してる? フラフラしてるっていうか……」
 良の告白は正直だった。言いたいことをうまく言えない、とその顔に書いてあったが、だからこそ裕司はそれが彼の飾り気のない本音なのだとわかった。
「……若い頃はフラフラするもんだよ」
「そんなもんかな……」
「そんなもんだ。……お前は頭がよくて優しいから、余計に迷うかもな」
「あんたがダメって言わないから余計にだよ」
 裕司は苦笑して、良の肩を叩いた。
「俺だってお前が間違ってるって思ったら止めるよ。知ってんだろ?」
 良は複雑そうな顔で裕司を見て、ふはっと息を吐くと、知ってる、と言って微笑んだ。
「……お前は早く大人にならなきゃって思うのかもしれないけど、18なんてめちゃくちゃ若いんだから、時間はいっぱいあるんだよ。たくさん失敗していいし、うまくできなくったっていい。……だから、あんまり無理はしないで、がんばれ」
 こんなふうに良に声援を送る日が来るだろうとは思っていたが、それは裕司の予想よりずいぶんと早かった。それが裕司には少し寂しくて、それでもやはり嬉しかった。
 良はじっと裕司を見て、照れをその目許や口元を浮かべた。
「なんで調理師、とか訊かないの?」
 裕司は笑う。良の瞳には人懐こい少年のような光があった。
「なんでも何も、意外性はないだろ。せいぜい、俺が思ってた以上に料理好きだったんだなってくらいで」
「料理は……そんな大好きってわけじゃないよ」
「へえ?」
「俺、ちゃんと勉強して、自信持ってお客さんにおいしいもの出せるようになれたらいいなって思って……何だろ、仕事でそういうのできたら、……わくわくするなって」
「ああ……そうだな、楽しそうだ」
 裕司は何気なく応答したが、良はまた照れくさそうに顔を半分隠してしまった。
「良?」
「……楽しそうって理由で仕事選んでも、いいんだよね?」
 その問いは言葉通りの意味には聞こえなかった。良の表情には、逡巡や期待やはにかみが混じり合っていて、裕司はすぐにその核心をとらえることができなかった。
 ──ああ、そうか。
 良にとって仕事というものは、いいイメージを伴っていなかったのだということを思い出す。裕司が仕事に楽しみややりがいを見出だした話を、良ははじめ不思議そうに聞いていた。
「俺はお前に楽しくない仕事なんかしてほしくないよ」
 裕司が言うと、良は困ったように眉を下げて、うん、とだけ頷いた。

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