大人になる約束

三木

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 牧は毒気を抜かれたような顔で頭を掻き、ふにゃりと笑った。
「俺がダメ出しし過ぎて良くんがヘコんじゃったら、フォローしてくださいね」
「そりゃするけど……、なんだ、意外とバックヤードでは厳しいのか?」
「そんなでもないつもりですけど、言うべきことは言いますよ。大事な店とお客さんですから」
「……たぶんあいつなら言えばわかると思うよ」
「そこですよ。そこは本当に大事です」
 裕司が笑って、苦労してんなぁ、と言うと、牧はそうでしょうと言って目を細くした。
 そのとき厨房の奥からガタガタと音がして、小脇に箱を抱えた男が現れた。
「あ、すいません、お邪魔しましたか」
 そう言った声は低く、若かった。シャツもパンツも靴も黒一色で、すっと通った鼻筋は細く、一重の目は妙に鋭く感じられた。おそらくまだ20代だろう。人前で無表情になっているときの良に少し似ていると思ったが、良が静かな観葉植物のようであるのに対して、無機静物に近い印象だった。
「いいけど、どうしたの都筑くん」
 都筑と呼ばれた男は、小脇の箱を軽く持ち上げてみせた。
「グラス補充しとこうと思って」
「黙って休日出勤したら手当て出ないよ」
「やっといた方が俺の仕事が楽になるんですよ」
 そう言った男と裕司の目が合った。男は表情を変えずに会釈をする。
 すかさず牧が言った。
「裕司さん。今度入る長谷くんの彼氏」
 挨拶するつもりでいた裕司は、牧の台詞で言葉を見失った。牧の店で働いているのだから色々と了解しているのだろうが、そういう紹介のされ方をする心の準備ができていなかった。
「都筑です」
 淡々と頭を下げた都筑に、裕司はかろうじて、どうも、と応えた。
「うちのドリンクはほとんど彼」
「ただの元バーテンです」
「ああ……美味しかったです」
 やっと人並みの挨拶を裕司が述べると、都筑はありがとうございますと言ってまた頭を下げた。
「おかげで俺はどんどんお酒のこと忘れちゃって」
「そんな簡単に忘れないだろ。これだって美味しいよ」
「いや、それは裕司さんの趣味は何となく覚えてますからね」
 都筑はもう自分は関係ないという顔をして、背を向けて箱を開封し始めた。俯くと筋張った長い首筋が際立って、ぼんやりとそれを眺めてから、ここにもうすぐ良が加わるのだということに思い至る。
 牧は裕司の視線を追い、愛想笑いをしてみせた。
「……何か作らせましょうか?」
「あ、いや」
 自分の考えたことが下世話なようにも思えて、一瞬言うことを躊躇したが、今さらこんなことで格好をつけても仕様がないと思い直した。
「……なんか、その、女性受けがよさそうな面子だな」
 牧は都筑と顔を見合わせ、そして我が意を得たように笑った。
「そんなのもちろん意識してますけどね、良くんは顔採用ってわけじゃないですよ」
「そうだったらたまらねえよ」
「そんな顔しないでください。裕司さんだって良くんみたいな子が一生懸命働いてたらほだされるでしょう」
「ここは健全な飯屋じゃなかったのか……」
「健全も健全ですよ。みんな気分よく食事したくて来るんですから。いくら料理が美味しくても、いけすかない店員がいたら台無しでしょう。厨房にいたら接客は基本従業員任せなんで、そしたらお客さんにとってお店の顔は俺じゃなくて従業員でしょ? 俺は良くんを店の顔として出してもいいって思ったから雇ったんですよ。裏方だけさせる気はないですからね」
 牧の話を、もっともだとも有り難いとも思いながら聞いて、しかし裕司は素直にうんと言えなかった。明らかなプレッシャーが胸のうちで膨らんで、それをどう言葉にすべきか思考が迷走した。
「心配しなくても、いきなり何でも任せたりしませんよ。彼がまだド素人だってことはわかってます」
 あっさりと憂いを読まれて、夜の街で人の顔を見続けてきた経験値に舌を巻く。裕司は息を吐いて、薄くなった酒で喉を湿した。
「……前、良と一緒に食いに来たときにホールやってた子は、今もいるんだよな?」
「女の子ですよね? これぐらいの髪の。彼女もなかなか逸材ですよ。他人に対して緊張とかしないらしくて。あれも才能だなぁ」
「良が人見知りなのを知っといてよく言うなぁ……」
 裕司がため息をつきかけたとき、都筑が声を掛けてきた。
「店長、お先失礼します」
 その声に、牧はぱっと振り返った。
「ああ、もう終わった? あ、よかったら夜食べてかない? 仕込みのついでに作るけど」
「スイマセン、家で準備してきちゃったんで。……明日またよろしくお願いします」
「そっかぁ残念……。……じゃ、また明日ね、お疲れ様」
 都筑と会釈をし合って見送って、裕司が牧を見上げると、彼は都筑の消えていった方に顔を向けたまま、珍しくひどくつまらなそうな目をしていた。
 ふと耳の奥に良がもたらした情報が蘇って、なるほど皆色々とあるのだ、と得心した。
「牧さん、金出すからワイン開けないか。赤のいいやつ」
「えっ、何ですか急に。いいんですか俺も飲みますよ」
 飲めよ、奢りだ、と裕司が言うと、牧はいぶかしそうな顔をしながら、奥にボトルを取りに行った。

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