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今夜は良のために時間を使おうと思いながら帰ったものの、生活をするというのは存外それだけで忙しいもので、買ってきたものを片付けたり風呂に入ったりしている間にすっかり夜も更けてしまった。
良が風呂に向かったのを確認して居間のエアコンを切り、代わりに寝室の冷房をつける。さすがにもう空調なしで寝るのは厳しかった。都会の夏は夜になっても昼に蓄えた熱が逃げていかないし、今年は良がいるからなおさら暑い。部屋の中に人が一人増えるだけで室温はこんなに変わるのだと実感していて、夏は暑いばかりだが冬は有り難いことだろうと思われた。
寝支度を済ませると反射のようにあくびが出て、もし自分が先に寝てしまったら良はどうするのだろうかとふと考えた。がっかりするのか、仕方がないと諦めるのか、怒るのか──。
思えば良は、裕司に対して本気で怒ったことなどなかった。そも、彼は年の割に怒りの感情が薄いと裕司は思う。彼にもカッとなって頭に血がのぼる瞬間があるのだろうか、と考えてしまうほど、彼はどんなときでも周囲を観察する冷静さを失わないように見えた。
その当人から、裕司は、怒ったところを見たことがないと評されているが、二十も若い相手にそう簡単に腹を立てていては面目がないというものだ。年相応の──表面上の落ち着きは身につけているつもりだったが、少し振り返れば、分別もなく怒りを露わにした記憶などいくらもあった。それらを良が知らぬことは、ただただ幸いだと思う。
裕司が知っている良の負の感情は、悲しみや諦めや不安ばかりで、およそ攻撃的なものではなかった。彼はとても優しくて、自分が傷付くことと同じように人を傷付けることを恐れていた。そうして怯えている姿がずっと痛々しかったから、最近の彼は日向に出た若木のように伸びやかで眩しい。
彼に恥じるところなど何もないと強く思うのに、それでもやはり身内に本当の関係を明かして彼を紹介しようという気にはなれなかった。それはとてもリスクの高いことで、良の恥にも傷にもなりえると、裕司の中で強く警告を発するものがあった。
そこには、話し合いだとか、相互理解だとか、そんな言葉で取り繕えるものではない──もっと本能的に忌避すべきものが潜んでいた。それは果たして本当に存在するものなのか、裕司の凝り固まった強迫観念に過ぎないのか、判別するのも難しかった。
こんなふうに自分の問題と向き合うと、とたんに良を自分のそばに置いておくのは間違っているのではないかという疑念が起こる。彼はまだ若くて、パートナーなどこれからいくらでも見つかるチャンスがあるだろう。彼らの世代は裕司に比べればずっと柔軟で、裕司の抱えた息苦しさに彼を付き合わせずとも済むかもしれない。
そこまでひと息に思考して、裕司は首を振った。それを決めるのもまた彼の自由だと、頭ではわかっているのだ。
良自身が裕司を選んだのだということを忘れてはいけないし、尊重しなくてはいけない。彼の将来を裕司の独断で決めつけてはいけない。18年という年月は短いように思えるが、その中で彼が経験して学んだことを軽んじるわけにはいかなかったし、裕司の知らないことを彼は確かに知っていた。そのすべてを踏まえて、彼がここにいることを望んだのだ。それは決して消極的な選択ではなかったと確信できた。
それでも、30数年に渡って染みついたものが裕司を度々惑わせる。青年の輝かしく貴重な時間を、自分が消費してしまってもよいのか、と。
そして今そんなふうに迷うのは、ここ数ヶ月誰も侵すことのなかった良との生活の場であるこの家に、実姉が来るという報せに裕司が揺れているからだ。
ベッドの上で裕司が難しく両手を組んでいるところに、風呂上がりの清潔な香りをまとってやってきた良は、不可解なものを見たというふうに首を傾けながら戸を閉めた。
「どしたの裕司さん……」
そう言って目の前に座った彼の様子で、きっと自分は眉間にひどい皺でも寄せていたのだろうと思われた。
「……どうかしたように見えてたか」
「なんか怒ってるっぽかったよ」
良は手を伸ばしてきて、まるで熱でも測ろうとするようにひたりと裕司の額に触れた。しっとりとしていて、温かい感触に、己の表情筋が緩むのがわかった。
「一人だとつい考え過ぎるんだよなぁ……」
何気なく言った言葉に、良は目を丸くして、二、三秒考えてからこう言った。
「……俺がいた方がいい?」
その声は純粋な問いかけに聞こえたが、同時に、ノーと答えればどこかに行ってしまいそうな儚さもあった。けれど答などひとつしかなくて、裕司は笑って良の手を取る。
「いた方がいいに決まってんだろうが。……最近お前がいない日が増えたから、正直寂しいよ」
この際全部言ってしまおうという気持ちでそう言うと、良は驚いた顔をした後に宙に手をさまよわせ、どうするのかと思っているうちに、裕司の首に抱きついてきた。
「ご、ごめん。でもその、そういうの、もっと早く言って……」
良が風呂に向かったのを確認して居間のエアコンを切り、代わりに寝室の冷房をつける。さすがにもう空調なしで寝るのは厳しかった。都会の夏は夜になっても昼に蓄えた熱が逃げていかないし、今年は良がいるからなおさら暑い。部屋の中に人が一人増えるだけで室温はこんなに変わるのだと実感していて、夏は暑いばかりだが冬は有り難いことだろうと思われた。
寝支度を済ませると反射のようにあくびが出て、もし自分が先に寝てしまったら良はどうするのだろうかとふと考えた。がっかりするのか、仕方がないと諦めるのか、怒るのか──。
思えば良は、裕司に対して本気で怒ったことなどなかった。そも、彼は年の割に怒りの感情が薄いと裕司は思う。彼にもカッとなって頭に血がのぼる瞬間があるのだろうか、と考えてしまうほど、彼はどんなときでも周囲を観察する冷静さを失わないように見えた。
その当人から、裕司は、怒ったところを見たことがないと評されているが、二十も若い相手にそう簡単に腹を立てていては面目がないというものだ。年相応の──表面上の落ち着きは身につけているつもりだったが、少し振り返れば、分別もなく怒りを露わにした記憶などいくらもあった。それらを良が知らぬことは、ただただ幸いだと思う。
裕司が知っている良の負の感情は、悲しみや諦めや不安ばかりで、およそ攻撃的なものではなかった。彼はとても優しくて、自分が傷付くことと同じように人を傷付けることを恐れていた。そうして怯えている姿がずっと痛々しかったから、最近の彼は日向に出た若木のように伸びやかで眩しい。
彼に恥じるところなど何もないと強く思うのに、それでもやはり身内に本当の関係を明かして彼を紹介しようという気にはなれなかった。それはとてもリスクの高いことで、良の恥にも傷にもなりえると、裕司の中で強く警告を発するものがあった。
そこには、話し合いだとか、相互理解だとか、そんな言葉で取り繕えるものではない──もっと本能的に忌避すべきものが潜んでいた。それは果たして本当に存在するものなのか、裕司の凝り固まった強迫観念に過ぎないのか、判別するのも難しかった。
こんなふうに自分の問題と向き合うと、とたんに良を自分のそばに置いておくのは間違っているのではないかという疑念が起こる。彼はまだ若くて、パートナーなどこれからいくらでも見つかるチャンスがあるだろう。彼らの世代は裕司に比べればずっと柔軟で、裕司の抱えた息苦しさに彼を付き合わせずとも済むかもしれない。
そこまでひと息に思考して、裕司は首を振った。それを決めるのもまた彼の自由だと、頭ではわかっているのだ。
良自身が裕司を選んだのだということを忘れてはいけないし、尊重しなくてはいけない。彼の将来を裕司の独断で決めつけてはいけない。18年という年月は短いように思えるが、その中で彼が経験して学んだことを軽んじるわけにはいかなかったし、裕司の知らないことを彼は確かに知っていた。そのすべてを踏まえて、彼がここにいることを望んだのだ。それは決して消極的な選択ではなかったと確信できた。
それでも、30数年に渡って染みついたものが裕司を度々惑わせる。青年の輝かしく貴重な時間を、自分が消費してしまってもよいのか、と。
そして今そんなふうに迷うのは、ここ数ヶ月誰も侵すことのなかった良との生活の場であるこの家に、実姉が来るという報せに裕司が揺れているからだ。
ベッドの上で裕司が難しく両手を組んでいるところに、風呂上がりの清潔な香りをまとってやってきた良は、不可解なものを見たというふうに首を傾けながら戸を閉めた。
「どしたの裕司さん……」
そう言って目の前に座った彼の様子で、きっと自分は眉間にひどい皺でも寄せていたのだろうと思われた。
「……どうかしたように見えてたか」
「なんか怒ってるっぽかったよ」
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「一人だとつい考え過ぎるんだよなぁ……」
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この際全部言ってしまおうという気持ちでそう言うと、良は驚いた顔をした後に宙に手をさまよわせ、どうするのかと思っているうちに、裕司の首に抱きついてきた。
「ご、ごめん。でもその、そういうの、もっと早く言って……」
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