迷宮のハック&スラッシュ

雨宮タビト

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第1章 破滅のミルコ

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「さて、ここが迷宮の入り口になります」
 「入獄門」の一番奥、かつて四角の穴が空いていたところは、現在は階段を設置されて入りやすく改築されている。知識のないものが見たら地下神殿と見紛うのではないだろうか。
 迷宮に入る前に、ミルコは二人の装備を目で確認した。
 ハックは二本の小刀と数本の投げナイフ。小刀はシンプルで飾り気のないものだが、柄には滑り止めなどの工夫がされており、よく使い込まれている印象を受ける。今日はそれに加えて背中に小さな弩を背負っている。小さいが足で押さえて引くタイプの強力な者だ。
 ハックは背が低い。しかし、その身体能力の高さは、酒場での乱闘で実証済みだ。いったいどこから飛んできたのかわからないスピードでハックは乱入し、飛び蹴り一発で相手を仕留めたのだ。
 ミルコはサンデルで、山窩ハロスの一団を見たことがある。皆身長は低く、銀髪で、時々赤い眼の者もいた。彼らは山の斜面を駆け足で登り、木の上から弓矢などで獲物を仕留める。優れた狩人であり、戦士であり、何人かは魔術も使った。
 ハックは山窩の雰囲気はある。しかし、ミルコが見た山窩たちは物静かで警戒心が強く、里人に近寄ることはなかった。それに比べればハックはどちらかと言えば、友好的だし明るい。
 どちらかといえばスラッシュのほうが山窩に近い雰囲気を醸し出している。
 スラッシュは軽装だ。鎧らしい鎧は身に付けていない。黒い長衣は魔術師が着るようなものだ。裾は切り詰められて動きやすそうにはなっているが、手甲・足甲はつけているものの大概の戦士がつけているような革鎧や金属鎧はつけていない。武器は一種類だけ、一本の刀、東洋風のまっすぐな刀身を持つ細身のもので、一本ではいささか心許ないほどのものだ。黒い鞘に収められており、無意識なのか意識的になのか、スラッシュはその柄にずっと手をかけている。
 一度だけ、スラッシュ以外に似たような刀を操る武人を見たことがある。キタンからの流れ者で、その時はこのような鞘には入っていなかった。どちらかというと体術で切り結ぶタイプの大男で、刀も随分ボロボロになっていたように思う。
 スラッシュの佇まいからはその男に感じたような粗野な雰囲気はない。どちらかというと、スラッシュは静かだ。サンデルの山奥にある泉の水面のように、微動だにしない。ハックが全体的に躍動感のある、機敏な「動」のイメージなのに対し、スラッシュは「静」のイメージだ。
「随分物々しい階段だな」ハックは腰に手を当てた。
「この階段だけは私たちが作ったものですが、基本的にこの中にあるものは皆迷宮の中で作られたものです」
「迷宮の中で?」ハックが聞き返した。「誰が?」
「それがさっき言ってた、迷宮の拡張と関係があるんです。実際見たほうが早いかも」ミルコは入り口を指さした。
「どうでもいいけど、早く入ろうぜ」ハックは拳を掌に打ちつけた。「なんか相当待たされてる気がする」
「迷宮内のハンター同士のぶつかり合いを避けるために、前のハンターが入ってから15タール待たなくちゃいけない決まりなんです」
「そうなのか」
「でないといきなり獲物の取り合いとかになりかねないですからね…」
 入り口に立っていたギルドの係が、赤い旗を掲げ、振り下ろした。
「行きましょう」ミルコは二人を促した。

 迷宮の第一階層、またの名を初心者の道チュートリアルレーンと呼ばれる場所は、もっとも多くのハンターを受け入れてきた場所である。故に毎日地図が更新され、複雑な道でも迷わないよう、常に最新の状況を理解しつつ進めるようになっている。
 とはいえ、ギルドが発表している最新の生還率は九割に満たない。実力不足から、不運から、油断から命を落とすハンターのパーティーが、十のうち一つはある、ということだ。
 誰もが己にだけはそれが起こらないと信じている。
 人生と同じだ、とギルドマスターは言う。
 タウリス曰く。
 険しき崖で茸を採る山窩を笑うなかれ。汝もまた崖の上にいるが如し。
 タウリスが誰なのかは相変わらず知らないけれど、ギルドマスターの言葉はミルコの心に刻まれた。
 短いハンター生活の中で、ミルコはそれを自ら嫌というほど味わってきたのだ。
 黄土色の石畳は壁のランプで照らされている。迷宮の廊下は人三人が余裕を持って通れるほどの広さだが、天井がさほど高くないため少し圧迫されるような印象を受ける。
 ミルコは手に地図を持ち慎重に進む。
 不意にハックが立ち止まり、壁のランプを調べ始めた。
「このランプ、油皿がないな」
「はい」
「これ、燃料は魔法晶石だよな」ハックは下を覗き込んだ。
「どこにあるんだ?」
「多分壁の中に埋め込まれていると思います」
「マジかよ」ハックは笑った。「じゃあ簡単じゃねえか。この壁を掘ってその魔法晶石を掘り出せばいいんじゃねえのか。こんだけのランプを長時間灯せる魔法晶石なら、そこそこのデカさだぜ」
 ミルコは陰鬱な笑みを浮かべた。
「な、なんだよ」
「やってみます?」
「やめとけ」スラッシュが言った。「もしできるなら誰かがとうにやっている」
「…それもそうだな」ハックはあっさりと引き下がった。
 三人は黙って進んでいく。
 やがて突き当たりが二つに分かれているT字路にぶつかった。
 突き当たりの壁が少し崩れ、ランプが傾いている。
「止まって」ミルコが二人を制した。
「ちょうどいいわ…さっきの話について説明します」
 おそらく誰かが火球ファイアボール爆裂バーストの魔法を外したのだろう。こんな階層で使う魔法ではないが、何かがあったのかもしれない。壁に当たった魔法は壁の漆喰を剥がし、ランプは垂れ下がり今にも落ちそうだ。
「そうですね…1、2分待ってください」
 三人は静かに壁を眺めた。
 しばらくすると、小さな囁き声のような音が右の方から聞こえてきた。
 理解できない言語で話す幼な子のような、意味のない蜜蜂の羽音のような、静かな森で雪を踏む靴音のような、なんとも表現できない音だ。
 ハックは音の方を見た。
「なんだあれ」
 音の方角からやってきたのは、三体の小人だった。
 小人は大人の膝ほどの背丈だ。丸い頭は金属で覆われていて、目や鼻や口は確認できない。灰色の布のようなもので覆われた体から4本の腕が突き出している。足は短く、柔らかそうな材質の靴を履いている。
迷宮小人レプラコーンです」ミルコは言った。
 レプラコーンたちは壁に取り付くと、何やら一心に壊れた壁を撫で始めた。
 みるみるうちに壁が修復されていく。
「ありゃ…どういう仕組みなんだ?」ハックが赤い目を丸くした。
「おそらく手に穴が空いていて、そこから迷宮を作っている何かが出てきているのではないかと」
 瞬く間に壁は修復され、レプラコーンたちはキィキィ言いながら壁をペチペチと叩き、曲がったランプを正常な位置へと戻した。そして満足そうに「プァイ」と呟くと、パタパタと迷宮の奥に姿を消していった。
「なんなんだありゃあ」ハックは呆れた。「随分と珍奇な生き物だな」
「魔法生物ですね」ミルコは言った。「あれに手を出さないほうがいいですよ」
「強いのか」
「一体ならばそこまでは」ミルコは応えた。
「今度見つけたら斬ってみるか」スラッシュがつぶやいた。
「次の店で団子でも食べるか」と言うような軽い口ぶりだ。
「やめたほうがいいです」ミルコは言った。「バラバラにしても死なないし、どこからでもわいてきます」
「面倒くさそうだな」
「ずっと戦い続けていると、通路中にあれがわきます」ミルコは言った。
「最初にあれを攻撃した騎士は、全身を包まれて窒息死したそうですよ」
 うへぇ、とハックはつぶやいて、「やめとこう」とスラッシュに言った。
「なるほどな」スラッシュは顎を撫でた。この男の癖なのだろう。
「ということは、迷宮の壁を崩すとあいつらがやってくるのか」
「はい。ですから迷宮自体を攻撃することは、できないんです」
「つまり」ハックの目が光った。
「この迷宮は、潰せないってことか」
「そういうことです。最初の半年間、騎士たちはなんとか迷宮を崩して入り口を完全に塞ごうとしました」
「で、窒息したわけだな」
「そうです」
 無限にわいてくる敵ほど、厄介なものはない。
「とりあえず右に進みましょう」ミルコは地図を見ながら言った。
「こちらに行くと階段があります」



 

 
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