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第三十五話 参戦計画
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ゼロリアス帝国城下の、とある酒場にて。
まだ昼間であるせいか、客の少ない酒場内の窓側のテーブル席で、一人の女性が静かに食事をとっている。料理が並べられたテーブル席で、彼女はただ一人黙々と、ナイフで分厚いステーキを切り、フォークでそれを口に運んでいた。テーブルにはステーキの他に、パンとスープ、山盛りのポテトサラダにパスタまで用意されている。女性一人が食すにしては、どう見ても量が多いのだが、彼女の手と口は止まらない。余程空腹なのか、料理は確実に彼女の胃の中へと消えていった。
その女性は、椅子の背に上着をかけ、着ている服は長袖のシャツであり、下は長めのスカートを履いている。どちらも無地であり、装飾などは一切ない。至って庶民的な格好ではあるが、その女性はどこか気品を感じさせる。
整えられた長い髪に、色白い素肌。真っ赤なルビーのように輝く赤い瞳と、高嶺の花を思わせる美しさ。服装は庶民だが、身に纏う気品や美しさは、庶民のそれではない。この女性が庶民ではなく、どこかの令嬢か何かだろうとは、誰の目から見ても明らかであった。
そんな彼女は、酒場内で馴染んでいるように見えて、やはり浮いてしまっている。しかし、酒場の店員達や客達は、変に彼女に注目する事はなかった。店員は彼女を普通の客として扱い、客達は彼女に視線を移す事なく、酒や料理に夢中である。
その理由は、この場の人間達は彼女の事をよく知っており、彼女はここの常連であるからだ。故に誰も、彼女を特別扱いはしない。今ここにいる彼女は、酒場に遅い昼食をとりにやって来た、ただの常連客だからである。
一人、黙々と料理を食べ続ける彼女のもとに、暫くすると一人の女性がやって来た。銀の鎧を身に着けた、美しい青髪の女性。エメラルドの瞳に彼女を映し、その女性は無言で、彼女の目の前の椅子に腰かけた。
「昼食中に申し訳ありません、殿下」
「⋯⋯⋯」
女性の名は、ゼロリアス帝国氷将ジル・ベアリット。ジルはここに、探していた人物を見つけ、彼女と対面する形で同じ席に付いたのである。
「皇帝陛下からの命令実行のため、クラリッサに討伐軍の編成を任せました。クラリッサ自身は今回の遠征に反対していますが、殿下に勝利を約束するため、全力を尽くすでしょう」
「⋯⋯⋯」
「諜報部の情報によれば、敵戦力には特殊魔法使いが存在し、対魔法戦にも対応しているようです。これは未確認ですが、例の兵器が使用されていると、報告が入っています」
ジル・ベアリットは帝国第四皇女の配下であり、今彼女が口にしている報告は、第四皇女が独自に保有している、諜報専門の部隊が集めた情報である。
ジルが口にした最後の言葉に、沈黙し、静かに食事を続けていた彼女の手が、一瞬だけ止まった。また少し食事を続けたが、彼女はナイフとフォークを皿に置き、水の入ったグラスを掴み、静かに水を飲み干した後に、ナプキンで口を拭く。そして彼女は、目の前に座るジルへと視線を映し、ようやく口を開いた。
「全て繋がったわ⋯⋯⋯」
それだけ言うと、彼女はまた食事を再開する。空いたグラスに、気を利かせた店員が水を注いで立ち去った後、再びジルは言葉を続けた。
「敵はこちらの想定以上の戦力を保有し、討伐軍を正面から迎え撃つ用意を整えています」
「⋯⋯⋯」
「殿下の身に危険が及びます。討伐軍はクラリッサに任せ、殿下は帝国に残られるべきかと」
相手は強力な戦力を有している。そうなれば、ジルの主人たる目の前の女性が、自ら討伐軍を率いた場合、その身を危険に晒してしまう事になる。クラリッサ同様にジルもまた、彼女の身を案じているのだ。
だがしかし、彼女の心は既に決まっている。これは誰にも変える事は出来ず、決意が揺れる事もない。
「安全な場所で命令するだけの女などに、兵士達が忠誠を示すわけがない」
「⋯⋯⋯」
「今回は直接指揮を執る。この身を案じるならば、クラリッサと共に戦場で私を護って見せなさい」
ジルにとって、彼女の命令は絶対である。
戦場で護れと言われれば、命を懸けて彼女を護る。死ねと言われれば、その場ですぐに自害する。それだけの絶対的忠誠心を、ジルは持っている。それはジルだけでなく、彼女に忠誠を誓う者達は、皆同じだ。
「御身は、この身を犠牲にしてでも御守り致します。必要な時は、私の体を盾としてお役立て下さい」
「宜しい⋯⋯⋯。ところで、昼食は済ませた?」
そう言うと彼女は、山のように盛られたポテトサラダに視線を移す。食べ切れないというわけではなく、自分を探しにやって来た忠臣が、まだ昼食をとっていないのではと、心配しての質問だった。
「簡単に済ませて参りました。それは殿下がお召し上がり下さい」
「遠慮はいらないわ。ここのポテトサラダは絶品よ」
「ここのところ、殿下がまともに食事をとっていなかった事は知っています。私に気を遣う必要はありません」
ジルがそう言うと、気を遣うのを止めた彼女は、黙々とポテトサラダを食べ始めた
ジルの主は度々、仕事や読書に熱中し過ぎて、食事などを忘れてそれらに没頭してしまう。それが何日か続いた後、エネルギーを求めた彼女の体が、こうして沢山の食べ物を求めてしまうのだ。今彼女が大食い女王状態なのは、いつもの発作のようなものなのである。
「⋯⋯⋯やっぱり、城で出される小綺麗な料理なんかより、こっちの方が精がつくわね」
「それはいいのですが、御一人で街へ出かけられると、またクラリッサが発狂します」
「あれはいつも発狂してる。探しに来たのがジルで安心したわ」
そうだろうと思い、ジルはクラリッサに討伐軍を任せ、彼女を探しに来たのだ。
ゼロリアス帝国軍の将軍である、ジルとクラリッサが絶対の忠誠を誓う、恐るべき力を持つ姫君のために⋯⋯⋯。
「城に戻ったら、討伐計画の指示を出すわ。クラリッサを呼んでおきなさい」
「御意」
殿下と呼ばれている女性の正体。彼女こそ、ゼロリアス帝国第四皇女であり、第一皇子が最も恐れる存在である。
その名は、アリステリア・レイ・サラス・ゼロリアス。
帝国の戦姫の二つ名を持つ、ゼロリアス皇帝の娘である。
ローミリア大陸全土を揺るがす事態となった、大規模な異教徒の反乱。これはまだ、始まりに過ぎない。
この反乱が、後にやってくる、より大きな戦乱の序章でしかない事を、この時はまだ、極限られた人間しか気付いていなかった。
まだ昼間であるせいか、客の少ない酒場内の窓側のテーブル席で、一人の女性が静かに食事をとっている。料理が並べられたテーブル席で、彼女はただ一人黙々と、ナイフで分厚いステーキを切り、フォークでそれを口に運んでいた。テーブルにはステーキの他に、パンとスープ、山盛りのポテトサラダにパスタまで用意されている。女性一人が食すにしては、どう見ても量が多いのだが、彼女の手と口は止まらない。余程空腹なのか、料理は確実に彼女の胃の中へと消えていった。
その女性は、椅子の背に上着をかけ、着ている服は長袖のシャツであり、下は長めのスカートを履いている。どちらも無地であり、装飾などは一切ない。至って庶民的な格好ではあるが、その女性はどこか気品を感じさせる。
整えられた長い髪に、色白い素肌。真っ赤なルビーのように輝く赤い瞳と、高嶺の花を思わせる美しさ。服装は庶民だが、身に纏う気品や美しさは、庶民のそれではない。この女性が庶民ではなく、どこかの令嬢か何かだろうとは、誰の目から見ても明らかであった。
そんな彼女は、酒場内で馴染んでいるように見えて、やはり浮いてしまっている。しかし、酒場の店員達や客達は、変に彼女に注目する事はなかった。店員は彼女を普通の客として扱い、客達は彼女に視線を移す事なく、酒や料理に夢中である。
その理由は、この場の人間達は彼女の事をよく知っており、彼女はここの常連であるからだ。故に誰も、彼女を特別扱いはしない。今ここにいる彼女は、酒場に遅い昼食をとりにやって来た、ただの常連客だからである。
一人、黙々と料理を食べ続ける彼女のもとに、暫くすると一人の女性がやって来た。銀の鎧を身に着けた、美しい青髪の女性。エメラルドの瞳に彼女を映し、その女性は無言で、彼女の目の前の椅子に腰かけた。
「昼食中に申し訳ありません、殿下」
「⋯⋯⋯」
女性の名は、ゼロリアス帝国氷将ジル・ベアリット。ジルはここに、探していた人物を見つけ、彼女と対面する形で同じ席に付いたのである。
「皇帝陛下からの命令実行のため、クラリッサに討伐軍の編成を任せました。クラリッサ自身は今回の遠征に反対していますが、殿下に勝利を約束するため、全力を尽くすでしょう」
「⋯⋯⋯」
「諜報部の情報によれば、敵戦力には特殊魔法使いが存在し、対魔法戦にも対応しているようです。これは未確認ですが、例の兵器が使用されていると、報告が入っています」
ジル・ベアリットは帝国第四皇女の配下であり、今彼女が口にしている報告は、第四皇女が独自に保有している、諜報専門の部隊が集めた情報である。
ジルが口にした最後の言葉に、沈黙し、静かに食事を続けていた彼女の手が、一瞬だけ止まった。また少し食事を続けたが、彼女はナイフとフォークを皿に置き、水の入ったグラスを掴み、静かに水を飲み干した後に、ナプキンで口を拭く。そして彼女は、目の前に座るジルへと視線を映し、ようやく口を開いた。
「全て繋がったわ⋯⋯⋯」
それだけ言うと、彼女はまた食事を再開する。空いたグラスに、気を利かせた店員が水を注いで立ち去った後、再びジルは言葉を続けた。
「敵はこちらの想定以上の戦力を保有し、討伐軍を正面から迎え撃つ用意を整えています」
「⋯⋯⋯」
「殿下の身に危険が及びます。討伐軍はクラリッサに任せ、殿下は帝国に残られるべきかと」
相手は強力な戦力を有している。そうなれば、ジルの主人たる目の前の女性が、自ら討伐軍を率いた場合、その身を危険に晒してしまう事になる。クラリッサ同様にジルもまた、彼女の身を案じているのだ。
だがしかし、彼女の心は既に決まっている。これは誰にも変える事は出来ず、決意が揺れる事もない。
「安全な場所で命令するだけの女などに、兵士達が忠誠を示すわけがない」
「⋯⋯⋯」
「今回は直接指揮を執る。この身を案じるならば、クラリッサと共に戦場で私を護って見せなさい」
ジルにとって、彼女の命令は絶対である。
戦場で護れと言われれば、命を懸けて彼女を護る。死ねと言われれば、その場ですぐに自害する。それだけの絶対的忠誠心を、ジルは持っている。それはジルだけでなく、彼女に忠誠を誓う者達は、皆同じだ。
「御身は、この身を犠牲にしてでも御守り致します。必要な時は、私の体を盾としてお役立て下さい」
「宜しい⋯⋯⋯。ところで、昼食は済ませた?」
そう言うと彼女は、山のように盛られたポテトサラダに視線を移す。食べ切れないというわけではなく、自分を探しにやって来た忠臣が、まだ昼食をとっていないのではと、心配しての質問だった。
「簡単に済ませて参りました。それは殿下がお召し上がり下さい」
「遠慮はいらないわ。ここのポテトサラダは絶品よ」
「ここのところ、殿下がまともに食事をとっていなかった事は知っています。私に気を遣う必要はありません」
ジルがそう言うと、気を遣うのを止めた彼女は、黙々とポテトサラダを食べ始めた
ジルの主は度々、仕事や読書に熱中し過ぎて、食事などを忘れてそれらに没頭してしまう。それが何日か続いた後、エネルギーを求めた彼女の体が、こうして沢山の食べ物を求めてしまうのだ。今彼女が大食い女王状態なのは、いつもの発作のようなものなのである。
「⋯⋯⋯やっぱり、城で出される小綺麗な料理なんかより、こっちの方が精がつくわね」
「それはいいのですが、御一人で街へ出かけられると、またクラリッサが発狂します」
「あれはいつも発狂してる。探しに来たのがジルで安心したわ」
そうだろうと思い、ジルはクラリッサに討伐軍を任せ、彼女を探しに来たのだ。
ゼロリアス帝国軍の将軍である、ジルとクラリッサが絶対の忠誠を誓う、恐るべき力を持つ姫君のために⋯⋯⋯。
「城に戻ったら、討伐計画の指示を出すわ。クラリッサを呼んでおきなさい」
「御意」
殿下と呼ばれている女性の正体。彼女こそ、ゼロリアス帝国第四皇女であり、第一皇子が最も恐れる存在である。
その名は、アリステリア・レイ・サラス・ゼロリアス。
帝国の戦姫の二つ名を持つ、ゼロリアス皇帝の娘である。
ローミリア大陸全土を揺るがす事態となった、大規模な異教徒の反乱。これはまだ、始まりに過ぎない。
この反乱が、後にやってくる、より大きな戦乱の序章でしかない事を、この時はまだ、極限られた人間しか気付いていなかった。
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