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第1章
1-32・過日。されど君は③(ルスフォル視点)
しおりを挟む10年前。
気付いたら俺は俺だった。
記憶は全て曖昧で、自分のことでさえ分からない。
名前も。住んでいた場所も、何も。
慌ただしくなった周囲に押し流されるように、戸惑ったまま訊ねられたことに正直に答えていく。
だが、答えられたことの多くはわからない。たったそれだけ。
名前。
わからない。
自分の年。
わからない。
自分の住んでいた場所。
わからない。
ならば何がわかるのかというと、自分が日本人で、高校生だったはず、たったそれだけ。
たったそれだけだったのに、周囲は俺が今どういう状況なのかが分かったようだった。
つまり、記憶喪失。
否、違う。
前世の記憶を、俺はおそらく突然、きっと何の前触れもなく思い出したのだろうということだった。
この世界では、それはままあることなのだそうだ。
だいたい数百人から一千人に一人は、前世の記憶とやらを持っている。ただし、俺のように、ある日突然、何の前触れもなくというは流石に珍しく、生まれた時から記憶のある者や、夢に見るものなど様々で、それでも特におかしなことだというほどでもないのだとか。
珍しくはあっても存在している。また、それがいったい誰の身に降りかかるのか。そういったことは誰にも予測できないし、防ぐことも出来ないのだと。
突然、前世を思い出した者の中で、引き換えのように今世の記憶、今まで生きてきた全てを忘れるような場合は更に稀で、しかしそれだっていないわけではない。
言ってしまえば俺に起こったことは事故のようなもの。ただ運が悪かった。それだけ。
だからこそ、起こってしまったことよりも今後どうするのかの方が重要で、なにせ俺は自分の名前さえ分からないのだ。今世のことを思い出すのか、思い出さないのか、思い出すとしてそれはいったいいつなのか。それもやはり予測できず、ただ、今のまま生きていくしかないらしい。
そんな風に俺に説明してくれたのは、医術師なのだという壮年の男性で、幼い頃から面倒を見てくれていた相手であると言うことなのだが、当然俺はその医術師のことなど全くわからず、悄然と気をを落とした様子に、罪悪感が疼くばかりだった。
混乱して、何もわからなくて、また、誰のこともわからなくて。
どうすればいいのか戸惑う俺に、見覚えのない女性が言葉少なく指示を出してくる。
曰く、これをなさってください、あれをこうしてくださいだとかそんな風に。
やはり壮年の厳しそうな女性で、女官長なのだとそう、俺に教えてくれた。
女官長。
「はは。まるでお城にでも勤めているみたいですね」
女官という職は、そういった場所に勤めている者を指す職だったはずだ。
まさかそんなはずはない。冗談のつもりで口に出した問いに、返ってきたのは肯定だ。
「ここは王宮ですので、何も間違ってはおられませんよ
抑揚のない声でそう告げられる。
「え」
驚く俺に構わず、女性は更に俺に指示を出してきた。
そんなことよりもこれをなさってください、あれをこうしてください。
どんな意味があるのかさえ分からないことを、促されるまま、教わるがままに済ませていって。
混乱している俺に構わず、周囲はそんな風に、ただ指示を出してくる者ばかりだった。
説明をしてほしい。せめて話を、聞かせてほしい。
思っても、彼らに取り付く島はなく、初めに前世の記憶のことなどを教えてくれた医術師は、もしやあれで大変に親切な人だったのではないかと、そう思えてならないほど。
そうして、数日、数週間。俺は何もわからず、ようやくどうやら俺に何かを教えてくれるらしい存在が現れたのは、わけのわからない状況に俺が鬱屈を抱え始めた頃で。
それはとても美しい見目の、とある一人の女性だった。
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