歩夢さん

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大巫女の責務

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 正月の繁忙期も乗り切り、1月の暮れは比較的穏やかな日常を過ごしていた。そんな中、私は大御神の父上に呼び出された。

 大御神の生家であり、大御神の父、祖父母が住う立派な屋敷。客間に通され、呼び出した主を待つ。昼前までご祈祷があり、そこから自分の部屋に戻る間も無く連れて来られたため、普通の和室には少し不釣り合いな巫女の装束のままだ。

「忙しいところ申し訳ない。朔姫殿。」

 そう言いながら入ってきたのは大御神の父である有夜様。和服姿の痩身の男性は、机を挟んで向かい合い腰を下ろした。

「ご無沙汰しております、有夜さま。お元気そうで何よりです。」

「ありがとう。時間もない、本題に入ろう。」

 どことなく柔らかい雰囲気はプライベートの天月様と似ている。優しく低い声に私は、はい、と答えた。

「大御神のお子の話だ。」

 突然の話題、というわけでもない。私も思うところがあった。女神の家系は代々十代でご出産を迎えるが、今の女神は今年二十歳。一向にご懐妊の気配がない。

「ご懐妊の気配はあるかな。」

「残念ながらございません。」

 有夜様は腕を組み唸る。

「しとねに問題はなかろうか?」

「私から見る限りは問題ないと思われます。」

「そうか。何か違う方法を試すほかないのかも知れないね、」

 その声の低め方に、嫌なものを感じた。

「私から言えることはございません。」

「わかった。内内でよく検討しよう。貴女にも協力を仰ぐと思う。これは大きな問題として胸に留めておいて欲しい。」

「承知いたしました。」

「では戻ってくれ。」

 一礼して退室した。有夜様は終始優しかったが、終始私に対する苛立ちがあったように思う。そうだ、大巫女の大事な仕事の一つだ。それができていないのだから有夜様が怒るのも至極当然である。
 戻る前に手水舎へ向かった。参拝客とは別にある大巫女用の水瓶。柄杓を取ろうして落としてしまった。初めて自分の手がひどく震えていることに気づく。気が乱れていることを知る。大巫女たるもの、常に平常心を保ち、大御神の周りを守らなければならない。何年もやってきたこと、気をつけてきたことができなくなっていて、その事実に気付けない自分に驚く。

「どうしたの、私。これはどんな気持ち?何が原因?どうすればいい?」

 心が乱れたときはまず声を出す。自問自答を声に出して行う。幼い頃、自分で編み出した精神を落ち着かせる方法だ。

「焦り?…そうね、時間がないもの。最優先すべきことができていないんだもの。私の代で潰えるようなことがあってはだめ。今日終わったら西に手紙を出しましょう。女神のご様子を知れば何か変わるかも知れないわ。」

 気づけば手の震えは消えていた。柄杓を拾いあげ、社務所に持っていく。扉を開けると一段上がった畳の間に若い巫女が4名、机に向かい紙垂を作っていた。

「いかがされました?大巫女様。」

 畳の間のおくの襖から年配の巫女が現れた。引き戸についていた鈴がなって出てきたのだろう。

「柄杓を落としてしまったので代えていただけますか?」

「…今お持ちいたしますね。」

 そう言って巫女は奥へ消えていった。

「お、大巫女様?こちらに腰掛けられては…?」

 紙垂を作る手を止め、一人の若い巫女が座布団を畳の間の淵に用意してくれた。

「ありがとうございます。すぐに戻りますから結構ですよ。」

 その顔を見ると、元旦に遅くまで外を掃いていた巫女の一人だった。

 扉を背に巫女が戻るのを待つが一向にやって来ない。
 柄杓の替えはいくらでもあるはずだ。

「作業中申し訳ありませんが、どなたか柄杓を持ってきてもらえますか?」

 よく受ける嫌がらせのようなものだろう。巫女は女社会だ。しかもここでは生まれた家と生まれた順番で人生が決まってしまう。全員が信心深いわけでもない。そうなると陰湿な空気がどうしても生まれてしまうのだ。
 
「は、はい!」

 一人が立ち上がり襖の向こうに消えて間も無く、年配の巫女と戻ってきた。

「お待たせしました。私たちも忙しいですから落としたりしないでくださいね。」

 巫女は目も合わせずそう言い捨てると戻ってしまった。若い巫女は気まずそうに頭を下げる。

「ありがとうございます、嫌な役にしてしまってごめんなさい。」

 簡単に労って事務所を出た。大御神のもとを離れだいぶ時間が経っている。早足で手口を清め、社殿へ戻った。
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