歩夢さん

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大御神の怒り

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 女神がこちらに来た日から、お二人は同じ布団でお休みになっている。霧は女神を、私は大御神を起こす。

「おはようございます、大御神。」

 大御神の耳元で静かにそういうと、大御神はゆっくり目を開かれた。

「…朔か、おはよう。」

私を見てそう言うと、大御神はゆっくり上体を起こした。それを見て、私は大御神の湯浴みの支度をする。

「女神様、朝でございます。」

「…。」

隣で霧が女神を揺すっているが、女神の反応がない。
壁際にあるソファに腰掛けていらっしゃった大御神が、霧に声をかける。

「女神も慣れない環境で疲れているだろう、もう少し寝かせてあげたらいい。」

「大御神様…。でも、」

霧は突然の大御神の提案に驚き、手を止めて大御神の方を見る。

「朔、何時までなら大丈夫かわかる?」

湯浴みのために箪笥の前で用意していた私は大御神の方へ振り向き、姿勢を正した。

「本日は女神様のご予定は特にありませんので、お時間を気にする必要はございません。」

「女神の祈祷はこちらで受けているんだっけ?」

「さようでございます。本日は入っていないと仰せ使っております。」

「ならもう寝かせておいてあげよう。」

「…大御神様がおつとめなさっている中、眠っていると言うのは。」

霧は苦い顔をしながらそう呟く。

「気にしないよ。」

「…申し訳ありません。」

畳に額がつくくらい、深く頭を下げる霧。

「謝ることでもないよ。貴女も疲れているだろうし、今日はゆっくりするといい。」

「お気遣い感謝申し上げます。」

くぐもった声でそう答える。
私はその一連のやり取りをぼんやり眺めていた。

「朔、湯浴みに。」

「用意できてございます。」

風呂敷包みを渡し、薄布を持ち上げて大御神をお通しした。

大御神が去った後、霧が言った。

「本当によろしいのでしょうか。」

「大御神のご意向に素直に従うべきだと思います。」

「はい…。」



 大御神の湯浴みの間、私は大御神の衣装を用意し、霧は寝具を整えて軽く部屋を掃除していた。すると、布団が動き、女神が目を覚ました。

「…あれ?」

「おはようございます、女神様。」

「…大御神様は?今何時?」

「大御神様は湯浴みに行ってらっしゃいます。今は…」

「は?なんで起こさないのよ!」

突然立ち上がり、霧の髪の毛を掴んだ。

「大御神のご意向です、女神様。落ち着いてください。」

とっさに霧の髪を掴む女神の腕を剥がす。朝の霧との会話を思い出した。これは確かに怖い。
整った顔は、般若のように歪んでいる。

「私に恥かかせてんじゃないわよ!私を先に起こしなさいと毎度言っているじゃない!!」

私の言葉には全く聞く耳を持たず、霧を責め続ける。私は霧の前に立った。

「大御神が間も無くお戻りです。お静かにお願いいたします。」

「何?あんた大御神って言えば私が黙るとでも思ってんの?ただの巫女のくせに生意気なのよ。」

矛先が私に向いた。それと同時に、私の矛先も女神に向いた。私の言動は全て大御神のためのものだ。

「私は大御神のための巫女であって、貴女に仕えているわけではございません。」

「だから何?それでも私は女神で、貴女はただの巫女。立場が全然違うのに意見なんかして、おかしいんじゃないの?」

「お静かにお願いいたします。」

「あんたねぇ、いい加減に…」

女神の手が伸びる。下がろうにも後ろには霧が座り込んでいて、避けることができなかった。
がっしり前髪を掴まれる。

スッと、戸の開く音がした。大御神がお戻りになったのだ。

「何をしている?」

血の気がひいた。おそらく私だけでなく、霧も、女神も。

お怒りだ。
その場の空気が凍り付いてる。皮膚に触れる空気が大御神の怒りを含み、突き刺さる。

女神の手を解かせようにも、大御神の登場とその雰囲気に硬直しているようだ。

「大御神、申し訳ございません。奥の部屋に、寝所でお待ちいただけませんか。」

髪を掴まれたまま、私は大御神に言った。

「この状況で私にここから去れというのか。」

睨んでいる。おそらく私の髪を掴む女神の手を。

「お手を煩わせるわけには」

「私の今の感情はわかっているだろう。」

…私に他の者が触れることに怒っていらっしゃるんだ。

「女神、その手を離してもらえないか。」

いつもよりも低く、静かな声で大御神はそうおっしゃる。

「はっ、はい…。」

女神は顔面から脂汗を吹き出し、真っ青になっていた。
私の髪から手を離すと、その場にへたり込む。霧はそれを見ているだけだった。おそらく腰が抜けているのだろう。

私は女神から解放され、すぐに土下座をした。

「大御神の大切な空間でこのようなことになってしまい、申し訳ございません。」

「謝罪はいい。」

「お、大御神様…、」

女神が弁明しようと口を開くが、大御神は話を続ける。

「私はこの部屋を気に入っている。この部屋が自然の音以外入らないからだ。それが今この部屋で、嫌いな音がいくつも聞こえる。だからいま、この状況に非常に腹が立っている。」

そう話しおえると、ソファに腰掛けられた。頭を下げ続ける私をご覧になる。

「朔、顔をあげて。何があったか説明して。」

「大御神様!私はっ!」

「女神、悪いが今、朔の声以外聞きたくない。」

女神が勢いよく私の方に振り向いた。
私はそれとは目を合わせずに、上体を起こし、三つ指をついた状態でことの顛末を説明した。
その間に霧は冷静さを取り戻したようで、私の後ろで同じように姿勢を正して黙っていた。

「私の計らいが女神を怒らせたようだね。」

聞き終え、大御神は静かにそうおっしゃった。
結果的にはそうなってしまったのは確かだ。

「そのような…!」

女神はすがるような目で大御神を見ているが、大御神はいつになく冷たい雰囲気のまま。

「そうだろう。二人の巫女が辛い思いをしたのは私のせいだ。謝ろう。」

「大御神!」

神が、簡単に人に謝罪などしてはいけない。大巫女の私がもっと早く察して止めさせるべきだった。私は自分の不甲斐なさにうなだれる。

「いいんだよ朔、これでこの話は終わりだ。着替えを頼む。」

自責の念に駆られ、項垂れる私にそう優しく声をかけると、カーテンの奥へ行ってしまわれた。いつまでも落ち込むわけにいかず、急いで立ち上がり跡を追う。
去り際、女神は私を睨めつけ、霧は申し訳なさそうな顔をしていた。
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