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ルモン大帝国編

70.助けられるだけの生き方

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 出来ることを出来る範囲でしようとしても、その動作は遅く、傍目から見ると気の毒に見える。だから優しい人ほど手を差し伸べて、助けようとする。
 その心は美しく、救いになる。一方で、行動を禁じる圧力と化す。
 手が無ければ、口や顎を使えば良い。けれど口だけで食事をする、顎で物を挟む。そういった行為を憐れみ、涙され、手を差し伸べられる。
 確かに助かるし、ありがたいことではある。
 けれど、自分の力で立ち上がろうともがくたびに涙されれば、立ち上がること自体に罪悪感を抱き、立つことを諦めてしまう。
 そして与えられるだけの暮らしは、人としての尊厳を破壊していく。

 与えられることが当然だと思える人間ならば良いが、自分の力で生きたいと、誰かの力になりたいと生きてきた者ほど、残酷なほどに心をえぐられる。
 お返しをしたくても、出来ることは限られていて、それすらも憐憫の涙を浮かべられてしまうことも多い。
 助けられるだけの生き方。
 そんな生活は、長く続けば続くほど、耐えがたい苦痛となる。肉体的な痛みも、生活の不便さも、容易く陵駕するほどに。

「嫌な言い方ですけど、同情が相手を追い詰めてしまうこともあるんです。それを振り切り、自己を確立できれば、まあ何とかなるんですけど。でも、自分を心配してくれる人を突き放すなんて、身を引き裂かれるように辛いですから、中々難しいんですよね」

 荷馬車の中は、静まり返っていた。
 一度は耳を遠ざけた冒険者達も、それぞれ思いにふける。
 フレックは瞼を落とし、これから自分の身に起ることを想像した。
 きっと、生真面目なナルツは、フレックを生かしたことに責任を感じて、ユキノの話のように世話を買って出るだろう。
 それはどこまで行われるのか? いつまで続くのか?
 下手をすれば、どちらかが命を終えるまで続くかもしれない。生活全般を補おうとするかもしれない。
 赤ん坊のように食事を与えられ、体を清められ、身の回りの世話を引き受けようとするのだろう。働けないフレックのために、身銭を切ろうとするかもしれない。

 気付けば口の中に、鉄の味がした。噛みしめていた唇が切れ、血が流れ込んでいた。
 これからの生活を考えれば、不安だった。
 片足を失い、両腕も無い。冒険者としては、もう働けないだろう。今までのようには稼げない。
 そんな事態が起こるかもしれないと、剣に生きると決めたときに覚悟していたはずだった。でもやはり、現実として見据えてはいなかったのだろう。
 こんな体で、どんな仕事が出来るというのか? 仕事をするどころか、飯を食うことだって出来るのか?
 そんな不安ばかりが襲ってきて、発狂しそうになる自分を抑えるために、わざとテンションを上げて喋り続けていた。
 けれど、あの小さな子供の話を聞いて、それだけではないと気付いた。

 『人間』という常識を捨て、生きるだけならば、この体でも可能なのかもしれない。だが、『人間』としての生き方を求めるならば? 
 フレックを支えるために、自分を犠牲にし続けるナルツを、見続けなければいけなくなったら?
 その考えに思い至ったとき、絶望した。そして、自分を心配してくれる仲間たちに囲まれているのに、そこから逃げたいと叫び続けていた自分の心が、どこから出てきたのか気付いた。

「なあ、ユキノちゃん。君が手足を失ったなら、どうする?」

 小さな子供に尋ねる質問ではない。それでも、気付けば口を突いて出ていた。
 
「一人なら、特に気にせず生きます。足が無ければ這うなり、寝返りを打って転がるなり、移動の方法はありますから」
「……」
「腕が無ければ、口を使えばどうにかなります。そもそも、手を自由に使える生き物は限られていますから、大抵のことは慣れれば口でどうにかできます」
「……。ごめん、ユキノちゃん。ちょっと待って」

 思わずといった様子で、ノムルがストップを掛けた。
 聞いていた冒険者達も、眉間に深いしわを刻み複雑な表情を浮かべている。

「確かにそうかもしれないけど、流石にそれを」
「ですから、『当たり前』に囚われている間は大変だと言ったんです。足で歩いて、手で作業するという思考から離れない限り、何もできないし、辛いだけです」
「ああ、なるほど。なるほど?」

 常識はずれのノムルだが、今回ばかりは困惑から抜けきれないようだ。

「本人はもちろんですけど、周囲の人間が常識に囚われている間は、きついですよ? 自分の存在意義とかが分からなくなって、ズタボロになってしまう場合も多いですね。そこから立ち上がることは至難の技かと。いかに早く過去の常識を打ち破り、『自分』という存在を確立するかが、楽になるための鍵になります」

 実際に、一度は本人が開き直れても、周囲の『可哀そう』圧力に負けてしまう人は大勢いる。

「ユキノちゃんってさ、優しいのか冷たいのか、分からないね?」
「どちらでもないと思いますよ? 真実を話しているだけですから」
「そ、そう」

 ノムルは戸惑うが、雪乃はなんでもないことのように言う。
 そんな二人の会話をよそに、冒険者達は考え込んでいた。
 フレックが大怪我を負ったのは、飛竜の攻撃をこのメンバーでは耐え切れないと気付いて、一人で突っ込み、咆哮の威力を削いだからだ。
 彼がとっさに動かなければ、他のメンバーの怪我は、今よりひどかっただろう。手や足を失った者や、命を失った者だっていたかもしれない。
 申し訳ないという思いと、感謝の気持ちがあった。だから、できうる限りフレックを助けたいと思ったのは、自然な流れだろう。
 それが償いになると、そうすることでしか償うことはできないと、思っていたのだ。
 けれど、小さな子供の話を聞いているうちに、疑問が湧いてきた。
 本当にそれが、フレックのためなのだろうか? ただの自己満足なのではないだろうか?

「なあ、フレック。傷はもう、痛くないんだよな?」

 重い空気を揺らして口を開いたのは、ヤガルだった。

「ああ。驚くことにまったく」
「もう討伐には、行けないよな?」
「……。ああ、たぶん無理だろうな」

 咎めるような視線をヤガルに向ける者もいたが、口には出さない。気持ちと理性が矛盾を抱え、上手く統合できずにいるのだろう。
 ヤガルは仲間たちの視線に含まれる感情に気付きながらも、問いかけを続ける。 

「部屋の管理とか、頼めるか?」

 仲間内で借りている部屋は、遠方での依頼を受けた時は、近所の人に管理を任せていた。
 フレックは顔を上げ、ヤガルを見る。

「当然。留守番くらい、チビたちでもできるからな」
「備品や金の管理とか、道程の予定とか、魔物の情報の整理とか」
「あまり得意じゃないけど、やってやるさ」

 思いつく限りのことを述べていくヤガルの目は、潤んでいた。フレックも上を見上げ、唇を噛んで、こぼれ落ちそうになる涙を止める。
 マグレーンは耐え切れずに、ローブのフードを被った。タッセは膝を抱え込んで顔を埋め、パトは顔を背けて涙を隠した。

「剣を振るうだけが、冒険者の仕事じゃないんだ。今までさぼってた仕事を、嫌でもやってもらうからな? 何でも助けてもらえると思うなよ?」
「相変わらず、手厳しいな。けどまあ、任しとけ」

 苦悶するように震えるヤガルの声に対して、フレックの声はどこか嬉しそうに震えている。
 真っ赤に染まった目、噛みしめた唇。涙がこぼれないよう上向いたまま、何度もフレックは頷いた。

「なんか感動的な場面になってる?」
「ノムルさん、空気読みましょう」
「ええ? 俺が悪いの?」
「……」
「ちょっと、ユキノちゃん?!」
「「「……」」」

 誰も視線を合わせはしないが、なんとも微妙な空気が荷台を支配する。
 馬に騎乗していたナルツだけは、蚊帳の外にいた。
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