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ドューワ国編
122.身代わり君を残して
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軽く二時間以上続いていた話は、目が覚めたノムルがキレて中断された。
ドットは説明がまだ途中ですと苦情をもらしていたが、雪乃は必要な情報は話し終えていたと判断し、ノムルを止めなかった。
なにせ後半は、殿下がどれほど素晴らしいか、殿下の好きな食べ物、趣味、好みの音楽などなど、今回護衛する相手であるらしい殿下の話が、延々と続いていたのだから。
「殿下をお任せするのですから、殿下のことをきちんと知っていただき、殿下にご不便をお掛けしないようにすることこそが、忠臣の務め」
「俺、忠臣じゃないから」
「ですから、護衛をしていただく貴方様に御理解していただき……」
延々と続く話に、雪乃はノムルのローブを引っ張り、耳打ちをした。
予備のローブを着せた身代わり君を残して、二人はギルドマスターの執務室から、そっと抜け出したのだった。
「あれは何?」
「申し訳ありません。ドットは優秀な男なのですが、忠誠心が強すぎて暴走することがあるのです」
ロックのいる別室に逃げ込んだ二人に、ロックはランゴティーを差し出す。甘酸っぱいランゴの香りが、部屋に広がる。
雪乃はロックが事情を知っているのかを確認してから、ドットの話から要点をまとめた。
「話を整理しますと、こちらの要望は全て受け入れる、ということでよろしいでしょうか?」
「よく聞いていたね?!」
「その通りです」
長い話の中から、きちんと情報を拾っていた雪乃に、ノムルは感嘆の声を上げた。ロックも感心して、音が鳴らない程度に拍手をしている。
そんな大人の男二人に、雪乃は冷めた視線を送っておいた。
「気になる点は、護衛対象はアイス国の要人とのお話だったはずですが、先ほどの話からはドューワ国の殿下――お名前は出てきませんでしたが、の護衛依頼であると感じたのですが?」
雪乃は珍しく、厳しい眼差しを向けた。ノムルもまた、ロックを細めた目で睨む。
依頼内容の詐称は、信用問題に関わる。
「護衛対象はアイス国の姫君、リリアンヌ王女殿下です。ただ、ドューワ国第二王子、マーク殿下も御同行されるそうです」
「微妙だね」
ノムルは苦く顔をゆがめたが、ロックは無表情を貫いている。
詐称とまではいかないが、秘匿されていたことは気分の良いものではない。
しかし雪乃には、それ以上に気になることがあった。
あれだけ殿下について語っていながら、ドットは殿下の名前を出さなかったのだ。何か理由があったのかと雪乃は推察していたのだが、あっさりロックからもたらされてしまった。
これはドットが王子の名前を忘れているのか、ロックが実はうっかりさんなのか、気になるところである。
「王子殿下の名前は、出しても良かったのでしょうか?」
きらーんっと目元の葉を光らせて、雪乃はロックに確かめる。
「問題ありません。国民は皆、知っていることですから」
「ソウデスカ」
問題は、ドットにあるようだ。
雪乃は少し幹を捻ってノムルの表情をうかがう。小さく頷かれたので、そのまま確認作業を続けることにした。
「アイス国に向かう理由は、一つはリリアンヌ王女殿下の帰国。そしてもう一つが、マーク王子殿下の輿入れのため。婚礼は春に行われるそうですが、冬の間は行き来が難しいため、本格的な冬が到来する前に入国して準備を進める、ということでよろしいですね?」
マーク王子殿下とリリアンヌ王女殿下の馴れ初めやら、婚礼のための衣装のデザインなど、どうでもいい話を延々と聞かされていたのだ。
思わず意識が遠くへ旅立ちかけた雪乃を、ロックは訝しげに見つめる。視線に気付いた雪乃は、意識をロックへと戻した。
「ええ、それで概ね合っています。しかし殿下のご病気については、ドットは何も説明しなかったのですか?」
重々しく頷いたロックだが、雪乃が病気のことを口にしなかったことに、不思議そうに眉根を寄せる。
雪乃はぽてんと幹を傾げた。それからロックの話を虚ろな目になりつつも思い出してみる。
「言ってませんね。ご病気なのですか?」
記憶の確認作業を終えて、雪乃は答えた。
もしかすると、これから話す予定だったのかもしれない。執務室に戻ったほうが良いだろうかと逡巡する雪乃に、ロックは手を挙げて制すと共に、首を横に振った。
「私のほうからご説明しましょう。マーク王子殿下が患っている病は、眠り病です」
「眠り病?」
どこかで聞いた名前だと、雪乃は思う。そしていつものように、薬草図鑑を頭の中でめくった。
そんなユキノの様子を、ロックは鋭い目で観察している。そしてそんなロックを、当然のように睨み付けるノムルがいた。
ロックの持つティーカップがぶるぶる震え、ランゴティーが机をぬらす。
「大丈夫ですか? 布巾を借りてきましょう」
「……大丈夫です。それよりも、眠り病のことはご存知でしょうか?」
胸元のポケットから出したハンカチで、ロックは机を濡らすランゴティーを拭き取る。そして何事もなかったように聞いた。
雪乃は考える。
薬草図鑑の中に、眠り病は掲載されていなかった。しかし雪乃は、その名前をどこかで耳にした記憶があるのだ。
もやもやと落ち着かない居心地の悪さに、雪乃はうーんっと呻きながら、必死に記憶を探る。
「すみません、どこかで聞いた気がするのですが、思い出せません」
「そうですか。闇死病の新しい治療法を見つけ出した薬師であれば、ご存知かと思ったのですが」
白旗を揚げた雪乃に、ロックは残念そうに目を伏せた。
闇死病と聞き、雪乃が驚いてノムルを見ると、にっこりと笑まれた。
「ユキノちゃんの名前は伏せておくように頼んで置いたんだけど、認定証を見れば気付くよねー」
ノムルの言葉に、ロックは苦笑をもって答えとする。
薬師としてのみ特殊Bランクなど、異端だ。少し敏い者ならば、すぐに気付くとノムルとロックは答えたのだが、雪乃の驚きは別にあった。
「あの、もう薬の情報は知れ渡っているのですか?」
今度はノムルとロックのほうが、目を丸くする。
「当然でしょ? 闇死病の治療方法を欲しがっていた人間は、世界中に大勢いるんだ。あっと言う間に広がるさ」
雪乃が生まれた国では、新薬が開発されてから市場に開放されるまで、数年から十年以上掛かっていた。下手すると二十年経っても出てこないものもあった。
まあ世界的にも遅いと評判だったから、比較する対象にはならないのかもしれないが、それを差し引いても迅速さに驚くしかない。
不思議そうにしているノムルとロックの視線を受けながら、雪乃は感心しきりだ。
ひとしきり思考の波を泳いでから、浮上する。
ドットは説明がまだ途中ですと苦情をもらしていたが、雪乃は必要な情報は話し終えていたと判断し、ノムルを止めなかった。
なにせ後半は、殿下がどれほど素晴らしいか、殿下の好きな食べ物、趣味、好みの音楽などなど、今回護衛する相手であるらしい殿下の話が、延々と続いていたのだから。
「殿下をお任せするのですから、殿下のことをきちんと知っていただき、殿下にご不便をお掛けしないようにすることこそが、忠臣の務め」
「俺、忠臣じゃないから」
「ですから、護衛をしていただく貴方様に御理解していただき……」
延々と続く話に、雪乃はノムルのローブを引っ張り、耳打ちをした。
予備のローブを着せた身代わり君を残して、二人はギルドマスターの執務室から、そっと抜け出したのだった。
「あれは何?」
「申し訳ありません。ドットは優秀な男なのですが、忠誠心が強すぎて暴走することがあるのです」
ロックのいる別室に逃げ込んだ二人に、ロックはランゴティーを差し出す。甘酸っぱいランゴの香りが、部屋に広がる。
雪乃はロックが事情を知っているのかを確認してから、ドットの話から要点をまとめた。
「話を整理しますと、こちらの要望は全て受け入れる、ということでよろしいでしょうか?」
「よく聞いていたね?!」
「その通りです」
長い話の中から、きちんと情報を拾っていた雪乃に、ノムルは感嘆の声を上げた。ロックも感心して、音が鳴らない程度に拍手をしている。
そんな大人の男二人に、雪乃は冷めた視線を送っておいた。
「気になる点は、護衛対象はアイス国の要人とのお話だったはずですが、先ほどの話からはドューワ国の殿下――お名前は出てきませんでしたが、の護衛依頼であると感じたのですが?」
雪乃は珍しく、厳しい眼差しを向けた。ノムルもまた、ロックを細めた目で睨む。
依頼内容の詐称は、信用問題に関わる。
「護衛対象はアイス国の姫君、リリアンヌ王女殿下です。ただ、ドューワ国第二王子、マーク殿下も御同行されるそうです」
「微妙だね」
ノムルは苦く顔をゆがめたが、ロックは無表情を貫いている。
詐称とまではいかないが、秘匿されていたことは気分の良いものではない。
しかし雪乃には、それ以上に気になることがあった。
あれだけ殿下について語っていながら、ドットは殿下の名前を出さなかったのだ。何か理由があったのかと雪乃は推察していたのだが、あっさりロックからもたらされてしまった。
これはドットが王子の名前を忘れているのか、ロックが実はうっかりさんなのか、気になるところである。
「王子殿下の名前は、出しても良かったのでしょうか?」
きらーんっと目元の葉を光らせて、雪乃はロックに確かめる。
「問題ありません。国民は皆、知っていることですから」
「ソウデスカ」
問題は、ドットにあるようだ。
雪乃は少し幹を捻ってノムルの表情をうかがう。小さく頷かれたので、そのまま確認作業を続けることにした。
「アイス国に向かう理由は、一つはリリアンヌ王女殿下の帰国。そしてもう一つが、マーク王子殿下の輿入れのため。婚礼は春に行われるそうですが、冬の間は行き来が難しいため、本格的な冬が到来する前に入国して準備を進める、ということでよろしいですね?」
マーク王子殿下とリリアンヌ王女殿下の馴れ初めやら、婚礼のための衣装のデザインなど、どうでもいい話を延々と聞かされていたのだ。
思わず意識が遠くへ旅立ちかけた雪乃を、ロックは訝しげに見つめる。視線に気付いた雪乃は、意識をロックへと戻した。
「ええ、それで概ね合っています。しかし殿下のご病気については、ドットは何も説明しなかったのですか?」
重々しく頷いたロックだが、雪乃が病気のことを口にしなかったことに、不思議そうに眉根を寄せる。
雪乃はぽてんと幹を傾げた。それからロックの話を虚ろな目になりつつも思い出してみる。
「言ってませんね。ご病気なのですか?」
記憶の確認作業を終えて、雪乃は答えた。
もしかすると、これから話す予定だったのかもしれない。執務室に戻ったほうが良いだろうかと逡巡する雪乃に、ロックは手を挙げて制すと共に、首を横に振った。
「私のほうからご説明しましょう。マーク王子殿下が患っている病は、眠り病です」
「眠り病?」
どこかで聞いた名前だと、雪乃は思う。そしていつものように、薬草図鑑を頭の中でめくった。
そんなユキノの様子を、ロックは鋭い目で観察している。そしてそんなロックを、当然のように睨み付けるノムルがいた。
ロックの持つティーカップがぶるぶる震え、ランゴティーが机をぬらす。
「大丈夫ですか? 布巾を借りてきましょう」
「……大丈夫です。それよりも、眠り病のことはご存知でしょうか?」
胸元のポケットから出したハンカチで、ロックは机を濡らすランゴティーを拭き取る。そして何事もなかったように聞いた。
雪乃は考える。
薬草図鑑の中に、眠り病は掲載されていなかった。しかし雪乃は、その名前をどこかで耳にした記憶があるのだ。
もやもやと落ち着かない居心地の悪さに、雪乃はうーんっと呻きながら、必死に記憶を探る。
「すみません、どこかで聞いた気がするのですが、思い出せません」
「そうですか。闇死病の新しい治療法を見つけ出した薬師であれば、ご存知かと思ったのですが」
白旗を揚げた雪乃に、ロックは残念そうに目を伏せた。
闇死病と聞き、雪乃が驚いてノムルを見ると、にっこりと笑まれた。
「ユキノちゃんの名前は伏せておくように頼んで置いたんだけど、認定証を見れば気付くよねー」
ノムルの言葉に、ロックは苦笑をもって答えとする。
薬師としてのみ特殊Bランクなど、異端だ。少し敏い者ならば、すぐに気付くとノムルとロックは答えたのだが、雪乃の驚きは別にあった。
「あの、もう薬の情報は知れ渡っているのですか?」
今度はノムルとロックのほうが、目を丸くする。
「当然でしょ? 闇死病の治療方法を欲しがっていた人間は、世界中に大勢いるんだ。あっと言う間に広がるさ」
雪乃が生まれた国では、新薬が開発されてから市場に開放されるまで、数年から十年以上掛かっていた。下手すると二十年経っても出てこないものもあった。
まあ世界的にも遅いと評判だったから、比較する対象にはならないのかもしれないが、それを差し引いても迅速さに驚くしかない。
不思議そうにしているノムルとロックの視線を受けながら、雪乃は感心しきりだ。
ひとしきり思考の波を泳いでから、浮上する。
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