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02.パフィー、パフィー!
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「パフィー、パフィー!」
帝都に出かけていた父が、帰ってくるなり私を呼んだ。何か良いことでもあったのだろうか? 珍しく明るい声だった。
「どうしたの? お父さま」
「ああ、パフィー。お土産を買ってきたのだ。気に入ってくれると嬉しいのだけれど」
にこにこと上機嫌な父。後ろに立つ従者も薔薇の描かれた綺麗な箱を抱えて微笑んでいる。大きさからドレスだと気付いた私の眉が曇る。
片腕のない私に似合うドレスなんてない。袖の付いたドレスはぶらぶらと揺れ、袖がないドレスは腕がないのだとはっきり主張する。
「いらないわ」
「一度だけでいいんだ。着てみてくれないか? 私へのプレゼントだと思って」
今日は父の誕生日だ。
パーティを開いて祝う貴族が多いというのに、父は毎年私と二人で過ごす。美味しい料理を親子水入らずで食べて、ゆっくりと過ごすのだ。
申し訳ないと思うけれど、父は私と過ごす時間が何よりも大切なのだと言ってくれる。本当に、私にはもったいないほどの優しい父だ。
「分かったわ。でも屋敷の中でだけよ? 外には出ないわ」
「ああ、構わないよ。ありがとう」
嬉しそうな父の顔を見ていると申し訳なさが込み上げてくる。この腕があって、きちんと社交の場に出れていれば、父はいつも笑ってくれていたのかもしれない。
つきり、つきりと疼く胸の痛みを抑え込んで自室へと戻る。
箱を開けた侍女のカレットが感嘆の声を上げているのを背中で聞きながら、内心で溜め息を洩らす。
きっと帝都で流行のドレスなのだろう。可愛らしい令嬢が着ればそれは素敵なドレスなのかもしれない。でも私が着れば似合わないに決まっている。
くすりと自嘲の笑みが零れる。
「まあ! パフィーお嬢様、お綺麗ですわ!」
「そう? ありがとう」
着替え終わると、カレットが声を上げて褒めてくれた。口元を両手で覆い、目元には涙まで浮かべている。大袈裟すぎないだろうか?
訝しく思う私の心情に気付いたのだろう。カレットは慌てたような顔をする。
「姿見を持って参ります!」
「要らないわ」
私の部屋には鏡がない。窓も擦りガラスを使って自分の姿を見なくて済むようにしていた。
止める間もなく飛び出していったカレットのスカートの裾が、廊下の向こうに消えていく。みっともない姿なんて、改めて見たくない。
私は父が待っているだろう食堂に向かうことにした。
でも動き出すのが一歩遅かったようだ。姿見を担いだ使用人と共にカレットが戻ってきてしまった。
「お嬢様、さあ、ご覧下さい」
目の前に置かれた姿見。無意識に顔を逸らすとカレットの微笑む顔と、頬を赤く染めた使用人の顔が視界に入る。
こんな反応は、あの事故の日から一度もなかった。
いったい何が起きているのかと気になってしまった私は、好奇心に負けて視線を鏡へと向けてしまう。
「あっ」
鏡に映るのは、柔らかな空色のドレスを着た年頃の令嬢。その左腕は無様を晒すでも隠されるでもなく、神秘的な美しさを誇っていた。
左の肩から幾重にも重なる薄布は、森の奥で見つけた澄んだ泉のよう。散りばめられた小花は風に舞うように揺らめく。まるで――。
「まるで泉の精霊のようですわ。なんて美しいのでしょう」
カレットも同じ印象を抱いたようだ。
父が送ってくれたドレスは、失った腕を欠点としてカバーするのではなく、個性として最大限に引き出して魅せてくれていた。
「これが、私?」
残っている右腕を伸ばして鏡に触れる。銀色の世界にいる精霊も手を伸ばし返す。
「ああ、お嬢様、いけません」
触れてはいけなかっただろうかと手を引くけれど、そうではなかった。
いつの間にか双眸から涙が零れていて頬を伝っていく。零れ落ちてドレスを汚してしまう前に、カレットがハンカチで掬ってくれた。
「お化粧を直さなければなりませんね」
「お父様をお待たせしてしまうわ」
「すぐに直せます。大丈夫ですよ」
涙を拭うと手早くお化粧を直されて食堂へと向かった。
「ああ、パフィー! なんて美しいのだ!」
先に待っていた父は私を見るなり目を細める。それからゆっくりと立ち上がり、両手を広げて私を迎えると抱きしめてくれた。
「お父様、素敵なドレスをありがとうございます」
「気に入ってくれたかい?」
「ええ、とても」
こんな素敵なドレスがあるなんて。もっと早く知っていれば帝都に出かけたのに。
食事の合間にそんなことを零したら、父は驚いた顔をした後で本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「だったら今度は一緒に帝都に行こう。私にはドレスのことはよく分からないから、パフィーのサイズを伝えて任せただけだからね」
「それだけでこれほどのドレスを?」
普通は何度も打ち合わせをしなければこんなドレスは作れない。領地に籠っていたから知らなかったけれど、帝都には優れたデザイナーがいるようだ。
「実は聖女様がデザインしたドレスなのだよ」
「聖女様が?」
聖女ローズマリナ様。類稀な治癒魔法を使う彼女は、西方にあるゴリン国の公爵家に生まれながら、愛する勇者様と添い遂げるために祖国を捨てて我が帝国に嫁いでこられた。
真実の愛で結ばれたお二人の馴れ初めは本にも舞台にもなり、帝国で知らない者はいないほどである。
帝都に出かけていた父が、帰ってくるなり私を呼んだ。何か良いことでもあったのだろうか? 珍しく明るい声だった。
「どうしたの? お父さま」
「ああ、パフィー。お土産を買ってきたのだ。気に入ってくれると嬉しいのだけれど」
にこにこと上機嫌な父。後ろに立つ従者も薔薇の描かれた綺麗な箱を抱えて微笑んでいる。大きさからドレスだと気付いた私の眉が曇る。
片腕のない私に似合うドレスなんてない。袖の付いたドレスはぶらぶらと揺れ、袖がないドレスは腕がないのだとはっきり主張する。
「いらないわ」
「一度だけでいいんだ。着てみてくれないか? 私へのプレゼントだと思って」
今日は父の誕生日だ。
パーティを開いて祝う貴族が多いというのに、父は毎年私と二人で過ごす。美味しい料理を親子水入らずで食べて、ゆっくりと過ごすのだ。
申し訳ないと思うけれど、父は私と過ごす時間が何よりも大切なのだと言ってくれる。本当に、私にはもったいないほどの優しい父だ。
「分かったわ。でも屋敷の中でだけよ? 外には出ないわ」
「ああ、構わないよ。ありがとう」
嬉しそうな父の顔を見ていると申し訳なさが込み上げてくる。この腕があって、きちんと社交の場に出れていれば、父はいつも笑ってくれていたのかもしれない。
つきり、つきりと疼く胸の痛みを抑え込んで自室へと戻る。
箱を開けた侍女のカレットが感嘆の声を上げているのを背中で聞きながら、内心で溜め息を洩らす。
きっと帝都で流行のドレスなのだろう。可愛らしい令嬢が着ればそれは素敵なドレスなのかもしれない。でも私が着れば似合わないに決まっている。
くすりと自嘲の笑みが零れる。
「まあ! パフィーお嬢様、お綺麗ですわ!」
「そう? ありがとう」
着替え終わると、カレットが声を上げて褒めてくれた。口元を両手で覆い、目元には涙まで浮かべている。大袈裟すぎないだろうか?
訝しく思う私の心情に気付いたのだろう。カレットは慌てたような顔をする。
「姿見を持って参ります!」
「要らないわ」
私の部屋には鏡がない。窓も擦りガラスを使って自分の姿を見なくて済むようにしていた。
止める間もなく飛び出していったカレットのスカートの裾が、廊下の向こうに消えていく。みっともない姿なんて、改めて見たくない。
私は父が待っているだろう食堂に向かうことにした。
でも動き出すのが一歩遅かったようだ。姿見を担いだ使用人と共にカレットが戻ってきてしまった。
「お嬢様、さあ、ご覧下さい」
目の前に置かれた姿見。無意識に顔を逸らすとカレットの微笑む顔と、頬を赤く染めた使用人の顔が視界に入る。
こんな反応は、あの事故の日から一度もなかった。
いったい何が起きているのかと気になってしまった私は、好奇心に負けて視線を鏡へと向けてしまう。
「あっ」
鏡に映るのは、柔らかな空色のドレスを着た年頃の令嬢。その左腕は無様を晒すでも隠されるでもなく、神秘的な美しさを誇っていた。
左の肩から幾重にも重なる薄布は、森の奥で見つけた澄んだ泉のよう。散りばめられた小花は風に舞うように揺らめく。まるで――。
「まるで泉の精霊のようですわ。なんて美しいのでしょう」
カレットも同じ印象を抱いたようだ。
父が送ってくれたドレスは、失った腕を欠点としてカバーするのではなく、個性として最大限に引き出して魅せてくれていた。
「これが、私?」
残っている右腕を伸ばして鏡に触れる。銀色の世界にいる精霊も手を伸ばし返す。
「ああ、お嬢様、いけません」
触れてはいけなかっただろうかと手を引くけれど、そうではなかった。
いつの間にか双眸から涙が零れていて頬を伝っていく。零れ落ちてドレスを汚してしまう前に、カレットがハンカチで掬ってくれた。
「お化粧を直さなければなりませんね」
「お父様をお待たせしてしまうわ」
「すぐに直せます。大丈夫ですよ」
涙を拭うと手早くお化粧を直されて食堂へと向かった。
「ああ、パフィー! なんて美しいのだ!」
先に待っていた父は私を見るなり目を細める。それからゆっくりと立ち上がり、両手を広げて私を迎えると抱きしめてくれた。
「お父様、素敵なドレスをありがとうございます」
「気に入ってくれたかい?」
「ええ、とても」
こんな素敵なドレスがあるなんて。もっと早く知っていれば帝都に出かけたのに。
食事の合間にそんなことを零したら、父は驚いた顔をした後で本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「だったら今度は一緒に帝都に行こう。私にはドレスのことはよく分からないから、パフィーのサイズを伝えて任せただけだからね」
「それだけでこれほどのドレスを?」
普通は何度も打ち合わせをしなければこんなドレスは作れない。領地に籠っていたから知らなかったけれど、帝都には優れたデザイナーがいるようだ。
「実は聖女様がデザインしたドレスなのだよ」
「聖女様が?」
聖女ローズマリナ様。類稀な治癒魔法を使う彼女は、西方にあるゴリン国の公爵家に生まれながら、愛する勇者様と添い遂げるために祖国を捨てて我が帝国に嫁いでこられた。
真実の愛で結ばれたお二人の馴れ初めは本にも舞台にもなり、帝国で知らない者はいないほどである。
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