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17.ええ、分からないわ
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「ええ、分からないわ。たしかに片腕がなければ、できないこともあるでしょう。でも社交界に顔を見せるのに支障があって? 隻腕でも挨拶くらいできるでしょう? ダンスだって踊れるわ。あなた、伯爵家を継ぐのではなくて? 引き籠っていてはあなたも領民も不幸になってしまうわよ?」
言われなくたって分かっている。だけど、恐いんだから仕方ないじゃない。
少しくらい我慢すればいいって思われるかもしれないけれど、恐くて頭の中が真っ白になってしまう。気が狂いそうになるのを必死に我慢しなければならない苦しさなんて、分からないのだわ。
ふうっと溜め息を吐かれて、肩がびくりと震えた。
「お茶が冷めてしまうわ。今日は特別に取り寄せたハーブをブレンドしているの。気持ちが落ち着くから飲みなさい」
「頂きます」
紅茶に口を付けると、ふわりと甘酸っぱい香りが漂う。頭痛がしそうなほど興奮していた感情が和らいでいった。
気持ちが落ち着くと、侍女がクリームや小さくカットした果物を盛り付けたグラスを運んでくる。
「パフィっていうの。あなたの名前と同じ名前のスイーツよ」
初めて見るパフィに戸惑っていると、侯爵令嬢はスプーンでクリームを掬って食べ始めた。私もスプーンで掬って食べてみる。
「冷たい! だけど甘くて美味しい!」
「でしょう! 今の時期にぴったりなのよ」
そう言って彼女は美味しそうにパフィを食べる。
柔らかなクリームが小さくカットされた果物をまとめてくれるから、右手だけでも問題なく食べられる。とても冷たいクリームと、普通のクリームが交互に入っていて、舌触りや味も微妙に違う。
美味しくてつい夢中になっていたら、侯爵令嬢が勝ち誇った顔で私を見ていた。
「やっと笑ったわね。夜会の時も今日も、詰まらなさそうな顔しかしないのだもの。もっと楽しみなさいよ」
「でも……」
視線は左腕に向かってしまう。
「やあね。あなたが思っているほど周りは気にしていないわ。あなたの好きなことは何?」
「好きなこと……」
左手がなければ刺繍も音楽も難しい。精々本を読むくらいだ。
「じゃあ、好きな人は? ……引き籠っているならいないかしら?」
好きな人ならいる。
「あら? いるのね。だあれ? どんな方」
顔に出ていたのか、身を乗り出して聞いてくる。でも答えるのは怖い。彼女はまだ信用できるか分からないから。それに、私はマグレーン様に好かれていない。
「また暗い顔をして。相談してみなさいな。これでも友人は多いのよ? 恋愛経験だって、あなたよりはあるのだから」
確かに彼女は夜会でたくさんの男性に囲まれていた。男性の気を引く方法を色々知っているかもしれない。
マグレーン様の態度は悪くなる一方だ。先日は追い返されてしまった。もう私に後はない。だから、
「実は――」
と、思い切って相談してみた。
「……マグレーン様? クープ家の?」
彼の名前を出した途端に、彼女は顔を歪めてしまった。
「たしかに顔はいいけれど、あの男だけはやめておきなさいな」
「どうしてですか?」
「どうしてって……むしろどうしてあんな変人を好きになれたの?」
「変人だなんて! そんな言い方酷いです」
あんなに格好いいのに! たしかにマンドラゴラに話しかけていたけれど、あれはきっと、何か精神的な傷があって依存しているだけだ。
お守り代わりにアクセサリーや石なんかを持ち歩くみたいに。
「だってねえ。あなただって夜会で見たでしょう? ドレスを着せたマンドラゴラを肩に乗せている彼を。あの日はすぐに帰ったけれど、皇族主催で踊らないといけない日なんて、マンドラゴラを手に乗せて踊るのよ? あれが変人でないなら、この世に変人なんていないのではないかしら?」
何を言われたのか、理解するまでに十秒ほどかかってしまった。
「肩に?」
「見てなかったの?」
「ええ」
麗しい顔に夢中になっていたから、肩なんて見ていなかったわ。
「魔王を封印した英雄の一人だから皆見て見ぬふりをしているけれど、あれはないわ。ナルツ様とあれが同列に語られるなんて、耐えられないわ」
令嬢は頭を抱え込んでしまった。
ナルツ様とは勇者様のお名前である。まさかマグレーン様が勇者様と共に世界を救っていたなんて! 美しいだけでなく、正義感の溢れる強い方だったんだわ!
「どうしてマグレーン様はマンドラゴラに依存してしまっているのかしら?」
「さあ? マンドラゴラの幻覚作用の中毒になっているんじゃないかって噂もあったけれど、勇者様と聖女様が否定されていたから違うのでしょうね」
「幻覚作用!」
そうだ。魔法回復薬の原料として有名なマンドラゴラには、幻覚作用もある。魔法回復薬を作るためにマンドラゴラを使っていて、幻覚作用に侵されてしまったのかもしれない。
だとしたら、マグレーン様にはマンドラゴラは人間の女性に見えている可能性もある。
「あのマンドラゴラをどうにかすれば、マグレーン様は人間の女性にも関心を持ってくださるかしら?」
「どうかしら? 元々女性嫌いだったらしいし、変わらないと思うわよ? それに、あのマンドラゴラを盗もうとした者が何人かいたみたいだけれど、全員悲惨な目に遭っているみたいだから止めておきなさいな。……魔王を封じた実力は伊達ではないのよ? 彼の魔法の前では、誰もが無力だわ」
マグレーン様についてもっと聞きたかったけれど、彼女は話題を変えてしまった。流行のドレスや、お薦めの夜会などを教えてもらい、私は侯爵家を後にした。
言われなくたって分かっている。だけど、恐いんだから仕方ないじゃない。
少しくらい我慢すればいいって思われるかもしれないけれど、恐くて頭の中が真っ白になってしまう。気が狂いそうになるのを必死に我慢しなければならない苦しさなんて、分からないのだわ。
ふうっと溜め息を吐かれて、肩がびくりと震えた。
「お茶が冷めてしまうわ。今日は特別に取り寄せたハーブをブレンドしているの。気持ちが落ち着くから飲みなさい」
「頂きます」
紅茶に口を付けると、ふわりと甘酸っぱい香りが漂う。頭痛がしそうなほど興奮していた感情が和らいでいった。
気持ちが落ち着くと、侍女がクリームや小さくカットした果物を盛り付けたグラスを運んでくる。
「パフィっていうの。あなたの名前と同じ名前のスイーツよ」
初めて見るパフィに戸惑っていると、侯爵令嬢はスプーンでクリームを掬って食べ始めた。私もスプーンで掬って食べてみる。
「冷たい! だけど甘くて美味しい!」
「でしょう! 今の時期にぴったりなのよ」
そう言って彼女は美味しそうにパフィを食べる。
柔らかなクリームが小さくカットされた果物をまとめてくれるから、右手だけでも問題なく食べられる。とても冷たいクリームと、普通のクリームが交互に入っていて、舌触りや味も微妙に違う。
美味しくてつい夢中になっていたら、侯爵令嬢が勝ち誇った顔で私を見ていた。
「やっと笑ったわね。夜会の時も今日も、詰まらなさそうな顔しかしないのだもの。もっと楽しみなさいよ」
「でも……」
視線は左腕に向かってしまう。
「やあね。あなたが思っているほど周りは気にしていないわ。あなたの好きなことは何?」
「好きなこと……」
左手がなければ刺繍も音楽も難しい。精々本を読むくらいだ。
「じゃあ、好きな人は? ……引き籠っているならいないかしら?」
好きな人ならいる。
「あら? いるのね。だあれ? どんな方」
顔に出ていたのか、身を乗り出して聞いてくる。でも答えるのは怖い。彼女はまだ信用できるか分からないから。それに、私はマグレーン様に好かれていない。
「また暗い顔をして。相談してみなさいな。これでも友人は多いのよ? 恋愛経験だって、あなたよりはあるのだから」
確かに彼女は夜会でたくさんの男性に囲まれていた。男性の気を引く方法を色々知っているかもしれない。
マグレーン様の態度は悪くなる一方だ。先日は追い返されてしまった。もう私に後はない。だから、
「実は――」
と、思い切って相談してみた。
「……マグレーン様? クープ家の?」
彼の名前を出した途端に、彼女は顔を歪めてしまった。
「たしかに顔はいいけれど、あの男だけはやめておきなさいな」
「どうしてですか?」
「どうしてって……むしろどうしてあんな変人を好きになれたの?」
「変人だなんて! そんな言い方酷いです」
あんなに格好いいのに! たしかにマンドラゴラに話しかけていたけれど、あれはきっと、何か精神的な傷があって依存しているだけだ。
お守り代わりにアクセサリーや石なんかを持ち歩くみたいに。
「だってねえ。あなただって夜会で見たでしょう? ドレスを着せたマンドラゴラを肩に乗せている彼を。あの日はすぐに帰ったけれど、皇族主催で踊らないといけない日なんて、マンドラゴラを手に乗せて踊るのよ? あれが変人でないなら、この世に変人なんていないのではないかしら?」
何を言われたのか、理解するまでに十秒ほどかかってしまった。
「肩に?」
「見てなかったの?」
「ええ」
麗しい顔に夢中になっていたから、肩なんて見ていなかったわ。
「魔王を封印した英雄の一人だから皆見て見ぬふりをしているけれど、あれはないわ。ナルツ様とあれが同列に語られるなんて、耐えられないわ」
令嬢は頭を抱え込んでしまった。
ナルツ様とは勇者様のお名前である。まさかマグレーン様が勇者様と共に世界を救っていたなんて! 美しいだけでなく、正義感の溢れる強い方だったんだわ!
「どうしてマグレーン様はマンドラゴラに依存してしまっているのかしら?」
「さあ? マンドラゴラの幻覚作用の中毒になっているんじゃないかって噂もあったけれど、勇者様と聖女様が否定されていたから違うのでしょうね」
「幻覚作用!」
そうだ。魔法回復薬の原料として有名なマンドラゴラには、幻覚作用もある。魔法回復薬を作るためにマンドラゴラを使っていて、幻覚作用に侵されてしまったのかもしれない。
だとしたら、マグレーン様にはマンドラゴラは人間の女性に見えている可能性もある。
「あのマンドラゴラをどうにかすれば、マグレーン様は人間の女性にも関心を持ってくださるかしら?」
「どうかしら? 元々女性嫌いだったらしいし、変わらないと思うわよ? それに、あのマンドラゴラを盗もうとした者が何人かいたみたいだけれど、全員悲惨な目に遭っているみたいだから止めておきなさいな。……魔王を封じた実力は伊達ではないのよ? 彼の魔法の前では、誰もが無力だわ」
マグレーン様についてもっと聞きたかったけれど、彼女は話題を変えてしまった。流行のドレスや、お薦めの夜会などを教えてもらい、私は侯爵家を後にした。
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