防空戦艦大和        太平洋の嵐で舞え

みにみ

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矛盾の計画と究極の艦

大和竣工

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1940年8月8日、日本の造船史上
そして世界海軍史上に残る一大行事が、極秘裏に執り行われた。
それは、呉海軍工廠の第一船渠で建造が進められていた日本海軍の一号艦
後の戦艦「大和」の進水である。この日、軍令部と海軍省が定めた艦名は
まさに日本の古代国家の象徴たる「大和」であった。
この命名は、単なる一隻の艦に名を冠する行為を超え
国民に秘匿されたまま、来るべき激動の時代へ向けた日本の覚悟と希望
そして計り知れない重圧を象徴するものとなった。


「大和」の建造は、その計画段階から徹底した機密保持のベールに包まれていた。
当時の海軍は、将来の仮想敵国であるアメリカやイギリスに対し
日本の戦艦建造能力、特にその規模と武装に関する情報を
一切与えないことを最重要視していた。もし46cm主砲という
破格の兵装の情報が漏洩すれば、列強各国がそれに対抗する戦艦を建造し
日本の戦略的優位性が失われることを恐れたのである。

呉海軍工廠の第一船渠は、厳重な警備体制の下に置かれた。
船渠の周囲には、高さ数メートルに及ぶ
目隠し用の衝立(通称「大和塀」)が設置され
外部からの視線を完全に遮断した。上空からの航空偵察を防ぐため
船渠全体が迷彩塗装の施された巨大なシートで覆われることもあった。
工廠内の監視は厳しく、図面や機密書類の管理は徹底され
作業員にも厳格な情報統制が敷かれた。彼らは、たとえ家族であっても
建造中の艦に関する一切を口外することを禁じられた。
この異様なまでの秘匿性は、大和が単なる一隻の軍艦ではなく
日本の国家戦略の根幹をなす「切り札」であることを如実に示していた。

このような環境下で、建造は黙々と進められた。
巨砲主義と航空主兵論という相反する設計思想を内包した大和型は
その技術的な困難も相まって、まさに前人未踏の挑戦であった。
設計陣は重心の安定性、電力供給、弾薬庫配置、そして多数の
対空火器の効率的な運用といった様々な課題に日夜頭を悩ませた。
現場の職人たちは、前例のない巨大な鋼材を加工し、複雑な構造物を組み上げ
当時としては最新鋭の溶接技術を駆使して、その巨体を形作っていった。
彼らは、自らが国家の命運を左右する巨大な兵器を造っているという自覚と
決して外部に漏らしてはならないという重圧の中で作業を続けたのである。



進水が間近に迫る中、一号艦に与えるべき艦名が検討された。
日本海軍の命名規則では、戦艦には旧国名が冠されることになっていた。
候補となる旧国名はいくつかあったが
最終的に選ばれたのは今の奈良県を指す「大和」であった。

「大和」という名は、単なる旧国名ではない。
それは、日本という国の始まりの地であり、古代日本の統一国家の象徴である。
神話時代にまで遡る、日本の歴史と文化の源流を意味する言葉であった。
この名を冠することには、日本海軍、ひいては日本国が
この艦に抱く並々ならぬ期待と、来るべき苦難の時代を乗り越え
国家の永続と繁栄を願う強い意志が込められていた。

この艦は、単なる「戦艦」ではない。それは
日本の総力を結集して建造された、日本の象徴なのである。
その巨砲は日本の国力と技術力の象徴であり、その堅牢な防御力は
日本の不屈の精神を表す。そして、その対空兵装は、時代が移り変わろうとも
日本が未来の脅威に対処し、生き抜いていくという決意を示していた。

しかし、同時にこの命名は、大和が背負うことになる
計り知れない重圧をも暗示していた。日本の象徴たる名を与えられたこの艦は
決して敗北を許されない、いわば「国民の最後の希望」となる
運命を背負うことになる。その存在自体が、来るべき大戦における
日本の命運を左右する重責を意味したのである。



1940年8月8日、蒸し暑い夏の午前。呉海軍工廠の第一船渠は
厳戒態勢の下、静寂に包まれていた。通常、戦艦の進水式は
大勢の国民や報道陣を招き、盛大な祝典として執り行われるものである。
しかし、「大和」の進水式は、極秘裏に進められた建造の最後の仕上げとして
ごく限られた関係者のみが立ち会う静かな儀式であった。

立ち会ったのは、海軍省や軍令部の首脳、造船所の幹部
そして設計・建造に携わった主要な技術者たちである。
彼らの間には、数年にわたる苦難を乗り越え、ついにこの日を迎えたことへの安堵と
この未曽有の巨艦が今後日本に何をもたらすのかという
興奮と不安が入り混じった複雑な感情が渦巻いていた。

定刻。海軍大臣が進水斧で支綱を切断した。
ギシ、と低い音が響き、巨大な艦体がゆっくりと滑り始めた。
船底を支えていた盤木が次々と倒れ、グリースが塗られた滑り台の上を
滑らかに、しかし確かな重みをもって、その巨体が動き出す。
地響きのような軋む音と、水と船体が擦れる音が混じり合い
やがて水面に達した艦首が、巨大な波を立てながら海へ入っていく。

船渠の壁に響き渡る轟音、そして水面を揺るがす波紋。
それは、日本の技術力の粋と、国家の総力が結集された証であった。
静かな儀式の中にも、立ち会った者たちの間には、言葉にならない感動と
歴史的瞬間に立ち会っているという厳粛な感覚が広がっていた。

しかし、その場にいる誰一人として
この艦が将来どのような激しい戦いを経験し
どのような悲劇的な最期を遂げるのかを知る者はいなかった。
ただ、彼らは目の前にある、まさに「動く城」と化した巨体を見上げ
その威容に圧倒されるばかりであった。



進水した「大和」の姿は、徹底した秘匿のために
国民の目に触れることはなかった。新聞やラジオで報じられることもなく
その巨大な存在は、一部の軍関係者や造船所関係者のみが知る「幻の艦」であった。

しかし、その「幻の艦」が、国民に漠然とした
「希望」を与えていたことは疑いようがない。
対米戦を予期する中で、国民の間には「日本にはアメリカに勝てる秘密兵器がある」という
漠然とした期待感が育まれていた。具体的な形は見えずとも
国の総力を挙げて建造されている「何か」が、必ずや日本を勝利に導くという
根拠のない、しかし強い信念が人々の心を支えていた。
大和は、その正体を知られることなく、すでに「国民の希望」という
重い象徴となっていたのである。

一方で、海軍内部の軍人たち、特に大和の設計・建造に携わった者たち
そして将来この艦に乗艦することになる将兵たちにとっては
それは計り知れない「重圧」であった。彼らは
この艦が持つ圧倒的な能力を理解すると同時に
それが背負う国家の命運の重さを感じていた。

巨砲主義者は、大和が「艦隊決戦」において決定的な役割を果たすことを期待し
そのためにこの艦を最高の状態に保ち、運用する重責を負うことを認識していた。
航空主兵論者は、大和が航空攻撃の脅威から艦隊を守り
その防御能力を証明することを望んだ。彼らにとって
この艦が持つ多数の対空火器は、来るべき航空戦における生存の鍵であった。

そして、その設計に携わった技術者たちは
自らが妥協の末に生み出したこのハイブリッド艦が
実際の戦場でその真価を発揮できるのか、あるいは設計上の弱点を露呈することになるのか
という不安を抱えていた。彼らは、重心の上昇、複雑な電力系統
そして莫大な弾薬供給システムといった、技術的な困難を乗り越えた達成感と同時に
その完璧ではない設計が、いざという時に艦の命運を左右するかもしれないという
深い責任を感じていたのである。

「大和」の進水は、単なる工学的成果の達成ではなかった。
それは、来るべき大戦における日本の行く末を象徴する
複雑で多義的な出来事であった。秘匿のベールに包まれたその巨体は
国民の漠然とした希望を一身に背負い、同時に、それを運用する軍人たちに
国家の命運を預かるという計り知れない重圧を与えながら、静かに
しかし確実に、日本の海軍史にその名を刻み始めたのである。
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