If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ

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決戦 対ソ邀撃作戦

音威子府の鉄鎖

一九四五年、八月二十六日。早朝。
青森県大湊の港内は、静寂と異様な熱気が混じり合う、奇妙な空気に包まれていた。
かつてこの国が「連合艦隊」と呼んだ
誇りの最後の一片が、今、静かに動き出そうとしていた。

旗艦、重巡洋艦「妙高」がゆっくりと岸壁を離れる。
その後を追うように、重巡「羽黒」や「古鷹」、そして未完の重巡「伊吹」が続く。
さらに、その周囲を「雪風」や「霞」をはじめとする駆逐艦たちが
まるで老いた獅子を護衛する若き狼群のように、鋭い航跡を立てながら進んでいく。
古賀峯一連合艦隊司令長官は
妙高の艦橋に立ち、眼前に広がる津軽海峡を見据えていた。

「抜錨……。ついに、本当の終わりのための、始まりの日が来たか」

古賀の独白は、風に乗って消えていった。
彼の胸中には、ワシントンの地下独房で死を待つ高倉義人の姿があった。
高倉が繋いだこの国の命運を、今度は自分が海の上で繋ぎ止めなければならない。
だが、この艦隊に乗り込んだ兵士たちの多くは
その高倉の名さえ知らない。彼らにとっての戦いは
ただ目の前の祖国を蹂躙しようとする新たな侵略者を防ぐという
原始的で純粋な防衛本能に基づいたものだった。

艦隊の中央で、巨大な威容を誇る戦艦「伊勢」の内部では
航空戦艦としての本来の機能とは全く異なる光景が広がっていた。
かつて、艦上機が並んでいた広大な格納庫のスペースは
今や迷彩服に身を包んだ屈強な男たちによって埋め尽くされている。
東京から緊急空輸されてきた、日本陸軍最強の精鋭「義烈空挺隊」の隊員たちである。

彼らは各種の爆薬、機関銃、そして特異な形状の刺突爆雷を傍らに置き
車座になって最後の点検を行っていた。伊勢が稚内西海岸に座礁した後
彼らは「要塞」となった艦を飛び出し
ソ連軍の補給路や後方をゲリラ戦によって攪乱するという
生還の可能性を全く考慮しない任務を帯びている。

空挺隊の小隊長が、伊勢の乗員に向かって低い声で言った。
 「海軍さん、悪いな。こんな巨大な戦艦を乗り捨てにするような真似をさせて。
 だが、我々にはこれしか方法がないんだ。
 稚内の大地に楔を打ち込むには、あんたたちのこの巨躯が必要なんだ」

海軍の士官は、苦笑しながら答えた。 
「構わんさ。船は所詮、人を守るための道具だ。
 日本という国そのものが壊れようとしている時に、船だけ残してどうする。
 伊勢も、あんたたちを運べて本望だろうよ。
 高倉……いや、ある立派な提督が言っていたよ。
 形あるものは壊れるが、守り抜いた意志は歴史に残ると。
 俺たちは、その意志をこの極北の海に刻みにいくんだ」

空挺隊員たちは、その「提督」が誰であるかは知らなかったが
海軍士官の言葉に深く頷いた。彼らの中にあるのは
陸海軍という垣根を超えた、ただ「日本人」としての純粋な闘志だった。

艦隊は津軽海峡を越え、日本海へと進路を取る。
その向かう先は、ソ連軍の第二次揚陸が完了し
もはや戦火の渦中にある北海道の最北端であった。

一方、その頃。北海道の内陸部、音威子府(おといねっぷ)。
 ここは、北の玄関口である稚内から名寄、旭川へと続く、交通の要衝である。
山々に挟まれた狭隘な地形は、まさに「門」と呼ぶにふさわしい隘路であった。

この地に、北海道の守護神、第七師団(北鎮部隊)の本隊が到着した。
指揮を執るのは、代々、極寒の地での戦闘を想定して鍛え抜かれてきた将兵たちである。
彼らが目にしたのは、稚内を突破し、怒涛の勢いで南下してくるソ連軍の影であった。

ソ連軍は第二次揚陸部隊六万人を投入し、その戦力は日に日に増大している。
先頭に立つのは、欧州戦線でナチス・ドイツの
パンターやティーガーと盾と矛のシーソーゲームをしてきた
戦車T-34-85、そして一二二ミリ砲を搭載した重戦車IS-2(スターリン戦車)であった。

第七師団の工兵大隊長、佐藤少佐は、音威子府の渓谷を見下ろしながら
周囲の将校たちに激を飛ばした。
 「いいか、ここが我々の、そして日本の最後の国境線だ! 
 ここを抜かれれば、旭川は落ち、札幌も赤く染まる。
 そうなれば、我々に帰る家はなくなる。一歩も退くな
 泥水を啜ってでも、この地を敵の血で埋め尽くすのだ!」

工兵たちの作業は、不眠不休で続けられた。
彼らが掘っているのは、単なる塹壕ではない。
ソ連の重戦車を物理的に停止させるための、巨大な対戦車壕である。
深さ四メートル、幅五メートル。
一度落ちれば、自力での脱出は不可能な死の落とし穴だ。

「少佐、重砲弾の埋設が完了しました。信管は電気式、いつでもいけます」
 「よし、次は航空爆弾だ。五百キロ、八百キロ、あるだけのものを地中に埋めろ。
 戦車の底板をぶち抜くなんて生易しいものじゃない。
 T-34ごと、シベリアまで吹き飛ばしてやるんだ」

彼らは、物資の不足を補うために、あらゆる知恵を絞っていた。
地中に埋められたのは、本来なら海軍の航空機が積むべき巨大な対地爆弾である。
これを即席の大威力地雷として使用するのだ。
一発でも起爆すれば、戦車一個小隊がまとめて消滅するほどの威力がある。

さらに、本来は要塞砲として使われるべき加農砲が、斜面に強引に据え付けられていた。 
「これを平射で使うんですか?
  少佐、この大砲は対空、あるいは遠距離の艦船用ですよ」 
「構わん。ソ連のスターリン戦車の装甲は厚い。
 だが、この大口径の加農砲を至近距離で水平にぶち込めば
 どんな鉄板も紙屑同然だ。即席の対戦車砲として運用しろ。
 山に隠蔽し、敵が十分に近づくまで、絶対に発砲を許すな」

山の斜面には、高射機関砲も配置されていた。本来は空を狙うためのものだが
ここでは水平に照準が合わせられている。 
「対人戦には少々死体撃ちになる だがな……。
 押し寄せてくる赤軍の波を、一瞬で肉片に変えるにはこれしかあるまい。
 いいか、弾を惜しむな。ここで使い切らなければ、もう使う場所はないんだ」

しかし、それでも佐藤少佐の心は晴れなかった。敵の数は六万。
こちらは一万余。装備の質も数も、圧倒的に不利なのは明白だった。

「……最後の手を打たねばなるまい」

佐藤は、音威子府の集落を見下ろした。そこには、先祖代々この地で暮らし
開拓してきた村人たちが、不安そうな表情で兵士たちの作業を見守っていた。

佐藤は村の長老や住民たちを広場に集めた。彼の顔は苦渋に満ちていた。
 「皆さんに、お願いがあります。いや、これは命令ではありません。
 一人の人間として、そしてこの地を守る兵士としての、切なる願いです」

住民たちは静まり返り、佐藤の言葉を待った。 
「ソ連軍は、すぐそこまで来ています。彼らは、皆さんの家を奪い
 皆さんの命を脅かすでしょう。我々は全力を尽くして戦いますが
 ……もし、この音威子府の防衛線が突破された時、我々にはもう
 敵を止める手段がありません。ですから、皆さん。どうか、村を離れてください。
 着の身着のままで構いません。南の名寄へ、旭川へ逃げてください」

「少佐さん、そんな無茶な。わしらの家はどうなるんです。
 ここは、わしらの親父が血と汗で切り拓いた土地なんだ」 
長老の言葉に、佐藤は深く頭を下げた。

「皆さんの家には、我々が特殊炸薬を詰め込ませていただきます。
 もし防衛線が抜かれたら……その家ごと、村全体を爆破します。
 敵に、拠点を一歩も渡さないためです。もちろん、後で国が必ず弁償します。
 私が、そしてこの第七師団が、命を懸けてそれを約束します。
 ですから、どうか……今は命を大切にしてください。
 皆さんが生きていてくださらなければ、この地を奪い返す意味がないのです」

住民たちの間に、嗚咽と沈黙が広がった。 
開拓の苦労を知る彼らにとって、家を爆破されるということは
自らの歴史を消し去られるに等しい。だが、兵士たちの真剣な眼差し
そして山々に築かれた絶望的なまでの防御陣地を見て、彼らは理解した。
これは「戦争」ではなく、「生存」を懸けた最後の戦いなのだということを。

「分かった……。少佐さん、わしらの家を使ってくれ。
 あいつらを一人でも多く
 地獄に送ってくれるなら、家の一軒や二軒、安いもんだ」 
長老が震える声で言うと、他の住民たちも、涙を拭いながら荷物をまとめ始めた。

兵士たちは、住民たちが去っていく背中を、唇を噛み締めながら見送った。
彼らが去った後の家々には、黄色い特殊爆薬の箱が次々と運び込まれていく。
畳の下、床下、柱の影。平和な生活の痕跡が残る空間に、死を呼ぶ火薬が充填されていく。

「……すまない。本当に、すまない」

一人の若い兵士が、子供の玩具が残された居間の床に爆薬を置きながら
声を殺して泣いていた。 
「泣くな! その涙を怒りに変えろ! 
 住民の方々が、これほどの覚悟をしてくださったんだ。
 我々が、一歩でも後ろに下がることが許されるか!」

佐藤少佐の叱咤が、静まり返った村に響いた。

八月二十六日の夜。 音威子府の山々は、死の沈黙に包まれていた。
 山には、即席の対戦車砲や対空機関砲が潜み、地中には巨大な航空爆弾が息を潜めている。
そして、無人となった村の家々には、起爆を待つ導火線が張り巡らされていた。

それは、まさに「鉄鎖」であった。 ソ連軍という巨大な怪物を捕らえ
その動きを止め、粉々に砕き散らすための、執念の鎖。

津軽海峡を越えた第一艦隊。 音威子府で地を這うように陣地を築く第七師団。 
そして、ワシントンの地下室で、静かに終わりを待つ高倉義人。

彼らの運命は、今、北海道の冷たい風の中で一つに繋がろうとしていた。

「一歩も退くな。ここが、我々の国境だ」

その合言葉は、階級も軍種も関係なく、全ての将兵の心に刻まれていた。 
彼らは、自分たちが戦っている本当の理由を、高倉という男の存在を介さずとも
その本能で理解していた。守るべきは、土地ではない。
そこに生きる人々の「明日」であり、日本という国が積み上げてきた「時」そのものなのだ。

夜空には、冷たい月が浮かんでいた。 明日になれば
この静寂は、鋼鉄と火薬がぶつかり合う地獄の咆哮へと変わる。 
だが、その地獄を抜けた先にしか、本当の夜明けはないことを、彼らは知っていた。

「北防作戦」の第一幕が、今、静かに、しかし決然と上がろうとしていた。 
ソ連軍六万。T-34の無限軌道が、大地を揺らしながら近づいてくる。 
だが、彼らはまだ知らない。 
日本軍が、その魂のすべてを投げ打って築き上げた「鉄鎖」の恐ろしさを。

音威子府の森で、一人の狙撃兵が引き金に指をかけた。 
その視線の先には、霧の向こうから現れる、赤い星をつけた戦車の群れがあった。
 戦いの火蓋は、今、切って落とされたのである。
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