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決戦 対ソ邀撃作戦
数と知恵
一九四五年、八月二十六日。北の大地を切り裂く風は
昨日までのそれとは明らかに異なっていた。
硝煙の匂いと、焼け焦げた針葉樹の香りが
霧と共に音威子府の渓谷に流れ込んでいた。
同じ日の早朝、古賀長官率いる連合艦隊直属第一艦隊は
荒れ狂う津軽海峡を突破していた。旗艦「妙高」を筆頭とする鋼鉄の群れは
波頭を砕きながら北へと急ぐ。
その後方に位置する戦艦「伊勢」の巨大な船体の中では
東京から緊急空輸された義烈空挺隊の隊員たちが
暗い格納庫の中で己の武器を研いでいた。彼らがこの極北の海を渡っている頃
陸上ではすでに、この戦記の最大の山場の一つとなる激突が始まっていた。
北海道の北の要衝、音威子府。ここを守る第七師団の将兵一万余に対し
押し寄せたのはソ連第二次揚陸部隊、総勢六万の軍勢であった。
「……来るぞ。腹に力を入れろ! 呼吸を止めるな!」
第七師団の工兵陣地、地下深くに掘られた堅牢な待避壕の中で
佐藤少佐は部下たちに低く、しかし力強い声で命じた。
その直後、天地が引っくり返るような轟音が、音威子府の山々を震わせた。
ソ連軍が誇る自走多連装ロケット砲BM-13。
ドイツ兵から「スターリンのオルガン」と恐れられたその兵器が
一斉に咆哮を上げたのだ。空を切り裂いて飛来する無数のロケット弾は
その名の通り、不吉な笛の音のような旋律を奏でながら、日本軍の陣地へと降り注いだ。
ドォォォォォォォン! ドォォォォォォォン!
地表は一瞬にして炎の海と化し、数十年、数百年の時を経て育った原生林が
マッチ棒のように容易くへし折られていく。ロケット弾の猛爆は
精密射撃こそ望めないものの、その制圧範囲の広さと心理的圧力は凄まじかった。
地上のあらゆる構造物が粉砕され
土砂が舞い上がり、日光を遮るほどの黒煙が立ち込める。
しかし、第七師団の工兵隊が泥にまみれ、爪を剥がしながら掘り進めた地下陣地は
この地獄の洗礼に耐え抜いていた。
彼らは、沖縄戦や硫黄島戦の教訓を徹底的に研究し
火砲の衝撃波を逃がすためのクランク構造、そして何層にも
重ねられた丸太と土砂の被覆を完成させていたのである。
「少佐、オルガンの演奏が終わったようです。
地上の監視所より報告、敵戦車部隊、前進を開始しました!」
伝令の声が響く。佐藤少佐は煤けた顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「ようやくか。長ったらしい前奏曲だったな。おい、野郎ども!
楽器の片付けの時間だ。今度はこっちの番だぞ。
来い、赤軍。ここがお前たちの終着駅だ」
煙が漂う森の中から、ソ連軍のT-34-85戦車が姿を現した。
その数は、日本軍の予想を遥かに超えていた。
しかし、日本軍も無策で待ち構えていたわけではない。
音威子府の斜面、徹底的に隠蔽された陣地の中に
本来は空を狙うはずの「九九式八センチ高射砲」が据えられていた。
通常、対空戦に用いられるこの砲は、極めて高い初速を誇る。
それをあえて平射、すなわち水平射撃用に改造し
戦車を狙い撃つための「即席対戦車砲」として再定義していた。
「目標、先頭のT-三十四! 距離八百! 撃てッ!」
砲長の声と共に、高射砲が火を噴いた。時速数千キロで撃ち出された徹甲弾は
T-34の傾斜装甲を紙細工のように貫通した。
砲弾は車体内部で暴れ回り、燃料と弾薬を誘爆させる。
ドォォォォン!
砲塔が数十メートルも空高く舞い上がり鋼鉄の巨体が炎に包まれた。
「命中! 次弾装填! 左から来る二番も逃がすな!」
日本軍の「本気」が、極北の大地を激しく震わせる。
かつての戦いでは、貧弱な装備に泣かされてきた日本軍だったが
この音威子府においては、持てる知恵と残された火力を限界まで集中させていた。
だが、ソ連軍の物量は止まらない。
T-34の残骸を押し退けるようにしてさらに巨大な影が姿を現した。
重戦車IS-2、通称「スターリン戦車」だ。
一二二ミリという巨大な主砲を備え、日本軍のあらゆる砲弾を跳ね返すほどの
重装甲を纏った六両の怪物たちが、V字隊形を組んで突き進んでくる。
「少佐! スターリン戦車です!
高射砲の弾が弾かれます! このままでは第一線が突破されます!」
観測兵の悲鳴に近い叫びに対し、佐藤少佐は冷静だった。
彼は手元にある起爆装置のスイッチに指をかけ、じっと敵を引きつけた。
「慌てるな。あいつらは、自分たちがどこを歩いているのか分かっていないんだ。
おい、あの大口を開けた怪物どもに、北海道の土の味を教えてやれ」
IS-2の中隊が、日本軍が意図的に作った「空白地帯」へと足を踏み入れた。
そこは、工兵隊が数日前から仕掛けていた最大の罠であった。
地中深く、海軍から譲り受けた「八十番対地爆弾」
――すなわち八百キログラムもの炸薬を積み込んだ
航空爆弾が地雷として埋設されていたのである。
「……今だ。地獄へ落ちろ」
佐藤がスイッチを押し込んだ。
瞬間、音威子府の平原が文字通り「せり上がった」
爆発という言葉では足りない。それは地殻変動に近い衝撃だった。
八百キロ爆弾の爆鳴は、周囲の酸素を一瞬で焼き尽くし巨大な火柱が天を突いた。
爆発の直上にいたIS-2の六両中隊は、一瞬にしてその形を失った。
重さ数十トンの鋼鉄の塊が、まるでもみ殻のように宙に舞い、粉々に砕け散る。
近辺に展開していたソ連軍歩兵数十人も
爆風によって一瞬で肉片へと変えられた。後に残ったのは
直径数十メートルに及ぶ巨大なクレーターと、焼け焦げた鉄の臭いだけだった。
ソ連軍の進撃が、その圧倒的な衝撃に一瞬止まった。
「……やったか」 「ああ、だがまだだ。空を見ろ!」
兵士たちが指差す先、南の空から、いくつもの小さな点が近づいてくる。
それは、大湊や千歳から発進した日本軍航空部隊であった。
「味方だ! 航空隊だ!」
最初に現れたのは、双発の軽快な機体、銀河と一式陸攻
そして九九式艦上爆撃機の混成編隊であった。
彼らの翼の下には、対地攻撃用の特殊爆弾が懸垂されていた。
「こちら、銀河隊一番機! 敵地上部隊を発見、これより掃除を開始する!
陸の皆さんに、派手な花火を見せてやろうぜ!」
日本軍機が急降下を開始する。彼らが投下したのは
対艦攻撃には威力を発揮しないが、対人・対車両には絶大な殺傷能力を誇る
「三号爆弾」であった。この爆弾は、空中で炸裂すると
数千個の破片と黄燐片を撒き散らし、地上の歩兵を文字通り「刈り取る」。
「見ろ、あの炎を! 陸攻隊の二十五番
(二百五十キロ爆弾)が、敵の輸送車列を直撃したぞ!」
地上の兵士たちが歓声を上げる。艦爆隊や艦攻隊が投下する
五十番(五百キロ爆弾)は、T-34を直撃せずとも
その至近弾だけで戦車の履帯を引き裂き、乗員を震動で無力化していった。
しかし、空の戦いもまた、楽なものではなかった。
「敵機接近! 北方よりソ連戦闘機隊、ヤク九、ラヴォーチキン来襲!」
ソ連空軍の戦闘機隊が、地上を攻撃中の日本軍機に襲いかかった。
だが、今の日本海軍航空隊はアメリカ海軍、陸軍航空隊と
各戦線や首都防空戦で鎬を削った精鋭たちが中核だった。
「ヤーボ任務はここまでだ。あとは俺たちに任せろ。
零戦隊、紫電隊、烈風隊、散開せよ! 敵を低高度の格闘戦に引きずり込め!」
厚木空や千歳空の精鋭たちが駆る「紫電改」
そして最新鋭の「烈風」が、ソ連機を迎え撃つ。
ソ連のヤク9は確かに優秀な機体であったが日本軍パイロットたちの技量と
何より「ここで退けば国が滅びる」という
極限の精神状態が、彼らを鬼神のごとき強さへと変えていた。
「露助め、追いつけると思うなよ! この紫電改の旋回性能を、その身に刻んで死ね!」
紫電改の二十ミリ機銃が、ヤク9のエンジンを撃ち抜く。
烈風が放つ弾幕が、敵機の主翼を根元からへし折る。
低高度での乱戦は、もはや理屈ではない。
エンジンの咆哮、機銃の火花、そして
操縦桿を握る男たちの叫びが、音威子府の空を支配した。
「ハハハ! 見たか! あの烈風の加速、化け物かよ!
敵のラヴォーチキンが追いつけずに、そのまま失速していきやがった!」
地上の壕から、兵士たちが空の激闘を実況するように叫ぶ。
彼らにとって、頭上の銀翼はまさに勝利の女神であった。
だが、航空隊の奮戦も、地上の地獄を完全に止めることはできない。
ソ連軍は死体の山を築きながらも
政治委員の怒号に背中を押され、波のように次々と押し寄せてくる。
「少佐、敵の第三波が来ます!
今度は右翼側、森を抜けて回り込んでくるようです!」
佐藤少佐は、再び泥にまみれた双眼鏡を構えた。
「右翼か……。そこには、まだ住民の方々の家が残っているはずだな」
佐藤の脳裏に、村を去る時の長老の顔が浮かんだ。
あの時、家を爆破することを許してくれた彼らの決意を、無駄にするわけにはいかない。
「おい、工兵隊。右翼の集落付近に仕掛けた特殊炸薬の準備はどうだ?」
「完了しています。導火線に異常なし。敵が村に入った瞬間に、一網打尽にできます」
「よし。ギリギリまで引きつけろ。敵に『占領した』と思わせた瞬間
そこを彼らの棺桶に変えてやるんだ。いいか、一人でも多くの赤軍を道連れにしろ」
佐藤の声には、冷酷なまでの計算と、それを上回る深い悲しみが混じっていた。
彼は知っていた。この戦いには、もはや「綺麗事」など通用しないことを。
土地を焼き、家を壊し、敵も味方も血の海に沈んでいく。
その果てにあるのが、高倉という男が求めた「平和」なのだとしたら
自分はその地獄の門番として、役割を全うするしかない。
二十六日の午後は、まさに一進一退の攻防が続いた。
ソ連軍のカチューシャは何度も日本軍陣地を耕し
日本軍の即席対戦車砲は、その都度、煙の中から現れる鋼鉄の死神を葬り去った。
空では、零戦隊が残燃料ギリギリまで戦い続け
ソ連空軍の優勢を阻止し続けていた。ある紫電改のパイロットは
弾薬が尽きると同時に、敵の爆撃機に体当たりを敢行し
共倒れとなって音威子府の原生林へと消えていった。
「……これが、戦争か」
壕の片隅で、若い二等兵が震える手で水筒を握っていた。
彼の隣では、先ほどの砲撃で片腕を失った衛生兵が
自分を治療しながら虚空を見つめていた。
「怖いか。だがな、お前が今ここに立っているおかげで
南に逃げた親御さんたちが一分でも長く生きられるんだ。
だから、震えるな。その銃は、お前の家族を守るための鍵だ」
古参の伍長が、若い兵士の肩を強く叩いた。
その言葉に、二等兵は涙を拭い、再び銃を構えた。
夕闇が迫る頃、音威子府の戦場は、赤く染まった霧に包まれていた。
ソ連軍の進撃速度は、日本軍の執念とも言える抵抗によって、大幅に遅延していた。
六万の軍勢は、この小さな隘路で足止めを食らい
その死傷者はすでに数千人に達していた。
「報告! 敵部隊、一時後退を開始。夜間の再編成に入る模様です!」
その報告を聞いても、佐藤少佐に安堵の表情はなかった。
「……明日が本番だ。今夜のうちに、爆弾を埋め直せ。
壊れた陣地を修復しろ。寝る時間は一分あれば十分だ。
いいか、明日もまた、ここで赤軍を迎え撃つぞ」
佐藤は壕を出て、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
空には、星が輝き始めていた。その彼方
海の上では、古賀長官の艦隊が全速力でこちらへ向かっているはずだ。
「海軍さん、急いでくれよ。俺たちの弾薬も、そろそろ心許なくなってきた」
佐藤は、誰もいない夜の森に向かって呟いた。
音威子府の「鉄鎖」は、今日一日、見事にその役割を果たした。
しかし、鎖の強度は限界に達しつつある。
ソ連軍の物量は、明日にはさらに凶暴さを増して襲いかかってくるだろう。
その時、日本軍に残されたカードは何か。 座礁して要塞となる戦艦「伊勢」
そしてそこに乗り込んだ義烈空挺隊の死兵たち。
彼らが稚内の戦場に現れるその時まで
この音威子府の門を、何としても守り通さなければならない。
八月二十六日、夜。 音威子府は、静かな、しかし殺気に満ちた闇に沈んでいた。
暗闇のあちこちで、シャベルが土を掘る音と、兵士たちの低い囁き声が響いていた。
彼らは知っている。 明日の夜明けと共に、再び「鉄の雨」が降り始めることを。
そして、その雨の中で、自分たちの命が花火のように散っていくかもしれないことを。
だが、誰も逃げようとはしなかった。 彼らの背中には、守るべき故郷があり
そのさらに先には、名前も知らない一人の英雄が命を懸けて守ろうとした
「日本」という名の未来があったからだ。
「来い、赤軍。北海道の夜は、お前たちが思っている以上に長いぞ」
佐藤少佐の低い独白が、夜の風に乗って消えていった。
音威子府の陣は、まだ破られてはいない。 日本軍の「本気」は、まだ始まったばかりであった。
昨日までのそれとは明らかに異なっていた。
硝煙の匂いと、焼け焦げた針葉樹の香りが
霧と共に音威子府の渓谷に流れ込んでいた。
同じ日の早朝、古賀長官率いる連合艦隊直属第一艦隊は
荒れ狂う津軽海峡を突破していた。旗艦「妙高」を筆頭とする鋼鉄の群れは
波頭を砕きながら北へと急ぐ。
その後方に位置する戦艦「伊勢」の巨大な船体の中では
東京から緊急空輸された義烈空挺隊の隊員たちが
暗い格納庫の中で己の武器を研いでいた。彼らがこの極北の海を渡っている頃
陸上ではすでに、この戦記の最大の山場の一つとなる激突が始まっていた。
北海道の北の要衝、音威子府。ここを守る第七師団の将兵一万余に対し
押し寄せたのはソ連第二次揚陸部隊、総勢六万の軍勢であった。
「……来るぞ。腹に力を入れろ! 呼吸を止めるな!」
第七師団の工兵陣地、地下深くに掘られた堅牢な待避壕の中で
佐藤少佐は部下たちに低く、しかし力強い声で命じた。
その直後、天地が引っくり返るような轟音が、音威子府の山々を震わせた。
ソ連軍が誇る自走多連装ロケット砲BM-13。
ドイツ兵から「スターリンのオルガン」と恐れられたその兵器が
一斉に咆哮を上げたのだ。空を切り裂いて飛来する無数のロケット弾は
その名の通り、不吉な笛の音のような旋律を奏でながら、日本軍の陣地へと降り注いだ。
ドォォォォォォォン! ドォォォォォォォン!
地表は一瞬にして炎の海と化し、数十年、数百年の時を経て育った原生林が
マッチ棒のように容易くへし折られていく。ロケット弾の猛爆は
精密射撃こそ望めないものの、その制圧範囲の広さと心理的圧力は凄まじかった。
地上のあらゆる構造物が粉砕され
土砂が舞い上がり、日光を遮るほどの黒煙が立ち込める。
しかし、第七師団の工兵隊が泥にまみれ、爪を剥がしながら掘り進めた地下陣地は
この地獄の洗礼に耐え抜いていた。
彼らは、沖縄戦や硫黄島戦の教訓を徹底的に研究し
火砲の衝撃波を逃がすためのクランク構造、そして何層にも
重ねられた丸太と土砂の被覆を完成させていたのである。
「少佐、オルガンの演奏が終わったようです。
地上の監視所より報告、敵戦車部隊、前進を開始しました!」
伝令の声が響く。佐藤少佐は煤けた顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「ようやくか。長ったらしい前奏曲だったな。おい、野郎ども!
楽器の片付けの時間だ。今度はこっちの番だぞ。
来い、赤軍。ここがお前たちの終着駅だ」
煙が漂う森の中から、ソ連軍のT-34-85戦車が姿を現した。
その数は、日本軍の予想を遥かに超えていた。
しかし、日本軍も無策で待ち構えていたわけではない。
音威子府の斜面、徹底的に隠蔽された陣地の中に
本来は空を狙うはずの「九九式八センチ高射砲」が据えられていた。
通常、対空戦に用いられるこの砲は、極めて高い初速を誇る。
それをあえて平射、すなわち水平射撃用に改造し
戦車を狙い撃つための「即席対戦車砲」として再定義していた。
「目標、先頭のT-三十四! 距離八百! 撃てッ!」
砲長の声と共に、高射砲が火を噴いた。時速数千キロで撃ち出された徹甲弾は
T-34の傾斜装甲を紙細工のように貫通した。
砲弾は車体内部で暴れ回り、燃料と弾薬を誘爆させる。
ドォォォォン!
砲塔が数十メートルも空高く舞い上がり鋼鉄の巨体が炎に包まれた。
「命中! 次弾装填! 左から来る二番も逃がすな!」
日本軍の「本気」が、極北の大地を激しく震わせる。
かつての戦いでは、貧弱な装備に泣かされてきた日本軍だったが
この音威子府においては、持てる知恵と残された火力を限界まで集中させていた。
だが、ソ連軍の物量は止まらない。
T-34の残骸を押し退けるようにしてさらに巨大な影が姿を現した。
重戦車IS-2、通称「スターリン戦車」だ。
一二二ミリという巨大な主砲を備え、日本軍のあらゆる砲弾を跳ね返すほどの
重装甲を纏った六両の怪物たちが、V字隊形を組んで突き進んでくる。
「少佐! スターリン戦車です!
高射砲の弾が弾かれます! このままでは第一線が突破されます!」
観測兵の悲鳴に近い叫びに対し、佐藤少佐は冷静だった。
彼は手元にある起爆装置のスイッチに指をかけ、じっと敵を引きつけた。
「慌てるな。あいつらは、自分たちがどこを歩いているのか分かっていないんだ。
おい、あの大口を開けた怪物どもに、北海道の土の味を教えてやれ」
IS-2の中隊が、日本軍が意図的に作った「空白地帯」へと足を踏み入れた。
そこは、工兵隊が数日前から仕掛けていた最大の罠であった。
地中深く、海軍から譲り受けた「八十番対地爆弾」
――すなわち八百キログラムもの炸薬を積み込んだ
航空爆弾が地雷として埋設されていたのである。
「……今だ。地獄へ落ちろ」
佐藤がスイッチを押し込んだ。
瞬間、音威子府の平原が文字通り「せり上がった」
爆発という言葉では足りない。それは地殻変動に近い衝撃だった。
八百キロ爆弾の爆鳴は、周囲の酸素を一瞬で焼き尽くし巨大な火柱が天を突いた。
爆発の直上にいたIS-2の六両中隊は、一瞬にしてその形を失った。
重さ数十トンの鋼鉄の塊が、まるでもみ殻のように宙に舞い、粉々に砕け散る。
近辺に展開していたソ連軍歩兵数十人も
爆風によって一瞬で肉片へと変えられた。後に残ったのは
直径数十メートルに及ぶ巨大なクレーターと、焼け焦げた鉄の臭いだけだった。
ソ連軍の進撃が、その圧倒的な衝撃に一瞬止まった。
「……やったか」 「ああ、だがまだだ。空を見ろ!」
兵士たちが指差す先、南の空から、いくつもの小さな点が近づいてくる。
それは、大湊や千歳から発進した日本軍航空部隊であった。
「味方だ! 航空隊だ!」
最初に現れたのは、双発の軽快な機体、銀河と一式陸攻
そして九九式艦上爆撃機の混成編隊であった。
彼らの翼の下には、対地攻撃用の特殊爆弾が懸垂されていた。
「こちら、銀河隊一番機! 敵地上部隊を発見、これより掃除を開始する!
陸の皆さんに、派手な花火を見せてやろうぜ!」
日本軍機が急降下を開始する。彼らが投下したのは
対艦攻撃には威力を発揮しないが、対人・対車両には絶大な殺傷能力を誇る
「三号爆弾」であった。この爆弾は、空中で炸裂すると
数千個の破片と黄燐片を撒き散らし、地上の歩兵を文字通り「刈り取る」。
「見ろ、あの炎を! 陸攻隊の二十五番
(二百五十キロ爆弾)が、敵の輸送車列を直撃したぞ!」
地上の兵士たちが歓声を上げる。艦爆隊や艦攻隊が投下する
五十番(五百キロ爆弾)は、T-34を直撃せずとも
その至近弾だけで戦車の履帯を引き裂き、乗員を震動で無力化していった。
しかし、空の戦いもまた、楽なものではなかった。
「敵機接近! 北方よりソ連戦闘機隊、ヤク九、ラヴォーチキン来襲!」
ソ連空軍の戦闘機隊が、地上を攻撃中の日本軍機に襲いかかった。
だが、今の日本海軍航空隊はアメリカ海軍、陸軍航空隊と
各戦線や首都防空戦で鎬を削った精鋭たちが中核だった。
「ヤーボ任務はここまでだ。あとは俺たちに任せろ。
零戦隊、紫電隊、烈風隊、散開せよ! 敵を低高度の格闘戦に引きずり込め!」
厚木空や千歳空の精鋭たちが駆る「紫電改」
そして最新鋭の「烈風」が、ソ連機を迎え撃つ。
ソ連のヤク9は確かに優秀な機体であったが日本軍パイロットたちの技量と
何より「ここで退けば国が滅びる」という
極限の精神状態が、彼らを鬼神のごとき強さへと変えていた。
「露助め、追いつけると思うなよ! この紫電改の旋回性能を、その身に刻んで死ね!」
紫電改の二十ミリ機銃が、ヤク9のエンジンを撃ち抜く。
烈風が放つ弾幕が、敵機の主翼を根元からへし折る。
低高度での乱戦は、もはや理屈ではない。
エンジンの咆哮、機銃の火花、そして
操縦桿を握る男たちの叫びが、音威子府の空を支配した。
「ハハハ! 見たか! あの烈風の加速、化け物かよ!
敵のラヴォーチキンが追いつけずに、そのまま失速していきやがった!」
地上の壕から、兵士たちが空の激闘を実況するように叫ぶ。
彼らにとって、頭上の銀翼はまさに勝利の女神であった。
だが、航空隊の奮戦も、地上の地獄を完全に止めることはできない。
ソ連軍は死体の山を築きながらも
政治委員の怒号に背中を押され、波のように次々と押し寄せてくる。
「少佐、敵の第三波が来ます!
今度は右翼側、森を抜けて回り込んでくるようです!」
佐藤少佐は、再び泥にまみれた双眼鏡を構えた。
「右翼か……。そこには、まだ住民の方々の家が残っているはずだな」
佐藤の脳裏に、村を去る時の長老の顔が浮かんだ。
あの時、家を爆破することを許してくれた彼らの決意を、無駄にするわけにはいかない。
「おい、工兵隊。右翼の集落付近に仕掛けた特殊炸薬の準備はどうだ?」
「完了しています。導火線に異常なし。敵が村に入った瞬間に、一網打尽にできます」
「よし。ギリギリまで引きつけろ。敵に『占領した』と思わせた瞬間
そこを彼らの棺桶に変えてやるんだ。いいか、一人でも多くの赤軍を道連れにしろ」
佐藤の声には、冷酷なまでの計算と、それを上回る深い悲しみが混じっていた。
彼は知っていた。この戦いには、もはや「綺麗事」など通用しないことを。
土地を焼き、家を壊し、敵も味方も血の海に沈んでいく。
その果てにあるのが、高倉という男が求めた「平和」なのだとしたら
自分はその地獄の門番として、役割を全うするしかない。
二十六日の午後は、まさに一進一退の攻防が続いた。
ソ連軍のカチューシャは何度も日本軍陣地を耕し
日本軍の即席対戦車砲は、その都度、煙の中から現れる鋼鉄の死神を葬り去った。
空では、零戦隊が残燃料ギリギリまで戦い続け
ソ連空軍の優勢を阻止し続けていた。ある紫電改のパイロットは
弾薬が尽きると同時に、敵の爆撃機に体当たりを敢行し
共倒れとなって音威子府の原生林へと消えていった。
「……これが、戦争か」
壕の片隅で、若い二等兵が震える手で水筒を握っていた。
彼の隣では、先ほどの砲撃で片腕を失った衛生兵が
自分を治療しながら虚空を見つめていた。
「怖いか。だがな、お前が今ここに立っているおかげで
南に逃げた親御さんたちが一分でも長く生きられるんだ。
だから、震えるな。その銃は、お前の家族を守るための鍵だ」
古参の伍長が、若い兵士の肩を強く叩いた。
その言葉に、二等兵は涙を拭い、再び銃を構えた。
夕闇が迫る頃、音威子府の戦場は、赤く染まった霧に包まれていた。
ソ連軍の進撃速度は、日本軍の執念とも言える抵抗によって、大幅に遅延していた。
六万の軍勢は、この小さな隘路で足止めを食らい
その死傷者はすでに数千人に達していた。
「報告! 敵部隊、一時後退を開始。夜間の再編成に入る模様です!」
その報告を聞いても、佐藤少佐に安堵の表情はなかった。
「……明日が本番だ。今夜のうちに、爆弾を埋め直せ。
壊れた陣地を修復しろ。寝る時間は一分あれば十分だ。
いいか、明日もまた、ここで赤軍を迎え撃つぞ」
佐藤は壕を出て、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
空には、星が輝き始めていた。その彼方
海の上では、古賀長官の艦隊が全速力でこちらへ向かっているはずだ。
「海軍さん、急いでくれよ。俺たちの弾薬も、そろそろ心許なくなってきた」
佐藤は、誰もいない夜の森に向かって呟いた。
音威子府の「鉄鎖」は、今日一日、見事にその役割を果たした。
しかし、鎖の強度は限界に達しつつある。
ソ連軍の物量は、明日にはさらに凶暴さを増して襲いかかってくるだろう。
その時、日本軍に残されたカードは何か。 座礁して要塞となる戦艦「伊勢」
そしてそこに乗り込んだ義烈空挺隊の死兵たち。
彼らが稚内の戦場に現れるその時まで
この音威子府の門を、何としても守り通さなければならない。
八月二十六日、夜。 音威子府は、静かな、しかし殺気に満ちた闇に沈んでいた。
暗闇のあちこちで、シャベルが土を掘る音と、兵士たちの低い囁き声が響いていた。
彼らは知っている。 明日の夜明けと共に、再び「鉄の雨」が降り始めることを。
そして、その雨の中で、自分たちの命が花火のように散っていくかもしれないことを。
だが、誰も逃げようとはしなかった。 彼らの背中には、守るべき故郷があり
そのさらに先には、名前も知らない一人の英雄が命を懸けて守ろうとした
「日本」という名の未来があったからだ。
「来い、赤軍。北海道の夜は、お前たちが思っている以上に長いぞ」
佐藤少佐の低い独白が、夜の風に乗って消えていった。
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【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
未来を見た山本五十六、帝国を勝利へ導く
たか
歴史・時代
1928年12月10日の空母赤城艦長の就任式終了後、赤城の甲板に立ち夕暮れを見てた時だった。ふと立ちくらみのような眩暈が起きた瞬間、山本五十六「それ」を見た。 燃え上がる広島と長崎、硫黄島で散る歩兵、ミッドウェーで沈む空母、そして1943年ブーゲンビル島上空で戦死した事…… あまりに酷い光景に五十六は倒れそうになった、「これは夢ではない……現実、いやこれは未来か」 その夜、山本五十六は日記に記した。 【我、帝国の敗北を見たり。未来を変えねば、祖国は滅ぶ】
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
局地戦闘機 飛電の栄光と終焉
みにみ
歴史・時代
十四試局戦 後の三菱雷電J2Mとして知られるこの戦闘機は爆撃機用の火星エンジンを搭載したため胴体直径の増加、前方視界不良などが続いたいわば少し残念な機体である この十四試局戦計画に地方の無名メーカーが参加、雷電を超える高性能機が誕生し、零戦の後継として太平洋戦線を駆ける これは設計者、搭乗員の熱く短い6年間を描いた物語だ