9 / 16
開戦までのカウントダウン
対空教練射撃
しおりを挟む
一九四六年二月。
瀬戸内海は冬の名残を残しながらも、穏やかな海況を保っていた。
第一戦隊を中心とする完熟訓練は、呉を出港してから
豊後水道にかけての広い海域を使って実施されることになった。
戦艦若狭はその中心に位置し、名実ともに戦隊の要として行動する。
だが、この訓練の本当の主役は主砲でも機関でもなかった。
「……始まるな」
防空指揮所で、黒崎哲郎は電探画面を見つめながら低く呟いた。
今回の完熟訓練は、従来の海軍には存在しなかった内容を含んでいた。
陸軍から譲り受けたキ一〇二を六機。
そのうち四機を海軍側で改装し
対空射撃専用の特殊訓練機として投入するという前代未聞の試みである。
機体各所、特に腹部には二十ミリ近い装甲が張り巡らされ
通常の対空機銃弾では撃ち抜けない構造になっている。
さらに、射撃訓練用として支給された二十五ミリ弾は
内部に高密度プラスチックと鉛粉を混合した弾体を用い
命中すれば砕け散る教練曳光弾だった。弾道は実弾と同一で、被弾判定は確実に行える。
つまりこれは、「実際に撃てる」対空射撃訓練だった。
「各員、対空戦闘配置。第一次訓練目標、来襲機四。高度三千」
黒崎の声が、指揮所に落ち着いて響く。
初撃は、ある意味で理想的だった。
高角砲、機銃、噴進砲。
それぞれが定められた管制装置に従い
正面から侵入してくるキ一〇二改に対して一斉に火を噴いた。
曳光弾の光跡が空を埋め、被弾判定の信号が次々に表示される。
「命中多数……これは、想定以上だな」
副官が感心したように言う。
黒崎も、一瞬だけ胸の奥で安堵を覚えた。
理屈は、通じている。
少なくとも、正面からの単純な侵入に対しては。
だが、次の瞬間、その確信は崩れ始めた。
「第二次来襲、左右分離!」
四機のキ一〇二が、左右からバラバラに高度と進路を変えて突っ込んでくる。
「高角砲、目標分散、機銃優先で――」
黒崎の指示が終わる前に、現場は混乱に陥った。
「こちら右舷、管制が切り替わりません」
「噴進砲、照準が合わない、指示が二重に来ています」
「機銃、誰の命令を優先するんですか」
指揮系統が絡まり合い、誰が何を指示しているのか分からなくなっていく。
黒崎は歯を食いしばった。
膨大な防空装備。
それぞれが正しく動けば、理論上は完璧な防空網を形成する。
だが、それを「同時に」動かすことが、現場にどれほどの負担を強いているか。
「高角砲、連続射撃開始――」
白煙が空を覆った。
次の瞬間、機銃管制装置の警告灯が一斉に点灯する。
「誤作動です。高角砲の発射煙で光学系が乱されています」
「……くそ」
黒崎は一瞬、判断を迷った。
高角砲を撃ち続ければ、機銃と噴進砲の管制が死ぬ。
だが、止めれば、弾幕に穴が開く。
「高角砲、射撃中止!」
命令が下った直後、その穴を見逃さず、キ一〇二改が突っ込んできた。
「被弾判定!」
赤いランプが点灯する。
指揮所に、重苦しい沈黙が落ちた。
訓練は続く。
だが、状況は悪化する一方だった。
「機銃、連続射撃で砲身が限界です!」
「管制装置が止めてくれません、撃ちっぱなしです!」
黒崎は、管制画面を睨みつけた。
射撃指揮装置は、理論上最適な射撃を続行する。
だが、そこには冷却という概念が存在しない。
「管制を切れ! 手動に戻せ!」
機銃員たちは慌てて管制を切り、砲身に海水をかける。
だが、焼け爛れた砲身は、急激な温度変化に耐えられなかった。
「割れました! 六基、砲身破損!」
訓練終了の信号が鳴る。
海は静かなままだったが、若狭の内部は重い空気に満ちていた。
防空指揮所で、黒崎は椅子に深く腰掛けたまま、しばらく動けなかった。
「……これは、私の設計だ」
誰に向けたともなく、呟く。
完璧だと思っていた。
いや、完璧に近づけたと思っていた。
だが現実は、違った。
後日、現場からの意見聴取が行われた。
「正直に言わせてもらいます」
機銃分隊の下士官、山縣曹長が口を開いた。
「装置は立派です。でも、俺たちが追いつけません。
命令が多すぎて、考える暇がない。機械の言う通りに撃てば砲身が死ぬ。止めれば怒られる」
黒崎は、真正面からその言葉を受け止めた。
「……現場を、信じていなかったのは、私です」
声は、かすれていた。
「理屈を積み上げることばかり考えて、人間が間に入ることを後回しにしていた」
別の下士官が続ける。
「俺たちは、機械じゃありません。考えますし
迷います。そこを無視されると、ついていけない」
黒崎は、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。これは、私の失敗です」
その様子を、後方で有馬艦長が黙って見ていた。
会議が終わり、人がはけた後、有馬が黒崎に声をかける。
「痛い目を見たな」
「はい。……想像以上に」
「だが、いい訓練だった」
黒崎は顔を上げた。
「艦長?」
「今の若狭は、思想の塊だと言ったな。
それが、ようやく現場と衝突した。これは前進だ」
有馬は続ける。
「君の理屈は正しい。だが、それを使うのは人間だ。人間が壊れれば、兵器は意味を失う」
黒崎は、ゆっくりと頷いた。
「修正します。現場が扱える形に、必ず」
「それでいい」
有馬は背を向けた。
「若狭は、まだ未完成だ。だが、完成する余地がある。それは、悪くない艦だ」
黒崎は、指揮所に残り、もう一度管制系統の図面を広げた。
そこに描かれている線の一本一本が
現場の負担になっていることを、今は痛いほど理解していた。
完熟訓練は、始まったばかりだった。
瀬戸内海は冬の名残を残しながらも、穏やかな海況を保っていた。
第一戦隊を中心とする完熟訓練は、呉を出港してから
豊後水道にかけての広い海域を使って実施されることになった。
戦艦若狭はその中心に位置し、名実ともに戦隊の要として行動する。
だが、この訓練の本当の主役は主砲でも機関でもなかった。
「……始まるな」
防空指揮所で、黒崎哲郎は電探画面を見つめながら低く呟いた。
今回の完熟訓練は、従来の海軍には存在しなかった内容を含んでいた。
陸軍から譲り受けたキ一〇二を六機。
そのうち四機を海軍側で改装し
対空射撃専用の特殊訓練機として投入するという前代未聞の試みである。
機体各所、特に腹部には二十ミリ近い装甲が張り巡らされ
通常の対空機銃弾では撃ち抜けない構造になっている。
さらに、射撃訓練用として支給された二十五ミリ弾は
内部に高密度プラスチックと鉛粉を混合した弾体を用い
命中すれば砕け散る教練曳光弾だった。弾道は実弾と同一で、被弾判定は確実に行える。
つまりこれは、「実際に撃てる」対空射撃訓練だった。
「各員、対空戦闘配置。第一次訓練目標、来襲機四。高度三千」
黒崎の声が、指揮所に落ち着いて響く。
初撃は、ある意味で理想的だった。
高角砲、機銃、噴進砲。
それぞれが定められた管制装置に従い
正面から侵入してくるキ一〇二改に対して一斉に火を噴いた。
曳光弾の光跡が空を埋め、被弾判定の信号が次々に表示される。
「命中多数……これは、想定以上だな」
副官が感心したように言う。
黒崎も、一瞬だけ胸の奥で安堵を覚えた。
理屈は、通じている。
少なくとも、正面からの単純な侵入に対しては。
だが、次の瞬間、その確信は崩れ始めた。
「第二次来襲、左右分離!」
四機のキ一〇二が、左右からバラバラに高度と進路を変えて突っ込んでくる。
「高角砲、目標分散、機銃優先で――」
黒崎の指示が終わる前に、現場は混乱に陥った。
「こちら右舷、管制が切り替わりません」
「噴進砲、照準が合わない、指示が二重に来ています」
「機銃、誰の命令を優先するんですか」
指揮系統が絡まり合い、誰が何を指示しているのか分からなくなっていく。
黒崎は歯を食いしばった。
膨大な防空装備。
それぞれが正しく動けば、理論上は完璧な防空網を形成する。
だが、それを「同時に」動かすことが、現場にどれほどの負担を強いているか。
「高角砲、連続射撃開始――」
白煙が空を覆った。
次の瞬間、機銃管制装置の警告灯が一斉に点灯する。
「誤作動です。高角砲の発射煙で光学系が乱されています」
「……くそ」
黒崎は一瞬、判断を迷った。
高角砲を撃ち続ければ、機銃と噴進砲の管制が死ぬ。
だが、止めれば、弾幕に穴が開く。
「高角砲、射撃中止!」
命令が下った直後、その穴を見逃さず、キ一〇二改が突っ込んできた。
「被弾判定!」
赤いランプが点灯する。
指揮所に、重苦しい沈黙が落ちた。
訓練は続く。
だが、状況は悪化する一方だった。
「機銃、連続射撃で砲身が限界です!」
「管制装置が止めてくれません、撃ちっぱなしです!」
黒崎は、管制画面を睨みつけた。
射撃指揮装置は、理論上最適な射撃を続行する。
だが、そこには冷却という概念が存在しない。
「管制を切れ! 手動に戻せ!」
機銃員たちは慌てて管制を切り、砲身に海水をかける。
だが、焼け爛れた砲身は、急激な温度変化に耐えられなかった。
「割れました! 六基、砲身破損!」
訓練終了の信号が鳴る。
海は静かなままだったが、若狭の内部は重い空気に満ちていた。
防空指揮所で、黒崎は椅子に深く腰掛けたまま、しばらく動けなかった。
「……これは、私の設計だ」
誰に向けたともなく、呟く。
完璧だと思っていた。
いや、完璧に近づけたと思っていた。
だが現実は、違った。
後日、現場からの意見聴取が行われた。
「正直に言わせてもらいます」
機銃分隊の下士官、山縣曹長が口を開いた。
「装置は立派です。でも、俺たちが追いつけません。
命令が多すぎて、考える暇がない。機械の言う通りに撃てば砲身が死ぬ。止めれば怒られる」
黒崎は、真正面からその言葉を受け止めた。
「……現場を、信じていなかったのは、私です」
声は、かすれていた。
「理屈を積み上げることばかり考えて、人間が間に入ることを後回しにしていた」
別の下士官が続ける。
「俺たちは、機械じゃありません。考えますし
迷います。そこを無視されると、ついていけない」
黒崎は、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。これは、私の失敗です」
その様子を、後方で有馬艦長が黙って見ていた。
会議が終わり、人がはけた後、有馬が黒崎に声をかける。
「痛い目を見たな」
「はい。……想像以上に」
「だが、いい訓練だった」
黒崎は顔を上げた。
「艦長?」
「今の若狭は、思想の塊だと言ったな。
それが、ようやく現場と衝突した。これは前進だ」
有馬は続ける。
「君の理屈は正しい。だが、それを使うのは人間だ。人間が壊れれば、兵器は意味を失う」
黒崎は、ゆっくりと頷いた。
「修正します。現場が扱える形に、必ず」
「それでいい」
有馬は背を向けた。
「若狭は、まだ未完成だ。だが、完成する余地がある。それは、悪くない艦だ」
黒崎は、指揮所に残り、もう一度管制系統の図面を広げた。
そこに描かれている線の一本一本が
現場の負担になっていることを、今は痛いほど理解していた。
完熟訓練は、始まったばかりだった。
14
あなたにおすすめの小説
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
【架空戦記】炎立つ真珠湾
糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。
日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。
さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。
「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。
日英同盟不滅なり
竹本田重朗
歴史・時代
世界は二度目の世界大戦に突入した。ヒトラー率いるナチス・ドイツがフランス侵攻を開始する。同時にスターリン率いるコミンテルン・ソビエトは満州に侵入した。ヨーロッパから極東まで世界を炎に包まれる。悪逆非道のファシストと共産主義者に正義の鉄槌を下せ。今こそ日英同盟が島国の底力を見せつける時だ。
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
以上をご理解の上でお読みください
北溟のアナバシス
三笠 陣
歴史・時代
1943年、大日本帝国はアメリカとソ連という軍事大国に挟まれ、その圧迫を受けつつあった。
太平洋の反対側に位置するアメリカ合衆国では、両洋艦隊法に基づく海軍の大拡張計画が実行されていた。
すべての計画艦が竣工すれば、その総計は約130万トンにもなる。
そしてソビエト連邦は、ヨーロッパから東アジアに一隻の巨艦を回航する。
ソヴィエツキー・ソユーズ。
ソビエト連邦が初めて就役させた超弩級戦艦である。
1940年7月に第二次欧州大戦が終結して3年。
収まっていたかに見えた戦火は、いま再び、極東の地で燃え上がろうとしていた。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる