改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す

みにみ

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開戦までのカウントダウン

ブルネイ泊地

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一九四六年六月上旬。
ボルネオ島北西部、ブルネイ湾。

赤道直下特有の重たい空気が、夕刻の海面に垂れ下がっていた。
陽はまだ高いが、雲の縁はすでに朱を帯び
湾内に投錨する艦影の輪郭を強調している。

改大和型戦艦一番艦若狭は、その中心にあった。

巨大な船体は、もはや一隻の軍艦というより、動く要塞だった。
五十口径四十六糎砲三連装三基。
艦橋周囲を埋め尽くす高角砲、三式四十粍、二十五粍機銃。
複数層に張り巡らされた電探アンテナ。

黒崎哲郎は、第一艦橋後部の防空指揮所から、湾内を見渡していた。

武蔵、信濃、紀伊。
第一戦隊の各艦が、若狭を中心に静かに碇泊している。

そのさらに外側には、第二戦隊の大和、長門、陸奥。
第三戦隊、第四戦隊。
重巡戦隊、水雷戦隊、そして航空戦隊。

視界に収まるだけでも、圧倒的だった。
だが、黒崎は知っている。
この湾内にいるのは、全体の半分ほどに過ぎないという事実を。

「……本当に、集まったものだな」

背後から、低い声がした。
振り向くと、若狭艦長、有馬恒一少将が立っていた。

「はい。これほどの艦隊が一堂に会するのは、演習でも記憶にありません」

黒崎はそう答えたが、言葉の奥には別の思いがあった。
これは演習ではない。
誰もが、それを感じ取っている。

「比島方面に、米軍が新戦艦を二隻配備したとの報が入った」

有馬は、湾内を眺めながら続ける。

「ノースカロライナ級。大和と同期だそうだ」

黒崎は、即座に頭の中で性能諸元を思い浮かべた。
速力、装甲配置、主砲口径。
そして、その背後にある米海軍の思想。

「緊張が高まらぬわけがありませんね。
 条約後の新戦艦を、あえて前線に出してきたということは……」

「……向こうも、腹を括ったということだろう」

有馬は、そこで言葉を切った。

しばらく、二人は黙って海を見ていた。
やがて、艦内放送が流れる。

「各艦上層部に告ぐ。連合艦隊全編成を公布する」

黒崎は、背筋を正した。

――第一戦隊。
旗艦若狭。
武蔵、信濃、紀伊。

――第二戦隊。
旗艦大和。
長門、陸奥。

――第三戦隊。
旗艦榛名。
金剛、比叡、霧島。

――第四戦隊。
旗艦伊勢。
日向、扶桑、山城。

ここまでが戦艦戦隊。

続いて、重巡戦隊。

第五戦隊。
旗艦伊吹。
鞍馬、利根、筑摩。

第六戦隊。
旗艦愛宕。
高雄、摩耶、鳥海。

第七戦隊。
旗艦鈴谷。
最上、三隈、熊野。

第八戦隊。
旗艦妙高。
羽黒、那智、足柄。

第九戦隊。
旗艦青葉。
衣笠、古鷹、加古。

そして、水雷戦隊。

第一水雷戦隊、阿武隈。
雷、電、響、暁。
浦風、磯風、谷風、浜風。
初春、子日、初霜、若葉。
有明、夕暮、白露、時雨。

主力艦護衛を任務とする精鋭だが、夜戦の切れ味では後述の部隊に譲る。

第二水雷戦隊、神通。
朝潮、満潮、大潮、荒潮。
黒潮、親潮、早潮、夏潮。
初風、雪風、天津風、時津風。
霞、霰、陽炎、不知火。

重巡戦隊と共に夜戦で敵を漸減させる、一線級水雷戦隊。
日本海軍最高水準の練度と性能。

第三水雷戦隊、川内。
吹雪、白雪、初雪。
叢雲、東雲、白雲。
磯波、浦波、敷波、綾波。
天霧、朝霧、夕霧、狭霧。

第四水雷戦隊、那珂。
村雨、夕立、春雨、五月雨。
嵐、萩風、野分、舞風。
朝雲、山雲、夏雲、峯雲。
海風、山風、江風、涼風。

第五水雷戦隊、名取。
朝風、春風、松風、旗風。
皐月、水無月、文月、長月。

輸送船団護衛を主任務とする部隊。

そして、第十一水雷戦隊。

第一分隊、阿賀野。
秋月、照月、涼月、初月、新月。
霜月、若月、冬月、春月、宵月。

第二分隊、能代。
長波、巻波、高波、大波、清波。
夕雲、巻雲、風雲、秋雲、涼波、早波、藤波。

最新鋭艦を揃え、機動部隊直掩や戦艦部隊随伴を担う。
第二水雷戦隊とは、静かなライバル関係にあった。

最後に、航空戦隊。

第一航空戦隊、赤城、加賀、葛城。
第二航空戦隊、飛龍、蒼龍、雲龍、天城。
第四航空戦隊、龍驤、祥鳳、瑞鳳、龍鳳。
第五航空戦隊、大鳳、翔鶴、瑞鶴。
第六航空戦隊、隼鷹、飛鷹、千歳、千代田。
第七航空戦隊、笠置、阿蘇、生駒、開門。

護衛航空戦隊として、
第一護航空戦隊、大鷹、雲鷹、冲鷹。
第二護航空戦隊、鳳翔、神鷹、海鷹。

放送が終わると、艦内は一瞬、静まり返った。

「……まるで、図鑑だな」

有馬が、ぽつりと言った。

黒崎は、ゆっくりと息を吐いた。

「ええ。ですが、図鑑に載る艦隊は、すでに歴史の一部です。今、ここにあるのは……」

「……これから、歴史になる艦隊、か」

有馬は、そう結んだ。

その夜、若狭の艦内では、各部署が最後の確認に追われていた。
弾庫、給弾機構、射撃盤、電探。
すべてが、すでに何度も確認された項目だ。

それでも、黒崎は防空配置の最終確認を続けていた。

「二十五粍第三分隊、給弾動線の再確認を頼む。
 前回の演習で詰まりが出た箇所だが、補助搬送を増やした分
 逆に混乱が生じかねない。実際に人を動かして、無駄な交錯がないかを見ておきたい」

部下たちは、黙って頷き、動き出す。

黒崎は、指揮所の片隅で立ち止まり、ふと自分の手を見た。
微かに震えている。

恐怖ではない。
緊張でもない。

「……責任、か」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

この艦が落とせなかった敵機は、必ず誰かを殺す。
それが、艦であれ、僚艦であれ、あるいは、この艦自身であれ。

理論は、もう示した。
訓練でも、証明した。

それでも、本番は違う。
敵は、標的機ではない。
源田実でもない。

「黒崎」

背後から、声がした。
振り返ると、砲術長の吉岡貞雄大佐がいた。

「防空配置の確認は、もう十分だ。あとは人の問題だな」

「……はい。結局のところ、最後に引き金を引くのは人ですから」

吉岡は、少し考えるように間を置いた。

「この艦は、砲戦艦だと、俺は思っている。だがな」

彼は、黒崎を真っ直ぐに見た。

「同時に、これは防空艦でもある。少なくとも
 俺はそう認めている。だから、安心していい」

黒崎は、驚いたように目を瞬かせた。

「砲術屋にそう言われるとは、思っていませんでした」

吉岡は、僅かに口元を緩めた。

「砲術屋だからこそだ。砲を撃たせてもらえない戦艦ほど、情けないものはない」

その言葉に、黒崎は深く頭を下げた。

夜。
若狭の甲板に出ると、湾内には無数の灯が浮かんでいた。
艦隊。
世界最大級の海上兵力。

黒崎は、その光景を胸に刻みつけるように見つめた。

「……これが、最後の平時だな」

誰に聞かせるでもない、独白。

次に同じ景色を見るとき、
そこには、炎と煙が混じっているかもしれない。

それでも。
黒崎哲郎は、逃げなかった。

理論を、思想を、艦に託した。
そして今、その艦と共に、戦争の入口に立っている。

若狭は、静かに碇泊していた。
嵐の前の、あまりにも穏やかな夜だった。
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