異聞坊ノ岬沖海戦      此れは特攻作戦に非ず

みにみ

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隠された牙

対潜戦闘

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1945年4月6日午前1時45分。漆黒の闇に包まれた豊後水道を
日本の最後の艦隊が静かに、しかし確かな足取りで南下していた。
波は穏やかで、月明かりのない夜空は、艦隊の姿を完全に隠蔽していた。
艦隊全体を覆うのは、張り詰めた静寂と、来るべき戦いへの重い覚悟だった。

第二艦隊司令長官・伊藤整一中将は、旗艦大和の艦橋で
羅針盤の光を見つめていた。彼の隣には、大和艦長・有賀幸作大佐が
双眼鏡を手に、暗闇の海を凝視している。艦橋内は
計器類の微かな光と、当直士官たちの低い声だけが響き
張り詰めた緊張感が漂っていた。

「司令、前方掃海艇より報告! 敵潜水艦らしき反応あり!」

突然、通信士官の声が、静寂を破った。その声は
艦橋にいる全員の心臓を鷲掴みにした。豊後水道は
日本の艦隊が外洋に出るための要衝であり、米潜水艦が待ち伏せしている可能性は常にあった。
しかし、この最終作戦において、最初の敵が潜水艦であるとは、誰もが予想していなかった。

「何だと! 直ちに詳細を報告させろ!」

伊藤中将の声に、わずかな動揺が混じる。掃海艇からの報告は
まさに艦隊の喉元に突きつけられた刃のようなものだった。

「掃海艇『第百五号』より。艦隊前方
 約五千メートルに潜水艦の音紋を捕捉! 現在、急速潜航中とのこと!」

通信士官の声が続く。敵潜水艦は、既に艦隊の進路を遮る位置にいる。
このまま直進すれば、魚雷攻撃を受ける可能性が高い。

「全艦に命令! 第一警戒航行序列へ移行! 
 大型艦艇は直ちに之の字運動を開始せよ!」

伊藤中将の決断は早かった。第一警戒航行序列とは
対潜警戒を最大化するための陣形であり、大型艦艇の之の字運動は
敵潜水艦からの魚雷攻撃を回避するための基本戦術だ。

命令は瞬時に各艦に伝達された。
「第一警戒航行序列へ移行! 面舵一杯! 振動数上げ!」

各艦の艦橋で、艦長たちの怒鳴り声が響き渡る。
瑞鶴艦長・貝塚武男大佐は、即座に面舵を命じ
巨大な空母の艦体がゆっくりと右に傾き始めた。
翔鶴艦長・淵田美津雄大佐、信濃艦長・阿部俊雄大佐
天城艦長・入船貞夫大佐、葛城艦長・横田稔大佐らも
それぞれ艦の針路を大きく変え、不規則な航行を開始した。

「面舵三〇度! 振動数、急げ!」

大和の艦橋では、有賀大佐が冷静に指示を出す。
巨大な船体が、ゆっくりと、しかし確実に右に傾き
白い波を立てながら針路を変えていく。艦内では、之の字運動による傾斜で
固定されていない物が倒れる音が響き、兵士たちは手すりを掴んで体勢を維持した。

「ソナー員、敵潜水艦の深度、速力は!」
「深度、約百メートル! 速力、微速! 魚雷発射管、開放の可能性あり!」

ソナー室からの報告に、艦橋の緊張は最高潮に達した。敵は攻撃態勢に入っている。

「駆逐艦隊に命じよ! 直ちに敵潜水艦を制圧せよ!」

伊藤中将の命令が飛ぶ。この状況で
大型艦艇が潜水艦と交戦することは、非常に危険だ。駆逐艦の出番だった。

「駆逐艦柳、楠、直ちに敵潜水艦の制圧に向かえ! 旗艦より命令!」

第2水雷戦隊司令官・古村啓蔵少将の旗艦矢矧から、駆逐艦隊に命令が下された。

「了解! 駆逐艦柳、これより敵潜水艦制圧に向かいます!」
「駆逐艦楠、了解! 続きます!」

駆逐艦柳の艦長、斎藤中佐は、即座に面舵を切り
全速力で敵潜水艦の探知された海域へと向かった。
その隣を、駆逐艦楠が、白い波を蹴立てて追従する。
彼らは、艦隊の盾となり、敵の脅威を排除するべく、闇の中を突き進んだ。

「ソナー、敵潜水艦の正確な位置を!」
「艦首方向、約二千メートル! 深度百二十メートル! 魚雷発射音、なし!」

柳の艦橋で、ソナー員が叫ぶ。魚雷発射音がないことに
わずかな安堵が広がる。しかし
それは敵がまだ攻撃を仕掛けていないだけであり、油断はできなかった。

「爆雷投下準備! 深度百メートル、パターン展開!」

斎藤中佐の命令が下る。後部甲板では
爆雷投下機が作動音を立て、爆雷が次々と準備される。

「投下!」

柳の艦尾から、最初の爆雷が海中へと投下された。
続いて、楠からも爆雷が投下される。
爆雷は、海中を沈降しながら、設定された深度で炸裂する。

ドォォォン! ドォォォン!

海中で連続する轟音が、艦体を揺らす。
水柱が上がり、海面が激しく波打つ。しかし、敵潜水艦からの反応はない。

「ソナー、反応は!」
「……反応なし! 敵潜水艦、沈黙!」

ソナー員の報告に、艦橋内にわずかなざわめきが起こる。
沈黙。それは、敵が破壊されたか、あるいは深く潜航して逃走したかのどちらかだった。

「よし! 柳、楠、周辺海域を警戒しつつ、再度音紋を探知せよ!」

斎藤中佐は、慎重に命令を下した。
敵が生き残っている可能性も考慮しなければならない。

数分後、再びソナー員の声が響いた。
「艦尾方向、約千メートル! 敵潜水艦
 浮上反応! ……艦体、破損! 油膜、確認!」

「やったか!」

斎藤中佐の顔に、わずかな安堵と興奮が浮かんだ。
共同で投下した爆雷が、敵潜水艦に致命的な打撃を与えたのだ。

「駆逐艦柳、楠、敵潜水艦を共同撃沈しました! 大量油膜、艦体破片を確認!」

柳から艦隊司令部への報告が上がった。

「了解。ご苦労。艦隊はそのまま第一警戒航行序列を維持し、豊後水道を抜けよ」

伊藤中将の声は、わずかに安堵を含んでいた。
最初の危機を乗り越えた。しかし、これはほんの序章に過ぎないことを、彼は痛感していた。

艦隊は、之の字運動を続けながら、豊後水道を抜けていく。
駆逐艦柳と楠は、撃沈した潜水艦の残骸を後方に残し
再び艦隊の警戒網へと戻っていった。夜の海は、再び静寂を取り戻したが
その静けさの中には、激しい戦いの予感と、将兵たちの固い決意が満ちていた。

この小さな勝利は、艦隊の士気をわずかに高めた。
彼らは、単なる死に場所へと向かうのではなく
戦い、勝利を掴むために、この海に出たのだ。豊後水道を抜けた艦隊は
太平洋の広大な闇の中へと、その巨体を沈めていった。
彼らの前には、想像を絶する激戦が待ち受けていた。
しかし、彼らは、その全てを受け入れる覚悟を決めていた。
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