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第四章
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ニコラス先生との約束の一ヶ月が過ぎ、正式に診療所で雇われることになった。
シフトは週四日。朝から昼過ぎまで。基本は子どもたちの世話の手伝いで、診療所は食事などの下ごしらえの補助にまわる。
そして給料は時給制。
最初フォルトナー先生が言ったように給料はいらないと申し出たが、仕事であるからには相応の責任を認識するためにもいくらか受けとるべきだと言われ、最低賃金でということで譲歩した。
診療所に行かない日は侯爵邸で勉強するつもりだったが、茶会で知り合ったイザベラさんから週一回色々お誘いを受けることになってしまった。
「まさか侯爵夫人に来ていただけるとは思いませんでしたわ」
イザベラさんは私より二十歳くらい年上で、十歳と十三歳の息子さんがいる。
今日はみんなで軍人遺族の家庭を訪問すると言うので一緒に加わった。
息子や夫を亡くした人を定期的に訪問し、話し相手になったり、困ったことがないか訊ねてまわっているそうだ。
一度に全部を回れないため、いくつかの班にわけて回る。私はまだ慣れていないので、イザベラさんと付いて回っている。
今は五年前に夫を亡くしたエマさんというご婦人の所に来ている。
子どもは娘が三人。皆、嫁いでしまったため今は一人で生活している。
「たまたま侯爵と結婚いたしましたが、私自身が偉いわけではありません。どうか気を使わないで親戚の娘が来たくらいに思って何でも言いつけてください」
「でも……」
私がそう言うとエマさんは困ったようにイライザさんを見る。
気を遣うなと言ってもそう簡単にはいかない。
診療所でもニコラス先生の計らいで侯爵夫人のクリスティアーヌではなく、ただのクリッシーで通している。
それはエマさんのような態度をされるとやりづらくなるからだ。
「取りあえず、今日は差し入れを持ってきましたから、一緒にお茶でも飲みながらおしゃべりしませんか?エマさんも彼女に何かやってもらうのは気が引けても、お茶くらいはかまいませんでしょう?」
エマさんに助けを求められてイライザさんが提案する。
「……そうですね。それなら」
さすがに何もかも断るのは申し訳ないとエマさんも承諾する。
「エマさんはお湯を沸かしてお茶をお願いしますわ」
「わかりましたわ」
エマさんが隣の台所へと姿を消し、その間に持ってきた籠から菓子を取り出した。
「やっぱり私は来ない方がよかったのでは……変に気を遣わせてしまうだけでは」
エマさんが特別ではない。他の人を訪ねても同じではないだろうか。
「まだ始めたばかりですよね。遺族の中には痛みや悲しみを抱えて、私でも最初は受け入れてもらえませんでした。一軒目で挫けてどうされるのですか」
言い方は優しかったが、甘えを許さない口調だった。
「そうですね。すいませんでした」
「そんなに落ち込まないでください。エマさんもクリスティアーヌ様がどんな方かわかれば、きっと受け入れてくれます。そのために今日はこれを持ってきたんですから」
イライザさんが手を握り励ましてくれる。
「あら、とてもおいしそうなお菓子ですね」
エマさんがお茶を持って台所から戻ってきて、取り出した菓子を見て言った。
「美味しそうではなく、美味しいんですよ。ね、クリスティアーヌ様」
イライザさんが得意気に言って私に目で合図する。
「変わっていますね。初めて見ました」
それは薄く焼いたクレープを何枚も重ねたミルクレープだった。
「どうぞ召し上がってください」
エマさんはひとくち切って頬張ると、ぱっと顔を輝かせた。保存に氷の魔石を使っているので、少しひんやりしているのも、口当たりがいい。
「とても美味しいですわ!間に何か挟まっているのですね」
「そうなのです。木苺のジャムを使っています。それとカスタードクリームを交互に挟んで作りました。甘すぎませんか?もう少し甘くしてもと思ったのですが」
「ジャムは果物の甘味がとてもシンプルで……え、作った?……まさか」
「そのまさかです。これはクリスティアーヌ様がお作りになりました」
「えっ、侯爵夫人がですか!?」
イライザさんが言うと、エマさんは今食べたミルクレープと私を何度も見比べた。
シフトは週四日。朝から昼過ぎまで。基本は子どもたちの世話の手伝いで、診療所は食事などの下ごしらえの補助にまわる。
そして給料は時給制。
最初フォルトナー先生が言ったように給料はいらないと申し出たが、仕事であるからには相応の責任を認識するためにもいくらか受けとるべきだと言われ、最低賃金でということで譲歩した。
診療所に行かない日は侯爵邸で勉強するつもりだったが、茶会で知り合ったイザベラさんから週一回色々お誘いを受けることになってしまった。
「まさか侯爵夫人に来ていただけるとは思いませんでしたわ」
イザベラさんは私より二十歳くらい年上で、十歳と十三歳の息子さんがいる。
今日はみんなで軍人遺族の家庭を訪問すると言うので一緒に加わった。
息子や夫を亡くした人を定期的に訪問し、話し相手になったり、困ったことがないか訊ねてまわっているそうだ。
一度に全部を回れないため、いくつかの班にわけて回る。私はまだ慣れていないので、イザベラさんと付いて回っている。
今は五年前に夫を亡くしたエマさんというご婦人の所に来ている。
子どもは娘が三人。皆、嫁いでしまったため今は一人で生活している。
「たまたま侯爵と結婚いたしましたが、私自身が偉いわけではありません。どうか気を使わないで親戚の娘が来たくらいに思って何でも言いつけてください」
「でも……」
私がそう言うとエマさんは困ったようにイライザさんを見る。
気を遣うなと言ってもそう簡単にはいかない。
診療所でもニコラス先生の計らいで侯爵夫人のクリスティアーヌではなく、ただのクリッシーで通している。
それはエマさんのような態度をされるとやりづらくなるからだ。
「取りあえず、今日は差し入れを持ってきましたから、一緒にお茶でも飲みながらおしゃべりしませんか?エマさんも彼女に何かやってもらうのは気が引けても、お茶くらいはかまいませんでしょう?」
エマさんに助けを求められてイライザさんが提案する。
「……そうですね。それなら」
さすがに何もかも断るのは申し訳ないとエマさんも承諾する。
「エマさんはお湯を沸かしてお茶をお願いしますわ」
「わかりましたわ」
エマさんが隣の台所へと姿を消し、その間に持ってきた籠から菓子を取り出した。
「やっぱり私は来ない方がよかったのでは……変に気を遣わせてしまうだけでは」
エマさんが特別ではない。他の人を訪ねても同じではないだろうか。
「まだ始めたばかりですよね。遺族の中には痛みや悲しみを抱えて、私でも最初は受け入れてもらえませんでした。一軒目で挫けてどうされるのですか」
言い方は優しかったが、甘えを許さない口調だった。
「そうですね。すいませんでした」
「そんなに落ち込まないでください。エマさんもクリスティアーヌ様がどんな方かわかれば、きっと受け入れてくれます。そのために今日はこれを持ってきたんですから」
イライザさんが手を握り励ましてくれる。
「あら、とてもおいしそうなお菓子ですね」
エマさんがお茶を持って台所から戻ってきて、取り出した菓子を見て言った。
「美味しそうではなく、美味しいんですよ。ね、クリスティアーヌ様」
イライザさんが得意気に言って私に目で合図する。
「変わっていますね。初めて見ました」
それは薄く焼いたクレープを何枚も重ねたミルクレープだった。
「どうぞ召し上がってください」
エマさんはひとくち切って頬張ると、ぱっと顔を輝かせた。保存に氷の魔石を使っているので、少しひんやりしているのも、口当たりがいい。
「とても美味しいですわ!間に何か挟まっているのですね」
「そうなのです。木苺のジャムを使っています。それとカスタードクリームを交互に挟んで作りました。甘すぎませんか?もう少し甘くしてもと思ったのですが」
「ジャムは果物の甘味がとてもシンプルで……え、作った?……まさか」
「そのまさかです。これはクリスティアーヌ様がお作りになりました」
「えっ、侯爵夫人がですか!?」
イライザさんが言うと、エマさんは今食べたミルクレープと私を何度も見比べた。
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