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第十一章
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ある日突然、どす黒い血を吐いて倒れた母。それより前から食が細くなりただの体調不良かと思っていた。
せっかく暮らしぶりが落ち着いてきたと思ったところだった。
医者を呼んで診断結果を聞いて愕然とする。
胃の腑に悪性の出来物があり、もはや手遅れ。余命半年だった。
「母さま……死なないで……」
宣告された母より私の方が泣き崩れた。
「クリスティアーヌ…泣かないで……ごめんなさいね。あなたに苦労ばかりかけて……あなたを一人にしてしまうことだけが気がかり……」
頭を撫で母が謝った。毎夜毎夜私は朝が来て母が二度と目が覚めないのではという恐怖で眠れなくなっていた。
それでも母は叔父が来るときには気丈に振る舞い、病で弱っているところを見せないようにしていた。
陛下の使者が来て、初めて母を殴り付けた時から、叔父は度々母を殴り付けた。
逆らったりするともっと酷くなるので、黙って我慢していれば、数発殴れば大抵気が収まった。とはいえ病に侵されていた母に対するその行為は更に母の寿命を縮めた。
食べ物を受け付けなくなり痩せ細っていく母。すこしでも食べさせようとスープや果物の絞り汁など消化のいいものを母のために作った。
ある時、私が出掛けている間に来客があったようだった。その頃は一日のほとんどを寝て過ごしていた母が玄関を入ってすぐにある椅子に座っていたからだ。
誰が来ていたのか私が訊ねると、私が知らない古い知り合いだと母は言った。
おかしいと思った。
母の言う古い知り合いが、今さら何の用があってくるのだろう。
でもそれだけ言って疲れたからもう寝ると母が寝室に引き上げたので、それ以上聞くことはできなかった。明らかに私には話したくない様子だったからだ。
母が亡くなったのはそれからひと月後だった。
はっとそこで目を覚ました。
「あ…………」
目が覚める直前に見えた場面に体が震えた。
「……アイリ…どうした?」
耳元で囁かれ振り返ると、ルイスレーンが心配そうにこちらを見つめている。彼に胸の上とお腹の辺りに腕を置いて後ろから抱き締められている。彼の温かい体に包まれ、冷えきった体が温まるのを感じた。
「母が……」
涙が溢れて頬をつたった。
お腹にあった彼の腕が動き、指が流れた涙を掬い上げた。
「母が……亡くなりました」
「………?……どういう………ああ……夢を……夢で思い出したのか」
とっくに亡くなっている母がたった今亡くなったかのように言ったのを、彼は理解したみたいだ。
「母は……病気でした」
「うん」
「……胃の腑に悪性の出来物が出来て……手遅れで……胃がん…という病気だったのだの思います」
「体のどこかに悪い出来物が出来て死に至ると聞いたことがある。アイリの世界では、がん……いうのだな」
「多くは手術……その部分を切り取ることで治ります」
「なんと……アイリの世界では治るのか。切り取る……とは直接その部分をナイフでか?そんなことができるのか」
ここでは外科手術はまだ一般的ではないみたいだ。
「全部が全部そうではありません。発見されたときには既に手遅れということも……場所によっては悪化するまで症状がなかなか出ないものもありますし、無理に取り払うと健康な部分を傷つける恐れもあって取りたくても取れないこともあるみたいですから。人の体に不必要な臓器はひとつもなく、つくりも複雑ですから」
「そうか……まさに神の御技……ということだな」
「人の脳も……頭の中にある器官はもっと複雑で、ここから指令を送って生命を維持する活動をしたり、手足を動かしたり、記憶もここが関係しているそうです。ここに記録したことを記憶として、引き出しから状況に応じて出し入れするそうです」
「……この中に?………では、ここにアイリとクリスティアーヌの記憶が収まっているのか?」
彼が私の額をつんとついて質問した。
「本当ですね……そうなるのかも……二人分の記憶……普通は一人分の場所に私の場合は二人分あって、私の記憶がクリスティアーヌの記憶の場所を押し潰しているのかも……私の記憶が失くなればクリスティアーヌが……」
「アイリ」
言い掛けた私の言葉を遮るように彼が名前を呼んだ。
「変なことを考えるな。自分がいなくなればクリスティアーヌが戻ってくるとか考えているのではないか?また逃げようとしているのか」
彼が睨み付けてくる。その瞳には何かを恐れているような怯えが見て取れた。百戦錬磨の副官の彼が何を怯えているのだろう。まさか、彼は私にずっと愛理で居て欲しいと思っているのだろうか。
せっかく暮らしぶりが落ち着いてきたと思ったところだった。
医者を呼んで診断結果を聞いて愕然とする。
胃の腑に悪性の出来物があり、もはや手遅れ。余命半年だった。
「母さま……死なないで……」
宣告された母より私の方が泣き崩れた。
「クリスティアーヌ…泣かないで……ごめんなさいね。あなたに苦労ばかりかけて……あなたを一人にしてしまうことだけが気がかり……」
頭を撫で母が謝った。毎夜毎夜私は朝が来て母が二度と目が覚めないのではという恐怖で眠れなくなっていた。
それでも母は叔父が来るときには気丈に振る舞い、病で弱っているところを見せないようにしていた。
陛下の使者が来て、初めて母を殴り付けた時から、叔父は度々母を殴り付けた。
逆らったりするともっと酷くなるので、黙って我慢していれば、数発殴れば大抵気が収まった。とはいえ病に侵されていた母に対するその行為は更に母の寿命を縮めた。
食べ物を受け付けなくなり痩せ細っていく母。すこしでも食べさせようとスープや果物の絞り汁など消化のいいものを母のために作った。
ある時、私が出掛けている間に来客があったようだった。その頃は一日のほとんどを寝て過ごしていた母が玄関を入ってすぐにある椅子に座っていたからだ。
誰が来ていたのか私が訊ねると、私が知らない古い知り合いだと母は言った。
おかしいと思った。
母の言う古い知り合いが、今さら何の用があってくるのだろう。
でもそれだけ言って疲れたからもう寝ると母が寝室に引き上げたので、それ以上聞くことはできなかった。明らかに私には話したくない様子だったからだ。
母が亡くなったのはそれからひと月後だった。
はっとそこで目を覚ました。
「あ…………」
目が覚める直前に見えた場面に体が震えた。
「……アイリ…どうした?」
耳元で囁かれ振り返ると、ルイスレーンが心配そうにこちらを見つめている。彼に胸の上とお腹の辺りに腕を置いて後ろから抱き締められている。彼の温かい体に包まれ、冷えきった体が温まるのを感じた。
「母が……」
涙が溢れて頬をつたった。
お腹にあった彼の腕が動き、指が流れた涙を掬い上げた。
「母が……亡くなりました」
「………?……どういう………ああ……夢を……夢で思い出したのか」
とっくに亡くなっている母がたった今亡くなったかのように言ったのを、彼は理解したみたいだ。
「母は……病気でした」
「うん」
「……胃の腑に悪性の出来物が出来て……手遅れで……胃がん…という病気だったのだの思います」
「体のどこかに悪い出来物が出来て死に至ると聞いたことがある。アイリの世界では、がん……いうのだな」
「多くは手術……その部分を切り取ることで治ります」
「なんと……アイリの世界では治るのか。切り取る……とは直接その部分をナイフでか?そんなことができるのか」
ここでは外科手術はまだ一般的ではないみたいだ。
「全部が全部そうではありません。発見されたときには既に手遅れということも……場所によっては悪化するまで症状がなかなか出ないものもありますし、無理に取り払うと健康な部分を傷つける恐れもあって取りたくても取れないこともあるみたいですから。人の体に不必要な臓器はひとつもなく、つくりも複雑ですから」
「そうか……まさに神の御技……ということだな」
「人の脳も……頭の中にある器官はもっと複雑で、ここから指令を送って生命を維持する活動をしたり、手足を動かしたり、記憶もここが関係しているそうです。ここに記録したことを記憶として、引き出しから状況に応じて出し入れするそうです」
「……この中に?………では、ここにアイリとクリスティアーヌの記憶が収まっているのか?」
彼が私の額をつんとついて質問した。
「本当ですね……そうなるのかも……二人分の記憶……普通は一人分の場所に私の場合は二人分あって、私の記憶がクリスティアーヌの記憶の場所を押し潰しているのかも……私の記憶が失くなればクリスティアーヌが……」
「アイリ」
言い掛けた私の言葉を遮るように彼が名前を呼んだ。
「変なことを考えるな。自分がいなくなればクリスティアーヌが戻ってくるとか考えているのではないか?また逃げようとしているのか」
彼が睨み付けてくる。その瞳には何かを恐れているような怯えが見て取れた。百戦錬磨の副官の彼が何を怯えているのだろう。まさか、彼は私にずっと愛理で居て欲しいと思っているのだろうか。
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