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ビッテルバーク家での生活が始まった。
私と入れ替わりにクリオさんは首都に戻って行った。
ビッテルバーク家での生活でこれまでと変わったのは私にお付きのメイドさんが出来たことだ。しかも三人も。
我が家には使用人はいたが、部屋の掃除や整理整頓はしてくれても基本身の回りのことは自分でしていた。
水差しに入った水を洗面器に注ぎ顔を洗う。最低限の化粧水などで肌を整え、それから着替えて髪をブラシでとく。
夜は浴槽にお湯は入れてもらっていたが、服を脱いで体と髪を洗いタオルで乾かすのも自分でやっていた。
でもここでは全てメイドがやる。
「おはようございます」
いつも七時くらいに起きるので、時間になるとメイドが部屋にやってくる。
リラとメーガン、イリスと言う年若い三人が私付きのメイド。
休みの日もあるので二人ずつ交代制だ。
皆、私のことをどう思っているのかわからないが、メリッサさんの躾が行き届いているのか、とても好意的に接してくれている。
「セレニア様、こちらへどうぞ」
「あの……様はいりません」
「それはできません。メイド長から主従のけじめはきちんとするように言われておりますので」
ドリフォルト家では大体がお嬢様と呼ばれていたので特に気にならなかったが、名前を様呼びされるのはまだ慣れない。
何度も言っているが一向に聞き入れてもらえないので、諦めるしかないのだろう。
寝台から出て洗面器が置かれた台の前で顔を洗い、すかさず差し出されたタオルで顔を拭く間に今日着る衣裳の候補が何着か並べられる。
「今日はどれになさいますか」
「そうね。この青ので」
衣裳は自分の手持ちで、だいたいレパートリーが決まっている。メリッサさんからは辺境伯夫人らしく夜会用やもう少し格式のある場へ着ていくものも必要だと言われているが、一年後どうなるかわからないのに、なかなかその気にはなれない。
加えて陛下から正式に婚約の許しを得たので、婚約式なるものを行うべきだとも言われているが、少し前にジーン様の帰還祝いをしたところだし、ジーン様も忙しくてなかなか日程が決められない。
それに花嫁衣裳も、一世一代の晴れ舞台なので辺境伯家に相応しいものを作るなら今から準備が必要だと言われて、ドレス以上に無駄になることがわかっているので、乗り気になれない。
もちろん作るならロザリーさんが腕を奮うと言ってくれている。
親の決めた結婚でも愛し合ったものでも、これが本当の婚約ならもっと色々なことに浮き足立ち幸せな頃なのに、自分で意識的に浮かれる気持ちに歯止めをかける。浮かれるな。これはあくまで便宜状の関係なのだからと。
周りは私が結婚の支度にいまひとつ積極的になれないのは、カーターにされたことが今でも尾を引いていると思っている。
期間限定の婚約だとは今のところ誰も思っていない。
支度を済ませて朝食室へ行くと、ジーン様がまだ座っていた。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
私がここに移ってきて以来、ジーン様と晩餐は共にしていたがここで会うのは初めてだった。晩餐室は長いテーブルの端と端なので、会話もちゃんと出来なかった。
貴族というのは皆こんな距離感で食事を取るのかと驚いた。
でもその距離感が有り難かった。近くにいるとどうしても色々と意識してしまう。
薬で朦朧としていたは言え、何となく覚えている。ジーン様の体の熱や浮き出る筋肉。そして硬いだけでなく意外にすべらかな肌。
もしもっと意識がはっきりしていたらどうなっただろう。
いや、そもそもカーターに薬を盛られていなければ、ジーン様は私を抱くことなどなかった。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます」
ジーン様は私が近づくと立ち上がり、向かい側の椅子を引いてくれた。
私が驚いていたのとは違い、ジーン様は私とここで鉢合わせすることを予測していたのか、特に驚いた様子はない。
貴婦人のように扱われ、更に近づいたジーン様の顔がまともに見られなくて俯いたままでお礼を言った。
「今朝は……ごゆっくりなのですね」
ジーン様は毎朝早くに起きてベラーシュを相手に鍛練し、朝食を取ると馬に乗って領地の視察に出掛けていたので、ここで会うのは今朝が初めてだった。
晩餐を頂く食堂と違い普通サイズのテーブルなので、とても距離が近い。
少し襟元が開いているので喉仏から鎖骨のラインが良く見える。
どこを見たらいいかわからなくて、手に取った焼きたてのパンを小さく千切って口に運んだ。
「大体の場所は見終わったし、今日は雨が降りそうなので視察は取り止めた。目を通さなければならない書類も溜まっている。今日は邸で仕事をするつもりだ」
「え」
ジーン様の今日の予定を聞いて驚きの声をあげてしまった。
「何を驚いている」
「いえ……別に気になさらないでください……そうですか……」
この数日、私はジーン様の執務室で自分の仕事をしていた。もちろんきちんと了承を得てのことだ。そこで私はジーン様が来る昼過ぎまでには仕事を終えていた。
今朝も執務室へ行くつもりだったが、ジーン様がそこで仕事をするなら邪魔になるし止めた方がいいだろうか。
「君もそこで仕事をしていると聞いた。私が一緒ではいやか?」
少し不機嫌そうに言うので、誤解させてしまったと気づいた。
「いえ、むしろその逆です。私がいてはジーン様のお邪魔では……それに場所が……」
「邪魔なものか。一人で籠って仕事するより一緒にいてくれる人がいた方がいい。それに机と椅子は君用の分を既に運ばせてある。問題はない」
そこまで言われては別の部屋でという選択肢はなくなった。
私と入れ替わりにクリオさんは首都に戻って行った。
ビッテルバーク家での生活でこれまでと変わったのは私にお付きのメイドさんが出来たことだ。しかも三人も。
我が家には使用人はいたが、部屋の掃除や整理整頓はしてくれても基本身の回りのことは自分でしていた。
水差しに入った水を洗面器に注ぎ顔を洗う。最低限の化粧水などで肌を整え、それから着替えて髪をブラシでとく。
夜は浴槽にお湯は入れてもらっていたが、服を脱いで体と髪を洗いタオルで乾かすのも自分でやっていた。
でもここでは全てメイドがやる。
「おはようございます」
いつも七時くらいに起きるので、時間になるとメイドが部屋にやってくる。
リラとメーガン、イリスと言う年若い三人が私付きのメイド。
休みの日もあるので二人ずつ交代制だ。
皆、私のことをどう思っているのかわからないが、メリッサさんの躾が行き届いているのか、とても好意的に接してくれている。
「セレニア様、こちらへどうぞ」
「あの……様はいりません」
「それはできません。メイド長から主従のけじめはきちんとするように言われておりますので」
ドリフォルト家では大体がお嬢様と呼ばれていたので特に気にならなかったが、名前を様呼びされるのはまだ慣れない。
何度も言っているが一向に聞き入れてもらえないので、諦めるしかないのだろう。
寝台から出て洗面器が置かれた台の前で顔を洗い、すかさず差し出されたタオルで顔を拭く間に今日着る衣裳の候補が何着か並べられる。
「今日はどれになさいますか」
「そうね。この青ので」
衣裳は自分の手持ちで、だいたいレパートリーが決まっている。メリッサさんからは辺境伯夫人らしく夜会用やもう少し格式のある場へ着ていくものも必要だと言われているが、一年後どうなるかわからないのに、なかなかその気にはなれない。
加えて陛下から正式に婚約の許しを得たので、婚約式なるものを行うべきだとも言われているが、少し前にジーン様の帰還祝いをしたところだし、ジーン様も忙しくてなかなか日程が決められない。
それに花嫁衣裳も、一世一代の晴れ舞台なので辺境伯家に相応しいものを作るなら今から準備が必要だと言われて、ドレス以上に無駄になることがわかっているので、乗り気になれない。
もちろん作るならロザリーさんが腕を奮うと言ってくれている。
親の決めた結婚でも愛し合ったものでも、これが本当の婚約ならもっと色々なことに浮き足立ち幸せな頃なのに、自分で意識的に浮かれる気持ちに歯止めをかける。浮かれるな。これはあくまで便宜状の関係なのだからと。
周りは私が結婚の支度にいまひとつ積極的になれないのは、カーターにされたことが今でも尾を引いていると思っている。
期間限定の婚約だとは今のところ誰も思っていない。
支度を済ませて朝食室へ行くと、ジーン様がまだ座っていた。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
私がここに移ってきて以来、ジーン様と晩餐は共にしていたがここで会うのは初めてだった。晩餐室は長いテーブルの端と端なので、会話もちゃんと出来なかった。
貴族というのは皆こんな距離感で食事を取るのかと驚いた。
でもその距離感が有り難かった。近くにいるとどうしても色々と意識してしまう。
薬で朦朧としていたは言え、何となく覚えている。ジーン様の体の熱や浮き出る筋肉。そして硬いだけでなく意外にすべらかな肌。
もしもっと意識がはっきりしていたらどうなっただろう。
いや、そもそもカーターに薬を盛られていなければ、ジーン様は私を抱くことなどなかった。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます」
ジーン様は私が近づくと立ち上がり、向かい側の椅子を引いてくれた。
私が驚いていたのとは違い、ジーン様は私とここで鉢合わせすることを予測していたのか、特に驚いた様子はない。
貴婦人のように扱われ、更に近づいたジーン様の顔がまともに見られなくて俯いたままでお礼を言った。
「今朝は……ごゆっくりなのですね」
ジーン様は毎朝早くに起きてベラーシュを相手に鍛練し、朝食を取ると馬に乗って領地の視察に出掛けていたので、ここで会うのは今朝が初めてだった。
晩餐を頂く食堂と違い普通サイズのテーブルなので、とても距離が近い。
少し襟元が開いているので喉仏から鎖骨のラインが良く見える。
どこを見たらいいかわからなくて、手に取った焼きたてのパンを小さく千切って口に運んだ。
「大体の場所は見終わったし、今日は雨が降りそうなので視察は取り止めた。目を通さなければならない書類も溜まっている。今日は邸で仕事をするつもりだ」
「え」
ジーン様の今日の予定を聞いて驚きの声をあげてしまった。
「何を驚いている」
「いえ……別に気になさらないでください……そうですか……」
この数日、私はジーン様の執務室で自分の仕事をしていた。もちろんきちんと了承を得てのことだ。そこで私はジーン様が来る昼過ぎまでには仕事を終えていた。
今朝も執務室へ行くつもりだったが、ジーン様がそこで仕事をするなら邪魔になるし止めた方がいいだろうか。
「君もそこで仕事をしていると聞いた。私が一緒ではいやか?」
少し不機嫌そうに言うので、誤解させてしまったと気づいた。
「いえ、むしろその逆です。私がいてはジーン様のお邪魔では……それに場所が……」
「邪魔なものか。一人で籠って仕事するより一緒にいてくれる人がいた方がいい。それに机と椅子は君用の分を既に運ばせてある。問題はない」
そこまで言われては別の部屋でという選択肢はなくなった。
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