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第一章 巡礼の街
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ヒリヒリする喉に手を当てながら、アルブは再び意識を失ったイルジャを見た。
アルブの体半分に覆いかぶさるようにして、すぐ目の前に彼の顔がある。
鼻の下に手を翳せば、呼吸を感じほっとする。
そっと額にかかる紺色の髪を掻き上げて、その顔を覗き込んだ。
今もアルブの心臓はドキドキしている。
(あのまま殺されるかと思った)
一年前、アルブに向けた笑顔の彼と、さっきの彼は別人のようだった。
意識がはっきりしていなくて、きっとアルブが彼に危害を加えようとしていたと勘違いしたのだと思われる。
もしかしたら、この傷や毒を仕込んだ者と思い込んだのかもしれない。
「誰がそんなことを」
彼の事情など知る由もないが、あの一瞬のやり取りでイルジャを良い人だと思ったアルブには、彼のことを襲う者がいるなど、信じられなかった。
「温かくて気持ちいい」
熱があるのだろう。密着した彼の体は熱いくらいだ。
しかし、雨で冷えたアルブの体にはとても心地良く感じる。
でも、師匠ですら、こんなふうにアルブに体を寄せてくれたことはない。
人肌の温もりがこれほど安らぐものだと、アルブは初めて知った。
師匠は師匠であって、アルブの親ではない。
彼には生まれた時から親はいなかった。
彼がこの世に生を受けるために、親は確かにいたのだろうが、それが誰かはわからない。師匠は森の外れで赤ん坊の彼を見つけたのだと教えてくれた。
ギネシュは巡礼者がたくさん訪れる街だから、一年を通して人がたくさん行き交う。
住んでいる人間の数より、何倍も何十倍もの人がやってくる。
その中の誰かが捨てたのだろうと、師匠が言っていた。
ラーシルの象徴である太陽に嫌われたアルブを、よりによってラーシル教の本殿の近くに捨てたのだ。
アルブという名は、師匠が付けてくれた。
隣の部屋からパチパチという暖炉の火が燃える音と、雨の音。そしてトクントクンという二人の心臓と呼吸の音。人肌の温もりに触れて、アルブはうつらうつら瞼が重くなっていく。
眠りに落ちる直前、遠くで獣の遠吠えが聞こえた気がした。
どれくらい眠っていたのか、目が覚めると外は仄かに明るくなっていた。
雨は止んでいるのか、外は静かだ。
いつの間にかイルジャの体はアルブの上から少しズレ、アルブはそっと体を動かして抜け出した。
イルジャの下になっていた左の腕は、少し痺れていて、右手を突いて起き上がった。
上半身を起こし、彼の温かさから離れると途端に寒さを感じた。
イルジャの様子を見ると、まだ少し熱がある。
「何か着なければ」
濡れて脱いだ服はまだ湿り気を帯びていて、外套は草の汁や泥で汚れている。
「いたた」
イルジャを運ぶために普段使わない筋肉を使ったので、手足や背中などの筋肉が痛い。
それでも何とか寝台から抜け出して、櫃に収納しているものから、深い鼠色のダボッとした上着を取り出し頭から被った。
くう~っとお腹が鳴り、夕食を食べそこねたなと思いつつ、隣の部屋に向かう。
「わ、大変だ」
入口扉付近の屋根から雨漏りがしたらしく、床に水溜りが出来ている。
「ここ前直したばかりなのに」
アルブの下手な大工仕事では、おざなりな修理しか出来ない。本当は専門家に頼むべきだろうが、そんなお金もなければ、ここまで来てくれる人を探すのも難しい。
暖炉の火は途中で薪をくべなかったため、チロチロとした熾火になっている。
濡れた床を越えて、先に外から薪を運んできて、暖炉の火を再び熾すと、外に貯めていた雨水を汲んできて、火にかけた。
お湯を沸かしている間にモップで床の水を拭き取り、まだ屋根から滴る雨水を桶に受けた。
お湯が沸くと、木のカップにすり潰したハーブを入れて、そこに湧いたお湯を注いで飲んだ。
砂糖や蜂蜜があればなと思うが、そんな贅沢品はここにはない。
もらったミートパイは形が崩れて、中身がはみ出していたが、味に変わりはない。
「昨日もらっておいてよかった」
ロキサの親切に感謝し、食事を終えると体が温かくなった。
使った食器を洗って、寝室を覗くと、彼はまだ眠っていた。
「大丈夫…だよね」
昨日の朝、菜園の手入れをしてからほったからかしのため、アルブは汚れたままの外套を被って畑に出た。
雨は上がっていたが、雲はまだ空を覆い尽くしている。
しかし東の空が明るくなりつつあるので、もうそろそろ朝になるのがわかった。
濡れた木々からポタポタと雫が落ち、地面に出来た水溜りに落ちて、いくつもの波紋を作っている。
「ひゃっ!」
鳥が木の枝から飛び立つ際に、葉に溜まった雨水がパラパラと落ちてきた。
木々が立ち並ぶ中を通り、緩やかな坂を登ると、小屋が建つ岩の上に日当たりのいい畑がある。
「やっぱり土が流れてる」
畝が雨のせいで崩れて、土が流れてしまっていた。
それを直して野菜と薬草を採取して、小一時間で家に戻った。
ガチャーン
アルブが家の玄関を入ろうとした時、中から何かが割れる音がした。
アルブの体半分に覆いかぶさるようにして、すぐ目の前に彼の顔がある。
鼻の下に手を翳せば、呼吸を感じほっとする。
そっと額にかかる紺色の髪を掻き上げて、その顔を覗き込んだ。
今もアルブの心臓はドキドキしている。
(あのまま殺されるかと思った)
一年前、アルブに向けた笑顔の彼と、さっきの彼は別人のようだった。
意識がはっきりしていなくて、きっとアルブが彼に危害を加えようとしていたと勘違いしたのだと思われる。
もしかしたら、この傷や毒を仕込んだ者と思い込んだのかもしれない。
「誰がそんなことを」
彼の事情など知る由もないが、あの一瞬のやり取りでイルジャを良い人だと思ったアルブには、彼のことを襲う者がいるなど、信じられなかった。
「温かくて気持ちいい」
熱があるのだろう。密着した彼の体は熱いくらいだ。
しかし、雨で冷えたアルブの体にはとても心地良く感じる。
でも、師匠ですら、こんなふうにアルブに体を寄せてくれたことはない。
人肌の温もりがこれほど安らぐものだと、アルブは初めて知った。
師匠は師匠であって、アルブの親ではない。
彼には生まれた時から親はいなかった。
彼がこの世に生を受けるために、親は確かにいたのだろうが、それが誰かはわからない。師匠は森の外れで赤ん坊の彼を見つけたのだと教えてくれた。
ギネシュは巡礼者がたくさん訪れる街だから、一年を通して人がたくさん行き交う。
住んでいる人間の数より、何倍も何十倍もの人がやってくる。
その中の誰かが捨てたのだろうと、師匠が言っていた。
ラーシルの象徴である太陽に嫌われたアルブを、よりによってラーシル教の本殿の近くに捨てたのだ。
アルブという名は、師匠が付けてくれた。
隣の部屋からパチパチという暖炉の火が燃える音と、雨の音。そしてトクントクンという二人の心臓と呼吸の音。人肌の温もりに触れて、アルブはうつらうつら瞼が重くなっていく。
眠りに落ちる直前、遠くで獣の遠吠えが聞こえた気がした。
どれくらい眠っていたのか、目が覚めると外は仄かに明るくなっていた。
雨は止んでいるのか、外は静かだ。
いつの間にかイルジャの体はアルブの上から少しズレ、アルブはそっと体を動かして抜け出した。
イルジャの下になっていた左の腕は、少し痺れていて、右手を突いて起き上がった。
上半身を起こし、彼の温かさから離れると途端に寒さを感じた。
イルジャの様子を見ると、まだ少し熱がある。
「何か着なければ」
濡れて脱いだ服はまだ湿り気を帯びていて、外套は草の汁や泥で汚れている。
「いたた」
イルジャを運ぶために普段使わない筋肉を使ったので、手足や背中などの筋肉が痛い。
それでも何とか寝台から抜け出して、櫃に収納しているものから、深い鼠色のダボッとした上着を取り出し頭から被った。
くう~っとお腹が鳴り、夕食を食べそこねたなと思いつつ、隣の部屋に向かう。
「わ、大変だ」
入口扉付近の屋根から雨漏りがしたらしく、床に水溜りが出来ている。
「ここ前直したばかりなのに」
アルブの下手な大工仕事では、おざなりな修理しか出来ない。本当は専門家に頼むべきだろうが、そんなお金もなければ、ここまで来てくれる人を探すのも難しい。
暖炉の火は途中で薪をくべなかったため、チロチロとした熾火になっている。
濡れた床を越えて、先に外から薪を運んできて、暖炉の火を再び熾すと、外に貯めていた雨水を汲んできて、火にかけた。
お湯を沸かしている間にモップで床の水を拭き取り、まだ屋根から滴る雨水を桶に受けた。
お湯が沸くと、木のカップにすり潰したハーブを入れて、そこに湧いたお湯を注いで飲んだ。
砂糖や蜂蜜があればなと思うが、そんな贅沢品はここにはない。
もらったミートパイは形が崩れて、中身がはみ出していたが、味に変わりはない。
「昨日もらっておいてよかった」
ロキサの親切に感謝し、食事を終えると体が温かくなった。
使った食器を洗って、寝室を覗くと、彼はまだ眠っていた。
「大丈夫…だよね」
昨日の朝、菜園の手入れをしてからほったからかしのため、アルブは汚れたままの外套を被って畑に出た。
雨は上がっていたが、雲はまだ空を覆い尽くしている。
しかし東の空が明るくなりつつあるので、もうそろそろ朝になるのがわかった。
濡れた木々からポタポタと雫が落ち、地面に出来た水溜りに落ちて、いくつもの波紋を作っている。
「ひゃっ!」
鳥が木の枝から飛び立つ際に、葉に溜まった雨水がパラパラと落ちてきた。
木々が立ち並ぶ中を通り、緩やかな坂を登ると、小屋が建つ岩の上に日当たりのいい畑がある。
「やっぱり土が流れてる」
畝が雨のせいで崩れて、土が流れてしまっていた。
それを直して野菜と薬草を採取して、小一時間で家に戻った。
ガチャーン
アルブが家の玄関を入ろうとした時、中から何かが割れる音がした。
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