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第一章 巡礼の街
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怪我をして毒らしきものを飲まされていた彼は、目覚めると自分の素性も名前も忘れてしまっていた。
「で、でも、言葉は話せていますし、何もかも忘れたわけでは…」
目に見える怪我なら対処のしようもあるし、師匠から教えてもらったことは全部覚えているので、多少の知識はあるつもりのアルブも、イルジャの今の状況については、まるで手の打ちようがない。
それでも不安に瞳を曇らせる彼を見て、励まさねばと思った。
「言葉…そう言えば…気が付かなかった」
アルブに指摘され、イルジャも気がついたようだ。
「そうか。俺は…何もかも忘れたわけではないということか」
もっと悲嘆に暮れるかと思ったが、言葉が話せているという事実に気づくと、イルジャは意外と前向きに考え始めた。
元々の性格が前向きなのだろう。
「しかし、どうしてこんな怪我をしたのかも思い出せない。一体俺は…教えてくれ。俺はなぜ?」
イルジャが顔を覗き込む。アルブは、外套を被り直し思わず顔を伏せた。
「す、すみません。僕が見つけた時には、たった一人で怪我をして倒れていました」
師匠とも真っ直ぐ目を合わせたことがない。なぜか彼女はアルブの顔を見ると、悲しそうにしていたからだ。
「なぜ顔を隠す?」
顔を反らしたアルブに、訝しげに問う。
「そ、その…僕の顔は…変…だから」
「変? 変とはどういう意味だ?」
「変は変なんです。き、気にしないでください」
この世には赤や緑、青や黄色など、鮮やかな色が溢れているというのに、アルブには白と灰色しか与えられなかった。
おまけにこの肌は太陽の光を浴びると、赤くなり腫れ上がる。
イルジャの藍色の髪と黄赤色の瞳、よく日に焼けた健康的な褐色の肌とは比べ物にならない。
「しかし君は俺の恩人だ。どのような顔だろうと、笑ったりしない。顔を見せて…なんてことだ」
「え!」
イルジャは突然「しまった」という風に顔を顰めた。
「俺としたことが…恩人の名前も聞かずにいたとは、申し訳ない。名前は何と言うのですか?」
自分の名前も思い出せない状況なのに、彼はそのことは忘れてしまったのか、アルブに謝った。
「い、いえ…そんなこと…あなたの方が大変なのですから」
「たとえそうだとしても、それとこれとはまた別だ。多分だが、俺は助けてもらった相手に礼も言えない礼儀知らずではないと思う。いや、そんな人間だと思いたくない」
自分の性格について記憶はなくても、芯の部分の人格までは変わらないようだ。
「ア、アルブ…僕の名は、アルブ」
「アルブ…アルブか。うん、いい名前だ」
イルジャはブツブツとアルブの名前を反芻し、うんと頷いて褒めた。
「あ、ありが…とう」
名前は名前だ。なのに、いい名前だと褒められて、嬉しくなる。
「アルブ、君のおかげで命拾いした。これは事実だ。今は君が教えてくれた名前が、本当に俺の名前なのか実感はわかないが、それでも自分の名前に恥じないためにも、きちんと顔を見て礼を言わせてほしい。恩人の顔も知らないでは、気がすまない」
イルジャはそう言って深々と頭を下げた。
「そ、そんな、頭を上げてください。僕の顔なんて、そんなことをしてまで見る価値なんてありませんから」
アルブは焦ってイルジャの頭を上げさせようと肩を掴んだ。
「いいや、命の恩人の顔だ。十分見る価値はある」
頑固な性格なのか、イルジャはがんと言って譲る気配はなさそうだった。
師匠に対しては、ただ従うだけだった。
言いつけを守り、言われたことは何としてもやり遂げてきた。
反抗など考えられない。
それが見捨てられないため、幼いアルブが身につけた処世術だった。
そして師匠が亡くなり、一人で生きていかなくてはならなくなった時、それはアルブの生きる術になった。
「人前で外套を外してはいけない」
「どんなに理不尽な扱いを受けても、決して逆らってはいけない」
「多くを望まず、ただ慎ましやかにひっそりと己の分を弁えて生きていきなさい」
命を粗末にするなという教えと共に、師匠は繰り返し口にしていた。
だから目の前で倒れていたイルジャを助けた。
しかし、ただ師匠からそう言われていたからではない。アルブ自身も、彼を見捨てることが出来なかった。
「す、すみません。その…ぼ、僕の亡くなった師匠が…人前では顔を見せるなと…だから」
ごめんなさいと、アルブは謝った。
「そうか。師匠の…」
残念そうな声に、アルブは申し訳ない気持ちになる。
「師匠の遺言なら仕方ないか。俺も恩人に無理強いはしたくない」
あっさり引き下がってくれたことに、アルブは心苦しく思いながらも、どこかほっとする。
醜い己の姿を見て、イルジャのあの瞳が曇るのを見たくはなかった。
だが、ほっとしたのも一瞬だった。
「しかし、はっきり覚えていないが、確か白い髪をした色白の優しそうな人物がいた気がしたが、あれは君じゃなかったのか? アルブ」
「で、でも、言葉は話せていますし、何もかも忘れたわけでは…」
目に見える怪我なら対処のしようもあるし、師匠から教えてもらったことは全部覚えているので、多少の知識はあるつもりのアルブも、イルジャの今の状況については、まるで手の打ちようがない。
それでも不安に瞳を曇らせる彼を見て、励まさねばと思った。
「言葉…そう言えば…気が付かなかった」
アルブに指摘され、イルジャも気がついたようだ。
「そうか。俺は…何もかも忘れたわけではないということか」
もっと悲嘆に暮れるかと思ったが、言葉が話せているという事実に気づくと、イルジャは意外と前向きに考え始めた。
元々の性格が前向きなのだろう。
「しかし、どうしてこんな怪我をしたのかも思い出せない。一体俺は…教えてくれ。俺はなぜ?」
イルジャが顔を覗き込む。アルブは、外套を被り直し思わず顔を伏せた。
「す、すみません。僕が見つけた時には、たった一人で怪我をして倒れていました」
師匠とも真っ直ぐ目を合わせたことがない。なぜか彼女はアルブの顔を見ると、悲しそうにしていたからだ。
「なぜ顔を隠す?」
顔を反らしたアルブに、訝しげに問う。
「そ、その…僕の顔は…変…だから」
「変? 変とはどういう意味だ?」
「変は変なんです。き、気にしないでください」
この世には赤や緑、青や黄色など、鮮やかな色が溢れているというのに、アルブには白と灰色しか与えられなかった。
おまけにこの肌は太陽の光を浴びると、赤くなり腫れ上がる。
イルジャの藍色の髪と黄赤色の瞳、よく日に焼けた健康的な褐色の肌とは比べ物にならない。
「しかし君は俺の恩人だ。どのような顔だろうと、笑ったりしない。顔を見せて…なんてことだ」
「え!」
イルジャは突然「しまった」という風に顔を顰めた。
「俺としたことが…恩人の名前も聞かずにいたとは、申し訳ない。名前は何と言うのですか?」
自分の名前も思い出せない状況なのに、彼はそのことは忘れてしまったのか、アルブに謝った。
「い、いえ…そんなこと…あなたの方が大変なのですから」
「たとえそうだとしても、それとこれとはまた別だ。多分だが、俺は助けてもらった相手に礼も言えない礼儀知らずではないと思う。いや、そんな人間だと思いたくない」
自分の性格について記憶はなくても、芯の部分の人格までは変わらないようだ。
「ア、アルブ…僕の名は、アルブ」
「アルブ…アルブか。うん、いい名前だ」
イルジャはブツブツとアルブの名前を反芻し、うんと頷いて褒めた。
「あ、ありが…とう」
名前は名前だ。なのに、いい名前だと褒められて、嬉しくなる。
「アルブ、君のおかげで命拾いした。これは事実だ。今は君が教えてくれた名前が、本当に俺の名前なのか実感はわかないが、それでも自分の名前に恥じないためにも、きちんと顔を見て礼を言わせてほしい。恩人の顔も知らないでは、気がすまない」
イルジャはそう言って深々と頭を下げた。
「そ、そんな、頭を上げてください。僕の顔なんて、そんなことをしてまで見る価値なんてありませんから」
アルブは焦ってイルジャの頭を上げさせようと肩を掴んだ。
「いいや、命の恩人の顔だ。十分見る価値はある」
頑固な性格なのか、イルジャはがんと言って譲る気配はなさそうだった。
師匠に対しては、ただ従うだけだった。
言いつけを守り、言われたことは何としてもやり遂げてきた。
反抗など考えられない。
それが見捨てられないため、幼いアルブが身につけた処世術だった。
そして師匠が亡くなり、一人で生きていかなくてはならなくなった時、それはアルブの生きる術になった。
「人前で外套を外してはいけない」
「どんなに理不尽な扱いを受けても、決して逆らってはいけない」
「多くを望まず、ただ慎ましやかにひっそりと己の分を弁えて生きていきなさい」
命を粗末にするなという教えと共に、師匠は繰り返し口にしていた。
だから目の前で倒れていたイルジャを助けた。
しかし、ただ師匠からそう言われていたからではない。アルブ自身も、彼を見捨てることが出来なかった。
「す、すみません。その…ぼ、僕の亡くなった師匠が…人前では顔を見せるなと…だから」
ごめんなさいと、アルブは謝った。
「そうか。師匠の…」
残念そうな声に、アルブは申し訳ない気持ちになる。
「師匠の遺言なら仕方ないか。俺も恩人に無理強いはしたくない」
あっさり引き下がってくれたことに、アルブは心苦しく思いながらも、どこかほっとする。
醜い己の姿を見て、イルジャのあの瞳が曇るのを見たくはなかった。
だが、ほっとしたのも一瞬だった。
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