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棚橋さんは月夜見さんと熾さんを見て、乙女のように照れている。
「めんどくさい。熾、消せ」
「は!」
月夜見さんは階段を降りきって、熾さんに命令する。
「え、け!?」
「消せ」という言葉にびっくりして私は一気に階段を駆け降りた。
「ちょっと、け、消すって」
頭を過ったのは、物騒な展開。
「安心しろすぐに済む」
けれどそんな私を月夜見さんが腕で止めた。
「す、すぐにって、離して」
彼に抱きかかえられ前に進めない私の視界に、大家さんが斜め上をみあげて、立ち尽くす姿が映った。
「さ、行くぞ」
「ちょっと、お、大家さんに何を」
助手席側の後部座席のドアを熾さんが開ける。
そこにまるで荷物みたいに月夜見さんに抱えられた私は放り込まれる。
「ね、ねえ、月……閨さん」
スモークを張った窓から、大家さんの様子を確認する。
「安心しろ。数秒経ったらさっきのことは忘れて、元に戻る」
「忘れて?」
「ほんの一分間、我々を見た記憶を消しただけだ」
「記憶……」
消すとは、大家さんの記憶だったらしい。
「本人はちょっと物忘れ程度にしか思わないだろう。『あれ、何してたっけ』という具合に。新しい記憶であればあるほど、消すのは容易い」
「そ、そう……なら良かった。というか、こういうこと、よくやるの?」
自分も何か忘れていないだろうか。たとえば昨晩の記憶とか。何しろ体を拘束されたりしたこともある。
「雪緒の記憶は操作していない。俺との記憶を消すわけがない」
「あ……そうですか」
とりあえず今のところは大丈夫そう。大家さんも心配なさそうだ。
「あの、ところでどこへ向かっているんですか?」
流れていく景色を眺める。車は都心を離れていく。
「鎌倉だ」
「え、か、鎌倉? あの、お昼を食べに行くんですよね」
「鎌倉に馴染みの店がある。そこはなんでも美味しい。俺のことも代々の主から引き継いでいて、好みもよくわかっている」
「それは、あなたが吸血鬼だってことも、知っているということ?」
「むろんだ」
吸血鬼にも馴染みの店ってあるんだ。まさか血ということはないよね。
「和食中心の料理だ。料理長自ら育てた野菜や、自然に近い環境で育てた鶏の卵、肉、ジビエもある。何より調味料は添加物を一切使わない。水も地下水から汲み上げたものをつかい、米は竈で炊いている」
聞いていると、なんだかとても手の込んだ料理を出しそうなところだ。
「きっと雪緒も気に入る。高台にあって海も見える」
「そ、それはなんだか高そうなお店ですね。こんなカットソーとジャージで大丈夫ですか?」
「問題ない。今日は貸し切りだから、他に客もいないし」
「か、貸し切り?!」
「雪緒との時間を、他の者と共有したくないから」
「共有したくないって……別に同じテーブルで食べるわけじゃないんでしょ?」
「同じ敷地、同じ屋根の下なら同じことだ」
私との昼食のためだけにお店を貸し切りにするとか、どれだけ我儘なんだろう。
でも彼から聞いた料理のことを考えると、楽しみではある。
くう~っとお腹の鳴る音が車内に響く。
「き、聞かなかったことにしてください」
「無理だ。俺は耳がいい。でも、照れて可愛いな」
「か、可愛いとか、やめてください」
面と向かって誰かに可愛いと言われ慣れていない。おじいちゃんとか、その友達のおじいちゃんおばあちゃんに「可愛い」と言われるのとはやっぱり違う。
「なぜ? そう思ったから口にしただけだ。雪緒は、そう言われるのが嫌なのか?」
「い、いやとじゃあ……でも私より可愛い人は、世の中にもっとたくさんいるでしょ」
「整形や化粧で見かけだけ整わせた者たちのことか?」
「……ま、まあそれも含めて、生まれつき可愛い人もいるわけだし」
「それは上っ面だ。それに、人それぞれ好みもある。俺は雪緒がいい」
「それは、私の血が好みなだけでしょ。私の顔は関係ないと」
彼が興味あるのは、皮膚の下を流れる私の血で、見た目じゃないはず。
「でもその血も含め雪緒だ。髪の毛一本、爪の先や細胞のひとつひとつに至るまで、すべてが愛おしいと思う」
「……へ、変態の言葉ね」
「好きなものは好きなのだから仕方がない。雪緒に出会ってしまったんだから、もう出会う前には戻れないし、戻りたくない。俺のこれからの生は、すべて雪緒を中心に回る」
「私が……おばあちゃんになっても?」
「人の老いは止められない。時を止めることは誰にもできない。できるのはこれから雪緒の血肉となるものを厳選し、若さを保つためにあらゆる手立てを講じること」
そのための食事なのだと、彼は言った。
なんだか彼に飼育されている気になるのは、気のせいじゃないよね。
「最上のものを食べ、最上のものを身に着け、そして惜しみない愛を、君に捧げるよ。雪緒はただ、それを享受すればいいだけだ」
「めんどくさい。熾、消せ」
「は!」
月夜見さんは階段を降りきって、熾さんに命令する。
「え、け!?」
「消せ」という言葉にびっくりして私は一気に階段を駆け降りた。
「ちょっと、け、消すって」
頭を過ったのは、物騒な展開。
「安心しろすぐに済む」
けれどそんな私を月夜見さんが腕で止めた。
「す、すぐにって、離して」
彼に抱きかかえられ前に進めない私の視界に、大家さんが斜め上をみあげて、立ち尽くす姿が映った。
「さ、行くぞ」
「ちょっと、お、大家さんに何を」
助手席側の後部座席のドアを熾さんが開ける。
そこにまるで荷物みたいに月夜見さんに抱えられた私は放り込まれる。
「ね、ねえ、月……閨さん」
スモークを張った窓から、大家さんの様子を確認する。
「安心しろ。数秒経ったらさっきのことは忘れて、元に戻る」
「忘れて?」
「ほんの一分間、我々を見た記憶を消しただけだ」
「記憶……」
消すとは、大家さんの記憶だったらしい。
「本人はちょっと物忘れ程度にしか思わないだろう。『あれ、何してたっけ』という具合に。新しい記憶であればあるほど、消すのは容易い」
「そ、そう……なら良かった。というか、こういうこと、よくやるの?」
自分も何か忘れていないだろうか。たとえば昨晩の記憶とか。何しろ体を拘束されたりしたこともある。
「雪緒の記憶は操作していない。俺との記憶を消すわけがない」
「あ……そうですか」
とりあえず今のところは大丈夫そう。大家さんも心配なさそうだ。
「あの、ところでどこへ向かっているんですか?」
流れていく景色を眺める。車は都心を離れていく。
「鎌倉だ」
「え、か、鎌倉? あの、お昼を食べに行くんですよね」
「鎌倉に馴染みの店がある。そこはなんでも美味しい。俺のことも代々の主から引き継いでいて、好みもよくわかっている」
「それは、あなたが吸血鬼だってことも、知っているということ?」
「むろんだ」
吸血鬼にも馴染みの店ってあるんだ。まさか血ということはないよね。
「和食中心の料理だ。料理長自ら育てた野菜や、自然に近い環境で育てた鶏の卵、肉、ジビエもある。何より調味料は添加物を一切使わない。水も地下水から汲み上げたものをつかい、米は竈で炊いている」
聞いていると、なんだかとても手の込んだ料理を出しそうなところだ。
「きっと雪緒も気に入る。高台にあって海も見える」
「そ、それはなんだか高そうなお店ですね。こんなカットソーとジャージで大丈夫ですか?」
「問題ない。今日は貸し切りだから、他に客もいないし」
「か、貸し切り?!」
「雪緒との時間を、他の者と共有したくないから」
「共有したくないって……別に同じテーブルで食べるわけじゃないんでしょ?」
「同じ敷地、同じ屋根の下なら同じことだ」
私との昼食のためだけにお店を貸し切りにするとか、どれだけ我儘なんだろう。
でも彼から聞いた料理のことを考えると、楽しみではある。
くう~っとお腹の鳴る音が車内に響く。
「き、聞かなかったことにしてください」
「無理だ。俺は耳がいい。でも、照れて可愛いな」
「か、可愛いとか、やめてください」
面と向かって誰かに可愛いと言われ慣れていない。おじいちゃんとか、その友達のおじいちゃんおばあちゃんに「可愛い」と言われるのとはやっぱり違う。
「なぜ? そう思ったから口にしただけだ。雪緒は、そう言われるのが嫌なのか?」
「い、いやとじゃあ……でも私より可愛い人は、世の中にもっとたくさんいるでしょ」
「整形や化粧で見かけだけ整わせた者たちのことか?」
「……ま、まあそれも含めて、生まれつき可愛い人もいるわけだし」
「それは上っ面だ。それに、人それぞれ好みもある。俺は雪緒がいい」
「それは、私の血が好みなだけでしょ。私の顔は関係ないと」
彼が興味あるのは、皮膚の下を流れる私の血で、見た目じゃないはず。
「でもその血も含め雪緒だ。髪の毛一本、爪の先や細胞のひとつひとつに至るまで、すべてが愛おしいと思う」
「……へ、変態の言葉ね」
「好きなものは好きなのだから仕方がない。雪緒に出会ってしまったんだから、もう出会う前には戻れないし、戻りたくない。俺のこれからの生は、すべて雪緒を中心に回る」
「私が……おばあちゃんになっても?」
「人の老いは止められない。時を止めることは誰にもできない。できるのはこれから雪緒の血肉となるものを厳選し、若さを保つためにあらゆる手立てを講じること」
そのための食事なのだと、彼は言った。
なんだか彼に飼育されている気になるのは、気のせいじゃないよね。
「最上のものを食べ、最上のものを身に着け、そして惜しみない愛を、君に捧げるよ。雪緒はただ、それを享受すればいいだけだ」
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