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32 公爵邸でのお仕事

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私が公爵をまともに見たのは、彼が屋敷に来た日だけだった。
その日、午後から屋敷の中を確認するため、執事のジャックさんと歩いていたのを遠目に見た。

普通に割り当てられた仕事をこなす中で、私と公爵との接点は殆どない。
過去、公爵の目に止まろうと、あれやこれやで目立とうとした使用人もいたそうで、公爵邸では他の貴族の屋敷に比べ、そのあたりが大変厳しいらしい。

私にとっては大変ありがたいことだ。ただでさえ、他の女性より背が高く、目立ってしまう。

公爵がこの屋敷に来て3日、今のところ穏やかな日々が続いている。
彼が王宮に行くときも帰るときも、別の護衛が付き従い、私はメイド仕事に勤しんでいる。

「ねえ、ローリイ」

一緒にランプのカバーを磨いている時に、ルルが私に話かけてきた。

「何?」

ルルとは年がひとつしか違わず、互いに話をする時に敬語は使わない。
ちなみにメイドの部屋は二人部屋で、私とルル、ミアとコニーが同室。シリアさんとロッテさんは管理職なので一人部屋だ。

「いつもローリイが朝起きてやってるのって何?」
「ヨガのことですか?」

私は毎朝目覚めに軽くヨガをやっている。
呼吸を意識してやることで体が目覚め、体の調子がよくなる。

「ヨガ?へえ、そうなんだ」
「なに、なに、何の話?」

そこに洗濯を終えたコニーとミアが入ってきた。

「ローリイが毎朝やってることが何なのか聞いてたの」
「あ!それ、私も気になってたんだ。ローリイって姿勢もいいし、やっぱりそれのおかげ?」
「あ、ありがとう」

姿勢がいいと言われ、素直にお礼を言う。

「ほら、私たちって普通に息を吸って吐いて生きてるでしょ?それを意識してやることで、体の酸素が回って、細胞を活性化させてるの。ついでに体も柔軟になって、姿勢も良くなって、体の歪みもなくす効果があるし」
「さんそ?さいぼう?」

初めて聞く言葉にみんなはきょとんとしている。

日本では、空気に酸素が含まれ、人はいくつかの細胞で成り立っているとかは周知の事実だが、ここはそういう世界じゃない。

「えっと、とにかく、美容と健康にいいってことなの」

慌てて説明し直す。モーリスにもこの話をしたことがあったが、やはり同じ反応だったことを思い出す。
師匠も理屈はさておき、酸素を取り入れるという意味を理解してくれた。

「私たちもできるかな」

ルルが言いたかったのは、そのことだ。私のやっていることに興味津々なのだ。

「できますよ。私のもといた所でも、お屋敷の方は皆実践していましたから」

「え、じゃあ教えてよ」
「ルルだけずるい。私もやりたい!」
「いいですけど、私たちの部屋では狭いので場所がないですね」

私たちはそれぞれのベッドを並べ、両脇にそれぞれ物入れを置く場所があり、作り付けの棚に衣装などを共同で使っている。
私は自分とルルのベッドの間の床でヨガをやっていた。

「みんなで一度の場所はないんじゃないかな」

そう言うと、二人はそれもそうだと明らかにがっかりした。

「こら、何サボってるの!」

そこへシリアさんとロッテさんが、朝の旦那様の世話を終えて入ってきた。

「あ、シリアさん、きいて下さいよ」

叱責されたことを無視し、ルルは今まで話していたことをシリアさんたちにも話した。
酸素と細胞のことは飛ばして。

「へえ、美容と健康にねえ」

そんなのがあるのかと二人も関心を示した。

「どれくらいの場所があればいいの?」

「人一人寝て、手足を伸ばしてもぶつからない位に広がれる広さがあれば」

「じゃあ、誰かの部屋でも難しいわね」

と、ロッテさんが呟く。

シリアさんやロッテさんの部屋でも十分な広さとは言えない。

「わたしたちに割り当てられた場所以外のところを使うとなると、やっぱり旦那様の許可をいただく必要がありますよね」

シリアさんに確認する。
ボウルルーム…夜会を開く時などに使う部屋なら、スタジオのようにできると考えたが、メイドたちのお楽しみのために、それを許可してもらえるとは限らない。

「そうねぇ……」

私たちは銀の髪に濃い藍色の瞳をした、自分たちの雇い主を思い浮かべる。

「ダメで元々お願いしてみるわ。期待はしないでね」

休憩のお茶を出す際に、タイミングが良ければ話してみるとシリアさんが言ってくれた。

「あ、そういえば、ローリイ」

お茶と言えば、と、思い出したようにシリアさんが私に声をかけた。

「何ですか?」

磨き終わったランブシェードをひとつひとつランプにつけ戻しながら、返事をした。

ランプを取り付けるのは、メイドで一番背の高い私の仕事になっていた。

「あなた、お茶入れるの上手だったでしょ、今日の休憩の旦那様のお茶はあなたがやってちょうだい。もちろん、私もついていくけど、ボウルルームの件もあなたから詳しく説明してはどうかしら?」
「え!?」

さあっと、血の気が引いた。

「あ、そうね、それがいいわ」

ロッテさんもその案に賛同する。

「え、いえ、その、旦那様付きはシリアさんとロッテさんって決まってる………」

「身支度なんかは、経験のあるの私たちでないと、ダメだけど、お茶なら、十分あなたでも構わないわ。それに、ほら、この前、やってくれたじゃない」
「あれ、ですか?」

シリアさんが言うのは、昨日、おふざけでやった、あの入れ方のことをいうのだろう。

「あれは、絶対成功するとは……」

「そうよ、私とシリアさん、ルルは以前からお仕えしているから、公爵様も私たちの仕事ぶりはよくご存知だけど、あなたたちは今回からだから、色々できるところを見ていただいた方がいいわ」

ロッテさんは私の説明なんて聞かず、話を進める。
「いえ、そこまで評価いただかなくても…」

今割り当ててもらっている仕事で十分と答える。

「あら、何か問題があるの?せっかく公爵様のお側に行けるチャンスなのに。それにこれは上司としての命令よ」

積極的過ぎるのは困るが、上司がいいと言っているのだからと強く言われた。

あまり遠慮が過ぎると変に勘ぐられてしまうと考え、うなずくしかなかった。

「じゃ、よろしく。とびきり美味しいお茶を入れて、是非許可をいただいてね」

お茶を入れて出すだけなのに、これでは失敗できない。

お茶は亡くなった母から教えてこまれた。

ボウルルームの使用許可の為にも、ここは頑張らないと、と、腹を括ることにした。
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