クウェイル・ミルテの花嫁

橘 葛葉

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【1】サブスティテューション

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「あれ?」
本棚に並んだ背表紙を見ながら、一冊の本を凝視する千紗ちさ
「この本、なんだっけ……いつ買った本だろ?」
手にとってパラパラめくってみる。
中世ヨーロッパ風のファンタジー小説のようだが、読んだ記憶がない。
挿絵も何もないそれを持って、ベッドに腰掛ける。
パラパラと飛ばし読みしていると、一人の登場人物に目を奪われてしばし読み耽った。
物語の前後など関係なく、その人物の描写にばかり目が行く。パタンと背中からベッドに倒れ込み、貪るように読んだ。
「はぁ……」
寝転んだまま持ち上げて読んでいた本を、パタンと胸元に落とした千紗。
「こんな素敵な人になら襲われたっていいのに」
千紗は本の内容を思い返しながら、本来ならあり得ない妄想の翼を広げていた。
若き領主の描写をずっと追って読んでいたが、影の薄い新妻にとって代わりたいと思い始めると、男女の交わりを想像してしまい、妄想が広がりすぎて本を置いたのだった。
「ヘリオスって夜は激しそう……」
そのような描写があるわけではない。だが、何故かそう思った。いや、期待しているに近い。
領主の名は【ヘリオス・フィグ・カーネリアン】という。
【本日は契約に基づいて新妻の元へ赴かねばなりません。明日の朝までお待ちください】
その台詞に何度も目が戻る。
【朝まで待つしかないか。ま、屋内でゆっくりできるんだから、逆に感謝だな】
【それにしても聞いたか、あの噂】
「新婚何ヶ月目なんだろ」
そしてどのような契約になっているのだろうかと想像する。
「あの噂って何?」
あれこれ想像していると無自覚に股間へ手が伸びる。
指を下着の中に入れてみるが、自分で触ってもあまりピンとこない。
そもそも性的な事に対して、千紗は人よりも嫌悪を強く持っている。異性と付き合ったこともあるが、体を重ねても気持ち良いと思った事がない。
幼少期の体験のせいかもしれないが、あまり覚えていないし、思い出すのが怖い。
ただ性的な事を考えると嫌悪感が生まれたり、相手と距離を取りたくなるので、よくない事をされたのだろうと思う。
覚えていないのに、体に刻まれた嫌悪感だけ明確だ。
思い出すことは自分を傷つける事になりそうで怖い。
だからこそ、あり得ないのだ。
物語の中とはいえ、男と体を重ねる妄想など。
「う……ん……?」
自分で触る分には嫌悪も生まれないが、特別気持ち良いとも思わない。
どこをどう触って良いものか迷っているうちに妄想がさらに広がり、眼を閉じてあれこれ考えていると手が止まる。諦めた千紗はぎゅっと両手で胸元にある本を抱きしめる。
そしていつの間にか眠りに落ちていた。





(あなたはどんな風に新妻を愛するの?)
『怖い、怖い、怖い……痛い、痛い……!』
(ちょっと強引に……でも、きっと優しいわよね……この人となら、気持ちよくなれるのかな)
『こんな事するくらいなら……死にたい……死にたい』
(でも気持ち良いって何?今までの経験ではよく分からない……)
『こんなカエルみたいな格好で、そんな汚いところを舐められて、なんて屈辱的な!』
(舐めてもらった事なんてないのに、贅沢な悩みね)
『獣だわ。あぁ、男なんて嫌い!』
(痛いってのはちょっと分かるけど……獣みたいな事をしないと、子孫を残せないじゃない)
『嫌い、嫌い、嫌い!』
(……え?何、これ?誰の声?誰の気持ち?)
『助けて、誰か、助けて!』





「……!」
ぱちっと眼を開けた千紗の視界は真っ暗だ。
何事かと思う間もなく、ぱたんと音がして視界が開けた。
どうやら自分の両手が顔を覆っていたらしい。
今、その手は力なく両側に放り出されている。
(な、なに?)
手も足も力をいれる事が出来ず、目は開いているのに瞬きも出来なかった。
見知らぬ天井だとぼんやり眺めていると、天蓋付のベッドだと気がつく。
(え?どこ?)
夢を見ているのだろうかと考え始めた千紗は、少しの違和感を感じた。
鈍い感覚はまるで自分の体ではないようだが、視界の下の方に何かが動いているのが見えた。
それと同時に、よくわからない感触が足の辺りにある。何かが動いて、自分の足を持ち上げたようだった。
「これで入るでしょう」
押し広げられた足の間に何かが押し当てられた。
「ふっ」
人らしき影が目の前に現れるのと、ずぶりと何かを突き立てられるのが同時だった。
「はっ……あっ!」
その瞬間、全ての感覚が一致した。
まるで分離していた心と体が、かちりとハマったような、そんな感覚。
「おや、初夜以来、初めて顔を見せてくれましたね。もう隠さなくても良いのですか?」
目の前に現れたのは、青い瞳に紫の髪の男だった。
美しい顔だと思った瞬間、その体勢を疑問に感じる。
「えっ……」
顔を少し持ち上げて状況を確認する。
男は裸で、自分も裸だ。部屋に灯りはなく、外から差し込む月明かりが男の端正な顔を照らしていた。そして違和感の正体は、自分と男が繋がっているためだった。
突き立てられたのは、目の前にいる見知らぬ男の分身なのだろう。
「どうして……」
どうしてこうなっているのか、目の前にいるのは誰なのか。
「どうしてもなにも、今日が契約の日だからですよ」
様子がおかしいと思って待っていたのだろうか。結合した部分を確認するように見た男は、次いで千紗の顔を見た。
「まだ痛いですか?ですが、月に一度では慣れるものも慣れませんよ」
男はそう言うと、千紗の腰を持って動き出そうとした。
「あっ……」
高校の時に短期間いた彼と経験したのは数回だけ。これが挿入時の感覚だったと思い出した。
「声も初めて聞きました」
ぐっと腰を押し付けられて、びくんと下腹部が動く。
「へえ、いい反応ですね」
動きはどんどん早くなり、混乱する千紗の上で男の頭が上下する。
訳も分からぬまま、男の動きが止まった。
自分の体内で何かが脈打つのを感じたまま、千紗は意識を手放した。







自分が寝ている部屋を見下ろす千紗は、両腕で体を抱え、歓喜する自分を見下ろしていた。
『篠山 千紗と言うのね。一人で住んで、仕事まで持ってる。なんて素晴らしい世界なのかしら』
誰かが千紗の体に入っているようだ。千紗の記憶を受け継いでいるようにも聞こえる。
そを見下ろしている自分は、どんな状態なのだろう。両腕を持ち上げて見下ろした体は、淡く発光しているようで、輪郭がはっきりしない。
それでも自分の意思に呼応して動いているように見える。
この体の持ち主と、入れ替わったのだろうかと、非現実的な考えにフルフルと首を振った。でも、そうだとしたら、この体の主はさっきの叫びの主だろうか。
男に嫌悪を抱き、痛い夜の勤めが苦痛で、死にたかった女だ。
しかしそれ以外は?
何も分からなかった。代わりに女の記憶が流れ込んでくるのではと期待したが、夢の中ではそれも難しいのか、今のところは何の情報もなかった。
代わりに元の世界での知識が欠損して行くような気がして焦りを覚える。
元の体に戻ったら、知識も戻るのだろうか。
そう考えていると、千紗が拳を作って言う。
『名前ばっかり貴族だなんて笑っちゃう。あんな田舎のなんにもない、ただ広いだけの場所。親にしたってたまたま生まれた家が貴族だっただけで、あの土地を治めていたって事でしょ?それって自分の力でもなんでもないじゃない』
怒っているようだ。
『未子だからって放置されて愛情なんて欠片も感じたことないわ。私だけ他人の子みたいな顔して。こっちだって他人だって思ってたんだから。どこかから拾ってきて、お情けで育てていたに違いないわ。結婚にしたってそうよ。ショールから聞いて、本当は奉公に出したかったって知ってるんだから。お偉い方に嫁いだから、支度金だってたくさんもらえて、厄介払いもできて大喜びに違いないわ』
ふん、と鼻を鳴らした千紗の独白は続く。
『夫だってそうよ。女は世継ぎを作るための道具としてしか見てないんだわ。月に一度は交わえなんて……あんな……あんな屈辱的な……ヘリオス・フィグ・カーネリアン。一刻も早く忘れたい名前だわ』
ヘリオス?
それは読んでいた小説の登場人物と同姓同名ではないか。
『早く忘れなきゃ。新婚初夜も恐ろしくて固まってしまったけど、二回目も嫌で嫌で仕方なかったわ。両手で顔を覆って拒否の意思を示したのに強引にあんな……よくもまあ、あんな無反応な人形のみたいな体を抱けたわね』
思い出したのか、身震いしている千紗。
『人形のように突かれて上下する体……。最悪だわ……。痛みと屈辱に震えたのを早く忘れたいわ……』
ブルブルと身震いしている。
『一体どうして私なんかを所望したのかしら。……ま、いいわ。新婚三ヶ月目にして三回目の夜の営みを回避できたんだもん』
はぁっと晴れ晴れとした顔で、くるりと一周した千紗。
でも、と両手を広げる。
『それも今日で終わり!たった今から、新しい人生が始まったのよ』
嬉しそうな千紗の顔が急激に遠ざかっていった。
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