ネグレクト少年の拾い食いとヤンデレ少女の餌付け

小鳥遊愚香

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好きだと思うことにした

友達になりたい

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※一部、R18に抵触する可能性があるようです。ご注意下さい。

 わたらいさんは先に廊下を進み、僕がさっき手渡した体操服と菓子折を、リビングに置いて戻ってきた。

「来て、こっち。ぺこに見せたいものがあるの」

 手を引かれて、慌てて靴を脱ぐ。揃える暇もなかった。ママが見たら、きっと怒るだろう。

 招かれた部屋には、あの黒猫──よじれがいた。昨日彼女がドライヤーをかけていた部屋だ。それなのに、すぐにはそれと気がつけないほどに、部屋は様変わりしていた。

 そこには、子供が作ったとは思えない、どこか神聖な空気を纏った簡易的な祭壇があった。
 テーブルの上に箱か何かを載せて雛壇にし、その全体をキャラクターもののブランケットで覆い隠している。

 雛壇には、写真立てやガラクタが隙間なく並んでいた。

 写真立てには人も、動物も、そしておそらく彼女が描いたであろう似顔絵も混ざっている。ほとんどは小学生くらいの男の子や、女の子。どの子も笑っていて、その似顔絵のそばには、ガラクタとしか言いようのないものが置かれていた。

 帽子や、メガネ、三つ編みのおさげ。どことなく歪んでねじれて溶けてくっついていて、なんだか変だった。いずれも、元々は似顔絵の人物のものだったであろうことが容易に知れた。

 比較的新しいように見える似顔絵が一枚だけあり、目が釘付けになった。まだガラクタも置かれていない。似顔絵は見れば見るほど、僕に似ていた。目元も、口元も。妙に特徴を捉えていて、とても他人とは思えなかった。

 そして、その祭壇の頂点には、よじれが座っている。この状況がわかっているのかいないのか、香箱座りでリラックスしていた。しかし、その目はじっと僕を見つめている。まただ。昨日と同じ、試すような目。

 僕が知らないうちに、何かとんでもないことに巻き込まれている。そんな気がしたけれど、まだ言葉にはならなかった。

 「素敵でしょう? これ」
 わたらいさんは、明るすぎるトーンと迷いのない声で言った。

「ねえ、わたらいさん。これ……」
 僕は恐る恐る口を開く。

 祭壇を見ていた彼女は、くるっと僕の方へ振り向いて笑った。
「それはね、私のお友達だった子」

 そう言って、彼女は雛壇に近づいた。そして、飾られたねじれて溶けてくっついた三つ編みを指差す。

「いつも一緒に遊んでたの。でも、急に転校することになって……私、最後にふたりきりの秘密だよって、よじれにあわせてあげたの。離れてもずっと一緒だよって、約束したの。そしたら、その子のおさげが焦げちゃって……びっくりして、それっきり手紙を書いても返事もくれなくなったんだ。その子だけじゃないよ、みんなそう。離れ離れになっちゃった」

 わたらいさんはそう言って、まるで面白い話でもするように、無邪気に笑った。

僕はゾッとした。
「怖いね」と、僕が思わず声を出すと、彼女はふっと笑顔を消した。

「気持ち悪いって、思わない?」
 彼女の声は震えていた。僕を見る瞳は、まるで迷子になった子どものように、不安げに揺れている。

「みんなそう言って私から離れていくの……前に言ったでしょう?時々、溶けてくっついちゃうって」

 僕が返事に窮していると、彼女は泣きそうな声で言った。
「ねえ、ぺこは違うよね?ぺこは、私から離れていかないよね?」

 僕は、彼女の瞳から逃げるように、一度視線を外した。このままでは、彼女を傷つけてしまうかもしれない。でも、このまま彼女のそばにいたら、僕は……。

「ねえ、昨日のハンバーグのことだけど……」
 僕は、絞り出すように言った。

「昨日も今日も……僕を家に入れてくれたのは……僕が腹ぺこだから、哀れんでくれたの? それとも……」

 その先がなかなか言えなくて、無意識に少し息を止めてしまう。やがて、吐き出す空気の勢いのままに放つ。

「本当に……なかよしに……友達になってくれるの?」

 言ってしまった。僕は恐る恐るわたらいさんの表情を伺う。僕の言葉を聞いたわたらいさんは、ゆっくりと目を細めた。悲しそうな、それでいて満足しているような、複雑な表情。

「……哀れんでなんかないよ、ぺこ」
 わたらいさんは祭壇から離れ、僕の前に一歩ずつ歩み寄る。

「哀れみっていうのは、例えばぺこのママが、あの菓子折でしようとしていることに沸いてくる気持ちだよ」

 わたらいさんは、リビングに置いてきた箱をチラリと目で示した。その眼差しは、侮蔑に満ちている。

「『助けてもらった。だから帳消しにしたい。はい、これで言いっこなし。貸し借りゼロ』って、そう思いたい人たちがあげるもの。せっかくなかよしになれるのに、それを終わりにしようとしてる。精算するための、偽物の汚い餌だよ。……ぺこのママは哀れだね」

「ごめん、僕……そんなつもりじゃ……」

「ねぇ、ぺこ。そこに座って」
 わたらいさんは、僕の返事を待たず、低い声で命令した。

「怒らせるつもりはなかったんだよ」

「いいから座って」

 僕は、諦めてその場に座り込んだ。祭壇の前、ちょうどよじれが香箱座りで鎮座する真横だ。

 座ったことで、僕の目線はわたらいさんの腰の辺りにまで下がり、視覚的にも、僕の抵抗が奪われたことを知る。

 わたらいさんは、僕を見下ろすように立ったまま、何も言わずにただ手を伸ばす。そして僕の首元、服の上から空っぽのネックレスに触れた。

「う、あっ……!」

 心の脆いところに直接触れられたみたいに、僕の身体が強く震え上がる。思わず身体を引くと、ぐりっと背中に祭壇の角が食い込む。

「……だめ、だめ、やめて」

 心の底から嫌なのに、なぜか掠れた弱々しい声しか出ない。反射的にわたらいさんの手首を掴む。それでも彼女は止まらない。

「私、またぺこのせいで鼻血が出るかもね」

 わたらいさんの声は、昨日の鼻血を思い出させる確かな脅しを含んでいた。その声に、彼女の手首を掴む僕の力が緩む。

 わたらいさんは、ネックレスを掴んだ指に急に力を込めた。
 首の後ろに細いチェーンが食い込み、きしむ。

 ちぎられる!
 僕の脳裏に、兄との唯一の繋がりを失う恐怖が走った。

「あああっ、離してっ!」

 その反射的な恐怖で、僕は無意識に体勢を崩し、背中の角から逃れようと、身をよじらせる。しかし、座り込んだ体勢では重心が不安定になるだけだった。

「あうっ!」

 そのまま、抵抗むなしく床へと引き倒される。リードを引かれる犬みたいに、祭壇の真下、最も屈辱的な形で横たわる。

 わたらいさんは、まだネックレスを握ったまま、片膝で僕の胸の上に軽く体重をかける。それは、完全なる制圧だった。

「動かないで」

 彼女の声は、呼吸をするのも許さないほどの絶対的な重みを帯びていた。言われなくても、すでにここからの形勢逆転は絶望的だった。僕の心臓の鼓動だけが、命令に抗うように激しく脈打っていた。

 上から見下ろすわたらいさんの影が、僕の顔に落ちる。祭壇の頂点にいるよじれが、見張り役のように、僕をじっと見つめていた。

 そして、怒ったような冷たい口調でわたらいさんが言った。
「ぺこが望むなら、私も哀れんであげようか? ……そのネックレス、死んだ人の骨を入れるやつだよね」

 僕の身体が、全身の血液が一瞬で冷えるような感覚に襲われた。誰にも話していない最も深い秘密を、彼女は何の躊躇もなく軽蔑するように口にしたのだ。

 あまりの衝撃に、僕は反論の言葉すら紡げない。喉の奥がやけにひりつく。

「それを……君を置いていってしまった人の骨をぶら下げているのは、私に哀れんでほしいから?それとも、誰も気にしてくれないから?一体、誰に見てほしいの?」

 ぴくりとも動けない僕の耳元で、わたらいさんがとどめの一言を囁く。「哀れだね、ハヤテ」

 その言葉は、ママの折檻よりも、遙かに鋭く、僕の自尊心を抉った。身体がぶるぶると震えて、涙がとめどなく溢れた。

 ちぎられまいと必死に握り込んでいたネックレスさえも、離してしまう。完全に抗う気力を失い、僕は声を上げ、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。

 わたらいさんは、ネックレスを握る手を緩めた。そして、無力に床に投げ出された僕の右手をとり、指と指を絡める、いわゆる恋人繋ぎで強く握った。

「ほらね」
 わたらいさんは、未だ片膝で僕を制圧したまま、もう片方の手で僕の頭をそっと撫でた。

「ママの菓子折りも、そのネックレスも、ぺこを助けてはくれない。でも私は違うよ」

 わたらいさんは静かに、支配的な温かさをもって呟く。
「ぺこの心を満たせるのは誰?」

 涙と嗚咽で、僕は答えられない。

 わたらいさんが続ける。
「……ねぇ、ぺこ。そのネックレスを握りしめているより、私と手を繋いでいる方がずっと温かいでしょう?」

 僕は答えられない。でも彼女の言う通り、ただ温もりだけが、僕の体の中に浸透していく。
 この温かさこそ、僕が失った温もりであり、もはや誰も与えてくれない安堵だった。

 この束の間の温もりを失うことが急に怖くなった僕は、嗚咽を漏らしながら、恋人繋ぎされたわたらいさんの手を強く、震える指で握り返した。

 くすっと小さく笑って、わたらいさんは僕の胸の上から身を起こした。

「ぺこが一番欲しいのは、誰かに全部与えられることなんでしょう?いいよ。ぺこは雛鳥みたいに、ただ口を開けていたらいい。私が、全部あげる……」

 わたらいさんは、上から見下ろす形で、ゆっくりと顔を近づける。空いていた方の手も、いつのまにか絡めとられ、床に縫いつけられていた。

 僕は屈辱的な体勢で横たわったまま、彼女の行動から目を逸らすことすらできない。

 お互いの鼻先が微かに触れる。

 嘘、待って。

 思わず、目をつぶってしまう。次の瞬間、柔らかい何かが、僕の唇に触れた。

 キスだ。身体が強張り、眉間に力がこもる。必然的に強く握ってしまう手のひらは、きっと彼女が肯定と捉えてしまう。

 でもこれは、愛情でも友達の挨拶でもない。ただ彼女の支配と所有の印だ。

 わかってる。わかっているのに。

「は……んんっ……」

 呼吸の隙間で、情け無い声が漏れる。悔しくて恥ずかしくて、今更ながら唇を噛み締める。

「……開けて」

 懇願するように彼女の舌が、僕の唇を滑る。

「……っは……あ……」

 酸素を求めて開かれたわずかな隙間の、その内側に彼女の舌が触れる。その舌の温度は、僕の口内の熱を奪い、内側から凍らせるようだった。

 輪の向こうに、彼女の口元が覗く。舌先がそっと孔に触れ、甘い汁が唇の端を濡らす。あの日のパイナップルを輪の記憶がフラッシュバックする。

「……ん、いい子……」

 そのまま、深く差し込まれ、背中がゾクゾクと粟立つ。いまや彼女と一塊になりつつある身体が、わずかに、拒むように痙攣した。

──これはね、“あげる”ってこと。ぺこに、私が。

 彼女の声が蘇る。僕の脳裏に、雛鳥に口移しで餌を与える親鳥の姿が浮かんだ。いまや僕の「飢え」は、完全に彼女の支配下にある。

「……ぺこ……ずっと、このままがいい……」

 わたらいさんの囁きを受けて、僕は恐る恐る目を開けた。うっとりとした彼女の表情に、見てはいけないものを見てしまった気がして、また目をつぶった。

 やがて、わたらいさんの唇が、ゆっくりと音もなく離れた。

 一瞬の、息を飲むような沈黙。

 彼女は、僕の胸の上からわずかに身を乗り出した体勢のまま、その目をじっと僕の瞳に据えた。

 互いに見つめ合う。

 僕の全身を支配する屈辱と背徳感、そして温もりへの渇望を、彼女の瞳は冷たく、しかし圧倒的な満足をもって見定めている。

「……ねぇ、これが哀れみなんかじゃないって、わかるでしょう?」

 それは、支配者が、署名された契約書を読み込むような、静かで確実な行為だった。

「ぺこの哀れな自尊心は、もういらない。全部、私にちょうだい。 私が、ぺこがここに居続けるための新しい理由にしてあげる」

 この秘密は、もう僕だけのものでも、あるいはわたらいさんだけのものでも、そのどちらでもない。 二人だけの、永遠に秘められるべき真実となった。

 両手は、未だ強く恋人繋ぎされたまま、床に縫い付けられている。僕は、動けなかった身体を、反射的に、ほんのわずかだけ動かした。

 初めての、キスだったのに。

 男として、この屈辱を、このまま終わらせてはいけないという自尊心の最後の抵抗だった。
 でも、その抵抗の体勢は、腹筋の要領でただ不格好に上体を起こそうとするだけで、力なく崩れた。

 その崩れた体勢のまま僕はもう一度上半身を起こし、彼女の無防備な唇に、自分の唇を一瞬だけ押し当てた。

 それは拒絶でも、愛情でもない。

 それでも彼女から離れたくないという、空腹な魂の最も不格好な応答だった。

 わたらいさんの瞳が、驚きと、そして圧倒的な満足に細められ、その白い頬に、薄く朱が差した。

「ふふ。……かわいいね、ぺこ」
 自らが仕掛けた冷たい儀式に対し、予想外の熱い返答が来たことへの、戸惑いと高揚。
 わたらいさんは、まるで最高の餌を与えられたかのように、無邪気な表情を浮かべた。

 それから、真剣な顔つきになる。
「……やっぱり、ぺこは違う。ぺこは、私にとって昨日あのハンバーグを『ご馳走』に変えてくれた、最初で、最後で、唯一の大切な人。だから……私とぺこは、友達になりたい」

 わたらいさんはそこで一旦言葉を切り、繋いだままだった手を離して、身体を起こした。そして膝を抱える座り方で、照れたように笑った。

 祭壇から、よじれが僕らを見下ろしている。

「ぺこのお母さんは、ぺこの体の外側を支配しようとするでしょう?『ちゃんと』した服を着せて、『ちゃんと』した時間に帰らせて、『ちゃんと』した手土産を持たせて。でも、だからこそ体の内側が空っぽになってしまう。私は、ぺこの『内側の空っぽ』を埋めてあげる」

 僕も身体を起こし、向かい合って座り直す。
 わたらいさんが続けた。

「私は、ぺこの『空っぽ』を埋めてあげられる。ぺこのママの呪縛からも、死んだ誰かの思い出の重さからも、自由にしてあげられる」

 わたらいさんが、そっと僕の胸元に指先を伸ばし、空っぽのネックレスに触れる。

 もう兄ちゃんの遺骨は入っていないのに、ずっと着けたままだ。この場所になら、誰にも見られずにそっと置いていけるような気がした。

 兄ちゃんへの、誰にも言えない思いを、あの祭壇になら──。

「だから、私は、ぺこのその愚かなネックレスを預かる。そして、私は代わりに新しい秘密をあげる。それが、私とぺこの『友情の証』」

 彼女は、契約を要求している。この恐ろしい交換条件は、僕の全てのトラウマと孤独を代償に、彼女の支配下での「居場所」を与えるものだった。

 僕は、喉が張り付いたように動かなかった。
 それでもこの要求は、ママや兄ちゃんの呪縛よりも、重く、温かく、そして、抗い難いものだった。
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