ネグレクト少年の拾い食いとヤンデレ少女の餌付け

小鳥遊愚香

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あの子の幻影

月夜の深海ティーパーティー

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 映画は終わった。内容はほとんど覚えていない。ずっとぼんやりと夢をみているようだった。

 覚えているのは、暗い館内とやけに明るいスクリーン。強い眠気に目を瞑ってしまう直前の、吸い込まれるような微睡み。

 館内の明かりが戻り、皆が皆、各々の日常へと戻っていく。

「フォレスト・ガンプはやっぱりいい映画だったわね」

 ママが呟く。感情を伴わない評価だけが僕の現実に残されて、それじゃあ、何の映画を観たっておんなじじゃないか。

 ロビーへと押し寄せる人波に身を任せる僕。その後ろをついてくるクリーナーが、囁いた。

「ねえねえ、ぺこちゃん。あのヒロイン、ちょっとアバズレすぎるわよねぇ」

 相変わらず粘着質な声が鼻につく。

「純情な男を散々振り回して、真実の愛をドブに捨ててきたくせに、最後だけちゃっかり愛の回収に来るなんて」

 ママに気づかれないよう、細心の注意を払って僕はクリーナーを睨んだ。

「うるさい!」
 僕は声を潜める。
「あれが彼女なりの生き方なんだ」

「あら、そう? でも、あんな汚れた女とあの純粋なフォレストは、ホントに結婚しちゃうわけ?それって、本当に幸せ?」

 クリーナーは実に楽しそうに、映画の登場人物の純粋な献身を嘲笑した。

「それにあの結末、あんまりだわ。やっと一緒になれたのに、すぐまたひとりにされちゃって。アタシは嫌だわ。ねえ、ぺこちゃんなら……あっ!やだ!誰かポップコーンを溢してる!お掃除しなくちゃ!」

 ダッと駆け出したクリーナーは、散らばったポップコーンの上に這いつくばった。

 クリーナーの関心はころころ変わる。そのままどこかへ行ってしまえばいいのに。

 多肢がかき集めるような動きをしているのに、実体がないからポップコーンは動かない。

「あ~ん!虚しい~!」
 クリーナーは諦めて、また僕の後ろを着いてきた。

 何も知らないママが、僕の方を振り向く。
「サービスエリアに戻る前に、夜ご飯食べちゃいましょう。一つ下の階に、ちょうどいいイタリアンレストランがあったわ」

 映画館のフロアを抜けて、ショッピングモールの降りエスカレーターに乗る。

 そして、クリーナーは最後に最も鋭い刃を僕に突きつけた。

「アタシなら、彼女に自由なんていう生ぬるいものは与えないわ。絶対に逃げられないように、閉じ込めちゃう。……あんたもそうするんでしょ、ぺこちゃん」


 レストランで夕食を済ませる間も、ママはひたすら今後の予定という名の支配のレールを淡々と敷き続けた。旅を終えた後も続く日常の話題だけを穏やかに維持する。

 まるで、車内でママが流したあの涙も、僕が告白したわたらいさんとのキスも、そしてママが発した「離れていかないよね?」という銃口も、全てが無かったことにされて綺麗さっぱり消去されたようだ。

 それは、最も冷たいネグレクトだった。
 僕の起こした行動も、それによる感情のブレやその余波も、全ては無に返される。これまでもそうだった。

「ごちそうさまでした。さあ、今日は早く休んで、明日、帰ったらすぐに勉強しなきゃ、ね?」

 会計を済ませると、ママは僕の腕を軽く掴み、モールを後にした。その力は強くないが、僕はなぜか振り解くことができなかった。


 夜の高速道路を走り、僕たちは郊外の大きなサービスエリアに到着した。時計はすでに夜の10時を回っている。

 駐車場はまばらで、トラックのエンジン音が唸るばかりだ。建物の周囲だけが照明で明るく、その外側は、すぐに漆黒の闇へと溶け込んでいる。

 ママは停車するとすぐに後部座席を倒し、毛布を取り出した。

「ママは軽く一眠りするわ。さすがに疲れちゃった。後でシャワーを浴びに出るかも……あなたも早く横になりなさい」

 ママは、僕に完璧な旅行を楽しんだ完璧な息子としての心地よい疲労感に伴う睡眠を命じた。

 とても、眠れそうになかった。

「……先に、トイレ済ませてくる」
 僕は、ダッシュボードに乗せた紙袋を手に取り、静かに車外に出た。

「なるべく早く戻るのよ」
 ママは、僕が気分転換に夜の空気を吸いたいのだろうと思ったのか、それ以上何も言わなかった。

 前夜と同じように、サービスエリアの給水所へ向かう。眩しいくらいの照明の下、僕は温かいお茶を紙コップになみなみと注いだ。その湯気が、孤独な顔を少しだけ温める。

 それが後ろめたくて、誰にも見つからないよう、そっと建物の外へ出る。

 僕は自動販売機の明かりだけが煌々と光る、誰もいない建物の外のベンチに腰掛ける。

 車のエンジンの微かな音と、遠くで聞こえる走行音だけが、現実の音だった。

 ここは、深海だ。

 僕は両手で包み込んだ熱いお茶の全ての熱を写し取るように、ぎゅっと目を閉じた。

 僕が命を繋ぐためにママの支配に屈服したのなら、今この時間で脱却の意志を固めなければならない。

 お茶を一口飲む。そして、僕は静かに、心の奥の暗く冷たい深海に呼びかけた。

「……ねえ、クリーナー」

「なあに」
 返事はすぐに、粘着質な囁きとして聞こえてきた。
「寂しそうね、ぺこちゃん」

 ベンチの隣に腰掛けたクリーナーの、悪魔のような声が僕の罪悪感を撫で回す。

「まあ、お茶なんて飲んでるの?しかも無料で貰えるやつ!ふん!ずいぶんと安っぽい温もりを求めてるのねぇ」

 僕はその声を無視し、これ見よがしに両手でコップを包み込んだ。
 クリーナーの視線を感じる。

「……ねぇ、ぺこちゃん。やっぱりそれ、アタシにも持ってきてよ。アタシだって喉が渇くわ」

 「嫌だ」僕は、その声に素早く答えた。
「これはどうせ安っぽい温もりだよ。それに君は僕の幻影だ。喉なんて渇かない」

 クリーナーは、僕の隣に座りながら、鼻で笑った。

「何を言ってるのよ! 渡会ちゃんに同じこと言われたら、自販機のジュースを買ってくるくせに! アタシは、給水器のお茶でいいって、妥協してるんだから、そのくらいサッと持ってきなさいよ!」

 クリーナーの触覚が、せわしなく動いている。

「アタシは、あんたの秘密でできてるんだから、あんたの世話を受ける権利があるわ!」

 クリーナーの言っていることは、あながち矛盾ばかりではないように思えた。確かに僕は、自分の孤独や罪を具現化したこの幻影に、最低限のケアすら与えようとしない。

 しかし、わたらいさんの要望なら、対価を払ってでも応える。

 この不公平さこそが、僕の自己否定の形なのかもしれない。
 
「……チッ」
 僕は短く舌打ちし、再び立ち上がった。
「わかったよ……持ってくるから、待ってて。それでもう、文句言うなよ」

 僕は、不満を露わにしながら、もう一度お茶を取りに行くために、建物へと歩みを進める。

 振り返ると、クリーナーは優越感に満ちた笑みを浮かべて僕を見送っていた。

「それだけ? ケチね、ぺこちゃん」

 クリーナーは、襟巻きみたいな黒いシュシュを弄りながら、僕の最も深い罪悪感を指摘した。

「ほら、クッキーも!どうせ、みんなが触った食べ残しの試食クッキーなんだから、アタシたちがお掃除しましょ!」

 僕は、もはや抵抗する気力もなかった。

「……わかったよ」

 僕は屈辱を飲み込みながら立ち上がり、サービスエリアの隅の試食コーナーに向かった。手を伸ばし、割れて欠けたクッキーの端をいくつか摘み上げる。

 今度はもう一つ紙コップを取り、冷えたほうじ茶を満たした。

 ベンチで待っていたクリーナーは、この上なく嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとう~ぺこちゃん!」

 やれやれ。僕も、改めてベンチに座る。

 すでに冷め始めているぬるいお茶の紙コップを握りしめたまま、自動販売機の明かりが届かない暗い空を見上げた。

「月を見るの、好きなんだ。……わたらいさんも、見てるかな」

 僕がそう呟くと、隣のに座っていたクリーナーが、その首に巻いた黒いシュシュを揺らした。

「きっと、見てるわよ……。本当に綺麗、ね……」

 クリーナーはそう言いながら、身体をもじもじし始めた。やがて、恋人のフリをするように、僕の肩にゆっくりと自分の頭をもたげて乗せてきた。

 実体はない。それでも僕は、全身の毛が逆立つような強烈な嫌悪感に襲われた。

「やめろっ!そんなんじゃない!離れろっ!」

 僕は静かに、しかし明確に拒絶した。
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