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世凪の腕を掴んでいたのはアドウェルだった。
「おいで、治療をしてもらう」
アドウェルはそれだけ言うと世凪を連れて部屋を出た。そのまま速い歩調で廊下を歩いていく。世凪はそんなアドウェルの背中を追いかけるようについていきながら、掴まれた腕の先の自身の手のひらに視線を向けた。小さな傷が数カ所あるのか、ところどころ血が滲んでいて、ずきずきとした痛みもあった。
「夢で怪我してもいつもは痛くないのに……」
ストレスが溜まっている時に、たまに誰かに刺されたり殴られたりする夢を見ることがある。でも『怖い』という感情はあっても痛いと思ったことはないのだ。
もしかしたら、これは夢ではないのかもしれない。
「痛むか? 世凪」
世凪の動揺が伝わったのか、アドウェルが振り返り、世凪を見やる。世凪は、大丈夫です、と微笑んだ。けれど、それは決して上手な笑顔ではなかったのだろう。アドウェルは腕を離した代わりに、世凪の肩を抱き寄せた。
「心配するな。すぐに治る」
世凪の肩を抱いたまま、アドウェルは、廊下の端まで歩く。そこから扉を開け、渡り廊下を通ると、その向こうにある建物の扉を開けた。さらに奥へと歩き、一つの部屋の前で立ち止まる。するとその扉が勝手に開いた。この国の文明に自動扉はないはずだから、世凪は驚いたが、アドウェルは構わず世凪を連れて中へと入った。
「お約束もない、こんな朝早くにどうされましたか?」
目の前の大きな執務机の向こうに座るのは、栗色の髪を後ろで束ねた細身の、おそらく男性だった。おそらく、とつけたのは、声の低さが男性のようだったからなのだが、その顔立ちが怜悧で、ボーイッシュな女性と言われても納得してしまうほどキレイだったからだ。
書斎を思わせるような部屋の主が立ち上がり、こちらへと近づく。アドウェルは、突然済まない、と告げてから改めて口を開いた。
「リゲル、彼の怪我の治癒をしてもらいたい」
アドウェルが世凪の手を取り、リゲルと呼ばれた彼の前に差し出す。
「これは……破片が刺さって痛そうですね。では、すぐに」
リゲルは世凪の手を取り、傍にあった椅子に世凪を座らせた。その目の前は執務机だが、その上にはたくさんの小瓶が並んでいる。様々な色の液体の入ったそれは、色水のようでとてもきれいだ。
「これは魔法使いの妙薬です。お手を触れることのないよう」
世凪の視線に気づいたのだろう、リゲルがそう言いながら、その小瓶のいくつかを取り出す。それを小鉢のようなものに少しずつ加え、さながら薬の調合のようなことをすると、世凪の手にその中の液体をかけた。
「……!」
驚きで声は出なかったものの、びくりと震えた世凪の傍にアドウェルが寄り添う。
「世凪、心配ない。リゲルはこの国一番の魔法使いだ。治癒魔法など、まさに朝飯前だ」
「確かに朝食はまだですねーー世凪様とおっしゃいましたか。傷は治しておきましたよ」
リゲルが世凪の手をハンカチのようなものでさらりと拭う。現れた自分の手のひらには本当に傷ひとつ残っていなかった。本当に魔法だ。
「あ、りがとう、ございます……」
こんなの自分の想像力をはるかに超えている。ここまで来てようやくこれが夢ではないと思えた。というか、夢ならきっともうとっくの前に醒めているはずなのだ。
この世界で怪我をしたら普通に痛いし、死んだら、本当に死んでしまうということだ。
「言動には気を付けよう……」
世凪がぽつりと呟くと、隣から、そうだな、とため息まじりの声が聞こえた。顔を上げるとアドウェルがその声と同じように安堵したような表情を向けている。
「常に俺が傍にいられるわけではないから、今のようなことがあれば、助けられるか分からない。リゲルだって全能ではないし」
アドウェルが言うと、リゲルは少し眉を下げた。
「怪我や病気なら、お任せ下さればいいのですが、生死に関わることは私にもどうすることもできません」
小さな怪我や軽い病気なら対処出来るが、死に直結するようなことに関しては何もできないということなのだろう。しかも、リゲルの表情が曇ったところを見ると、過去に救えない命があったのかもしれない。
「……母のことは、リゲルのせいじゃない。だからこそ、父も未だに君をここに置いてるんじゃないか」
「……そうですね。『ここ』以外、どこにも行けませんが」
リゲルが小さく笑う。その様子を見ることしか出来なかった世凪だが、その言葉には違和感を覚えた。ただ、それに触れてはいけないことも分かる。
「……世凪、そろそろ戻ろうか。レミが機嫌を損ねているかもしれない」
話題を変えるようにアドウェルが声のトーンを上げ、世凪に手を差し出した。世凪がそれを掴み、立ち上がる。
「そう、ですね。リゲルさん、ありがとうございました」
「はい、世凪様。またゆっくりとお会いしましょう」
アドウェルに手を引かれ歩き出した世凪に、リゲルが微笑む。その顔はさっきの憂いなどなかったかのように優しい表情だった。
「おいで、治療をしてもらう」
アドウェルはそれだけ言うと世凪を連れて部屋を出た。そのまま速い歩調で廊下を歩いていく。世凪はそんなアドウェルの背中を追いかけるようについていきながら、掴まれた腕の先の自身の手のひらに視線を向けた。小さな傷が数カ所あるのか、ところどころ血が滲んでいて、ずきずきとした痛みもあった。
「夢で怪我してもいつもは痛くないのに……」
ストレスが溜まっている時に、たまに誰かに刺されたり殴られたりする夢を見ることがある。でも『怖い』という感情はあっても痛いと思ったことはないのだ。
もしかしたら、これは夢ではないのかもしれない。
「痛むか? 世凪」
世凪の動揺が伝わったのか、アドウェルが振り返り、世凪を見やる。世凪は、大丈夫です、と微笑んだ。けれど、それは決して上手な笑顔ではなかったのだろう。アドウェルは腕を離した代わりに、世凪の肩を抱き寄せた。
「心配するな。すぐに治る」
世凪の肩を抱いたまま、アドウェルは、廊下の端まで歩く。そこから扉を開け、渡り廊下を通ると、その向こうにある建物の扉を開けた。さらに奥へと歩き、一つの部屋の前で立ち止まる。するとその扉が勝手に開いた。この国の文明に自動扉はないはずだから、世凪は驚いたが、アドウェルは構わず世凪を連れて中へと入った。
「お約束もない、こんな朝早くにどうされましたか?」
目の前の大きな執務机の向こうに座るのは、栗色の髪を後ろで束ねた細身の、おそらく男性だった。おそらく、とつけたのは、声の低さが男性のようだったからなのだが、その顔立ちが怜悧で、ボーイッシュな女性と言われても納得してしまうほどキレイだったからだ。
書斎を思わせるような部屋の主が立ち上がり、こちらへと近づく。アドウェルは、突然済まない、と告げてから改めて口を開いた。
「リゲル、彼の怪我の治癒をしてもらいたい」
アドウェルが世凪の手を取り、リゲルと呼ばれた彼の前に差し出す。
「これは……破片が刺さって痛そうですね。では、すぐに」
リゲルは世凪の手を取り、傍にあった椅子に世凪を座らせた。その目の前は執務机だが、その上にはたくさんの小瓶が並んでいる。様々な色の液体の入ったそれは、色水のようでとてもきれいだ。
「これは魔法使いの妙薬です。お手を触れることのないよう」
世凪の視線に気づいたのだろう、リゲルがそう言いながら、その小瓶のいくつかを取り出す。それを小鉢のようなものに少しずつ加え、さながら薬の調合のようなことをすると、世凪の手にその中の液体をかけた。
「……!」
驚きで声は出なかったものの、びくりと震えた世凪の傍にアドウェルが寄り添う。
「世凪、心配ない。リゲルはこの国一番の魔法使いだ。治癒魔法など、まさに朝飯前だ」
「確かに朝食はまだですねーー世凪様とおっしゃいましたか。傷は治しておきましたよ」
リゲルが世凪の手をハンカチのようなものでさらりと拭う。現れた自分の手のひらには本当に傷ひとつ残っていなかった。本当に魔法だ。
「あ、りがとう、ございます……」
こんなの自分の想像力をはるかに超えている。ここまで来てようやくこれが夢ではないと思えた。というか、夢ならきっともうとっくの前に醒めているはずなのだ。
この世界で怪我をしたら普通に痛いし、死んだら、本当に死んでしまうということだ。
「言動には気を付けよう……」
世凪がぽつりと呟くと、隣から、そうだな、とため息まじりの声が聞こえた。顔を上げるとアドウェルがその声と同じように安堵したような表情を向けている。
「常に俺が傍にいられるわけではないから、今のようなことがあれば、助けられるか分からない。リゲルだって全能ではないし」
アドウェルが言うと、リゲルは少し眉を下げた。
「怪我や病気なら、お任せ下さればいいのですが、生死に関わることは私にもどうすることもできません」
小さな怪我や軽い病気なら対処出来るが、死に直結するようなことに関しては何もできないということなのだろう。しかも、リゲルの表情が曇ったところを見ると、過去に救えない命があったのかもしれない。
「……母のことは、リゲルのせいじゃない。だからこそ、父も未だに君をここに置いてるんじゃないか」
「……そうですね。『ここ』以外、どこにも行けませんが」
リゲルが小さく笑う。その様子を見ることしか出来なかった世凪だが、その言葉には違和感を覚えた。ただ、それに触れてはいけないことも分かる。
「……世凪、そろそろ戻ろうか。レミが機嫌を損ねているかもしれない」
話題を変えるようにアドウェルが声のトーンを上げ、世凪に手を差し出した。世凪がそれを掴み、立ち上がる。
「そう、ですね。リゲルさん、ありがとうございました」
「はい、世凪様。またゆっくりとお会いしましょう」
アドウェルに手を引かれ歩き出した世凪に、リゲルが微笑む。その顔はさっきの憂いなどなかったかのように優しい表情だった。
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