天使のような子の怪我の手当てをしたら氷の王子に懐かれました

藤吉めぐみ

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「え、『恋の旋律』?」
 劇場に着いて演目の看板を見た世凪が驚いて声を上げる。それを聞いたアドウェルが、知ってるのか、と世凪に聞いた。
「あ、はい。メイドたちの間で流行っている恋愛小説で……僕も本を借りる予定だったんです」
 舞台化されているとは、本当に流行の良作ということなのだろう。これは俄然楽しみになってきた。マリアが言うにはきわどいシーンもあるということなので、そのへんについてもしっかり観たいところだ。
「なるほど。だったら世凪も楽しめそうでなによりだ」
 アドウェルにさわやかな笑みを向けられ、下品な妄想でよだれを垂らしそうになっている自分をしまい込んで、世凪は頷いた。
 『恋の旋律』は大きな戦争の後まもない頃の話だ。戦争特需で家業を拡大させ爵位をもらった家の令嬢は、更なる家の発展のため、三十も年上の男性と政略結婚をさせられる。夜を共にしたくなくてわざと不潔でいたり地味な格好をしたり体調不良と嘘をついたりしてのらりくらりと躱していたある日、家にピアニストが来る。芸術家のパトロンになるのが貴族のステータスということもあり、主人は彼を受け入れ、令嬢はピアニストの傍でだけ安らげるように。いつしか二人の間に恋が芽生えるが、そんな時主人に「今夜は部屋で待っていなさい」と言われた令嬢は、ピアニストと共に逃避行に旅立つ、というところで一章が終了する。舞台もここまでが再現されているようで、マリアがドキドキするといっていたようなシーンはなかったが、主人と令嬢のやり取りにハラハラしたり、ピアニストと愛を育んでいく甘い場面は見ていて胸がきゅんと高鳴った。世凪的には、久々に萌えを堪能して、劇場を出る頃には、本当に満足していた。
「見ごたえのある話だったが……世凪はどうだった? 嫌ではなかったか?」
 劇場を出て歩き出したアドウェルが世凪に不安そうな顔を向けて問う。きっと令嬢が主人から逃げ回っているのが、これから世凪に課せられる試練と似ているので心配になったのだろう。世凪はそんなアドウェルの不安を拭うように笑顔で、楽しかったです、と答えた。
「僕、恋愛小説とか好きなので、とても楽しかったです」
「そうか……じゃあ、何か本でも見ていこうか」
「いいですね、行きましょう」
 アドウェルの提案に世凪が頷く。すぐ傍に居た護衛の男性がアドウェルを案内するように書店のある方へと歩き出した。その時だった。
「そこのキレイなお嬢さん、観劇の記念にひとつどうだい?」
 そんな声が隣から響いて、世凪が思わず足を止める。小さな屋台の向こうにいる年配の女性がこちらに微笑んでいた。
「僕はお嬢さんではないんですが……これ、手作りですか?」
 屋台にはアクセサリーが並んでいた。こんなところでこんな高価なものを売っているのかと怪訝に思っていた世凪に、これは真鍮とガラスだな、とアドウェルが話す。確かによく見ると子供のおもちゃのようなチープなものだった。ただ、装飾は細かく、ガラスだと思えないほど磨かれていて、とてもきれいだ。
「ええ。でも、キレイでしょう? これなんか、お似合いですよ」
 屋台の女性がひとつの指輪を差し出す。雫型に加工された薄青のガラスが付いたものだ。雫型の宝石は今見てきた『恋の旋律』の中でピアニストが令嬢に贈る指輪に付いているもので、これは完全に無許可で便乗して売っているのだろう。商魂たくましいなと思いながらも、その指輪のクオリティは高いと思えた。これが金と宝石ならそれなりの値段が付くだろう。
「……これ、おいくらですか? ふたついただくので、これで売ってもらえませんか?」
 世凪がスーツのポケットからハンカチを取り出し、そこに包んでいた紙幣を女性に見せる。その様子を見ていたアドウェルが、世凪、と差し出した世凪の腕を掴んだ。
「欲しいなら俺が。というか、金なんてどこで手に入れた?」
「これは……とあるメイドと衛兵からいただいた、一応正当な報酬です。なので、ここは僕に買わせてもらえませんか?」
 世凪がアドウェルをじっと見つめる。世凪の気持ちが伝わったのかアドウェルはしばらく考えた後に、するりと手を解いた。
「……本当は少し足りないけど、おまけしようね」
 屋台の女性は指輪をひとつずつ専用の箱に入れ、代金と引き換えに世凪に渡した。世凪がそれを笑顔で受け取る。
「ありがとうございました。大事にしますね」
 世凪が女性に礼を言ってからアドウェルに視線を戻す。アドウェルの表情はなんだか晴れないが、世凪はそんなアドウェルに箱のひとつを手渡した。
「ひとつは差し上げますね」
「……え?」
 驚いたアドウェルに笑いかけてから世凪は歩き出した。アドウェルがその後を追い、すぐに隣に並ぶ。
「世凪、これは……」
「今日の記念です。これを見た時に、僕と出掛けたなって思い出してもらえたら嬉しいなと思って」
 ふふ、と笑うと、アドウェルが世凪の手を取り、こっちへ、と世凪を混雑した通りから川沿いへと導いた。
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