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しおりを挟む翌日の深夜より少し前、使用人に部屋から連れ出された世凪は、リゲルの執務室へと来ていた。いつも来ていた場所なのに、今日はそこに全く穏やかさはなかった。午前中の柔らかい陽が入る温かい場所が恋しい。
「世凪様、お久しぶりですね」
大きな窓から見える満月を背にしたリゲルが、ろうそくの明かりの中で微笑む。今日はいつものスーツの上に黒いマントを付けていた。これが魔法使いの正装なのかもしれない。
「はい……こんなに突然どこにも行けなくなると思ってませんでした。日々の業務に支障はありませんでしたか?」
「ええ。幸い、マリアが来てくれていたので、相談業務以外は滞りなく」
確かに世凪がいないと相談はできないだろう。最近は色々な人から話を聞くのが楽しかったし、頼りにしてもらえるのが嬉しかった。
でももう二度とそれは出来ないのだろう。
「それは、なによりです」
「……では、始めましょうか。世凪様は奥の部屋へどうぞ。ここから先はご本人以外誰も入れませんので、あなたはここでお待ちください」
リゲルが世凪に近づき、その後ろに控えていた使用人に声を掛ける。それから、行きましょう、とリゲルが世凪の背中に腕を廻し、エスコートするように歩き出した。
執務室の奥のドアを開け、中へと世凪を導くと、リゲルはそのまま後ろ手にドアの鍵をかけた。
その音だけで世凪の緊張が高まった。こうなることを受け入れて、恋も自由も諦めたつもりだが、やはり怖いものは怖い。
震えそうになる指をぎゅっと握りしめ、世凪はリゲルを振り返った。
「痛いとか苦しいとか、ありますか?」
「……多少の倦怠感はあるようですが……その前に世凪様、少し話をしませんか?」
「話、ですか……?」
この部屋は、どうやらリゲルの私室も兼ねているようで、奥には整えられたベッドがあり、その手前にはソファとテーブルが置かれていた。リゲルが世凪の背中を軽く押して、ソファへと座らせる。
「私からいくつか提案があるのですが」
リゲルは世凪の隣に座り、少し抑えた声で告げた。世凪がその言葉に首を傾げるとリゲルはそのまま言葉を繋ぐ。
「もし、世凪様が納得されていないのなら、儀式をしたことにして時間を稼ぐことができます。その間に王宮から逃げることも、元居た世界に戻ることも出来ますが、どうしますか?」
リゲルの言葉はあまりにも予想外だった。世凪は、え、と息を詰まらせたまましばらく時を止める。
「あ、の……そんなこと、出来るんですか……?」
「ここから逃げることは多分、とても容易いです。それだけ、世凪様は使用人たちに好かれていますので、手引きしてくれる者も、その後の生活の見通しを立ててくれる者もいます。現にマリアは『世凪様がここから逃げ出すなら父の診療所に匿ってもらうつもりがある』と言ってますしね。元の世界に戻すことは……実は私もやったことがないのですが、文献を調べて、魔法使いの仲間からも情報を貰ったので戻せる確率は高いと思います」
リゲルもマリアも自分の為に動いてくれていたのだと思うと世凪の胸はそれだけで温かくなった。手助けをしたいと思えるくらいの関係になれていたことが嬉しい。
「僕は幸せ者ですね」
「ちゃんと、幸せになってもらわなくては困りますがね。……どうされますか?」
リゲルに改めて問われ、世凪は視線を泳がせた。
「もし......まだ諦めなくていいのなら、諦めたくないです」
もちろん、アドウェルと結ばれるかは分からないし、きっと難しいだろう。それでも、誰のものにもならず、ひとりでアドウェルを想いながら生きていけるのならその方がずっと幸せだ。
「わかりました。どうするかはまた考えることにして、今日は儀式をしたことにしましょう。儀式の後は一週間世凪様に休養期間が与えられます。会えるのは世話役の使用人と私だけですので、明日から相談しましょう」
リゲルが世凪の顔を見つめ微笑む。世凪はそれに頷いた。
まだ何かが変わった訳ではない。もし儀式をしていないとバレたら世凪はもちろん、リゲルだってタダではすまない。それでも協力してくれると言ってくれるだけで世凪の気持ちは随分救われた。
もう自分から自分の幸せを捨てようとは思わない。
「僕......やっぱりアド王子以外の人とは結婚したくないです」
世凪がリゲルを真っ直ぐに見つめはっきりと告げる。リゲルは優しい表情を浮かべ頷いた。
「誰でも幸せに手を伸ばす権利はあります。私もできる限り協力しますよ」
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