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しおりを挟むやはり定時間際といえど、割とオープンな場所で話してしまったのが拙かったのかもしれない。池上と話した翌週には、社内にすっかり池上バツイチ説という噂が流布しきっていた。
「池上課長ってお子さん居るんでしょ? ショックー」
「やっぱりコブ付きだとあれだけの物件でも考えちゃうよね」
匡史が通りかかった談話スペースでは女子社員が自分勝手にそんなことをぼやいていた。誰が二人の話を聞いていたのかは知らないが、そこに匡史が絡んでいないのが不思議だった。まあ、常識的に考えれば、男同士、しかもアルファ同士でどうにかなるなんて考えにくいから、池上が話していた相手が匡史だということは気にされなかったのかもしれない。
「あ、金丸くん」
コーヒーを買うため、その場に立ち寄った匡史は、案の定彼女たちに声を掛けられた。このところずっと声さえ掛けなかったのに池上が理想から外れただけでこちらに戻るなんて現金な生き物だよな、と思いながらもいつもの笑顔で、何、と振り返る。
「今週どこか空いてない? 食事行こうよ」
「あ、いいな。私もー」
じゃああたしも、とその場の女の子たちにねだられるように誘われて匡史は心の中でため息を吐きながらも笑顔は崩さない。いつからか、匡史はこういう誘いから興味を失っていた。前はそこに打算があると知っていてもお互いさまと思って割と嬉しかったというのに、このところは面倒事のひとつに成り下がってしまっている。確実に自分の中の何かが変わり始めていた。
「そうだね。今週はわかんないけど、そのうち空けるから」
「いつう?」
「うーん……とりあえず、一件デカイ仕事抱えてるから、それが終わったら、かな?」
適当に理由をつけて笑顔のままで、ごめんね、と謝れば大抵の子は引いてくれる。この日も、その内絶対ね、と言い今週は諦めてくれた。一時なくなっていたこんな誘いも、池上の噂が広がると同じ比率で増えてきているから、人の評判というのは面白い反面怖い。
確実に自分に人気票が戻ってきていることは実感していた。以前と変わらない生活に戻るというのに、心はちっとも安寧を取り戻さない。理由がわからないから余計に腹立たしい。
「金丸、遅えよ。もう出かける時間だぞ」
オフィスに戻ると安藤が上着をきちんと着てお待ちかねの様子だった。
「いい男は少し遅れて登場するんだよ」
「いや、仕事だから。アポの時間間に合わなくなる」
「はいはい。じゃあ安藤が運転な」
匡史は適当に返事をして、デスクチェアに掛けたままだった上着を手に取ると不機嫌な安藤と共に会社を出た。
安藤が運転する営業車の助手席で匡史はスーツのポケットでスマホが震えたことに気づき、それを取り出した。
「どした?」
隣から安藤が、仕事か、と聞く。匡史は、いや、と首を振りながらスマホの画面に触れる。
「メッセ。瑛蒔から」
「えいじ? 誰だよ、それ」
「なんまらめんこい俺のダチ……って、瑛蒔に言ったら『は?』って返されたんだよ、そういえば。都会っ子は方言知らないんだな」
「だからその『とても可愛らしい』金丸の友達って?」
一向に進まない会話にため息をついた安藤が更に聞く。匡史はスマホ画面に指を滑らせメッセージの返事をしながら、課長の子、と呟くように答えた。
「……課長って、池上課長? じゃあ、その子が噂の、コブ?」
「五歳にして『おうじさま』の異名を取るイケメンで、メッセージアプリの使い方を一晩で覚える聡明なお子様だよ。コブっていうには優秀すぎるよ」
マサチカいつになったらウチにあそびにくるんだよ、というメッセージは先週から何通か貰っている。けれど池上の手前、じゃあ明日、と簡単には言えない。匡史はいつも通り、こんどな、と返した。それを送信してすぐに、今度は電話の着信が鳴る。相手が池上だったので、少し笑いを堪えてその電話を取った。血は繋がっていなくてもこのタイミングはまるで親子だ。
「はい、金丸です」
『瑛蒔がまた仕事中にメッセージを送っただろ』
「ええ、今来ましたよ。ご一緒ですか?」
聞くと、スマホ返せ、という瑛蒔の声が背後から響いていた。
『熱を出して、今迎えに来たところだ。家に連れて寝かせたらまた戻るよ』
後ろの瑛蒔に暴れるなと叱っているのを聞いていると、既に車に乗せて自宅へと向かっているのだろう。なるほど、それでこのタイミングか、と合点がいった。このまま池上を会社に戻せば瑛蒔は一人なのだ。慣れない家に一人、熱で弱った子供にはちょっと厳しい環境だろう。
「課長、戻らなくていいですよ。なんとかなりますよ、半日くらい」
『そうは言っても……』
「瑛蒔の傍に居てやってください。あ、それから少しだけ瑛蒔の見舞いに行ってもいいですか? もちろん、仕事が終わってからになりますけど」
しばらく沈黙した後、池上はため息を吐いて、瑛蒔に代わる、と言った。一瞬空いて、もしもし、という元気な声が響く。
「瑛蒔、風邪か? 辛いか?」
『平気。だけど、今日は帰れってさー』
「そっか。今日は課長が居てくれるから、大人しく寝てろよ。それから俺も仕事終わったら見舞いに行くから、なんか喰いたいもんあるか?」
『アイス! コンビニで売ってるでっかいパフェみたいなのがいい』
「わかったよ。じゃあ、課長の言うこと聞いてしっかり休め」
匡史は苦笑しながら瑛蒔に言うと、元気のいい了解が返ってきたので、またな、と電話を切った。
「父親みたいだな、金丸」
となりで安藤がおかしそうに笑う。そうか、と聞き返すと、頷きが返った。
「なんか、奥さんから掛かってきた電話に出る旦那みたいな感じだった」
「相手は課長だぞ、バカバカしい」
ふん、と鼻で笑って匡史はスマホを仕舞い込む。けれど隣の横顔は少しも笑っていなかった。
「間に子供がいれば、自然と近づいたりしちゃうものなんじゃないの? 金丸、男だっていけそうだしな」
「バカ言うなよ、オメガならまだしもアルファ相手に……大体、いきなりそんな話にはならないだろ」
言葉で否定しながら、匡史は初めて池上を見た時の衝撃だとか訳もなくキスしたこと、それに池上から何度も感じているあの香りを思い出していた。瑛蒔という存在が居なくても今まで出会ったことのない動揺を覚えているのだ。安藤の言うことも全くないとは言いがたい。ただそれが、恋かどうかと問われると、違う気がする。こんな複雑な感情は初めてだし、そもそも恋をしていい相手ではない。
「そうかな。少なくとも俺には二人が親密に見えるよ。正直妬けるね」
俺の金丸クンが嫁に行ったみたいで、と安藤が大仰なため息をつくので、バカか、と匡史は安藤の頭を指先で小突いた。
「嫁に行くくらいなら、瑛蒔ごと貰うね」
冗談のつもりで言ったのに、安藤はちっとも笑ってくれなくて、気まずいまま車は三橋ホームの駐車場へと滑り込んでいった。
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