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エレベーターを待つのがもどかしくて、非常階段で一階まで降りる。ロビーを渡り、正面のドアを抜けると、目指す人物は小さな後姿になっていた。匡史は一度立ち止まり、ふうと深く息を吐いてから一気に走り出した。こんなスピードで走るのは、学生の頃以来ではないかと頭で考えながら、ぐんぐん大きくなる背中を目指して走り続けた。
「課長! 池上課長!」
その背中が手の届く距離になった時、匡史は声を張った。驚いて振り返るその顔が、懐かしかった。たった数日会っていないだけなのに、こんなにも恋しかったのかと自分で自分の感情に驚く。
「金丸……くん……」
「帰るの、早すぎです」
上がった息を整えようと、匡史は深呼吸を繰り返す。大丈夫か、と聞く池上に頷いて匡史は口を開いた。
「用事終わったら、少し時間貰えませんか?」
「え……あ、いや……用事、なんてないんだ」
池上は言いにくそうに俯くと、一呼吸置いてから、実はね、と話し出した。
「君が、今日戻ってくるって言ってたから、会わないようにしようと思って……飛行機の時間から鑑みて会社出ただけなんだ」
「俺と、会いたくなかったですか?」
匡史が寂しそうに言うと、違うよ、と池上が懸命にかぶりを振る。
「出張の前、君は僕を避けていたようだから……君が会いたくないんじゃないかと思って」
池上がちらりと匡史の顔を窺う。その怯えたような目に、ごめんなさい、と素直に謝った。
「俺、逃げてました。でも、もう逃げるの止めます」
「それは、どういう気持ちの変化?」
池上が微笑んで歩き始めた。匡史がそれに並ぶ。
「東京で、本田さんに会いました」
匡史の言葉に、池上は再び足を止めた。驚いた顔をしてから、でも本田の立場を思い出したのか会うのは当然と気づいたらしく、また歩き出して、それで、と話を促した。
「全然似てなかった。確かに八方美人っぽいとこは似てんのかもしれないけど、そのくらいだった――だから、課長の……聡二さんの気持ちを確かめようと思って」
「……最後まで話を聞かずに自己完結していたな、確か。代わりだとかそんなものじゃなくて、僕が言いたかったのは、優しいってことなんだ。放っておけばいいものを、わざわざ首を突っ込む――そんな人、本田以外に見たのは初めてで、興味が湧いたってことで。そんなもの、きっかけにすぎないんだ」
ゆっくりと、時々言葉を選びながら池上は、それでも滔々と話した。匡史はそれを隣で黙って聞いていた。
「確かに、色んなところに首突っ込みそうな人でした」
「だろ? 困ってる後輩が居れば放っておけない。先輩に手を貸せって言われれば文句を言いながらでも結局手を貸す。猫は拾うし、鳥は保護するし……今の彼女との出会いも、男に絡まれてた彼女を助けたのがきっかけらしい。そういうヤツなんだ」
「俺、動物は保護したことないですけど」
「でも、瑛蒔を放っておけなかったんだろ、あの公園で。瑛蒔は、魔法の言葉を教えてもらったらみんなと仲良くなれたって喜んだよ」
池上が笑う。確かにあの時、瑛蒔を放ってはおけなかった。だから、たった一言を、きっかけをあげたにすぎない。
「そういうところ、僕は好きだよ」
「やっぱり本田さんに似てるからじゃないですか」
「本田は、君ほど他人の心に敏感じゃないよ。君ほど積極的じゃないし、君ほど行動的でもない。君には驚かされてばかりだった、何でも突然で。でも……いつの間にか、惹かれていった」
穏やかな顔で池上が前を見つめる。その横顔を眺めながら、匡史が口を開いた。
「本田さんのところに帰るつもりはないんですか?」
「ないよ。異動願いを出したときに、そう決めた。第一、その頃にはもう気持ちは褪めてたしね。でも僕が居ないと、幼い瑛蒔の世話をする人がいなくなると思って一緒に居ただけだから。瑛蒔の母親を僕は知らないし、本田には聞けなかったし、自分しかいないと思って」
その頃なら瑛蒔はまだ四歳だ。確かに大人びた子供でも何もかも一人で出来る歳ではない。その言葉を聞いて、ふと本田から聞いたことを思い出した。
「じゃあ……夏のことは?」
「夏?」
「本田さんと最後に……したこと」
匡史が声のボリュームを下げた。さすがに往来では聞きにくい。
「本田と? そんなことまで話したのか」
呆れた奴らだな、と池上が大きくため息をつく。それでも、あれはね、と話し始めてくれた。
「確かめたんだ。僕の気持ちをね。まだ本田をそういう目で見られるのかって。自分の中に気持ちが残ってたら戦おうって思ったんだけど……結果は残念なものだったよ」
慣れ親しんだ体とオメガという性のおかげで、きっと行為自体は出来たのだろう。ただ、気持ちは高まらなかった、そういうことなのだと匡史は想像した。
「だから、本田が別れを切り出したとき、そういえば別れてなかったなっていうことしか思わなかったんだ。本田はもう家族だったんだな、多分。瑛蒔の父親でしかなかったんだよ」
本田と同じことを言う池上に、匡史はわかった、と頷いた。
「疑ってばっかりですみませんでした。課長は、俺のことをちゃんと見て、知ってくれて好きになろうとしてくれている……そう信じていいってことですよね?」
もちろんだというように、池上が大きく頷いた。
「俺の気持ちも、迷惑にはならないってことですよね? 好きでいて、いいですか? 俺、多分本田さんと違って、かなり一途になりますよ。運命とか思ってるくらいなんですから」
匡史が聞くと、池上は足を止めて笑顔を向けた。
「歓迎するよ……君にとって運命なら、僕にとってもそうかもしれないな」
その言葉が嬉しくて、匡史は池上を抱きしめたい衝動に駆られる。けれど帰宅ラッシュの往来でそんなことをするわけにはいかず、匡史は笑顔を返すだけに留めた。
「課長! 池上課長!」
その背中が手の届く距離になった時、匡史は声を張った。驚いて振り返るその顔が、懐かしかった。たった数日会っていないだけなのに、こんなにも恋しかったのかと自分で自分の感情に驚く。
「金丸……くん……」
「帰るの、早すぎです」
上がった息を整えようと、匡史は深呼吸を繰り返す。大丈夫か、と聞く池上に頷いて匡史は口を開いた。
「用事終わったら、少し時間貰えませんか?」
「え……あ、いや……用事、なんてないんだ」
池上は言いにくそうに俯くと、一呼吸置いてから、実はね、と話し出した。
「君が、今日戻ってくるって言ってたから、会わないようにしようと思って……飛行機の時間から鑑みて会社出ただけなんだ」
「俺と、会いたくなかったですか?」
匡史が寂しそうに言うと、違うよ、と池上が懸命にかぶりを振る。
「出張の前、君は僕を避けていたようだから……君が会いたくないんじゃないかと思って」
池上がちらりと匡史の顔を窺う。その怯えたような目に、ごめんなさい、と素直に謝った。
「俺、逃げてました。でも、もう逃げるの止めます」
「それは、どういう気持ちの変化?」
池上が微笑んで歩き始めた。匡史がそれに並ぶ。
「東京で、本田さんに会いました」
匡史の言葉に、池上は再び足を止めた。驚いた顔をしてから、でも本田の立場を思い出したのか会うのは当然と気づいたらしく、また歩き出して、それで、と話を促した。
「全然似てなかった。確かに八方美人っぽいとこは似てんのかもしれないけど、そのくらいだった――だから、課長の……聡二さんの気持ちを確かめようと思って」
「……最後まで話を聞かずに自己完結していたな、確か。代わりだとかそんなものじゃなくて、僕が言いたかったのは、優しいってことなんだ。放っておけばいいものを、わざわざ首を突っ込む――そんな人、本田以外に見たのは初めてで、興味が湧いたってことで。そんなもの、きっかけにすぎないんだ」
ゆっくりと、時々言葉を選びながら池上は、それでも滔々と話した。匡史はそれを隣で黙って聞いていた。
「確かに、色んなところに首突っ込みそうな人でした」
「だろ? 困ってる後輩が居れば放っておけない。先輩に手を貸せって言われれば文句を言いながらでも結局手を貸す。猫は拾うし、鳥は保護するし……今の彼女との出会いも、男に絡まれてた彼女を助けたのがきっかけらしい。そういうヤツなんだ」
「俺、動物は保護したことないですけど」
「でも、瑛蒔を放っておけなかったんだろ、あの公園で。瑛蒔は、魔法の言葉を教えてもらったらみんなと仲良くなれたって喜んだよ」
池上が笑う。確かにあの時、瑛蒔を放ってはおけなかった。だから、たった一言を、きっかけをあげたにすぎない。
「そういうところ、僕は好きだよ」
「やっぱり本田さんに似てるからじゃないですか」
「本田は、君ほど他人の心に敏感じゃないよ。君ほど積極的じゃないし、君ほど行動的でもない。君には驚かされてばかりだった、何でも突然で。でも……いつの間にか、惹かれていった」
穏やかな顔で池上が前を見つめる。その横顔を眺めながら、匡史が口を開いた。
「本田さんのところに帰るつもりはないんですか?」
「ないよ。異動願いを出したときに、そう決めた。第一、その頃にはもう気持ちは褪めてたしね。でも僕が居ないと、幼い瑛蒔の世話をする人がいなくなると思って一緒に居ただけだから。瑛蒔の母親を僕は知らないし、本田には聞けなかったし、自分しかいないと思って」
その頃なら瑛蒔はまだ四歳だ。確かに大人びた子供でも何もかも一人で出来る歳ではない。その言葉を聞いて、ふと本田から聞いたことを思い出した。
「じゃあ……夏のことは?」
「夏?」
「本田さんと最後に……したこと」
匡史が声のボリュームを下げた。さすがに往来では聞きにくい。
「本田と? そんなことまで話したのか」
呆れた奴らだな、と池上が大きくため息をつく。それでも、あれはね、と話し始めてくれた。
「確かめたんだ。僕の気持ちをね。まだ本田をそういう目で見られるのかって。自分の中に気持ちが残ってたら戦おうって思ったんだけど……結果は残念なものだったよ」
慣れ親しんだ体とオメガという性のおかげで、きっと行為自体は出来たのだろう。ただ、気持ちは高まらなかった、そういうことなのだと匡史は想像した。
「だから、本田が別れを切り出したとき、そういえば別れてなかったなっていうことしか思わなかったんだ。本田はもう家族だったんだな、多分。瑛蒔の父親でしかなかったんだよ」
本田と同じことを言う池上に、匡史はわかった、と頷いた。
「疑ってばっかりですみませんでした。課長は、俺のことをちゃんと見て、知ってくれて好きになろうとしてくれている……そう信じていいってことですよね?」
もちろんだというように、池上が大きく頷いた。
「俺の気持ちも、迷惑にはならないってことですよね? 好きでいて、いいですか? 俺、多分本田さんと違って、かなり一途になりますよ。運命とか思ってるくらいなんですから」
匡史が聞くと、池上は足を止めて笑顔を向けた。
「歓迎するよ……君にとって運命なら、僕にとってもそうかもしれないな」
その言葉が嬉しくて、匡史は池上を抱きしめたい衝動に駆られる。けれど帰宅ラッシュの往来でそんなことをするわけにはいかず、匡史は笑顔を返すだけに留めた。
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