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しおりを挟む「――起きてくれ!」
誰かの、そんな必死な声で目を覚ますのは初めてのことだった。驚いて目を開けた匡史の視界に、池上の顔が映る。
「あ、おはようございます……聡二さん」
腕を伸ばしてキスをしようと池上の頭を引き寄せる。けれど、池上にすぐに振り払われてしまった。
「そんなことしてる場合じゃない! 瑛蒔が居ないんだ!」
いつになく慌てた声と、不安な表情に、匡史は起き上がり、ちゃんと話して、と池上をベッドへ座らせた。
「だから、瑛蒔が居ないんだよ! 瑛蒔のスマホに掛けても出ないし、保育園と職場に電話してみたけど、どっちにも行ってなくて……金丸くんの家は? 瑛蒔知ってる?」
「いや……コンビニとかは? 瑛蒔なら一人で行けるんじゃないですか?」
池上を落ち着かせようと、わざとゆっくり穏やかに聞く。
「こんな手紙、置いて行くか?」
池上が、握りこんでいた紙を差し出した。匡史はそれを受け取り目を落とす。
『そうじへ。
おやじのとこにいく。まさちかとなかよくね』
つたないひらがなの短い手紙は間違いなく瑛蒔のものだった。
「おやじって……本田さん? 東京?」
まさか、と匡史がその手紙を返すと、いや、と池上が首を振る。
「本田が万が一の時にって、瑛蒔に飛行機代を預けてるんだ。瑛蒔のスマホには、もちろん本田の番号も入ってる」
「ていうことは、瑛蒔が本田さんに電話して、話が通れば……あるいは、ってこと?」
一人きりでも東京に戻れるかもしれないということだ。むしろ瑛蒔ほどしっかりしていれば、そのくらい容易いかもしれない。
「俺、昨日瑛蒔に東京の戻り方、結構詳しく教えた、かも……」
匡史は昨夜のことを思い出し、両手で顔を覆った。子供はそういう話が好きだろうと勝手に解釈して話してしまった。そう告げると池上は、君のせいじゃないよ、と冷たい手で匡史の頭を撫でた。
「とにかく、空港向かいましょう。そこの可能性が一番高いですよね?」
匡史はベッドから出ると急いで服を着込んだ。すぐに準備を終えた匡史が、行きましょう、と玄関へ向かう。
「営業車、乗って帰ってくりゃよかった」
失敗したな、と舌打ちする匡史に、池上は玄関にあるキーボックスを開けて、ひとつの鍵を差し出した。
「ウチの車、使えるか? さすがに僕は、千歳まで運転できる自信がない」
「……俺、昨日無茶しましたか、ね……?」
「まあ、それもあるが、まだ土地勘もなくて」
やっぱりそれもあるんだ、と匡史は反省しつつ、だったら今ここで返すべきだと、鍵を受け取った。
池上のマンションの駐車場から国道へ出て、更に高速へと乗った軽自動車は、強い風に煽られながら、それでも出せるギリギリの速度で空港を目指していた。
「居るかな、瑛蒔……JR乗れてるのかな?」
事故とか事件に巻き込まれてないだろうか、迷子になってないだろうか――不安は不安を呼び、池上は心配ばかりを膨らませていた。助手席の蒼い顔を見ていると、匡史は池上まで心配になってくる。
「瑛蒔なら、大丈夫ですよ」
「でも、あの子はまだ五歳だよ」
まだ親がしっかりとついて歩かなければならない歳だ。まして、土地にも慣れていない。
「前に、合コンで知り合った子に、CAがいるんですけど、連絡してみますか?」
探してくれるかもしれない、と匡史が言った。けれど、間髪いれずに池上は、嫌だ、と答える。ダメ、ではなくて、嫌、だった。
「瑛蒔は心配だ……でも、君が他の子に連絡を取るのはそれ以上に心配だ」
ちゃんと想われている――そう思うと嬉しくて泣きそうになる。けれどそうするわけにもいかないから、真っ直ぐ前を見つめ運転を続けていると、ふいに隣から手が伸びてきた。ステアリングを握る左手に、その右手を添えられる。
「ごめん……少しだけ」
池上の冷たい指が、匡史の手を撫でる。匡史は思わずその手を握ってしまった。どうすることも出来ない不安と、自己満足のために最善を選べなかったことに対する罪悪感が渦巻いているのだろう。それを思うと、運転の邪魔などと思えなかった。
「一分だけ。すぐに安全運転に戻りますから……少しだけ繋いでていいですか?」
匡史の言葉に、池上は指を絡めるように強く手を繋ぎなおした。
「瑛蒔はきっと大丈夫です。俺たちが思う以上に大人ですよ」
「そう信じてる」
池上は呟くように答えると、ぐっと強く匡史の手を握り返した。そこへ突然、匡史のスマホが着信を告げる。名残惜しく思いながら、池上の指を解いて匡史はイヤホンマイクでその着信を取った。
『お、サボリ。電話には出れたか』
相手は安藤だった。そういえば会社のことをすっかり忘れていた。社会人としてどうなんだと自分で思ったが、出勤時間をとうに過ぎている今、何を言っても仕方がない。
「色々あんだよ」
『うん。だろうな。私服の池上課長が部長と話だけして帰って、その後ボードに課長が有休、お前が病欠って書かれてたから、その通りってわけじゃないんだろうなと思ってたけど』
お前が病気なんかするわけねえし、と不遜に言われ、匡史は不機嫌に眉を顰めた。
「で、今忙しいんだけど、用件を言え。十五文字以内」
匡史がイライラしながら言い放つと、向こうで盛大なため息をついたのがわかる。なんなんだよ、と言おうとすると、安藤が言葉を返した。
『目の前に本田さんと男の子がいる』
ぴったり十五字だな、と安藤が勝ち誇ったように言う。それを聞いて匡史は、え、と大きな声を出した。隣で池上が心配そうにこちらを見つめている。
「……安藤、お前、今、どこ?」
『新千歳。メイプルホームの常務のお出迎えだ』
「瑛蒔は? そこに居るのか? お前と一緒?」
『やっぱり探してた? 男の子。本田さんの息子だとしても課長もお前も居ないのは変だなと思って』
安藤の言葉に、匡史は自然とアクセルに体重を掛けた。もうすぐ高速の出口だ。降りればすぐに空港へたどり着く。
「ああ.......安藤、仕事中だってわかってる。けど……」
『到着が十時二十分だ。それがタイムリミット』
安藤は匡史の言いたいことを理解して条件を口にした。匡史が腕時計を確認する。十時少し前だった。
「なんでもいいから、足止めしとけ!」
『明日の昼はうなぎがいいな、俺』
「うなぎ? ふざけんなよ」
『じゃあ、寿司。カウンターでね、当然』
「……うなぎで手を打とうじゃないか、安藤くん」
『交渉成立』
勝ち誇ったように鼻で笑った安藤が、じゃあ後で、と電話を切った。
「安藤くん、なんて?」
再びイヤホンマイクに触れ、電話を切った匡史に、池上が心配そうに聞く。
「瑛蒔を見つけたそうです。本田さんも一緒だと」
「本田も? 迎えに来たってことか……?」
「多分、そういうことだと」
匡史が頷くと、急いでくれないか、と池上が匡史を見やる。目の前の速度表示を一瞬見やってから、匡史はそれでもアクセルを踏み込んだ。
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