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17. 優等生らしさのようなもの

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 朝食のあと、ミレーユはシャロワ伯爵の執務室に呼び出されていた。
 そびえ立つ背の高い書棚をバックに、厳めしい顔をした伯爵は立派なデスクについている。
 この部屋には城内で最も大きな暖炉があり、惜しみなくくべられた薪が燃えていた。マントルピースには狼とレテの花をかたどった見事な彫刻が施され、その中央に飾られた先代伯爵の自画像と、ソファにずらりと座った一族たちがミレーユを注視している。
「体調はどうだね? ミレーユ」
 伯爵はお決まりのご機嫌うかがいをしてきた。
「お天気も良いですし、気分は爽快です。お爺様」
 ミレーユは努めてにこやかに返す。
 室内は熱気がこもり、この寒さだというのにミレーユの肌は汗ばんでいた。
 いや、ひどく緊張していたのかもしれない。自分でも気づかないうちに……
「……昨晩は邪魔が入ってね。いったん、計画を見直すことにしたよ」
 伯爵はゆっくりと白い手袋を外しながら言った。
 ミレーユは訳知り顔でうなずく。
「ええ、そのほうがいいと思います。タバコの火の不始末でしょうか? メイドが噂していましたが。使用人たちに厳重注意しなければなりませんね」
 伯爵はじっとミレーユを凝視したのち、一言一句たしかめるように言った。
「……人為的な、火付けだと思っているよ。我々は」
 内心ギクッとしたが、おくびにも出さずに驚愕の顔を作る。
「まあ、本当ですか? そんな危険なこと……いったい、誰が?」
「我々もまだ確証は掴んでいない。誰か心当たりのある人物はいるかね? ミレーユ」
「……さあ? てっきり、使用人の不始末だと思っていたものですから。見当もつきません」
 ヒヤヒヤしながらも、肩をすくめてみせた。
 ……大丈夫だ。絶対バレていない。バレるはずがない。一族たちは皆、襲撃の準備で忙しかったし、実行には万全を期した。誰にも見られていないはず。
「そうか。おまえにも心当たりなしか。だが、我々はある程度の当たりはつけている」
「へえ、そうなんですか? 誰だろう? ぜひともお聞かせ頂きたいです」
 そう言うと、伯爵は考え込むように自らの顎を撫でる。
 話している間中、一族の視線が気になって仕方なかった。ミレーユの表情の変化を細大漏らさず見逃すまいと、全員が冷ややかに注視している。誰もが同じシャツを着て、きっちりジャケットを羽織り、沈黙を守り身じろぎもせず、長であるシャロワ伯爵の命令を待っていた。
 完璧に取れた統率。一糸乱れぬ整列。
 これじゃ、まるで軍隊みたいだ。
 とはいえ、一人一人は話せば皆、礼儀正しく穏やかで優しい。一族の掟から逸脱することなく、一族の命ずる学校に行き、一族の命ずる仕事を持ち、一族の命ずる相手と結婚していた。それぞれがワガママも言わずダダもこねず、粛々と己の義務を果たしている。
 けど、その優等生らしさのようなものに、薄ら寒いものを感じるのだ。昔から。
 人狼の彼らは残虐に人間を殺し、食べることができる。掟に疑問を持つ者もいない。
 器だけが美しく完成され、恐ろしく中身がカラッポなのだ。だから、誰かの命令に従い、誰かの真似をすることしかできない。語るべき自分自身というものが、まったくない。
 エドガールが書いた〝捕食者〟の記事を読んだとき、真っ先にこの一族のことが頭に浮かんだ。
 幼少の頃からミレーユはそんな一族に違和感があった。自分は異質だとはっきり感じ、その異質さをさとられないよう、細心の注意を払い続けてきた。
 一族に疑問を抱いているとバレたら、大変なことになる。今以上に自由がなくなる。
 早い段階でそう直感し、うまく立ち振る舞ってきた。感情を極限まで抑圧し、周りに合わせて空気を読み、まるで氷の室にいるような自由のない青春時代を送った。
 そんな中、救いだったのは読書と兄のピエールの存在だ。もっとも彼のほうがミレーユよりはるかに器用だった。掟と一族に従いながらも、個人の感情も大切にし、あっちとこっちを自由に飛び回れる掴みどころのない兄だ。
 しかし、ピエールは今、あちら側についている。一族の列の末席に加わり、無表情で事の推移を見守っていた。
「最初に出火を発見したのは、下男のギヨームだったかな? ピエール」
 伯爵から急に振られたピエールは、少し驚いた様子で答えた。
「はい、お爺様。そう聞いています」
「真っ先に消火に駆けつけたのは……誰だったかな? 招待客の一人らしいが」
「たしか、ドラポルト男爵だと聞いております」
 ピエールはそう答えたあと、不安そうにチラリとミレーユを一瞥する。
「エドガール・ドラポルトか。なにかと怪しい噂の絶えぬ男よのぅ」
 伯爵はわざとらしく声を張る。
 なんだろう。変な感じだ。まるでわざとピエールにその名を呼ばせたみたいに……
 ミレーユは昨晩のことを思い出し、必死で内心の動揺を抑えた。エドガールの名を出されると、伯爵の前で演じているお芝居が崩れそうになる。
 心の奥深いところに触れるからだ。エドガールの存在が。
 伯爵は両肘をデスクにつき、祈るように両手を組み、眼光鋭くミレーユを見た。
「ミレーユ。今回、男爵を招待客リストに加えよと言い出したのはおまえだろう」
「はい。お爺様」
 緊張して答えると、伯爵は安心させるように笑顔を作る。
「なにもおまえを尋問しようってわけじゃない。常々言っているが、私はおまえとジャンヌのことも不憫に思っている。生まれながらにして一族の負の部分を背負わされているのだからね。だが、私も一族の長として平穏を守らなければならない。わかるね?」
「はい。もちろんです、お爺様」
「あまり個人の内面に干渉はしたくはない。しかし、今回だけは話が別だ。なぜ、男爵を呼ぼうと思ったのかね? 理由を聞かせてくれないか?」
「いえ。そんなに深い意味はありません。単に……」
「単に?」
 そう聞き返す伯爵の眼は、鋭利なナイフのように冷たく光っている。
 このとき、エドガールに不利にならないよう、どう答えればいいのか、目まぐるしく頭は回転していた。
「ファンだっただけです。男爵の書く本のファンで、せっかくの機会ですし、お爺様のご威光で呼んで頂こうと思っただけです」
「本? なんの本だ? タイトルは?」
「ええと、『神話の秘密』という本です。彼が長年研究してきた、神話と伝承について書かれていて……」
 その瞬間、一族の数名の者が伯爵と目配せし合ったのが見えた。
 今のミレーユの話が本当かどうか、書籍に詳しい者に確認するつもりらしい。
 大丈夫。嘘は吐いていない。実際にファンなのだし、自室の本棚にはエドガールの著書が保存用と観賞用とそれぞれ二冊ずつ収まっている。なにが書かれているか説明しろと言われたら、全文そらんじることもできる。
 数秒後、穏やかに伯爵は言った。
「……どうやら、嘘は吐いていないようだね」
 その言葉を聞き、安堵のあまりソファに倒れ込みそうになる。
 しかし、次に発せられた伯爵の言葉はミレーユを奈落の底へ叩き落した。
「予定変更だ。生贄はダスブリア子爵ではなく、ドラポルト男爵にする」
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