本屋の中の喫茶店

Hatton

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目玉焼きになにをかける?

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私は目玉焼きにイチゴジャムをかけるのが好きだ。

そして今まさに、閉店後の喫茶店の客席で、目玉焼きについて活発な議論が交わされている。

「はあ?ソースとかありえねえわ」金髪の青年が言う。

「そっちこそ塩とか、なに通ぶっちゃってんの?」黒髪ショートボブの少女が負けじと返す。

閉店後のうちの店は、下手をすれば営業中より賑やかだ。本屋の中の喫茶店はとにかく静かで、従業員たちも暗黙の了解で、なるべく音や声を出さないように働いている。

だから店が閉まり、まかないの時間になると、みな堰を切ったように饒舌になる。今日の遅番組は四人、私も含めてみんな大学生だ、そしてまかないのタマゴサンドから、卵の話になり、目玉焼きの話になり、なにをかけるか論争へと発展した。

塩派の青年が、隣にいる黒髪眼鏡の先輩に話題を振る。

「おれは…まあ無難に醤油かな」彼は静かにこう答えた。

その彼がチラリと私の方を向き、ふと視線が合った。私たちはなんとなくくすぐったい気分になり、交換するように笑いあった。すると、もう別の話にうつっていた塩派の青年とソース派の少女が、私と彼をじっと見つめて閉口しているのに気づいた。

「なに?どうしたの?」と私は困惑気味に笑いながら問いかけた。

「そろそろ、はっきりさせましょうか」と塩派の青年は満を辞して切り出す。

「先輩たちって、付き合ってるんですか?」

私の隣にいるソース派の少女は、握りこぶしをマイクに見立てて私と彼に向けてきた。

「付き合ってないわよ」

「なんでそんな話になるんだい?」

私と彼はほぼ同時に答えた。しかし二人は納得しない。

「いやいやいや、無理があるって、なあ?」

「うん、今だってなんか二人だけの合図みたいなの送りあってたし」

「ただ笑っただけじゃない」

「いつも一緒に帰ってるっすよね?」

「同じ駅だからね」

私たちはそれぞれで否定するも、二人は一向に納得しない。

「なんていうか、空気?みたいなのが違うっていうか、二人だけの秘密がある的な?」

ソース派の少女はひどく訝しげな、しかしいったって楽しそうな視線を向けながら、私たちに詰め寄る。塩派の青年もソレに乗っかるように「さあさあ、白状しちゃいましょうよ、言えば楽になりますよー」などとのたまう。

「もう、本当に違うってば」

「同期だからいろいろ気安いだけだよ」

私たちの頑なな否定に、ようやく二人も矛を収めた。ただ納得したわけでもなさそうだけど。

私は内心で少し動揺していた。ソース派の少女はなかなか鋭いところをついていたからだ。実をいうと、ほんの半年ほど前まで、私は彼のことが好きだった。

お互いに読書家で、似たような理由で、ほぼ同時期にこの店でバイトを始め、大学生同士だからかシフトもかぶりやすく、使う駅も同じだった。私たちが親しくなるのは自然なことと言えた。

彼は村上春樹の小説の主人公のように、多くは語らず、よく話を聞き、適度に茶目っ気があり、少し過剰な自意識を持ち、洗練された言葉を愛した。

私はそんな彼に無意識に惹かれ、自覚的に距離をつめた。それなりに手応えは感じていたし、このまま順調にいけば付き合えるんじゃないかと思っていた。

そして半年前のある日、私と彼は遅番で、今日みたいにまかないを食べていた。でも今日と違って、私と彼の二人きりだった。ここがチャンスだと思い、勇気を出して、彼に告白した。ところが…

「えっと…その…」

彼は視線をさまよわせながら首の後ろを掻き、小さな穴の空いた風船みたいにどんどん声がしぼんでいった。その小さくなる声に比例して、私の心臓から下がどんどん冷たくなっていき、何かを致命的に間違えてしまい、それを自覚した時の反応を体が示した。

その時の私は恐ろしく下手な笑顔を作った。「いいのいいの気にしないで」とか「忘れて忘れて」とか言った気がするけど、表情にも声にもまったく動揺を隠せていなかったと思う。間抜けなことに、手に持っていたフォークが落ち、パスタの皿にぶつかり、「ガチャン」という音が響いた。

私の意思を無視して、はっきりと「私は傷ついた」と、体のあらゆる部分が主張していた。そんな私をみかねたのか、彼はなぜ私の告白を喜べないのかについて、あまりに明確で、そして途方もなく救いがたい答えを示したくれた。

「俺さ…ゲイなんだよ」

その独白を聞いたとき、まず襲ってきたのはシンプルな驚き、次に襲ってきたのは羞恥心だ。つまるところ、彼は全くと言っていいほど私を恋愛対象として意識していなかったということであり、私はそれに一切気づかず間抜けにも勝算を携えて告白までしたのだ。

これほど派手な勘違いも他にないだろう。私はバツの悪さと恥ずかしさを振り払いたいがために、必死に言葉を紡いだ。

「そっか、そうだったんだね…知らなかったな」

「うん、他の誰にも言ってないし」

「誰にも?友達とか家族にも?」

「ああ」

「じゃあどうして私なんかに話してくれたの?」

彼はコーヒーカップを持ち上げようとした手を止め、また首の裏を掻きながら答えた。

「初めてだったから、誰かに告白してもらうの。だから、まあ、なんていうか、嘘の理由で断るのはダメかなって」

そして再びコーヒーカップを持ち上げようとしたものの、その手が滑ってカップが倒れてしまった。カタンという音とともに、コーヒーが無慈悲に机に広がっていく。

「ああ、ああ、やっちゃったよ」

と言いながら、彼は備え付けのペーパーを取り出そうとしたが、上手くつかめずにいた。なぜなら、その手はひどく震えていたから。

その瞬間、羞恥心はふっとび、かわりに強烈な罪悪感が私に襲ってきた。彼ができることなら言いたくなかったことを、私が言わせてしまったんだとわかったから。



この言葉だけで、ゲイであるという事実が彼にとってどれだけ重い秘密なのか、容易に察しがつく。私は、なんと呼ぶべきかわからないけど、少なくとも傷つけるよりも酷いなにかを、彼にしてしまったのだと自覚した。

こぼれたコーヒーを拭くのを手伝いながら、足りない頭をふりしぼって、ありったけの必死さをかき集めて、なんとかできないかを考え、なにか差し出せるものを探した。

言い訳させてもらうなら、私も動揺していた。だから、頭を振り絞って考え、とっさに閃き、そして口をついて出た言葉がなぜこれであったかは、今の私にもまったくもって理解できない。

「私ね、目玉焼きにはイチゴジャムをかけるの!」

私のトンチンカンな独白に、彼は逆立ちして地面を移動するナマケモノを見るような目をした。

「いままで誰にも言ってないってほどじゃないんだけど、小学生の頃に給食の時に暴露したらめちゃくちゃバカにされてね、それ以来はなるべく言わないようにしてて、だから、その…」

私の声もまた穴の空いた風船のようにしぼんでいく。誰が聞いても「だから何?」って感想しか抱きようのない話だ。

「…ぷっ!」

しかし彼は吹き出し、遠慮がちに含むような笑いを漏らし、ついには店中に響くほどの大きな笑い声をあげた。

「も、もう、笑わないでよ、あははは、ひどいなあ、はははは」

私も笑った。だって散々考え抜いた結果がこんなくだらない暴露なんだから、そりゃ笑うしかない。でも最後に彼は笑いを残したまま言った。

「じゃあ、これでおあいこってことで」

本当は少しもおあいこなんかじゃない。でも、なんとか落としどころを見つけた感じがした。それ以来、若干の気まずさはありつつも、私たちの関係はこじれることはなく、仲の良い同僚であり、気のおけない友人という関係に落ち着いた。

脈がまったくない人を、いつまでも引きずれるほど私は無垢ではない。でもお互いの秘密を持ち合っていることによる、ある種の親密さが私と彼のあいだにはあり、その部分はけっこう気に入っている。

「そうそう、さっき聞き忘れたけど先輩は目玉焼きにはなにをかけるんですか?」

ソース派の少女に突然話題を振られ、私の意識は引き戻される。そういえば、私はまだ答えていなかったな。

「私もまあ、醤油かな」

私は迷うことなく嘘をつき、再び共犯者の笑みを彼と交換しあった。

いつか、きっとずっとずっと後だけど、私と彼の秘密が等価になればいいと思う。

「目玉焼きには何かける?」みたいなノリで、「あなたのセクシャルはなに?」って話題を振れるような世の中になればいい。正直に言おうが嘘を言おうが、なんの深刻さも生まれることがない、そんな「どうでもいいこと」になればいい。

それはきっと、素敵な世の中なんだと思う。
















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