痛愛と狂恋

Hatton

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意思を持った火花

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綾人なら、きっとドアを引いて先に入れてくれるのに。

先を歩く目の前の男子生徒は、カフェのドアを開けてそそくさと中に入っていった。

今日はこんなんばっかり。

綾人なら映画が始まってるのにスマホをのぞいたりしないし、そもそも誰かと一緒にいる時にスマホを開くこともない。上映中に無駄に話しかけたりしてこない。

綾人なら離れても香るほど香水を振りまいたりしない。綾人はもっとゆっくり歩く。綾人は声をあげて笑わない。綾人は、綾人は、綾人は…

「あの爆発のシーンやばかったよな?あれもCGなんかな?」ようやく谷口はわたしに水を向けた。

カフェに入ってから何時間も喋って、ようやく私が話してないことに気づいたみたい。いや、何時間は言い過ぎかも。でもそれくらいに感じる。

長い1日だ。他の人間といると、どうしても綾人のことばかり考えちゃうな。

「確かにマジで興奮したわ!ワンチャン本物かもよ」

「いや流石にCGだろ!?それとラストに裏切るやついたじゃん?あいつもさあ…」

綾人ならこんな映画館のすぐ近くのカフェで、大声で内容を話したりしないのに。早く今日が終わらないかな。退屈だ。

「なあ、それでどうだった?」

「いや面白かったって」

「映画の話じゃねえって、その話はさっき終わったろーが」

ああ、終わってたのか。うっかり聞き流してた。ダメダメ、しっかりしなきゃ。

「えー、なんのこと?ちゃんと言ってくれなきゃワカンナイナー」

「うわ!性格ワリー!」

本当にわからないんだけど。まあ、大体の予想はつく。

「今日さ、俺といてどうだったよ?ぶっちゃけた話さ」

正直に言ったら泣いちゃうのかな?もちろん言わないけど。

「めっちゃ楽しかったよ!え?もしや退屈そうに見えた?」

「いやそうじゃねえけどさ、まあなら良かったよ」

彼はまた頭を掻いた。抑えきれない笑みを口の両端にこぼしながら。

しばらくしてカフェから出て、帰りの電車に乗ると、ちょうど通勤ラッシュと被ってしまったのか、かなり混んでた。

すし詰め状態の車内の中、私はそっと彼の肘を掴む。

「ごめんよ、転んじゃいそうだからさ」

彼の顔を見上げながら、照れ笑いしてみせる。

「しゃあねえな」

私を見下ろしていた彼はフッと顔を逸らした。体がこわばったのが、腕を掴んでいた手のひらから伝わる。




「はあ」

ため息を抑えきれない時がある。そしてそんな時が、最悪のタイミングでやってくることもある。例えば、クラスの中心となるような生徒に詰め寄られている時とか。

「なに?舐めてんの?」

「悪い、ちょっと疲れ気味なんだ。深い意味はない」

「そうやって周囲のことバカにして何が楽しいんだよ?はっきり言って激痛だからな?」

放課後の教室はかってないほどピリピリした空気になっている。その発生源となっているのが俺と谷口だった。理由は前と一緒だ。

もちろんバカにしてるつもりなんてない。でも今は反論しても無駄なんだろう。

「とにかく、もうバイトだからさ、悪いけど」

「待てよ!もうその言い訳いいからさ!」

谷口は露骨に苛立ちを露わにした。前までは作り笑顔で遠回しに言うくらいの遠慮はあったのに。土日に何かあったんだろうか?

谷口は俺の腕を掴んで離す気はなさそうだ。どうしたもんか。

「ねえ羽田くん、ちょっとくらい参加してもいいんじゃない?」

「うん、いくらなんでも自分勝手すぎると思う」

遠巻きに見ていた二人の女子生徒がいつの間にか、谷口の後ろに立っていた。すると他方からも声がし始める。

「意地はり過ぎだろ…」

「空気悪くなってんのわかんないのかな?」

「群れない俺かっこいい的なw?」

「うわwさむw」

囁きがあつまり、ざわめきとなり、それは火花のようにパチパチと不規則に散っているようにみえながら、全てが俺に向いていた。

熱はない。ただ騒がしいだけだ。でもそれが、俺には何よりも苦痛だ。

そして谷口が我が意を得たりとばかりに、俺に詰め寄ってきた。しかし今度はうっすらと優しげな笑みをうかべている。こいつなりの飴と鞭なんだろう。

「クラスに馴染めてなくて気マジいのはわかっけどさ、これを機にみんなと仲良くなればいいだろ?」

「俺もいろいろ助けてやっから、なんでも相談しろよ」

助ける?誰が?お前が?誰を?

「だからさあ、かっこつけんのやめろよ」腕を掴んでいた手が馴れ馴れしく肩に乗せられる。

お前が、俺を、助ける?

スッと心臓が冷え込む感覚がした。知らなかった。こういう時はてっきり熱くなるんだと思ってたよ。

「助けてくれるのか?」

「あたり前だろ!クラスメートじゃんか!」

「じゃあ…毎月10万ほどくれよ」

「は?」

「谷口さ、お前の家って電気止まったことあるか?」

「なに意味わかんねえこと言ってんだよ?」

「止まったことがあるのか?ないのか?聞いてるんだよ」

「ねえけど、それがなんだって…」

「うちは、先週止まった。なんでだと思う?母親が電気代として俺が渡しておいた金を付き合ってる男に貢いだんだよ」

誰も何も言えなくなった。やっと静かになった。だからもう、これで止めておくべきだ。

開いた口を閉じる。でもムズムズと何かが蠢いた。口の中に虫でも入ったみたいに不快だった。

抑えようと唾を飲み込んでも、吐き気のように言葉が迫り上がる。

「うちには金がないんだよ。つまり生活が苦しいんだよ。バイトはほぼ毎日入ってんだ。母親は自分で稼いだ金をだいたい男に使うから、俺が稼がないと電気もガスも止まるんだ」

「小学生の妹は身長も体重も平均よりだいぶ下なんだとさ。俺の稼ぎじゃ大したもん食わせられないからな」

肩を掴んでいた手はいつの間にか離れ自由になっていた。

「うちには金がないんだよ。飯が食えないのはしんどいんだよ」

それでも俺はしつこく言葉を繰り返していた。

「で?どう助けてくれるんだ?月10万くれるのか?母親を更生させてくれんのか?お前の家で毎日妹だけでも飯食わせてくれるか?どれか一つでもやってくれたら、喜んで練習に参加するよ」

谷口は呆然としながら俺を見つめ、気まずそうに顔を伏せた。

「…悪かった、もういいよ」

そして諦めるように謝った。気がつけば、クラスメートたちは凍りついている。俺は乱暴に足音を立て、教室を後にした。

しんどい、辛い、悲しい、痛い。

それらの言葉は、感情は、使い方一つでどれほど暴力的な響きを持つか、俺は嫌というほど知っていた。

知っていた上で、そういう使い方をした。それは俺の腕にすがって泣いていた母さんと全く同じだった。

そんな事実に向き合いたくないのか、頭の中にまた靄が立ち込める。
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