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お給料が入ったら
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入居日当日、陽和は午前休を取った。
朝7時にホテルをチェックアウトして不動産屋に鍵を受け取りに行き、新しい家に僅かな荷物を運び込む。
先日家電量販店で購入した洗濯機も指定時間内に無事に届いて、設置してもらった。
必要なものを一通りチェックして、仕事帰りに大型スーパーに立ち寄る。
夕食の食材と洗剤を買い、100均に立ち寄って最低限の生活用品や調理器具などを買い集めた。
寝具売り場で大人用の昼寝用布団と毛布も1枚購入した。
ホテルの宿泊費や準備費用で貯金をほとんど使い切ってしまったため、給料日まではできる限り節約して乗り切らなければならない。
諸々の不安はあったが、彼女はそれ以上に新しい生活に胸を躍らせてもいた。
自分で選んだ、自分の為だけの家。
ここでは何をしてもいいし、誰にも遠慮する必要はない。
陽和は初めて過ごす一人だけの夜にわくわくした。
枕代わりのバスタオルに顔を埋め、薄い毛布に包まりながら至福感に頬を緩ませる。
(お給料が入ったら、冷蔵庫を買いに行こう…)
そうして一人暮らしを満喫していたある日の昼下がり、突然慶一が陽和の家を訪ねてきた。
その日は土曜日で、昼食の食材を買いに出かけて帰ってきたらマンションの入口に人が立っていて驚いた。
彼は仕事用のコートを着て、片手に大きな銀色のスーツケースを持っている。
「出張帰りなんだ。とりあえず入れてくれないか。寒い」
「…狭い家ですけど、どうぞ」
陽和は何故ここがわかったのかと問い詰めたかったし、帰ってくれと言いたかった。
しかし彼女の良心が凍えそうな彼を追い返すことができなかった。
エントランスのロックを解除し、1階の奥にある家の前まで案内する。
鍵を開けて玄関に入った途端、陽和はひやりとするコートの布地に背後から抱きしめられた。
耳元で慶一の掠れた声がする。
「陽和…会いたかった。少し痩せたか?」
「靴を脱ぎたいので離していただけますか?」
「あ…、ああ…」
「少し片付けますので待っていてください」
腰に絡みついていた彼の腕をすげなく外すと、彼女は先に中へ入って部屋の隅に広げていたチェスト代わりのスーツケースを閉じた。
エアコンの電源を入れ、電気ケトルでお湯を沸かし、その間に小さなテーブルの上を軽く整えてドアを開ける。
「お待たせしました。どうぞ」
家の中を目にした彼は唖然として固まっていた。
彼女が借りている部屋は8畳のワンルームで、まだ物も少なく殺風景だ。
社長令息の彼は今までこんなに狭い部屋など見たことがなかったに違いない。
「あいにくですがソファがないので絨毯のあるところに座っていただけますか?来客用のカップもないので、私のでよろしければ…。コーヒーもインスタントですけれど」
彼女はできる限りで来客をもてなそうと、立ち尽くしている彼に座るように促した。
「お昼は召し上がりましたか?まだでしたら今からお作りします。お口に合うかわかりませんが、オープンサンドを作ろうと思っていて…」
「……」
「慶一さん?どうかされましたか?」
慶一は相変わらず何も言葉を発さないし、その場から動こうともしない。
陽和が訝しく思って尋ねると、彼は彼女の手を握り、腰を屈めて瞳を覗き込んだ。
「帰ろう、陽和。礼奈が悪いことをしたな。あいつのことは説得して、納得してもらっている。俺もお前に家を出ろときつく言っていたが、理由があったんだ。もう心配はいらないから、一緒に帰ろう」
「…私の家はここです。他に帰るところなんてありません」
「お前が怒る気持ちはわかる。今更勝手だよな。だけどだからってお前をこんなところに住まわせられない…」
「確かに慶一さんのご自宅と比べるとここは納屋のようなお部屋だと思います。それでもここが私の家です。私はどこにも行きません」
彼女がきっぱりとした口調で断ると、彼は困ったように眉を落とした。
「陽和……悪かった。お前の気持ちが収まるまで何度だって謝る。だから帰ろう。帰ってちゃんと話をしよう」
「どうして謝るんですか?それは何に対しての謝罪ですか?お話ならここでもできます。何と言われようと私はここから出ていきませんし、動きません。今日はこれから冷蔵庫が来るんです」
「……」
慶一はとてもショックを受けたような顔をした。
どうしてそんなに泣きそうな表情をしているのかわからず、陽和は困惑してしまう。
結局彼は彼女への説得を諦めて、黙って床の上に腰を下ろした。
朝7時にホテルをチェックアウトして不動産屋に鍵を受け取りに行き、新しい家に僅かな荷物を運び込む。
先日家電量販店で購入した洗濯機も指定時間内に無事に届いて、設置してもらった。
必要なものを一通りチェックして、仕事帰りに大型スーパーに立ち寄る。
夕食の食材と洗剤を買い、100均に立ち寄って最低限の生活用品や調理器具などを買い集めた。
寝具売り場で大人用の昼寝用布団と毛布も1枚購入した。
ホテルの宿泊費や準備費用で貯金をほとんど使い切ってしまったため、給料日まではできる限り節約して乗り切らなければならない。
諸々の不安はあったが、彼女はそれ以上に新しい生活に胸を躍らせてもいた。
自分で選んだ、自分の為だけの家。
ここでは何をしてもいいし、誰にも遠慮する必要はない。
陽和は初めて過ごす一人だけの夜にわくわくした。
枕代わりのバスタオルに顔を埋め、薄い毛布に包まりながら至福感に頬を緩ませる。
(お給料が入ったら、冷蔵庫を買いに行こう…)
そうして一人暮らしを満喫していたある日の昼下がり、突然慶一が陽和の家を訪ねてきた。
その日は土曜日で、昼食の食材を買いに出かけて帰ってきたらマンションの入口に人が立っていて驚いた。
彼は仕事用のコートを着て、片手に大きな銀色のスーツケースを持っている。
「出張帰りなんだ。とりあえず入れてくれないか。寒い」
「…狭い家ですけど、どうぞ」
陽和は何故ここがわかったのかと問い詰めたかったし、帰ってくれと言いたかった。
しかし彼女の良心が凍えそうな彼を追い返すことができなかった。
エントランスのロックを解除し、1階の奥にある家の前まで案内する。
鍵を開けて玄関に入った途端、陽和はひやりとするコートの布地に背後から抱きしめられた。
耳元で慶一の掠れた声がする。
「陽和…会いたかった。少し痩せたか?」
「靴を脱ぎたいので離していただけますか?」
「あ…、ああ…」
「少し片付けますので待っていてください」
腰に絡みついていた彼の腕をすげなく外すと、彼女は先に中へ入って部屋の隅に広げていたチェスト代わりのスーツケースを閉じた。
エアコンの電源を入れ、電気ケトルでお湯を沸かし、その間に小さなテーブルの上を軽く整えてドアを開ける。
「お待たせしました。どうぞ」
家の中を目にした彼は唖然として固まっていた。
彼女が借りている部屋は8畳のワンルームで、まだ物も少なく殺風景だ。
社長令息の彼は今までこんなに狭い部屋など見たことがなかったに違いない。
「あいにくですがソファがないので絨毯のあるところに座っていただけますか?来客用のカップもないので、私のでよろしければ…。コーヒーもインスタントですけれど」
彼女はできる限りで来客をもてなそうと、立ち尽くしている彼に座るように促した。
「お昼は召し上がりましたか?まだでしたら今からお作りします。お口に合うかわかりませんが、オープンサンドを作ろうと思っていて…」
「……」
「慶一さん?どうかされましたか?」
慶一は相変わらず何も言葉を発さないし、その場から動こうともしない。
陽和が訝しく思って尋ねると、彼は彼女の手を握り、腰を屈めて瞳を覗き込んだ。
「帰ろう、陽和。礼奈が悪いことをしたな。あいつのことは説得して、納得してもらっている。俺もお前に家を出ろときつく言っていたが、理由があったんだ。もう心配はいらないから、一緒に帰ろう」
「…私の家はここです。他に帰るところなんてありません」
「お前が怒る気持ちはわかる。今更勝手だよな。だけどだからってお前をこんなところに住まわせられない…」
「確かに慶一さんのご自宅と比べるとここは納屋のようなお部屋だと思います。それでもここが私の家です。私はどこにも行きません」
彼女がきっぱりとした口調で断ると、彼は困ったように眉を落とした。
「陽和……悪かった。お前の気持ちが収まるまで何度だって謝る。だから帰ろう。帰ってちゃんと話をしよう」
「どうして謝るんですか?それは何に対しての謝罪ですか?お話ならここでもできます。何と言われようと私はここから出ていきませんし、動きません。今日はこれから冷蔵庫が来るんです」
「……」
慶一はとてもショックを受けたような顔をした。
どうしてそんなに泣きそうな表情をしているのかわからず、陽和は困惑してしまう。
結局彼は彼女への説得を諦めて、黙って床の上に腰を下ろした。
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