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彼女の1回目のプロポーズは

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 自分は思いがけず面白いものを手に入れたのかもしれない。
 諸々の条件を踏まえた上で『自分にとって都合がいい』ことだけを重視して選んだが、フレッドの妻となった少女は無知で素直で、その代わり新しい知識をスポンジのように吸収する。
 侮っていたら、知らないうちに心の奥深くまでするりと入り込まれてしまいそうだ。

「私、やっと分かったんです。あなたが私と過ごす理由」

 だから、ある日クレアからそう言われた時も、フレッドにさほどの驚きは無かった。
 推測を巡らすに足る情報が得られる環境にいるのだから、クレアが遠からず『フレッドはクレアを尊重していると周囲に示すために、義務的に会う機会を設けている』という答えにたどり着くだろうとは思っていた。

(さて、どう答えようか。クレアの機嫌を損ねて反発されたら厄介だし、こんなことに感謝されるのも違う気がする)

 一番いいのは――たぶん、彼女を誑し込むことなのだろう。
 フレッドが甘い顔と甘い言葉で甘い夢を見せて『愛する妻』として扱ってやれば、小娘の一人や二人くらい、自在に操れる。
 フレッドがクレアを愛することはないが、彼女から捧げられる恋心は素知らぬ顔でありがたく受け取っておけばいい。
 フレッドにはそれができる。それだけの力が自分にあることは知っている。

(でも、それはしたくない。これも良心の呵責ってやつなのかな。『子どもを騙して搾取した上に感謝まで強要する悪い大人』みたいで……『みたい』も何も、実際、彼女を利用するために彼女と結婚したんだけどね)

 今さら何を躊躇っているのだろう。吐いた嘘の数が一つ二つ違ったところで、死後の行先は変わらないだろうに。
 心を決めたフレッドはにっこりと美しく微笑んで、嘘にまみれた『愛の言葉』を吐こうとした。

「もちろんそれは、君を愛しているから少しでも一緒に過ごしたくて――」
「分かってますとも。私以外に話し相手がいなくて寂しいんですよね? これからはもっとお話ししましょうね!」
「いや違うよっ!?」

 フレッドが『嘘』を口にするのと同時に、クレアは自身の早合点をかぶせてきた。
 クレアは決して天才ではない、あくまでも年齢相応のごく普通の少女だ。いくら過不足なく正しい情報を得たとしても、そこから誤った答えを導き出す可能性だって十分にある。
 とりあえず今は心の伴わない『嘘』を吐かなくても済みそうだと分かって、フレッドはほっと胸を撫で下ろした。
 それはそれとして、クレアの誤解は到底受け入れがたいものだ。

「僕のことを『友達がいない可哀想なやつ』みたいに言った!? 自慢じゃないけど、僕は友達も知り合いも多いよ!」

 例えば、道行くスヘンデル国民百人に『護国卿は社交的な人間だと思うか』と尋ねれば、そのうち九十九人は『そう思う』と答えるはずだ。
 実際に、革命以前からフレッドは商人かつ男爵として幅広い人脈を築いていたし、その人脈が革命軍を組織する基盤となった。

「その僕が、話し相手に困ることなんて――」

 あるわけがないだろう、と声にする前に、フレッドは念のために自分の記憶を手繰り寄せた。
 直近の記憶は、フレッドが何を言おうが『その通りですとも。さすが護国卿閣下!』しか言わない取り巻きたちに対して指示を出す場面。あの一方通行の発声のことを『会話』とは呼びたくない。

(いやいやいや、普通に友達もいっぱいいるし! ヴィルとか!)

 自他ともに認める親友であるヴィルベルトとは、酒を酌み交わしながら個人的な話をする仲だ。今もそれは変わっていない――はずだ。最近はたまたま一緒に出かける機会が無いだけで。

(この前の宿直の時もヴィルは飲んでなかったし、勤務時間帯が終わると同時に『妻と娘の顔を一刻も早く見たい』って帰っていったし……あれ? 『親友』なのに僕の扱い雑じゃない!?)

 他の友人たちの顔も思い浮かべてみたが、今は遠く離れた土地にいたり、家族や仕事に拘って忙しそうにしていたりと、フレッドと親密な付き合いを続けている者はほとんどいないことに気づく。

 もしかして――自分は寂しい人間なのか?

 真実に気づいてしまったフレッドの背中に冷たい汗が伝った。

「ま、まあ、偶には遊ぶタイミングが合わないこともあるけど!」
「やっぱり……」
「ごほんっ、それはいいとして! 君は僕のことを『寂しいと死んじゃうウサギさん』だと思ってるの!?」
「ウサギは寂しくても死なないって聞いたわ」
「へえ、知らなかったよ。教えてくれてありがとう。……って、ウサギ以下ってことじゃないか! いや、そういう話でもなくて!」

 仮に話し相手がいなくて、仮に多少寂しい思いをしたとしても、フレッドは大の大人の男で、一国を担う『護国卿』なのだ。個人の心情より優先すべきことは腐るほどある。
 わざわざに気遣っていただくようなことは何もない。

「どうしてそんなにむきになって否定するの? 誰だって、寂しいのは嫌だと思って当然でしょう?」

 反射的に噛みつきかけたところに掛けられたのは、心底不思議そうな声だった。
 あまりにも『当然のこと』のように言われたから、フレッドはとっさに反論できなかった。

「私だってそうよ。寂しいのはいや。もっとあなたと話したいの」
「……『仕事に明け暮れて妻を蔑ろにするな、夫婦の時間を取れ』って? ごめん、僕はそういうことが一番苦手なんだ」

 今さら夫婦関係を維持する努力をしろと言われても困る。そんな手間をかけなくても済むように、立場の弱い、都合のいい少女を妻にしたのに、これでは話が違う。
 フレッドの苛立ちは隠しきれず、尖った響きの声となって表れた。
 ところがそれを聞いたクレアはちっとも怯えなかった。それどころか『そんな話はしてないわ』と左右に首を振る。

「分かってます。フレッドは忙しいし、私だって勉強で忙しいわ」
「ああ、亡命中の錬金術師を招聘したいって手紙に書いていたね。なんでまたそんなマニアックな要望を?」

 フレッドがクレアと会うのは週に一度の晩餐の時くらいだ。それ以外の時に伝えたいことがあれば、手紙で寄越せと言ってあった。
 最近受け取った手紙の中の一通には追加で教師を呼びたい旨が書かれていた。
『錬金術師』とは卑金属から黄金を生成する方法を探る者のことで、中には詐欺師まがいの者も多いが、金属の性質を研究して実験を繰り返す科学者の別名でもある。身元が確かな学者であれば召しかかえても問題ないと判断して、手配をしておいた。

「だって、フレッド、『最近の外貨に精巧な贋金が混ざっている』って言ってたでしょう? 錬金術師なら贋金の作り方や見分け方を知ってるかもしれないし、一度話を聞いてみたかったの」

 そういえば少し前に話をした覚えがある。金貨の中の金、銀貨の中の銀の含有率をいちいち調べるのに手間と人手がかかって貿易に支障が出ているという内容の愚痴として。
 まさか、それだけの話からクレアが具体的な解決策を採ろうとするとは思わなかった。

「……『全部僕の言うとおりにする』だったっけ」
「え?」
「初夜で言ってたでしょ。本当に気にしなくていいんだよ」
「うーんと、うまく言えないけれど、それとは少し違うと思うの」
「違う?」

 これもフレッドに見捨てられまいとして尽くそうとしているのだとしたら、クレアはだ。
 彼女の必死さを痛々しく感じて言うと、クレアは自信なさげに首を捻りながら『たぶん違うと思う』と言った。

「あなたに嫁ぐと決まったとき、私はスヘンデル語を勉強したわ。『言葉が通じないと嫁いだ後大変だ』って言われて、その通りだと思ったから。確かに勉強のきっかけはあなただけど、これを『あなたの好みに合わせた』とは言わないでしょう?」

 確かに『スヘンデル語が通じる女性』がフレッドの好みとして挙げられることはない。
 スヘンデル語が通じるからといってフレッドが特別に好意を持つことはないし、逆に通じなくても悪感情を抱くことはない。
 言語は、それを使った意思疎通の道具にすぎないからだ。

「それと同じよ。あなたが何を考えているか知るために、私の考えを伝えるために勉強するの。あなたと話すための知識ことばが欲しいから」

 二人の間にその共通言語があることで、表現できることがある。
『もっとあなたと話したい』とは、長時間や高頻度という意味ではなく、もっと濃く深く多様な話ができるという意味だと。
 知識を自分の中に蓄積するものとして捉えていたフレッドには無い視点だった。

「……なんてね。こんなこと言ってても、私、先生の講義を聞いても分からないことばかりで。全然ものを知らなくて、頭が良いわけでもないから」
「クレア、それは違うよ」

 恥ずかしそうにうつむいたクレアを見ると、声をかけずにはいられなかった。
 彼女はけっして愚かではない。フレッドが思いつきもしなかった新しい気づきを与えてくれる。
 彼女に自信がないのは比較対象が悪いせいもあるだろう。私財を費やして集めた一流の教師陣の教えを幼い少女が完璧に理解できるなんて、最初から思っていない。

「全てのことをその道の第一人者並みに理解する必要はないし、そもそもそんなことは不可能だ」
「不可能って……」
「聞いて。君の問題じゃない。後学の君が一から学ぶ間、先学は足踏みして待っていてくれないからね」
「あ……!」
「そう、その間にだろう? 既に開いている差を詰めた上に追い越すなんて、そうそうできないって話だ」

 生きているかぎり人は良くも悪くも変化を続ける。
 学問が蓄積した知識を前提として発展するものである以上、現在の研究の第一人者が同時代を生きる素人に後から追いつかれることは無いだろう。
 そう言うと、クレアは拗ねたような表情で渋々と頷いた。

「ううん、分かったけど、でも何も極められないって悔しいわ。私も何か一つでいいから『これなら私が一番得意』って言えるものが欲しかった」
「こればっかりはどうしようも――」
「んっ……? そうだ! それよ、私にはそれがあったわ!」
「なあに?」

 慰めに入ったフレッドには構わずに、何かを思いついたらしい彼女は、瞳をきらきらと輝かせて言った。

「私、あなたを研究するわ! あなたの妻は私一人しかいないんだから、私が『第一人者』よね!?」

 競争相手がいない分野では自動的に一位が取れるし、自分が一度詳しくなれば後学者にはそうそう追い越されない。
 ぱあっと表情を明るくしたクレアと、フレッドはしばし無言で見つめあった。

「……それは、そうだね」

 確かにクレアの言ったことは正しいが――『夫の研究』とは何をするつもりなのか。
『僕としては体の隅々まで調べてくれて構わないけど』と流し目を送ると、何を想像したのかクレアは顔を真っ赤にして叫んだ。

「ごめんなさい、変なこと言いました! 忘れて!」
「君の言ったことは何も間違ってなかったよ。謝らないで。ふふっ、僕の観察日記でもつける?」
「もうっ、笑わないで!」

 クレアは林檎のように紅く色づいた頬に両手を置いて、とうとう顔を隠してしまった。実にからかいがいがある。
 今、この可愛らしい少女の頭をいっぱいに満たしているのが自分だと思うと、悪い気はしなかった。
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