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☆ショートストーリー☆

恋は遠い夜空で輝く星 2

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 初めて顔を合わせた者同士が恋に落ちる瞬間を、見たことがある人はどのくらいいるのだろうか。

 アイリーネ・グラーニは、七歳にしてその場面に遭遇した。

 物心ものごころつく前から知っている、カローゲン伯爵令息キールト・ケリブレと、温泉保養地フォルザの別荘番の孫娘、ルーディカ・ケニース。
 読書好きの友人同士を引き合わせたアイリーネの目の前で、吸い込まれるように見つめ合う互いの瞳から幾つもの光の粒がこぼれ、きらきらとふたりを包み込んだかのように見えた。

 美しい奇跡に立ち会ってしまったアイリーネは、それからずっと、秘密の恋人たちが放つ輝きを見守り続けた。

   ◇  ◇  ◇

「あなたとキールトって、つくづく婚約者って感じがしないわよね」

 修行先である侯爵邸の裏庭で、一緒に当番を務めるオディーナ・キャナイスからそう言われたアイリーネは、洗濯物を干す手を一旦止めた。
 神学校を辞めたキールトと偽りの婚約を結び、ともに騎士見習いとなって四年が経とうとしていた。

「幼なじみだからね」

 そう答えることにもずいぶん慣れたとはいえ、アイリーネの胸はちくっと痛む。

 この修行先で、女子の見習いはアイリーネとオディーナだけだ。
 性格や嗜好に違いはあるが、同い年の二人は出会って間もなく打ち解け、それからずっと仲良くしている。
 キールトとの婚約は互いにとって好都合だっただけで、結婚にまで至るつもりはないというのは、アイリーネがオディーナに隠している唯一の事柄だと言ってもいいだろう。

「あなたたちを見てると、友情はたっぷりあるのは伝わってくるけど、恋心となるとお互いに黒麦一粒ぶんもないみたい」
「お、親が決めた縁組だから、友達感覚のまま来ちゃってるんだろうね」

「ときめきがないってことよねえ……」
 オディーナが残念そうに首を振ると、高い位置で括った麦穂色の巻き毛がフサリと揺れる。

「まあ、貴族の結婚ってのはそんなものなんでしょうけど。わたしみたいな平民だって、親や親戚が持ってきた縁談で結ばれる人がほとんどだものね」

 平民とは言っても、オディーナは北の港町セアナの豪商の娘だ。
 大店おおだなの令嬢として育てられた彼女は、〝いまだかつてない優美さと強さを併せ持つ女騎士〟を目指していて、言葉づかいも日ごろの立ち居振る舞いも淑女然としている。

「――ねえ、アイリは恋をしてみたいとは思わないの?」
「え……」

 ぽかんとしたアイリーネを見て、オディーナは可笑しそうな顔をした。
「『私が恋するの?』みたいな顔ねえ」

「だ、だって」
「乗り換えろなんて言うつもりはないけど、キールトにはそういった感情が持てないのなら、結婚はまだ先なんだし、誰かにちょっとドキドキするくらいは罪にならないんじゃないかしら」
「えぇ……」

 困惑するアイリーネに向かって、オディーナは声を大にした。
「ときめきは、心の栄養になるわよお?」

「オディにとってはそうなんだろうけど……」
 遠巻きに眺めてはうっとりするだけの片想いばかりだが、オディーナはしょっちゅう誰かを好きになっている。

「いまオディが夢中なのは、侯爵家の新しい御者さんだっけ?」

「そう! ファオ・イーガーさま……!」
 オディーナはぽっと頬を染めた。
「わたしって、暗めの髪色のかたに弱いみたい」

 オディーナの豊富な片恋遍歴を事細かに遡るのは至難の業だが、春先には伯父を訪ねてきた侯爵の甥に一目惚れをし、その前の冬には剣の指南のため一週間ほど滞在していた若い騎士に熱を上げていたことくらいは、アイリーネにも思い出せる。

「イーガーさまがお役目に就かれて一週間、まだまだ緊張感でいっぱいなところを見ると陰ながら応援したくなるし、わたしもがんばろうって思えてくるのよね」

〝心の栄養〟と言うだけあって、想い人のことを語るときのオディーナは、きらきらしている。
 アイリーネにとって、ルーディカとキールトが一緒にいるときに発する輝きは特別だが、恋するオディーナもまた眩しかった。

「だから、アイリにもぜひ……」
「楽しそうだとは思うけど、私は恋しなくていいや」
「えーっ」

 アイリーネはそれよりも、騎士として揺るぎない実力を早く身につけたい。
 将来、幼なじみたちの恋が無事に成就して偽の婚約を解消したとき、「私はずっと騎士として生きていく」と、胸を張って父たちに宣言できるようになっておきたいのだ。

「んー……まあ、恋なんて無理にするものでもないわよねえ」

 理解を示しつつも、オディーナはまだ少し諦めきれない様子だった。

「でも、幼なじみものの恋愛小説みたいに、大人になったらキールトにドキドキしちゃったりするかもよ?」

 それはないと確信しているアイリーネは、曖昧な微笑みを返す。

 まばゆく煌めいているが、夜空を飾る星のように遠いところにあり、自らの手で触れようとは思わないもの。それがアイリーネにとっての〝恋〟だった。

   ◇  ◇  ◇

「なあアイリ、女の子って……」

 見習いになって六年目の夏期休暇が近づいていたある日、キールトは一緒に厩舎を掃除していたアイリーネにそう切り出した。

「何をもらったら嬉しいかな」

 少し照れくさそうなキールトを見て、アイリーネはぴんとくる。
「ルーディカへのお土産?」

 休暇が始まったら、キールトと一緒にフォルザの別荘へと向かう予定だ。両親や姉妹たちは伯爵領から近い保養地で静養するとのことなので、この夏は幼なじみたちだけでのびのびと過ごせるだろう。

「うん……。僕は兄しかいなくて、女の子が欲しいものがよく分からないから」

「女の子が欲しいもの……」
 ややこしい計算でも始めたかのような顔になったアイリーネを見て、キールトはハッとする。

「あ……」

 ついさっきまで「フォルザに行く途中で、武器屋にも寄ろうね!」などと盛り上がっていたアイリーネに訊くことではなかったようだ。

 アイリーネも、自分が欲しいものが一般的な女子と同じではないことくらいは分かっている。だが、頼りにされたからには何とかして役に立ちたかった。

「えっと……お姉さまたちが好きなのは、きらきらしてて、ふわふわしてて、かわいくてきれいな感じの……ああ、でも、微妙なところが難しくて、流行遅れだとダメで、かといってたくさんの人が持っているのも嫌で……うーん……」

 限界が来たのか、アイリーネは苦しそうな唸り声を漏らす。

「ごめん、アイリには難問だったよな」
「う……こっちこそごめん、役に立てなくて」

 そのとき、外から強力な援軍となるであろう人物の声が聴こえてきた。
「ほらグロート、慌てないの」

 見習いたちで世話をしている狼犬の散歩当番のオディーナが、ちょうど厩舎の前を通りがかったのだ。

「オディ!」
 アイリーネとキールトは勢いよく小屋から飛び出し、目を丸くしたオディーナを中へと招き入れた。

「――女の子が欲しいものお?」

 藁の上に腰を下ろしてグロートの首のあたりを撫でながら、オディーナはきっぱりと言った。

「女子一般が欲しいものより、〝彼女が欲しいもの〟を考えるべきよ」

 その前年、二人は偽装婚約の件をオディーナに打ち明けていた。

 長い間、「オディはお喋りだから、いまひとつ信用できない」と慎重なキールトと、「オディは、口数は多いけど口は堅いんだよ」と主張するアイリーネとの間で平行線だったのだが、ある夜、三人で力を合わせて家畜泥棒を捕まえた際に、キールトのオディーナに対する信頼度はぐんと上がり、手紙でルーディカから了承を得た上で告白するに至ったのだ。

 事情を聞かされたオディーナはとても驚いたが、アイリーネとキールトの間には友情しかないように見えていたことにも合点がいったようで、「出会った瞬間に恋に落ちて、それからずっと想い合ってるなんて素敵……!」と感激し、秘密の恋の成就をともに願ってくれるようになった。

「彼女は、読書とお勉強と植物を育てるのが好きで、施薬院でお手伝いをしてるんでしょう? だったら、少し値は張るかも知れないけど、最新の植物図鑑がいいと思うわ」

 オディーナは、実にあっさりと最適解を導き出した。

「この町には貸本屋しかないけど、フォルザへの通り道のミネラって街には大きな書店があるから、そこで手に入れて彼女の好きな色の飾紐をつけて贈ったらどうかしら。あ、飾紐をお花みたいな形に結ぶやり方わかる? 後で特訓してあげる」

 てきぱきと指示を出す同僚をアイリーネとキールトは頼もしげに見つめ、彼女に秘密を明かして良かったと改めて思ったのだった。

   ◇  ◇  ◇

「こんな……素晴らしいものを……よろしいんでしょうか」

 オディーナの助言は見事に功を奏し、ルーディカは恐縮しながらも感に堪えない様子で、キールトから土産の品を受け取った。

「この飾紐も、とってもきれい……」
「オディに教わってキールトが結んだんだよ」

 アイリーネがそう告げると、ルーディカは愛らしい笑みをこぼした。

「キールト様、ありがとうございます……! オディーナ様にも、お礼をお伝えくださいね」
「喜んでくれて嬉しいよ」

 別荘の小さな中庭にある鳥寄せの水盤の傍らで、笑顔を交わしているふたりの姿は一枚の絵のように美しかった。
 微笑ましく見守っていたアイリーネは、ふと、密かにオディーナから忠告されていたことを思い出す。

『たまには気をきかせて、二人だけの時間もさりげなく作ってあげてね』

 さりげなくできるかどうか自信はないが、アイリーネは「あっ」と声を上げてみた。

「荷ほどきの途中だったんだ! 夕食までに済ませないと」

 また後でねと言いながら急ぎ足で建物の中へと入り、階段を上がったところで、アイリーネはルーディカに渡すつもりだった土産の薬草の種を懐に入れたままだったことに気がついた。

 引き返そうかと何気なく窓から中庭を見下ろしたアイリーネは、はっと息を呑んだ。

 午後の日射しを受けて、ルーディカの髪の金色とキールトの髪の銀色が、触れ合いながら輝いている。

 石造りの長椅子に腰掛けたふたりは、静かに唇を重ねていた。
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