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第二章
第29話 好き嫌いという視座【フィセリオ視点】
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ラティマー家の先代当主のアリュードは長雨による土砂災害で犠牲になった。当主の急逝により、嫡男であるローワンが家督を継いだのは必然だ。
被災したのがアリュード一人であったことから、ローワンはその場でアリュードの捜索を断念し、最後まで後回しにすることを選んだ。その判断を、冷酷だなどとフィセリオは思わない。
資金に余裕がなく、災害復興を最優先にした判断は正しい。フィセリオがローワンの立場でも同じ選択をするだろう。
けれどフィセリオは、アリュードの捜索を援助することを決定した。そしてその三ヶ月後、遺骨の一部を回収することができた。
最初のきっかけはラティマー領の民の声に答え、信頼を買収するような感覚で援助を始めた。だが遺骨が見つかったとローワンから報せを受けたとき、フィセリオの心には全く違う考えが浮かんでいた。
ちょうどいい機会かもしれない。
ローワンの手紙にはウィステルにも伝えて、埋葬に参列させたいという旨が書かれている。アリュードの捜索は、ウィステルも心密かに願っていたことだと推測できた。
ウィステルは過労と心労で倒れてしまった。キャスバート家では気が休まらないことも多い。一度帰郷させて、心を休める機会を作ろうと考えていた矢先のことだった。まだ病み上がりで、計画していたよりも早いが、この機会を逃せば亡き父アリュードとの対面も埋葬への立ち会いも叶わなくなる。
フィセリオがウィステルへ帰郷を促すと、嬉しそうに瞳を潤ませて喜んでいた。その表情を見て、なぜか酷く安堵したのだが、その理由はまだ見えてこない。
* * *
ウィステルの帰郷の期間は一週間を予定している。今日は彼女が屋敷を発ってすでに四日目だ。時間が経てば慣れて、ウィステルのことを考える時間も減っていくだろうと思っていた。だが減るどころか、むしろ日を追うごとに長くなっているような気がした。
ウィステルのことを考えるようになったのは、一日目の夜からだった。あれほど一人で眠る方が落ち着けると考えていたのに、しんと静まり返った室内に奇妙な違和感を抱く。半年間ずっと寝室を共にしてきたせいか、隣に気配がないことが物足りない。
何気なく交わしていた寝る前のささやかな会話。就寝前の挨拶。微かに触れる指先の柔らかさと温もり。それらが全て失われた空間は、ピースの欠けたパズルのようだった。
それからはずっと、政務をこなしていても頭の片隅でウィステルのことを考えている。
父親とは対面できただろうか?
身内の死は重い心労になるが、行かせて良かっただろうか?
つらくはないだろうか?
無理はしてないだろうか?
ウィステルが悲しんでいるイメージが脳裏にチラつくと、高熱にうなされて眠っていたときの姿を思い出す。
『ローワン……兄、様……』
弱ったウィステルの心が求めたのは、彼女の兄であるローワンだった。朦朧とした意識の中、目の前にいるフィセリオをローワンだと勘違いしたのだろう。
生まれたときから一緒にいて、苦境の二年を共にしてきたたった一人の血縁者。彼女がローワンをどれだけ尊敬して信頼しているのかも知っている。彼女がローワンを選ぶのは自然なことだと頭ではわかるのに、ローワンの名前を呼んで安らいだように眠りに落ちるウィステルを思い出すと、どうにも胸の奥がズキリと痛んだ。
そうだ……別に私が心配する必要はない。
あちらにはウィステルが誰より信頼しているローワンがいる。何があっても彼がウィステルを支えるだろう。頭ではわかっているのに、要らぬ心配ばかりで思考を埋め尽くされている。
いつの間にそこまで肩入れするようになったんだ……?
いくら自分が冷たい人間だからといって、心配をする相手がいなかったわけではない。だがこれほどまでに思考を占有される経験は初めてだ。自分のことなのに自分で制御しきれない感覚に、正直困惑していた。
「……エルウッド、ウィステルはここへ帰ってくると思うか?」
「……は? どうした? 朝何食べた? 毒でも盛られたか?」
エルウッドは目玉が落ちそうなほどに目を見開き、ぽかんと間抜けに口まで半開きになっている。その反応を意外だとも失礼だとも感じなかった。正直自分が一番呆れていた。
帰ってこないわけがない。どれだけキャスバート家がラティマー家に恩を売りつけたのか、それはフィセリオ自身が一番理解している。
相当愚かな人間であれば、領地が上向いてきたことで調子に乗って、キャスバート家を足元を見るように粗雑に扱いだしたり、もう助けは不要だと切り捨ててくることもあり得る。
しかし普通に考えれば、ここで手のひらを返すような真似をすれば徹底的に潰されると想像するだろう。ましてやウィステルとローワンは慎重な部類に入る。それに加え、責任感や誠実さも兼ね備えた人間性だ。そんな愚かな真似は、まず間違いなくしない。
それでもふと考える。援助という餌で釣り、選択肢を奪って、半ば強引にウィステルを娶った。彼女の感情を無視して縛りつけたのだから、心を開くどころか恨まれていたっておかしくはない。
そんな彼女が、信頼するローワンのいるラティマーの地へと帰っている。倒れるほどの心労を感じているキャスバート家に、果たして戻りたいと思えるだろうか。心の健康を理由に戻ってこないかもしれない……そんな考えが拭えなかった。
「いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「できると思うか!?」
エルウッドはいよいよフィセリオがおかしくなったと思ったのか、作業の手を止めて執務机の前へと歩み寄る。内ポケットから飴の包みを取り出すと、フィセリオの目の前に置いた。空腹で頭が回っていないと思われているらしい。
「ウィステル様が帰郷なされてから、ずっとおかしいぞ。日に日に悪化してる」
「帰郷してからずっと?」
今はともかく、ウィステルがここを発ったばかりの頃は特に何もおかしくなかったはずだ。思考もここまで乱されて占有されていたわけでもなかった。
「自覚までないのかよ……重症だな。一応政務に支障は出てないし、屋敷内では許す……が、外では油断するなよ? 明後日は会合があるんだ。わかってるよな?」
「あぁ、わかっている」
エルウッドから見ておかしいのなら、相当普段の様子から崩れていると考えていい。こんな些事で隙を見せ、足を取られるわけにはいかない。さっさと思考を整理して、明後日に備えなくては。
「まぁ、フィセリオがウィステル様を好きすぎて、どうにかなりそうなのはわかった。しかし、そこまでウィステル様に入れ込むとは……人生何があるか──」
「好き……?」
「おい、なんでそこで疑問形なんだよ……」
愛しているかと問われれば、疑いもなく「愛している」と答えられる。それは“妻を愛する夫”の演技の一環として、すでに馴染みきった言葉だからだ。
好き。
人に対する文脈として、フィセリオは『好き』『嫌い』を使ってこなかった。利用価値があるか、ないか。相手がこちらに敵意があるか、ないか。信用できるか、できないか。様々な条件を天秤にかけて判断してきただけで、そこに好き嫌いといった自分の好みを差し込んだことがなかったのだ。
私は、ウィステルが好きなのか?
フィセリオがこれまで心配してきたものは、自身が守りたいと願う大切にしてきたものだった。ならば、ウィステルのことが気にかかって心配になるのも、守りたい大切な人になったからだ。
ウィステルが帰ってくるか不安なのは、帰ってきてほしいと思っているからだ。けれど、ウィステルにとってキャスバート家は心休まる場所ではない。感情を蔑ろにし、援助を理由に娶り、彼女を少なからず傷つけた自覚があるからこそ、帰ってこないのではという想像をするのだ。
ウィステルがローワンを頼って胸の奥が傷むのは……ウィステルにとって自分が“頼っていい人間”になれていないからだ。フィセリオはウィステルと信頼すら築くことができず、上辺ばかりを塗り固めて中身を見ようとしてこなかった。そんなことに今さら気づいて、勝手に落ち込んでいるだけだ。
ウィステルに好かれていない。それどころか、逆らえない立場だから微笑んでくれているだけで、内心では嫌っているのだろう。
なのに、肝心のフィセリオはといえば……ウィステルを好きになってしまっていた。嫌われていると薄々感じているから、自分だけ好意を向けている状況に感情が意味を見出だせないまま振り回されていたのだ。
好きというたった二文字で、この不可解な状況に説明がついてしまった。
「確かに……私はウィステルが……好き、だな……」
「なんの宣言だよ。知ってるよ。みんな知ってる」
エルウッドの呆れたような視線が、フィセリオに突き刺さる。皆はフィセリオが初めからウィステルを愛していたと信じている。ウィステルは……わからない。仮に信じてくれているとしても、それは関係のないことだとここにきてようやく理解した。
愛していると言っていれば……求婚が嘘ではないと思い込ませれば“幸せな妻”にできるなんて……なぜ思った?
力で掌握し、心を蔑ろにする男の『愛している』ほど、薄気味悪く気持ち悪いものもない。それが本当の愛だとしても、『いらない』というのがウィステルの本音だろう。
取り返しのつかないことをしてしまった。その選択の罪の重さを、彼女を好きになって……恋情を抱いて初めて気づくことになるなんて。
これまでの不誠実な嘘を告白し、謝るべきだ。けれど今さら「愛は嘘だった」なんて言えば、ウィステルを深く傷けることになる。一からやり直して、「本当に君を愛するようになった私を見てほしい」なんて、一体どの口で言うのか。
こんなことなら、感情の意味などわからないままでいた方が良かったのかもしれない。自身のこれまでの愚かな嘘と、惨めな想いを抱えながら、フィセリオは自身の感情に少しずつ整理をつけていった。
* * *
ウィステルが帰郷してから一週間。彼女はきちんと言っていた通りにキャスバート家の屋敷へと帰ってきた。屋敷の門前にウィステルの馬車が停まったのを見つけた瞬間、フィセリオの心に、言いようのない安堵と喜びが湧き上がる。
本当に……君に恋してしまったんだな、私は。
焦がれるような想いを告げることはできず、胸の奥を音もなく炙る。じわじわと灼かれる痛みに耐えながら、フィセリオはウィステルを迎えに行った。
「おかえり、ウィステル……」
「ただいま戻りました。わざわざ出迎えてくださるなんて思いもしませんでした」
「君に一刻も早く会いたくて、つい来てしまった」
「……ありがとうございます」
これまで通りの甘い嘘と同じような言葉を使いながら、その中身はすっかり様変わりしてしまっている。ウィステルは微かに驚いたような表情を見せると、小さく微笑んだ。これまで何も感じてこなかったはずなのに、恋情に気づいた途端、そんな些細な仕草ですら尊く感じられた。
「フィセリオ様、今晩お話ししたいことがあります。お時間いただけますか?」
「わかった。今日はできるだけ早く仕事を片づける」
故郷から戻って早々に、ウィステルは何を話すつもりなのだろうか。それがただの土産話で済むのなら、良い。父親を弔い、ローワンに会ってきた彼女は心境も大きく変わっているだろう。これから何をつきつけられるのか、フィセリオは微かに恐れのような感情を抱いていた。
被災したのがアリュード一人であったことから、ローワンはその場でアリュードの捜索を断念し、最後まで後回しにすることを選んだ。その判断を、冷酷だなどとフィセリオは思わない。
資金に余裕がなく、災害復興を最優先にした判断は正しい。フィセリオがローワンの立場でも同じ選択をするだろう。
けれどフィセリオは、アリュードの捜索を援助することを決定した。そしてその三ヶ月後、遺骨の一部を回収することができた。
最初のきっかけはラティマー領の民の声に答え、信頼を買収するような感覚で援助を始めた。だが遺骨が見つかったとローワンから報せを受けたとき、フィセリオの心には全く違う考えが浮かんでいた。
ちょうどいい機会かもしれない。
ローワンの手紙にはウィステルにも伝えて、埋葬に参列させたいという旨が書かれている。アリュードの捜索は、ウィステルも心密かに願っていたことだと推測できた。
ウィステルは過労と心労で倒れてしまった。キャスバート家では気が休まらないことも多い。一度帰郷させて、心を休める機会を作ろうと考えていた矢先のことだった。まだ病み上がりで、計画していたよりも早いが、この機会を逃せば亡き父アリュードとの対面も埋葬への立ち会いも叶わなくなる。
フィセリオがウィステルへ帰郷を促すと、嬉しそうに瞳を潤ませて喜んでいた。その表情を見て、なぜか酷く安堵したのだが、その理由はまだ見えてこない。
* * *
ウィステルの帰郷の期間は一週間を予定している。今日は彼女が屋敷を発ってすでに四日目だ。時間が経てば慣れて、ウィステルのことを考える時間も減っていくだろうと思っていた。だが減るどころか、むしろ日を追うごとに長くなっているような気がした。
ウィステルのことを考えるようになったのは、一日目の夜からだった。あれほど一人で眠る方が落ち着けると考えていたのに、しんと静まり返った室内に奇妙な違和感を抱く。半年間ずっと寝室を共にしてきたせいか、隣に気配がないことが物足りない。
何気なく交わしていた寝る前のささやかな会話。就寝前の挨拶。微かに触れる指先の柔らかさと温もり。それらが全て失われた空間は、ピースの欠けたパズルのようだった。
それからはずっと、政務をこなしていても頭の片隅でウィステルのことを考えている。
父親とは対面できただろうか?
身内の死は重い心労になるが、行かせて良かっただろうか?
つらくはないだろうか?
無理はしてないだろうか?
ウィステルが悲しんでいるイメージが脳裏にチラつくと、高熱にうなされて眠っていたときの姿を思い出す。
『ローワン……兄、様……』
弱ったウィステルの心が求めたのは、彼女の兄であるローワンだった。朦朧とした意識の中、目の前にいるフィセリオをローワンだと勘違いしたのだろう。
生まれたときから一緒にいて、苦境の二年を共にしてきたたった一人の血縁者。彼女がローワンをどれだけ尊敬して信頼しているのかも知っている。彼女がローワンを選ぶのは自然なことだと頭ではわかるのに、ローワンの名前を呼んで安らいだように眠りに落ちるウィステルを思い出すと、どうにも胸の奥がズキリと痛んだ。
そうだ……別に私が心配する必要はない。
あちらにはウィステルが誰より信頼しているローワンがいる。何があっても彼がウィステルを支えるだろう。頭ではわかっているのに、要らぬ心配ばかりで思考を埋め尽くされている。
いつの間にそこまで肩入れするようになったんだ……?
いくら自分が冷たい人間だからといって、心配をする相手がいなかったわけではない。だがこれほどまでに思考を占有される経験は初めてだ。自分のことなのに自分で制御しきれない感覚に、正直困惑していた。
「……エルウッド、ウィステルはここへ帰ってくると思うか?」
「……は? どうした? 朝何食べた? 毒でも盛られたか?」
エルウッドは目玉が落ちそうなほどに目を見開き、ぽかんと間抜けに口まで半開きになっている。その反応を意外だとも失礼だとも感じなかった。正直自分が一番呆れていた。
帰ってこないわけがない。どれだけキャスバート家がラティマー家に恩を売りつけたのか、それはフィセリオ自身が一番理解している。
相当愚かな人間であれば、領地が上向いてきたことで調子に乗って、キャスバート家を足元を見るように粗雑に扱いだしたり、もう助けは不要だと切り捨ててくることもあり得る。
しかし普通に考えれば、ここで手のひらを返すような真似をすれば徹底的に潰されると想像するだろう。ましてやウィステルとローワンは慎重な部類に入る。それに加え、責任感や誠実さも兼ね備えた人間性だ。そんな愚かな真似は、まず間違いなくしない。
それでもふと考える。援助という餌で釣り、選択肢を奪って、半ば強引にウィステルを娶った。彼女の感情を無視して縛りつけたのだから、心を開くどころか恨まれていたっておかしくはない。
そんな彼女が、信頼するローワンのいるラティマーの地へと帰っている。倒れるほどの心労を感じているキャスバート家に、果たして戻りたいと思えるだろうか。心の健康を理由に戻ってこないかもしれない……そんな考えが拭えなかった。
「いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「できると思うか!?」
エルウッドはいよいよフィセリオがおかしくなったと思ったのか、作業の手を止めて執務机の前へと歩み寄る。内ポケットから飴の包みを取り出すと、フィセリオの目の前に置いた。空腹で頭が回っていないと思われているらしい。
「ウィステル様が帰郷なされてから、ずっとおかしいぞ。日に日に悪化してる」
「帰郷してからずっと?」
今はともかく、ウィステルがここを発ったばかりの頃は特に何もおかしくなかったはずだ。思考もここまで乱されて占有されていたわけでもなかった。
「自覚までないのかよ……重症だな。一応政務に支障は出てないし、屋敷内では許す……が、外では油断するなよ? 明後日は会合があるんだ。わかってるよな?」
「あぁ、わかっている」
エルウッドから見ておかしいのなら、相当普段の様子から崩れていると考えていい。こんな些事で隙を見せ、足を取られるわけにはいかない。さっさと思考を整理して、明後日に備えなくては。
「まぁ、フィセリオがウィステル様を好きすぎて、どうにかなりそうなのはわかった。しかし、そこまでウィステル様に入れ込むとは……人生何があるか──」
「好き……?」
「おい、なんでそこで疑問形なんだよ……」
愛しているかと問われれば、疑いもなく「愛している」と答えられる。それは“妻を愛する夫”の演技の一環として、すでに馴染みきった言葉だからだ。
好き。
人に対する文脈として、フィセリオは『好き』『嫌い』を使ってこなかった。利用価値があるか、ないか。相手がこちらに敵意があるか、ないか。信用できるか、できないか。様々な条件を天秤にかけて判断してきただけで、そこに好き嫌いといった自分の好みを差し込んだことがなかったのだ。
私は、ウィステルが好きなのか?
フィセリオがこれまで心配してきたものは、自身が守りたいと願う大切にしてきたものだった。ならば、ウィステルのことが気にかかって心配になるのも、守りたい大切な人になったからだ。
ウィステルが帰ってくるか不安なのは、帰ってきてほしいと思っているからだ。けれど、ウィステルにとってキャスバート家は心休まる場所ではない。感情を蔑ろにし、援助を理由に娶り、彼女を少なからず傷つけた自覚があるからこそ、帰ってこないのではという想像をするのだ。
ウィステルがローワンを頼って胸の奥が傷むのは……ウィステルにとって自分が“頼っていい人間”になれていないからだ。フィセリオはウィステルと信頼すら築くことができず、上辺ばかりを塗り固めて中身を見ようとしてこなかった。そんなことに今さら気づいて、勝手に落ち込んでいるだけだ。
ウィステルに好かれていない。それどころか、逆らえない立場だから微笑んでくれているだけで、内心では嫌っているのだろう。
なのに、肝心のフィセリオはといえば……ウィステルを好きになってしまっていた。嫌われていると薄々感じているから、自分だけ好意を向けている状況に感情が意味を見出だせないまま振り回されていたのだ。
好きというたった二文字で、この不可解な状況に説明がついてしまった。
「確かに……私はウィステルが……好き、だな……」
「なんの宣言だよ。知ってるよ。みんな知ってる」
エルウッドの呆れたような視線が、フィセリオに突き刺さる。皆はフィセリオが初めからウィステルを愛していたと信じている。ウィステルは……わからない。仮に信じてくれているとしても、それは関係のないことだとここにきてようやく理解した。
愛していると言っていれば……求婚が嘘ではないと思い込ませれば“幸せな妻”にできるなんて……なぜ思った?
力で掌握し、心を蔑ろにする男の『愛している』ほど、薄気味悪く気持ち悪いものもない。それが本当の愛だとしても、『いらない』というのがウィステルの本音だろう。
取り返しのつかないことをしてしまった。その選択の罪の重さを、彼女を好きになって……恋情を抱いて初めて気づくことになるなんて。
これまでの不誠実な嘘を告白し、謝るべきだ。けれど今さら「愛は嘘だった」なんて言えば、ウィステルを深く傷けることになる。一からやり直して、「本当に君を愛するようになった私を見てほしい」なんて、一体どの口で言うのか。
こんなことなら、感情の意味などわからないままでいた方が良かったのかもしれない。自身のこれまでの愚かな嘘と、惨めな想いを抱えながら、フィセリオは自身の感情に少しずつ整理をつけていった。
* * *
ウィステルが帰郷してから一週間。彼女はきちんと言っていた通りにキャスバート家の屋敷へと帰ってきた。屋敷の門前にウィステルの馬車が停まったのを見つけた瞬間、フィセリオの心に、言いようのない安堵と喜びが湧き上がる。
本当に……君に恋してしまったんだな、私は。
焦がれるような想いを告げることはできず、胸の奥を音もなく炙る。じわじわと灼かれる痛みに耐えながら、フィセリオはウィステルを迎えに行った。
「おかえり、ウィステル……」
「ただいま戻りました。わざわざ出迎えてくださるなんて思いもしませんでした」
「君に一刻も早く会いたくて、つい来てしまった」
「……ありがとうございます」
これまで通りの甘い嘘と同じような言葉を使いながら、その中身はすっかり様変わりしてしまっている。ウィステルは微かに驚いたような表情を見せると、小さく微笑んだ。これまで何も感じてこなかったはずなのに、恋情に気づいた途端、そんな些細な仕草ですら尊く感じられた。
「フィセリオ様、今晩お話ししたいことがあります。お時間いただけますか?」
「わかった。今日はできるだけ早く仕事を片づける」
故郷から戻って早々に、ウィステルは何を話すつもりなのだろうか。それがただの土産話で済むのなら、良い。父親を弔い、ローワンに会ってきた彼女は心境も大きく変わっているだろう。これから何をつきつけられるのか、フィセリオは微かに恐れのような感情を抱いていた。
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