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第1話 君は夜空を照らすスピカのように
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天川》 優斗、高校二年生の僕は、物心ついた頃から、周りと少し違っていた。
言葉を上手く操れず、空気を読むことも苦手で、どこか周囲と馴染めなかった。勉強にもついて行けず、小学生になっても状況は変わらないまま、いつの間にかクラスの子たちから距離を置かれるようになり、それがやがていじめへと発展した。
授業中、急に声が出てしまったり、考えていることをぽつりと口にしてしまう僕を、クラスメートは気味悪がった。ノートに落書きがされ、教科書が破られ、休み時間には陰口が飛び交う。それでも、僕はただ耐えることしかできなかった。
そんな僕の人生が変わったのは、小学五年生の時だった。
ある日、いつものようにいじめっ子たちに囲まれていた僕を、四人の子が助けてくれた。美空 千秋、八坂 梢、宮村 翔子、そして翔子の兄、陽介。彼らはクラスでも目立つ存在で、明るく、誰からも好かれていた。僕のことを変わり者として避けるのではなく、普通に接してくれた。
「優斗ってさ、音感良いよね!ピアノとかやったら上手そうじゃない?」
そんな千秋が言った言葉が、僕の人生を大きく変えることになる。
音楽の授業で鍵盤に触れた時、僕はまるで魔法にかけられたように、音が自然に耳に入り、指が勝手に動いた。そして、周囲がざわつき始めた。
「優斗、すごい……!」
先生が興奮した声で言い、クラスメートたちも驚いていた。
僕は、聞こえた音をそのまま正確に再現し、音の高さを精密に判断できる能力を持っていたらしい。
両親はすぐに僕を音楽教室に通わせ、ピアノを習わせることを決めた。才能はすぐに開花し、中学に上がる頃にはいくつものコンクールで優勝し、新聞にも「天才ピアニスト」として取り上げられるようになった。
それでも、僕にとって何よりも嬉しかったのは、幼馴染の四人がずっとそばにいてくれたことだった。
「優斗が有名になっても、私たちの優斗だからね!」
梢が笑いながら言うと、翔子が「当然よ!」と胸を張った。
「優斗は俺の弟分だからな、俺がずっと守ってやるから安心しろ!」
得意げに言う陽介に皆が一斉に笑い出す。
そんな彼女たちの中で、一人だけ特別な存在になったのが美空千秋だった。
中学一年生のある日、千秋が僕に告白してくれたのだ。
「ずっと好きだった。優斗がどんなにすごくなっても、私はありのままの優斗が好き」
夢のような時間だった。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
中学二年の冬、僕はトゥレット症候群を発症した。
コンクールの本番、演奏中に突然、体が勝手に動き、声が漏れてしまった。鍵盤を打つ指が震え、リズムが乱れる。会場の空気が変わるのが分かった。気づけば、演奏は途中で止まり、僕は呆然とピアノの前に座っていた。
それ以来、僕は大会に出ることができなくなった。
病院で診察を受けると、「トゥレット症候群」と診断された。元々小さい頃から兆候はあった。でもその症状も落ち着きを見せていたはずなのに……症状がなくなるかは分からない。一生このままかもしれないと医者は言っていた。僕は時折無意識に鼻歌のような声を出したり、体をピクッと震わせてしまうようになった。
それでも、僕は今の幸せを諦めたくなかった。幼い頃の地獄の様な日々に戻りたくはない。
高校は何としてでも千秋たちと同じ学校に進学したくて、必死に勉強した。そして、なんとか合格を果たす。
これでまた四人と一緒に過ごせる。これまで通り、また四人で仲良く学園生活を送れるんだ。
――そう思っていた。
高校に入ると、美空、八坂、翔子、陽介の様子がなぜかよそよそしくなっていて、皆、人前で僕と会うのを避けるようになっていた。
千秋とは付き合っているはずなのに、恋人らしいことは何一つできなかったし、会う時はいつも人目を避けた場所ばかりで、まるで隠されているような感覚に苛まれる。それでも僕は、彼女が好きだった。
だけどそんなある日、事件が起きた。きっかけは些細な事。クラスメートに「彼女いるのか?」と聞かれ、僕は正直に答えた。「美空千秋と付き合ってるよ」と。
その瞬間、教室がざわついた。誰かが「え? マジ?」と驚いたように呟くのが聞こえた。
そしてその日の放課後――教室のドアが勢いよく開かれ、長身の男が現れた。三年生の浅間雄介──そう名乗るその男は、僕を見つけるなり突然突き飛ばしてきた。
「てめぇ、千秋は俺の彼女だぞ?彼氏とか嘘ついてんじゃねえよ! 気持ち悪い奴だな!」
教室が静まり返る。痛みよりも、何が起こっているのかわからない衝撃が僕を包んだ。目の前で、浅間が千秋の肩を抱いていた。
「千秋が困ってるだろ!」
彼の腕の中で、彼女は何も言わない。ただ申し訳なさそうに、僕から顔を逸らした。
喉が詰まる。助けを求めるように、千秋の名前を呼んだ。
「千秋……!」
でも、彼女は僕を見ようともせず「もうやめて……」と、こぼすように呟いた。
次の日から、僕に対する視線が変わった。クラスメートが僕を避けるようになり、ひそひそと噂を囁くのが聞こえる。
「アイツ、千秋ちゃんのストーカーだったんだろ?」 「八坂や宮村翔子にも付きまとってたって」 「誰もいない教室で美空の私物を漁ってたとこ、見た奴いるらしいよ……」
身に覚えのない噂ばかりが広がっていく。誰も僕の言葉を聞こうとはしなかった。千秋も、梢も、宮村兄妹も、みんな渋い顔をして話を逸らす。やがて彼らも僕を避けるようになった。
孤独だった。居場所がなかった。過去に言われた言葉が甦る。
──「知的障害なんだって、勉強できないんだってさ……」
──「突然一人で呟いたりして、気持ち悪いよな」
もう耐えられなかった。学校が終わると、僕はまっすぐ家へ帰った。唯一の救いは、パソコンの前に座ること。
人前でピアノを弾くことができなくなった僕は、ネットに作曲した曲をボカロに歌わせて投稿していた。少しずつだけど、界隈では「優P」としての知名度が上がってきていた。
僕の曲を歌ってくれる配信者も増え始めた。新しく投稿した曲のコメントを眺めながら、心を落ち着かせる。僕の音楽だけは、僕を裏切らない。
頂いたコメントに感謝しつつ、いいねを付けていく、その時だ。僕は一通のSNSの通知に気づいた。
ダイレクトメッセージの欄に、新しいメッセージが届いている。
送信者の名前を見て、思わず息をのむ。
「スピカ……?」
スピカ――彼女は、歌い手界隈でトップクラスの人気を誇る歌い手だった。フランス人のハーフの父親と日本人の母親から生まれたクオーターだと聞いた事がある。
モデル兼インフルエンサーとしても活躍し、その影響力は計り知れない。
そんなスピカはなぜか僕の曲を何度か歌ってくれていた。彼女のおかげで、無名だった僕の楽曲は少しづつ知られるようになり、彼女がいなければ、「優P」という名前が注目されることはなかっただろう。
僕たちはこれまで何度もDMや通話でやり取りをしていた。楽曲のことはもちろん、ちょっとした雑談や相談事も交わすことがあった。スピカは気さくで、僕が唯一気を許せる相手でもあった。
メッセージを開く。
[優Pこんばんは! もしかしてさ、最近ちょっと元気ない?]
驚いた。どこで僕の変化に気づいたのだろうか。
[通話できる?]
鼓動が早くなる。僕は迷いながらも、スピカからの通話リクエストを受けることにした。
『優P? あ、繋がった! よかったぁ!』
彼女の明るい声が響く。
「こ……こんばんは、久しぶり」
ぎこちなく返すと、彼女はくすっと笑った。
『久しぶりだね! そういえば、新曲めっちゃよかった! すぐに歌わせてもらったよ!』
「ありがとう……ございます」
彼女の存在が、僕を少しだけ救ってくれる気がした。どこか安心できる、そんな感覚だった。
しかし、スピカはすぐにトーンを落とし、少し間を置いて言った。
『ねえ、優P……今回の新曲、いつもと全然違ったよね?』
心臓が跳ねた。
『いつもの優Pの曲はさ、明るくて、前向きで、聴く人の心をふわっと持ち上げるようなメロディだった。でも、今回のは違った。まるで叫びのように、痛みと渇望が込められてた。それがダメってわけじゃないけど……』
スピカの言葉が胸に突き刺さる。彼女の声は優しく、でも確信を持っていた。
『歌詞も……まるで誰かに助けを求めているみたいだっでさ、私、何かあったんじゃないかって、ずっと気になってて……』
知らず知らずのうちに、僕は心の奥底にあるものを曲に込めていたのだろうか。気づかれたくなかった。けれど、スピカには伝わってしまった。
喉が詰まる。視界が滲む。誰にも言えなかったことを、言葉にしてしまいそうになる。
『……私でよければ、聞くよ?』
胸が締めつけられた。
スピカだけが、僕のSOSに気がついていた。
他の誰も気づかなかったのに。誰も僕の痛みを見ようとしなかったのに、スピカだけが真っ直ぐに言葉を投げかけてきた。
言葉を詰まらせていると、彼女はさらに優しく問いかける。
『私は優Pの味方だから……だから私を信じて』
それは、今まで誰にも言えなかったこと。でも、スピカになら……。
スピカの声が優しく響く中、その声に導かれるように、僕はゆっくりと口を開いた。
『実は……』
ぽつり、ぽつりと、僕は話し始めた。千秋とのこと、浅間のこと、梢や翔子と陽介、広がる噂、失われた居場所。何もかもが、まやかしだった僕の人生の事……。
話し終えた時、スピカはしばらく沈黙した。
『……優P』
静かな声で、彼女が僕の名前を呼ぶ。
スピカは怒っていた。けれど、その怒りは誰かを傷つけるためのものではなく、僕をこんなにも追い詰めた現実に対するもののように感じた。音声越しに聞こえる小さな息遣いや、微かに震えた声の抑揚が、その感情をありありと伝えてくる。しばらくの沈黙の後、彼女が深く息をつき、静かに、それでも確かな思いを込めた声で言った。
『……優Pの気持ちを思うと、本当に悔しい。最悪、マジでむかつく……でも、それ以上に、ずっと一人で耐えてきたんだよね。頑張ったね……優P』
その言葉に驚いて息を呑む。音声越しに伝わるスピカの優しさと強い想いが、胸にじんわりと染み渡っていく。
『私はね、優Pにもっと楽しくて、幸せな学園生活を送ってほしいんだ。だって、あんなに素敵で、こんなに素晴らしい楽曲を生み出せる人が、苦しみながら過ごしてるなんて間違ってる。だから、もっと元気でいてほしいし、これからもたくさんの最高の楽曲を生み出してほしい。そして、その曲を私が誰よりも早く、一番に歌わせてほしい……そう思ってるんだ』
スピカの想いが、静かに胸に広がっていく。その言葉はまるで優しく包み込むようで、それでいて力強く、僕の心をそっと押してくれるようだった。
『だからさ! そんな真っ黒な学園生活、全部塗り替えちゃおうよ! 私と一緒に、真っ新で最高な学園生活にさ!』
スピカの声は明るくて、迷いがなかった。その言葉の本当の意味を、僕はまだはっきりと掴めてはいない。
けれど、スピカの力強い声が、僕の心の奥深くに何かを響かせた。それが何なのかはわからない。ただ、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
まるで目の前に光が差し込んだように。
今はまだ、すべてを理解できているわけではない。けれど、彼女の強い想いが胸の奥に残り、確かな何かを僕の中に灯した。
そして後に、僕は彼女の言葉の本当の意味を、身をもって知ることになる……。
言葉を上手く操れず、空気を読むことも苦手で、どこか周囲と馴染めなかった。勉強にもついて行けず、小学生になっても状況は変わらないまま、いつの間にかクラスの子たちから距離を置かれるようになり、それがやがていじめへと発展した。
授業中、急に声が出てしまったり、考えていることをぽつりと口にしてしまう僕を、クラスメートは気味悪がった。ノートに落書きがされ、教科書が破られ、休み時間には陰口が飛び交う。それでも、僕はただ耐えることしかできなかった。
そんな僕の人生が変わったのは、小学五年生の時だった。
ある日、いつものようにいじめっ子たちに囲まれていた僕を、四人の子が助けてくれた。美空 千秋、八坂 梢、宮村 翔子、そして翔子の兄、陽介。彼らはクラスでも目立つ存在で、明るく、誰からも好かれていた。僕のことを変わり者として避けるのではなく、普通に接してくれた。
「優斗ってさ、音感良いよね!ピアノとかやったら上手そうじゃない?」
そんな千秋が言った言葉が、僕の人生を大きく変えることになる。
音楽の授業で鍵盤に触れた時、僕はまるで魔法にかけられたように、音が自然に耳に入り、指が勝手に動いた。そして、周囲がざわつき始めた。
「優斗、すごい……!」
先生が興奮した声で言い、クラスメートたちも驚いていた。
僕は、聞こえた音をそのまま正確に再現し、音の高さを精密に判断できる能力を持っていたらしい。
両親はすぐに僕を音楽教室に通わせ、ピアノを習わせることを決めた。才能はすぐに開花し、中学に上がる頃にはいくつものコンクールで優勝し、新聞にも「天才ピアニスト」として取り上げられるようになった。
それでも、僕にとって何よりも嬉しかったのは、幼馴染の四人がずっとそばにいてくれたことだった。
「優斗が有名になっても、私たちの優斗だからね!」
梢が笑いながら言うと、翔子が「当然よ!」と胸を張った。
「優斗は俺の弟分だからな、俺がずっと守ってやるから安心しろ!」
得意げに言う陽介に皆が一斉に笑い出す。
そんな彼女たちの中で、一人だけ特別な存在になったのが美空千秋だった。
中学一年生のある日、千秋が僕に告白してくれたのだ。
「ずっと好きだった。優斗がどんなにすごくなっても、私はありのままの優斗が好き」
夢のような時間だった。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。
中学二年の冬、僕はトゥレット症候群を発症した。
コンクールの本番、演奏中に突然、体が勝手に動き、声が漏れてしまった。鍵盤を打つ指が震え、リズムが乱れる。会場の空気が変わるのが分かった。気づけば、演奏は途中で止まり、僕は呆然とピアノの前に座っていた。
それ以来、僕は大会に出ることができなくなった。
病院で診察を受けると、「トゥレット症候群」と診断された。元々小さい頃から兆候はあった。でもその症状も落ち着きを見せていたはずなのに……症状がなくなるかは分からない。一生このままかもしれないと医者は言っていた。僕は時折無意識に鼻歌のような声を出したり、体をピクッと震わせてしまうようになった。
それでも、僕は今の幸せを諦めたくなかった。幼い頃の地獄の様な日々に戻りたくはない。
高校は何としてでも千秋たちと同じ学校に進学したくて、必死に勉強した。そして、なんとか合格を果たす。
これでまた四人と一緒に過ごせる。これまで通り、また四人で仲良く学園生活を送れるんだ。
――そう思っていた。
高校に入ると、美空、八坂、翔子、陽介の様子がなぜかよそよそしくなっていて、皆、人前で僕と会うのを避けるようになっていた。
千秋とは付き合っているはずなのに、恋人らしいことは何一つできなかったし、会う時はいつも人目を避けた場所ばかりで、まるで隠されているような感覚に苛まれる。それでも僕は、彼女が好きだった。
だけどそんなある日、事件が起きた。きっかけは些細な事。クラスメートに「彼女いるのか?」と聞かれ、僕は正直に答えた。「美空千秋と付き合ってるよ」と。
その瞬間、教室がざわついた。誰かが「え? マジ?」と驚いたように呟くのが聞こえた。
そしてその日の放課後――教室のドアが勢いよく開かれ、長身の男が現れた。三年生の浅間雄介──そう名乗るその男は、僕を見つけるなり突然突き飛ばしてきた。
「てめぇ、千秋は俺の彼女だぞ?彼氏とか嘘ついてんじゃねえよ! 気持ち悪い奴だな!」
教室が静まり返る。痛みよりも、何が起こっているのかわからない衝撃が僕を包んだ。目の前で、浅間が千秋の肩を抱いていた。
「千秋が困ってるだろ!」
彼の腕の中で、彼女は何も言わない。ただ申し訳なさそうに、僕から顔を逸らした。
喉が詰まる。助けを求めるように、千秋の名前を呼んだ。
「千秋……!」
でも、彼女は僕を見ようともせず「もうやめて……」と、こぼすように呟いた。
次の日から、僕に対する視線が変わった。クラスメートが僕を避けるようになり、ひそひそと噂を囁くのが聞こえる。
「アイツ、千秋ちゃんのストーカーだったんだろ?」 「八坂や宮村翔子にも付きまとってたって」 「誰もいない教室で美空の私物を漁ってたとこ、見た奴いるらしいよ……」
身に覚えのない噂ばかりが広がっていく。誰も僕の言葉を聞こうとはしなかった。千秋も、梢も、宮村兄妹も、みんな渋い顔をして話を逸らす。やがて彼らも僕を避けるようになった。
孤独だった。居場所がなかった。過去に言われた言葉が甦る。
──「知的障害なんだって、勉強できないんだってさ……」
──「突然一人で呟いたりして、気持ち悪いよな」
もう耐えられなかった。学校が終わると、僕はまっすぐ家へ帰った。唯一の救いは、パソコンの前に座ること。
人前でピアノを弾くことができなくなった僕は、ネットに作曲した曲をボカロに歌わせて投稿していた。少しずつだけど、界隈では「優P」としての知名度が上がってきていた。
僕の曲を歌ってくれる配信者も増え始めた。新しく投稿した曲のコメントを眺めながら、心を落ち着かせる。僕の音楽だけは、僕を裏切らない。
頂いたコメントに感謝しつつ、いいねを付けていく、その時だ。僕は一通のSNSの通知に気づいた。
ダイレクトメッセージの欄に、新しいメッセージが届いている。
送信者の名前を見て、思わず息をのむ。
「スピカ……?」
スピカ――彼女は、歌い手界隈でトップクラスの人気を誇る歌い手だった。フランス人のハーフの父親と日本人の母親から生まれたクオーターだと聞いた事がある。
モデル兼インフルエンサーとしても活躍し、その影響力は計り知れない。
そんなスピカはなぜか僕の曲を何度か歌ってくれていた。彼女のおかげで、無名だった僕の楽曲は少しづつ知られるようになり、彼女がいなければ、「優P」という名前が注目されることはなかっただろう。
僕たちはこれまで何度もDMや通話でやり取りをしていた。楽曲のことはもちろん、ちょっとした雑談や相談事も交わすことがあった。スピカは気さくで、僕が唯一気を許せる相手でもあった。
メッセージを開く。
[優Pこんばんは! もしかしてさ、最近ちょっと元気ない?]
驚いた。どこで僕の変化に気づいたのだろうか。
[通話できる?]
鼓動が早くなる。僕は迷いながらも、スピカからの通話リクエストを受けることにした。
『優P? あ、繋がった! よかったぁ!』
彼女の明るい声が響く。
「こ……こんばんは、久しぶり」
ぎこちなく返すと、彼女はくすっと笑った。
『久しぶりだね! そういえば、新曲めっちゃよかった! すぐに歌わせてもらったよ!』
「ありがとう……ございます」
彼女の存在が、僕を少しだけ救ってくれる気がした。どこか安心できる、そんな感覚だった。
しかし、スピカはすぐにトーンを落とし、少し間を置いて言った。
『ねえ、優P……今回の新曲、いつもと全然違ったよね?』
心臓が跳ねた。
『いつもの優Pの曲はさ、明るくて、前向きで、聴く人の心をふわっと持ち上げるようなメロディだった。でも、今回のは違った。まるで叫びのように、痛みと渇望が込められてた。それがダメってわけじゃないけど……』
スピカの言葉が胸に突き刺さる。彼女の声は優しく、でも確信を持っていた。
『歌詞も……まるで誰かに助けを求めているみたいだっでさ、私、何かあったんじゃないかって、ずっと気になってて……』
知らず知らずのうちに、僕は心の奥底にあるものを曲に込めていたのだろうか。気づかれたくなかった。けれど、スピカには伝わってしまった。
喉が詰まる。視界が滲む。誰にも言えなかったことを、言葉にしてしまいそうになる。
『……私でよければ、聞くよ?』
胸が締めつけられた。
スピカだけが、僕のSOSに気がついていた。
他の誰も気づかなかったのに。誰も僕の痛みを見ようとしなかったのに、スピカだけが真っ直ぐに言葉を投げかけてきた。
言葉を詰まらせていると、彼女はさらに優しく問いかける。
『私は優Pの味方だから……だから私を信じて』
それは、今まで誰にも言えなかったこと。でも、スピカになら……。
スピカの声が優しく響く中、その声に導かれるように、僕はゆっくりと口を開いた。
『実は……』
ぽつり、ぽつりと、僕は話し始めた。千秋とのこと、浅間のこと、梢や翔子と陽介、広がる噂、失われた居場所。何もかもが、まやかしだった僕の人生の事……。
話し終えた時、スピカはしばらく沈黙した。
『……優P』
静かな声で、彼女が僕の名前を呼ぶ。
スピカは怒っていた。けれど、その怒りは誰かを傷つけるためのものではなく、僕をこんなにも追い詰めた現実に対するもののように感じた。音声越しに聞こえる小さな息遣いや、微かに震えた声の抑揚が、その感情をありありと伝えてくる。しばらくの沈黙の後、彼女が深く息をつき、静かに、それでも確かな思いを込めた声で言った。
『……優Pの気持ちを思うと、本当に悔しい。最悪、マジでむかつく……でも、それ以上に、ずっと一人で耐えてきたんだよね。頑張ったね……優P』
その言葉に驚いて息を呑む。音声越しに伝わるスピカの優しさと強い想いが、胸にじんわりと染み渡っていく。
『私はね、優Pにもっと楽しくて、幸せな学園生活を送ってほしいんだ。だって、あんなに素敵で、こんなに素晴らしい楽曲を生み出せる人が、苦しみながら過ごしてるなんて間違ってる。だから、もっと元気でいてほしいし、これからもたくさんの最高の楽曲を生み出してほしい。そして、その曲を私が誰よりも早く、一番に歌わせてほしい……そう思ってるんだ』
スピカの想いが、静かに胸に広がっていく。その言葉はまるで優しく包み込むようで、それでいて力強く、僕の心をそっと押してくれるようだった。
『だからさ! そんな真っ黒な学園生活、全部塗り替えちゃおうよ! 私と一緒に、真っ新で最高な学園生活にさ!』
スピカの声は明るくて、迷いがなかった。その言葉の本当の意味を、僕はまだはっきりと掴めてはいない。
けれど、スピカの力強い声が、僕の心の奥深くに何かを響かせた。それが何なのかはわからない。ただ、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
まるで目の前に光が差し込んだように。
今はまだ、すべてを理解できているわけではない。けれど、彼女の強い想いが胸の奥に残り、確かな何かを僕の中に灯した。
そして後に、僕は彼女の言葉の本当の意味を、身をもって知ることになる……。
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