捨てられた無能天才ピアニスト、ボカロ界隈でちょっと神になってみた

アイスノ人

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第7話 欲しいもの、全部

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 放課後の教室には、いつものように賑やかな声が響いていた。友人たちは談笑しながら帰り支度を進めているが、私は机に肘をつきながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

今日一日、優斗のことばかり考えていた。

 屋上での出来事が、何度も頭の中を巡って離れない。彼の隣にいた早乙女真珠、そして彼女の堂々とした態度。私は、なぜか胸の奥がざわつくのを感じていた。

「千秋ちゃん、まだ帰らないの?」

 不意に声をかけられ、私は反射的に顔を上げた。

 矢野やの 景子けいこが、興味深げな目で私を見つめていた。彼女とは中学の頃からの知り合いだったが、特に仲が良かったわけではない。けれど、彼女は私のことをよく見ている気がする。

「ちょっと考え事をしていただけ」

「ふーん」

 景子は私の隣の席に腰を下ろし、机に肘をついてじっとこちらを見つめた。

「ねえ、千秋ちゃん。ちょっと気になってたんだけどさ」

「なに?」

「前にさ、教室で浅間先輩が『千秋は俺の彼女』って言ったとき、なんで千秋ちゃんは否定しなかったの?」

 私は一瞬言葉に詰まった。

「な、何を――」

「だって、千秋ちゃんって中学の頃から優斗君と付き合ってたんでしょ?私知ってたんだよね~」

「……っ!?」

 景子は笑みを浮かべたまま、私の様子をうかがうように言葉を続けた。

「でも、高校に上がってから急に浅間先輩が千秋ちゃんにちょっかい出すようになったんだよね? 気づいたら千秋ちゃんは浅間先輩と一緒にいることが多くなった」

 私は視線を逸らした。

「そ、そんなこと……」

「でも本当はどうなの?」

 景子の言葉に、私は息を呑んだ。

「優斗君のこと、まだ好きなんでしょ?」

「……もうやめて」

 景子の目が細まる。

「なんで? そんなに触れられたくない話?」

「そういうんじゃない。ただ……」

 私は言葉を詰まらせた。

「優斗君といるところを誰かに見られたら、自分の評判が下がると思ってるんでしょ?」

 景子の言葉に、心臓が跳ねる。

「な、なんてこと言うの……!」

「千秋ちゃんのこと見てたらわかるよ」

 景子は笑った。

「でもさ、どうするの? このまま浅間先輩に流れる? それとも優斗君をキープ?」

「そんなの……」

「別に二股なんてみんなやってるよ。キープしとけばいいじゃん?」

 私は戸惑いながらも、心の奥で小さな抵抗を感じていた。違う、そうじゃないと何度も否定する。それなのに、景子の言葉がじわじわと心に染み込んでいく。

 高校に入ってから、私に対する周囲の態度は変わった。可愛いと褒められることが増え、特別扱いされることもあった。浅間先輩が声をかけてくれるようになり、みんなが羨ましがる視線を向けてくる。そんな日々が、心地よくなっていた。

 でも、もしここで優斗と一緒にいるところを見られたら?ピアニストだった頃の優斗ならいざ知らず、小学生の頃に虐められていた優斗が今……。

 今まで私を持ち上げてくれた視線が、一気に冷たくなる気がした。優斗と一緒にいるだけで、みんなの態度が変わってしまうかもしれない。あの頃の、優斗の才能に嫉妬し、いつか置いて行かれるんじゃないかと、びくびくしていた自分に、引き戻されるような感覚が怖かった。

 もう、あんな風にはなりたくない。せっかく掴んだこの居場所を、簡単に手放せるわけがない。

 だけど、優斗を完全に切り捨てることもできない。

 私はただ、自分を納得させる理由を探しているだけなのかもしれない。本当は、優斗を手放したくない。でも、浅間先輩と一緒にいれば、周りの目は優しくなるし、今の立場は守られる。

 でも、それが本当に望んでいたことなの?

 考えれば考えるほど、答えは見えなくなる。心の中で揺れる思いが、静かに広がる波紋のように次々と広がっていく。

 それでも、選ばなきゃ。そうしないと、私は……

「……やっぱり、み、皆そうだよね」

 気づけば、私は自分に言い聞かせるように呟いていた。

「そうだよ~だって、本当に選べないんだもん。仕方ないよね」

 景子はくすっと笑い、私の肩をぽんと叩いた。

「千秋ちゃんは何も悪くないよ。誰にだってある事なんだからさ。バレなきゃ平気だって」

 私はふっと息をついた。

 私は、間違っていないよね?

 そう思い込もうとするほど、不安が胸の奥で静かに膨らんでいく。
もし本当に間違っていないのなら、どうしてこんなに心がざわつくんだろう。

 結局、私は自分に都合のいい答えを探しているだけなんじゃないか。
本当に選べないんじゃなくて、選びたくないだけなんじゃないか。

 でも、それでも思ってしまう……欲しいものは全部手に入ればいいのに、と。

 優斗のことは好き。でも、浅間先輩と一緒にいることで得られるものも手放したくない。どちらかを諦めるなんて、そんなのもったいない。

 そう思う自分がどこか醜く感じる。でも、誰だって少しくらいずるく生きてるはず。私だって、ちょっとくらい、自分のために選んでもいいんじゃない?

 自分に言い聞かせながら、私は目を閉じた。これが私の選択で、私の正しさなのだと。何も間違っていない、私は悪くない。そう、何度も心の中で繰り返しながら——。
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