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第9話 無邪気な侵略者
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僕と真珠は手を繋いだまま、夕焼けに染まる道を歩いていた。
指先から伝わる真珠の温かさが、僕の強張った心を少しずつ溶かしていく。けれど、その安らぎも長くは続かなかった。
自宅が見えてきた瞬間、背筋を這い上がる嫌な感覚。体が勝手に反応して、肩がビクリと跳ねる。同時に、喉の奥から短い鼻歌のような音が、突発的に漏れてしまった。
「ん~……」
それは、何度も何度も僕を苦しめてきた、あのチック症の発作。
瞬間、心臓がギュッと縮こまる。
真珠の手を思わず振り払うように離し、僕は口を押さえた。
――やってしまった。よりによって、真珠に聞かれるなんて。
頭の中に過去の記憶が押し寄せる。
クラス中に響いた鼻歌。
気味悪がる視線。
「またあいつ変な声出してる」
「なんか気持ち悪いんだよな」
そんな言葉が、頭の奥でぐるぐると渦を巻く。
チック症は世間での認知度が低い。病気だと知らず、単なる変な癖、いきなり声を張り上げる、おかしな奴だと思われることがほとんどだ。だからこそ、奇異の目で見られ、笑い者にされる。それが怖くて、僕はずっと隠そうとしてきた。
でも――。
「ふふっ」
真珠の可愛らしい笑い声が、夕風にそっと溶けていく。
「可愛い鼻歌だね」
何の気負いもない、いつもの調子。まるで、些細なことに微笑むような、何気ない優しさが滲んでいた。
僕は耳を疑った。嘘だろ……あんなに怖くて、嫌で仕方なかったこの症状を、真珠はこんな風に笑うんだ。
「へ、変じゃなかった……?」
声が震える。ずっと、誰に聞かれても恥ずかしくて、情けなくて、逃げるように隠してきた。
でも真珠は、まるで本当にどうでもいいことみたいに、少し首を傾げてからにっこりと笑った。
「ん?全然。優のチック症でしょ?私、ちゃんと知ってるもん」
あまりにも普通に、あまりにも軽やかに、その言葉が出てくる。
受け止めるどころか、理解も共感も、ずっと前から済ませていたかのように。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
――そうだった。僕は以前、真珠にトゥレット症候群のせいでピアニストの夢を諦めたことを音声チャットで話したことがある。
画面の向こうから届いた真珠の声は、少しも戸惑わず、かわいそうなんて言葉もなく、ただ「大変だったね」と優しく言ってくれた。
それだけじゃない。
僕の作る曲には優斗の全部が詰まってるから、もっともっと大好きになったって……音越しに弾むような明るい声で、そう言ってくれた。
苦しくて、辛くて、誰にも触れてほしくなかった傷跡を、真珠だけは何も怖がらずに、そのまま撫でるように受け止めてくれた。
「ありがと……」
この言葉に込めた想いが、どれくらい届いているだろう。
それでも、真珠は僕の手をぎゅっと握り返してくれる。その手の温もりが、胸の奥まで染み込んでいく。
風が吹く。夕焼けに染まる景色が、ほんの少しだけ滲んで見えた。
自宅はもう目の前にある。さっきから見えていたけど、真珠と手を繋いでいると、それだけで胸がいっぱいになって、いつもの道が少し違って見えた。
家の前に立つと、改めて少しだけ緊張する。誰かを家に連れてくるなんて、本当にいつぶりだろう。
そんなことを考えていると、玄関の前に立つ両親の姿が目に入った。
「おや?」
柔らかい声が響く。
振り向くと、そこには優しげな顔をした父さんと、その隣に立つ母さんがいた。
「あらあら、優斗が女の子と一緒に帰ってくるなんて」
母さんが少し驚いたような声を上げる。
僕の顔がカッと熱くなった。
「お帰り、優斗」
父さんがにこやかに言う。
「ただいま、父さん」
照れくささを誤魔化すように、僕は軽く頭を下げた。
すると、真珠が目を輝かせながら一歩前に出る。
「優のお父さんですか!?」
勢いよく声を上げる真珠に、父さんは目を丸くして少し戸惑いながらも微笑んだ。
「あ、ああ。そうだけど……」
「わぁ、優にそっくり!お父さん似なんですね!」
真珠は僕を振り返り、嬉しそうに笑う。
その時、母さんが真珠の姿を改めて見て、驚いたように微笑んだ。
「まぁ、モデルさんみたいに綺麗な子ね。初めまして……ええと、お名前聞いてもいいかしら?」
母さんの口調がふと曖昧になり、言葉を探すように少し戸惑った。
そんな母さんに、真珠が満面の笑顔で答える。
「真珠!早乙女真珠です!モデルもたまにやってます!それで優とは……友達?親友?それとも……大切な人?」
真珠は人差し指を顎に当て、首を傾げながら無邪気に考え込む。
矢継ぎ早に飛び出す情報の多さに、両親は目を丸くして固まっている。
その無邪気すぎる言葉に、僕の顔は今にも燃えそうなくらい真っ赤になった。
「あらあらまぁ」
母さんは口元に手を当てて目を丸くし、父さんは苦笑いしながら僕を見て言った。
「とりあえず中に入って話そうか。優斗、後で説明してくれる?」
「その……えっと……!」
言葉が出てこない。何から話せばいいのか、頭が真っ白になる。
「ふふっ、優、照れすぎ」
真珠が僕の腕にぎゅっと絡みつく。
「じゃあ、お邪魔しまーす!」
真珠はそう言うと、元気よく僕の家の玄関をくぐった。
あまりに自然に馴染んでいく真珠の姿に、思わず笑ってしまう。
何だか賑やかで楽しい時間になりそうだ。
そんなことを考えながら、僕も真珠の後を追った。
指先から伝わる真珠の温かさが、僕の強張った心を少しずつ溶かしていく。けれど、その安らぎも長くは続かなかった。
自宅が見えてきた瞬間、背筋を這い上がる嫌な感覚。体が勝手に反応して、肩がビクリと跳ねる。同時に、喉の奥から短い鼻歌のような音が、突発的に漏れてしまった。
「ん~……」
それは、何度も何度も僕を苦しめてきた、あのチック症の発作。
瞬間、心臓がギュッと縮こまる。
真珠の手を思わず振り払うように離し、僕は口を押さえた。
――やってしまった。よりによって、真珠に聞かれるなんて。
頭の中に過去の記憶が押し寄せる。
クラス中に響いた鼻歌。
気味悪がる視線。
「またあいつ変な声出してる」
「なんか気持ち悪いんだよな」
そんな言葉が、頭の奥でぐるぐると渦を巻く。
チック症は世間での認知度が低い。病気だと知らず、単なる変な癖、いきなり声を張り上げる、おかしな奴だと思われることがほとんどだ。だからこそ、奇異の目で見られ、笑い者にされる。それが怖くて、僕はずっと隠そうとしてきた。
でも――。
「ふふっ」
真珠の可愛らしい笑い声が、夕風にそっと溶けていく。
「可愛い鼻歌だね」
何の気負いもない、いつもの調子。まるで、些細なことに微笑むような、何気ない優しさが滲んでいた。
僕は耳を疑った。嘘だろ……あんなに怖くて、嫌で仕方なかったこの症状を、真珠はこんな風に笑うんだ。
「へ、変じゃなかった……?」
声が震える。ずっと、誰に聞かれても恥ずかしくて、情けなくて、逃げるように隠してきた。
でも真珠は、まるで本当にどうでもいいことみたいに、少し首を傾げてからにっこりと笑った。
「ん?全然。優のチック症でしょ?私、ちゃんと知ってるもん」
あまりにも普通に、あまりにも軽やかに、その言葉が出てくる。
受け止めるどころか、理解も共感も、ずっと前から済ませていたかのように。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
――そうだった。僕は以前、真珠にトゥレット症候群のせいでピアニストの夢を諦めたことを音声チャットで話したことがある。
画面の向こうから届いた真珠の声は、少しも戸惑わず、かわいそうなんて言葉もなく、ただ「大変だったね」と優しく言ってくれた。
それだけじゃない。
僕の作る曲には優斗の全部が詰まってるから、もっともっと大好きになったって……音越しに弾むような明るい声で、そう言ってくれた。
苦しくて、辛くて、誰にも触れてほしくなかった傷跡を、真珠だけは何も怖がらずに、そのまま撫でるように受け止めてくれた。
「ありがと……」
この言葉に込めた想いが、どれくらい届いているだろう。
それでも、真珠は僕の手をぎゅっと握り返してくれる。その手の温もりが、胸の奥まで染み込んでいく。
風が吹く。夕焼けに染まる景色が、ほんの少しだけ滲んで見えた。
自宅はもう目の前にある。さっきから見えていたけど、真珠と手を繋いでいると、それだけで胸がいっぱいになって、いつもの道が少し違って見えた。
家の前に立つと、改めて少しだけ緊張する。誰かを家に連れてくるなんて、本当にいつぶりだろう。
そんなことを考えていると、玄関の前に立つ両親の姿が目に入った。
「おや?」
柔らかい声が響く。
振り向くと、そこには優しげな顔をした父さんと、その隣に立つ母さんがいた。
「あらあら、優斗が女の子と一緒に帰ってくるなんて」
母さんが少し驚いたような声を上げる。
僕の顔がカッと熱くなった。
「お帰り、優斗」
父さんがにこやかに言う。
「ただいま、父さん」
照れくささを誤魔化すように、僕は軽く頭を下げた。
すると、真珠が目を輝かせながら一歩前に出る。
「優のお父さんですか!?」
勢いよく声を上げる真珠に、父さんは目を丸くして少し戸惑いながらも微笑んだ。
「あ、ああ。そうだけど……」
「わぁ、優にそっくり!お父さん似なんですね!」
真珠は僕を振り返り、嬉しそうに笑う。
その時、母さんが真珠の姿を改めて見て、驚いたように微笑んだ。
「まぁ、モデルさんみたいに綺麗な子ね。初めまして……ええと、お名前聞いてもいいかしら?」
母さんの口調がふと曖昧になり、言葉を探すように少し戸惑った。
そんな母さんに、真珠が満面の笑顔で答える。
「真珠!早乙女真珠です!モデルもたまにやってます!それで優とは……友達?親友?それとも……大切な人?」
真珠は人差し指を顎に当て、首を傾げながら無邪気に考え込む。
矢継ぎ早に飛び出す情報の多さに、両親は目を丸くして固まっている。
その無邪気すぎる言葉に、僕の顔は今にも燃えそうなくらい真っ赤になった。
「あらあらまぁ」
母さんは口元に手を当てて目を丸くし、父さんは苦笑いしながら僕を見て言った。
「とりあえず中に入って話そうか。優斗、後で説明してくれる?」
「その……えっと……!」
言葉が出てこない。何から話せばいいのか、頭が真っ白になる。
「ふふっ、優、照れすぎ」
真珠が僕の腕にぎゅっと絡みつく。
「じゃあ、お邪魔しまーす!」
真珠はそう言うと、元気よく僕の家の玄関をくぐった。
あまりに自然に馴染んでいく真珠の姿に、思わず笑ってしまう。
何だか賑やかで楽しい時間になりそうだ。
そんなことを考えながら、僕も真珠の後を追った。
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