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第五話 暗い湖から見る夜空
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「穂……眠れない……」
眠気眼に誰かに起こされたかと思い、まだ眠い目を開けると、そこには僕の顔を覗き込む莉緒の顔がある。
ここは自分の部屋のベッドじゃないとすぐにわかった。微かに女の子が使うような石鹸の香りがしたからここは莉緒の部屋。ベッドじゃなく僕は床に敷いた布団の上で寝ていた。すぐ横には莉緒が寝ているはずのベッドがあるのだが、彼女はまるでベッドから転がり落ちてきたかのように僕の顔を不安げな表情で覗いていた。
そういえば今夜はこいつの家に泊まっていたんだ……おばさんが留守にしているから……面倒を見てほしいって……
「明日は病院だろ……? ちゃんと眠れ……」
「やだ……」
莉緒は頬をふくらまし、涙目を浮かべながら僕を見る。こいつのいつもの手だ。莉緒のこの表情に勝てたことは一度もない。きっと僕がこの表情に弱いと知っているに違いない。
「わかった。絵本読んでやる」
眠気を堪えながらも僕は身を起こし、本棚から一冊の絵本を手に取る。アリサの物語というタイトルの絵本。もう何回も読んでいるから絵本自体はボロくなっている。
「わぁー……穂! 早く! 早く!」
先ほどまでの涙目はどこにいったのか? 莉緒は大きく口を開けながらピョンピョンと飛び跳ねて嬉しそうにしている。
「わかったから、読み終わったらちゃんと寝ろよ」
「うん!」
僕が胡坐をかいて座ると、莉緒はいつものように僕の膝の上に座る。
「これは遠い昔のお話しです」
僕はアリサの物語を朗読する。それはいつものように……
「静かな森の中で暮らすアリサという少女が小さな山小屋の中で一人暮らしていました。アリサはいつものように森の動物たちにエサをやるのですが、あることに気づきます。森の動物たち、リスさんやウサギさん。それに仲良しのキツネさんに元気がありません。アリサはきっと空のせいにだと思いました。ずっと朝がきていない空のせいだと。アリサが見つめている空は星空が見える夜空で、ずっと朝がおとずれていません。アリサはどうすればいいのかと仲良しのキツネさんに相談します。元気のないキツネさんは森の遙か奥にある湖の魔女なら何か知っているかもしれないと言いました。アリサは動物たちを助けるために住んでいる山小屋にある少ない食料を持って森の奥へと出かけることにしました。暗く深い森を歩き続けていると、ひらけた場所に古い線路がありました。湖の魔女はきっとこの線路をたどった先にいると信じてアリサは歩き出します。足が疲れて休もうと思ったとき、アリサは線路に停まってた故障している列車を見つけます。アリサが停まっている列車に乗ると、そこにお腹を空かせた人たちがたくさんいました。アリサは持っていた少ない食料をお腹を空かせた人たちに少しずつあげていきます。お腹を空かせた人たちは不思議と少ない食料で元気になっていきました。アリサが故障した電車から降りると乗客みんながアリサに手を振ります。アリサも手を振り返し、森の奥へと歩き出します。アリサは湖にたどり着きます。やっとの思いでたどり着いたのですがアリサは湖の前で倒れてしまいます。何日も食事をしていないから倒れたのです。そこへ湖の魔女がやってきます。『……みんなを元気にしてください……』アリサはお願いました。それは森の動物たちのために、仲良しで大好きなキツネさん。みんなのために願うと湖の魔女は夜空に手を伸ばしました。アリサが瞳を閉じてしばらくすると列車の中にいました。窓からはとても綺麗な青空が見えます。アリサのいなくなった森で仲良しのキツネさんは青空の下を駆け回りましたとさ。おしまい。」
アリサの物語を読み終えると、莉緒はいつの間にか僕の腕の中で眠っていた。それは僕にとっていつもの日常にすぎないことなのだが、とても幸せを感じる。恋して好きな女の子がいつも僕のそばにいてくれるのだから……
僕は莉緒を起こさない程度に抱き締める……
ハッと我に返ると、そこは壊れた街灯が点滅している見知らぬ無人の駅だった。きっとあのサイコ女を追ってここまで無我夢中できたに違いない。
「おい! 優!」
僕はサイコ女の名前を叫びながら無人駅の中へと入る。
無人駅の中は僕にとって一昔前の駅という感じだった。手書きの時刻表にレトロな新聞や雑誌が置かれた待合室。そこに優がいた。待合室のベンチに座りどこか上の空で、壁に貼られているレトロな白黒映画のポスターを見つめていた。
「お前、勝手に走って消えるなよ!」
僕の怒声が聞こえていないのか? 優はレトロな映画のポスターを見つめている。
「この白黒映画……観たことがある……夏の雨が降る古い映画館の前で私は一人で傘をさしていて、フラフラと映画館の中へと入ったのを微かに覚えている。この映画のストーリーは確か悲しい恋の出来事だった……誰も報われない終わり方をしていたかな……?」
「お前の外での出来事なんてどうでもいいよ。俺は元の生活に帰るからな」
僕が吐き捨てると、けたたましい音とともに列車が駅のホームに入ってきたようだ。
「列車が来たね。これで終われる」
着ている白いワンピースをひらりとさせると、優はベンチから立ち上がり駅のホームへと走り出したようだ。
「……お前が終わることなんてどうでもいいんだよ……」
僕は列車に乗って莉緒がいるいつもの日々へと帰るんだ……!
駅のホームへと行くと、そこは暗い闇が支配した場所だった。
「暗いね。手を繋ごう」
暗い闇の中で優が僕に手を伸ばしたのがわかった。この暗闇ではどうしようもないので僕は優の手を取るしかない。
「……うふふ……こっち……」
僕は優に手を引かれながら進むしかない。すると一筋の鈍い光が見える。それはオレンジ色がかった電灯の光のようで僕には一昔前のものに思えて仕方ない。
「あれはきっと列車の中の光。私たちは乗らないと……終わりの場所が近い……終わるために乗ろう……」
僕は言われるがまま優に手を取られながら一筋の鈍い光に向かって歩き出すしかない。それは覚束ない足取りで仕方ない……
オレンジ色がかった電灯の光が眩しくて、僕は思わず強く瞳を閉じるしかない……
まるで久しぶりの日の光に感じた……
「穂君。大丈夫?」
僕はゆっくりと瞳を開けるのだけど、こいつは果たして心配しているのか? 薄ら笑いを浮かべながら小首を傾げて僕を見ている。
「お水でも飲む?」
「持っているのか?」
徐々に光に慣れつつある僕。確かに少し喉が渇いている。
「まさか、ないよ。食堂車を探そうよ」
優は相変わらず僕の手を握っていた。誰もいない車両の中を僕と優は歩き出す。列車はいつも間に走り出したのか? 窓の外は暗闇だけが走り抜けている。
一直線である車両のドアを優と二人して抜けると、そこはまるでアリサの精神病院と変わらない。病院服こそ着ていない彼ら彼女らは私服でこの車両の席に誰とも会話せずに座っている様子なのだが、皆が何かに怯えている様子だった。精神疾患の人々がまるで回復せずにこの列車に乗っている。あの消えたポニーテールの看護婦が言っていた。列車に乗れるのはアリサを退院した人だけなのに、ここにいる人々は明らかに精神的な回復などしていない。
「大丈夫なのかよ、あんた……?」
僕は恐る恐ると車両の席に座る女性に声をかけた。とても血色の悪い女性でその腕には無数のひっかき傷がかなり目立っている。
「た、たどり着いた場所に日の光なんてない。自分でもわかる……! ただ消えていく……闇の中へ……! 私の知っている人がどんどん消えていく……!」
「消えていくって……?」
僕は女性に向かって訊くのだが。
「自分が何をしたのか覚えている?」
優が僕の言葉を遮るかのように女性に訊いた。それもあざ笑いながら嬉しそうに。
「ええ……覚えているわ……自分の子供を溺死させたの……とても明るい日の出来事だった……」
女性はまるで落ち着きを取り戻したかのように答えた。血色の悪かった顔色が少しだけマシになったのが、僕には不気味に思えて仕方ない。
「自分の子供を……」
殺したんだろって言葉したいのに、優に手を引っ張られる。
「あれで幸せなんだよ」
優は笑うそれはとても壊れた笑みで。
「この列車に乗っている人……誰も治ってなんかないぞ……」
「アリサで頭の病気が治った人なんて誰もいない」
優は言う。壊れた笑みを崩すことなく。
「それより、お腹空いたから食堂車に行こう」
僕は優に連れられるがまま列車の中を歩き出すしかない。座席に座る不安定な人々を次々と目にしながら……
そこは柔らかい音楽が鳴る場所で、コーヒーのいい香りが立ち込めている。それと美味しそうなパンの匂いもしていた。
まるで列車の中にある喫茶店という感じだった。それも深夜にやっている稀な喫茶店。一つの車両の中に数席のテーブル席がある。
客は僕と優の二人だけで嫌でも空いている一つのテーブル席に腰かけた。
「いらっしゃいませ。あなた方のご注文は?」
白いワイシャツを着た紳士そうな人が僕たちのテーブルへとくる。
「お砂糖とミルクが入ったコーヒー。穂君は?」
「み、水だけでいいよ……」
イカれた連中を乗せた夜行列車の中でも、同じ年頃の女の子が向かいにいるのはやはり緊張する。
「あなたは最後のご注文がお水だけですか? それはとても哀れな晩餐ですね」
紳士そうな人は車両の奥へと消えていく。きっとその奥に厨房車的なものがあるに違いないと僕は思った。
「哀れって何だよ……」
「知らないの? これが最後の食事だよ」
優は当たり前のように笑う。それはイカれてサイコらしく……
「最後って何だよ? 俺はお前と違って帰れる場所があるんだよ!」
そうだ僕は帰るんだ青空の広がる場所へ。莉緒と一緒にいられる日々へ……
「どこにあるの? 私と君がいる今の世界に明け方なんてない。日の光なんてここでは幻想の出来事だよ」
どこかあざ笑いながら優は答える。気に入らないから僕は言い返すことにした。
「あるんだよ、お前が知らない世界が。こんなふてくされた夜の世界じゃない。夏でも秋でも青空が広がっていて、俺と莉緒はそこでちゃんと生きているんだよ!」
声を荒げる僕に対して、優はサイコらしく笑いやがる。
「きっとどこにもないよ、そんな世界……」
優。こいつの笑い方が気に入らない。だから僕は言ってやることにする。
「サイコ」
それは氷室に絶対に言うなと言われた言葉。途端に優は遠い眼差しで僕を見つめる。
「おい、泣いたって……」
僕はきっと動じない……
「コーヒーとお水をお持ちしました」
それは白いワイシャツを着た紳士そうな人だった。注文したメニューを僕たちのテーブルへとおいてくれた。
すっかり喉が渇いていて、怒りを鎮めようとグラスに入った水を一口飲もうとしたとき、去っていこうとした紳士そうな人に右肩を掴まれる。
「いいか……? 終着駅にお前たちの居場所はない……お前はせいぜいグラス一杯の水を楽しむんだ……それからサイコはそこのお嬢さんに失礼だ……」
静かに吐き捨てるかのように紳士そうな男は去っていこうとする。
「最後の晩餐なんかじゃない! 俺は莉緒と一緒にいる日々を取り戻すんだよ!」
椅子から立ち上がり、僕は紳士そうな男に殴りかかろうとした。それはどうしてなのか? 嫌いなある人物に似ていたから……
『心身的なものだな。君に精神疾患は見受けられないし、投薬の必要も勿論ない』
そこは見慣れているけど、どこか見慣れない病院の一室……ここは知っているけど、僕には見慣れないとある診察室のはずだ。薬の匂いが妙にリアルなだけで……それだけのはずだ……
『どうしても気が晴れなくて憂鬱な時』
憂鬱なんて僕にとってずっとだ……
『自分にとっての終着駅を思い浮かべるんだ』
『……俺にそんな場所はありません……』
紳士そうな白衣を着た医者だろうか? 僕はそう告げたはずだ……
「穂君」
ハッと我に帰れば優が当然のことながら目の前にいる。コーヒーカップを両手に持ち僕を見ていたかと思うと、おもむろにコーヒーを一口飲んだ。
「私みたいなサイコが飲んではいけないものだけど、久しぶりだからとても美味しく感じる」
「ただのコーヒーだろ? 何がそんなに特別なんだよ?」
僕が訊くと優は美味しそうにコーヒーを飲みながら答えてくれた。
「私は精神が犯されているから、氷室先生に止められている。コーヒーなんて飲んだらもっと頭がおかしくなるって……」
もし優の言っていることが本当なら、彼女は僕が知っているおかしな優より、もっとおかしな優になるということなのだろうか?
「おかしいな……根暗な頃はとても癒されたのに、今は手が震える……胸も何だか苦しい……」
苦しみだす優。何だか顔色も少し悪いようだと僕は感じた。
「大丈夫かよ……」
僕が椅子から立ち上がり、優の肩に触れようとしたとき、何故か? 前髪の長い金色の髪をした一人の少女の姿が幻覚のように現れた……ただの一瞬の幻覚のように。
「大丈夫だよ……今の私の瞳は綺麗でしょ?」
優は自身の赤い瞳をうっとりとさせる。相変わらずとても綺麗な子だとは思うが、そのサイコらしさはとても隠しきれたものではないと思う。
「列車がもうそろそろ停まるよ。私たちの最後が始まる。それはとても儚くて誰にも伝わらない最後が……」
優が言葉すると列車は突然急ブレーキとかけたかのように停車した。
「俺は帰るんだ。お前にとって最後なら好きにしろよ……」
吐き捨てる僕に向かって優は小首を傾げて微笑んだ。
「ここが終着駅……私と君の……」
お前だけだろ……
僕たちが列車を降りると、そこは駅とは名ばかりな場所だった。駅のホームらしき場所は一応ある。しかし、いざ駅の外に出てみると、そこは明けない夜の世界なのだが、大きく違ったところといえば、暗い水によって水没した場所だった。まるで大きな暗い湖。列車の乗客たちは次々と虚ろな表情で暗い湖へと入っていく。まるで溺れて死んでいくのを何の躊躇もなく……
「どうしよう……? 私も終わりたいのかな……?」
僕の隣で小首を傾げる優の横顔はどこか寂し気だったけど……
「終われよ。どうせお前がいたって誰かの迷惑になるだけなんだろう」
僕は吐き捨てるかのように言ってやった。言ってやったのに……
「わかった。終わることにする。君のことは微かに知っていた気がする……」
暗い湖に入っていく優の後姿がどうしようもなく悲しく感じてしまう……
「微かに知っているって何だよ!?」
僕が叫ぶとある少女の姿を思い出す。孤独な学校生活で僕に時々話しかけてくれた金色の髪をした少女。前髪がいつも長くて、根暗で、大丈夫なのかと、言ってやりたっかた弱そうな少女の姿……確かあの子の名前も……
「優!」
僕は優を後ろから抱き締めて、暗い湖の向こう側へ行くのを止める。
「やめて……! もう汚れたくない!」
止めるのだけど優は僕の腕を引っかいたりして抵抗し、半ば錯乱している様子だった。
「俺、嬉しかったんだよ! お前が時々話しかけてくれるのがさ!」
これは思い出したから……男のくせに涙が出てしまう……
「……楽しみだった……莉緒以外の誰かと口が利けるのが……」
「少しだけ思い出した……穂君はいつも一人だったから……私と同じでいつも一人だから……だから惹かれたのかもしれない」
暗い湖に浸かる僕たち、まるで互いの傷を舐めあうようだが……僕はその優を心から大事にしたい……それは所詮弱い者同士だから……
「……もう帰ろう……」
後ろから抱き締める僕の手を優は力なく握ってくれる……
優は落ち着いたけど……体が少しだけ熱いように僕は感じた……
「……す……き……」
僕は暗い湖から明けない夜空を見上げるのだった……
眠気眼に誰かに起こされたかと思い、まだ眠い目を開けると、そこには僕の顔を覗き込む莉緒の顔がある。
ここは自分の部屋のベッドじゃないとすぐにわかった。微かに女の子が使うような石鹸の香りがしたからここは莉緒の部屋。ベッドじゃなく僕は床に敷いた布団の上で寝ていた。すぐ横には莉緒が寝ているはずのベッドがあるのだが、彼女はまるでベッドから転がり落ちてきたかのように僕の顔を不安げな表情で覗いていた。
そういえば今夜はこいつの家に泊まっていたんだ……おばさんが留守にしているから……面倒を見てほしいって……
「明日は病院だろ……? ちゃんと眠れ……」
「やだ……」
莉緒は頬をふくらまし、涙目を浮かべながら僕を見る。こいつのいつもの手だ。莉緒のこの表情に勝てたことは一度もない。きっと僕がこの表情に弱いと知っているに違いない。
「わかった。絵本読んでやる」
眠気を堪えながらも僕は身を起こし、本棚から一冊の絵本を手に取る。アリサの物語というタイトルの絵本。もう何回も読んでいるから絵本自体はボロくなっている。
「わぁー……穂! 早く! 早く!」
先ほどまでの涙目はどこにいったのか? 莉緒は大きく口を開けながらピョンピョンと飛び跳ねて嬉しそうにしている。
「わかったから、読み終わったらちゃんと寝ろよ」
「うん!」
僕が胡坐をかいて座ると、莉緒はいつものように僕の膝の上に座る。
「これは遠い昔のお話しです」
僕はアリサの物語を朗読する。それはいつものように……
「静かな森の中で暮らすアリサという少女が小さな山小屋の中で一人暮らしていました。アリサはいつものように森の動物たちにエサをやるのですが、あることに気づきます。森の動物たち、リスさんやウサギさん。それに仲良しのキツネさんに元気がありません。アリサはきっと空のせいにだと思いました。ずっと朝がきていない空のせいだと。アリサが見つめている空は星空が見える夜空で、ずっと朝がおとずれていません。アリサはどうすればいいのかと仲良しのキツネさんに相談します。元気のないキツネさんは森の遙か奥にある湖の魔女なら何か知っているかもしれないと言いました。アリサは動物たちを助けるために住んでいる山小屋にある少ない食料を持って森の奥へと出かけることにしました。暗く深い森を歩き続けていると、ひらけた場所に古い線路がありました。湖の魔女はきっとこの線路をたどった先にいると信じてアリサは歩き出します。足が疲れて休もうと思ったとき、アリサは線路に停まってた故障している列車を見つけます。アリサが停まっている列車に乗ると、そこにお腹を空かせた人たちがたくさんいました。アリサは持っていた少ない食料をお腹を空かせた人たちに少しずつあげていきます。お腹を空かせた人たちは不思議と少ない食料で元気になっていきました。アリサが故障した電車から降りると乗客みんながアリサに手を振ります。アリサも手を振り返し、森の奥へと歩き出します。アリサは湖にたどり着きます。やっとの思いでたどり着いたのですがアリサは湖の前で倒れてしまいます。何日も食事をしていないから倒れたのです。そこへ湖の魔女がやってきます。『……みんなを元気にしてください……』アリサはお願いました。それは森の動物たちのために、仲良しで大好きなキツネさん。みんなのために願うと湖の魔女は夜空に手を伸ばしました。アリサが瞳を閉じてしばらくすると列車の中にいました。窓からはとても綺麗な青空が見えます。アリサのいなくなった森で仲良しのキツネさんは青空の下を駆け回りましたとさ。おしまい。」
アリサの物語を読み終えると、莉緒はいつの間にか僕の腕の中で眠っていた。それは僕にとっていつもの日常にすぎないことなのだが、とても幸せを感じる。恋して好きな女の子がいつも僕のそばにいてくれるのだから……
僕は莉緒を起こさない程度に抱き締める……
ハッと我に返ると、そこは壊れた街灯が点滅している見知らぬ無人の駅だった。きっとあのサイコ女を追ってここまで無我夢中できたに違いない。
「おい! 優!」
僕はサイコ女の名前を叫びながら無人駅の中へと入る。
無人駅の中は僕にとって一昔前の駅という感じだった。手書きの時刻表にレトロな新聞や雑誌が置かれた待合室。そこに優がいた。待合室のベンチに座りどこか上の空で、壁に貼られているレトロな白黒映画のポスターを見つめていた。
「お前、勝手に走って消えるなよ!」
僕の怒声が聞こえていないのか? 優はレトロな映画のポスターを見つめている。
「この白黒映画……観たことがある……夏の雨が降る古い映画館の前で私は一人で傘をさしていて、フラフラと映画館の中へと入ったのを微かに覚えている。この映画のストーリーは確か悲しい恋の出来事だった……誰も報われない終わり方をしていたかな……?」
「お前の外での出来事なんてどうでもいいよ。俺は元の生活に帰るからな」
僕が吐き捨てると、けたたましい音とともに列車が駅のホームに入ってきたようだ。
「列車が来たね。これで終われる」
着ている白いワンピースをひらりとさせると、優はベンチから立ち上がり駅のホームへと走り出したようだ。
「……お前が終わることなんてどうでもいいんだよ……」
僕は列車に乗って莉緒がいるいつもの日々へと帰るんだ……!
駅のホームへと行くと、そこは暗い闇が支配した場所だった。
「暗いね。手を繋ごう」
暗い闇の中で優が僕に手を伸ばしたのがわかった。この暗闇ではどうしようもないので僕は優の手を取るしかない。
「……うふふ……こっち……」
僕は優に手を引かれながら進むしかない。すると一筋の鈍い光が見える。それはオレンジ色がかった電灯の光のようで僕には一昔前のものに思えて仕方ない。
「あれはきっと列車の中の光。私たちは乗らないと……終わりの場所が近い……終わるために乗ろう……」
僕は言われるがまま優に手を取られながら一筋の鈍い光に向かって歩き出すしかない。それは覚束ない足取りで仕方ない……
オレンジ色がかった電灯の光が眩しくて、僕は思わず強く瞳を閉じるしかない……
まるで久しぶりの日の光に感じた……
「穂君。大丈夫?」
僕はゆっくりと瞳を開けるのだけど、こいつは果たして心配しているのか? 薄ら笑いを浮かべながら小首を傾げて僕を見ている。
「お水でも飲む?」
「持っているのか?」
徐々に光に慣れつつある僕。確かに少し喉が渇いている。
「まさか、ないよ。食堂車を探そうよ」
優は相変わらず僕の手を握っていた。誰もいない車両の中を僕と優は歩き出す。列車はいつも間に走り出したのか? 窓の外は暗闇だけが走り抜けている。
一直線である車両のドアを優と二人して抜けると、そこはまるでアリサの精神病院と変わらない。病院服こそ着ていない彼ら彼女らは私服でこの車両の席に誰とも会話せずに座っている様子なのだが、皆が何かに怯えている様子だった。精神疾患の人々がまるで回復せずにこの列車に乗っている。あの消えたポニーテールの看護婦が言っていた。列車に乗れるのはアリサを退院した人だけなのに、ここにいる人々は明らかに精神的な回復などしていない。
「大丈夫なのかよ、あんた……?」
僕は恐る恐ると車両の席に座る女性に声をかけた。とても血色の悪い女性でその腕には無数のひっかき傷がかなり目立っている。
「た、たどり着いた場所に日の光なんてない。自分でもわかる……! ただ消えていく……闇の中へ……! 私の知っている人がどんどん消えていく……!」
「消えていくって……?」
僕は女性に向かって訊くのだが。
「自分が何をしたのか覚えている?」
優が僕の言葉を遮るかのように女性に訊いた。それもあざ笑いながら嬉しそうに。
「ええ……覚えているわ……自分の子供を溺死させたの……とても明るい日の出来事だった……」
女性はまるで落ち着きを取り戻したかのように答えた。血色の悪かった顔色が少しだけマシになったのが、僕には不気味に思えて仕方ない。
「自分の子供を……」
殺したんだろって言葉したいのに、優に手を引っ張られる。
「あれで幸せなんだよ」
優は笑うそれはとても壊れた笑みで。
「この列車に乗っている人……誰も治ってなんかないぞ……」
「アリサで頭の病気が治った人なんて誰もいない」
優は言う。壊れた笑みを崩すことなく。
「それより、お腹空いたから食堂車に行こう」
僕は優に連れられるがまま列車の中を歩き出すしかない。座席に座る不安定な人々を次々と目にしながら……
そこは柔らかい音楽が鳴る場所で、コーヒーのいい香りが立ち込めている。それと美味しそうなパンの匂いもしていた。
まるで列車の中にある喫茶店という感じだった。それも深夜にやっている稀な喫茶店。一つの車両の中に数席のテーブル席がある。
客は僕と優の二人だけで嫌でも空いている一つのテーブル席に腰かけた。
「いらっしゃいませ。あなた方のご注文は?」
白いワイシャツを着た紳士そうな人が僕たちのテーブルへとくる。
「お砂糖とミルクが入ったコーヒー。穂君は?」
「み、水だけでいいよ……」
イカれた連中を乗せた夜行列車の中でも、同じ年頃の女の子が向かいにいるのはやはり緊張する。
「あなたは最後のご注文がお水だけですか? それはとても哀れな晩餐ですね」
紳士そうな人は車両の奥へと消えていく。きっとその奥に厨房車的なものがあるに違いないと僕は思った。
「哀れって何だよ……」
「知らないの? これが最後の食事だよ」
優は当たり前のように笑う。それはイカれてサイコらしく……
「最後って何だよ? 俺はお前と違って帰れる場所があるんだよ!」
そうだ僕は帰るんだ青空の広がる場所へ。莉緒と一緒にいられる日々へ……
「どこにあるの? 私と君がいる今の世界に明け方なんてない。日の光なんてここでは幻想の出来事だよ」
どこかあざ笑いながら優は答える。気に入らないから僕は言い返すことにした。
「あるんだよ、お前が知らない世界が。こんなふてくされた夜の世界じゃない。夏でも秋でも青空が広がっていて、俺と莉緒はそこでちゃんと生きているんだよ!」
声を荒げる僕に対して、優はサイコらしく笑いやがる。
「きっとどこにもないよ、そんな世界……」
優。こいつの笑い方が気に入らない。だから僕は言ってやることにする。
「サイコ」
それは氷室に絶対に言うなと言われた言葉。途端に優は遠い眼差しで僕を見つめる。
「おい、泣いたって……」
僕はきっと動じない……
「コーヒーとお水をお持ちしました」
それは白いワイシャツを着た紳士そうな人だった。注文したメニューを僕たちのテーブルへとおいてくれた。
すっかり喉が渇いていて、怒りを鎮めようとグラスに入った水を一口飲もうとしたとき、去っていこうとした紳士そうな人に右肩を掴まれる。
「いいか……? 終着駅にお前たちの居場所はない……お前はせいぜいグラス一杯の水を楽しむんだ……それからサイコはそこのお嬢さんに失礼だ……」
静かに吐き捨てるかのように紳士そうな男は去っていこうとする。
「最後の晩餐なんかじゃない! 俺は莉緒と一緒にいる日々を取り戻すんだよ!」
椅子から立ち上がり、僕は紳士そうな男に殴りかかろうとした。それはどうしてなのか? 嫌いなある人物に似ていたから……
『心身的なものだな。君に精神疾患は見受けられないし、投薬の必要も勿論ない』
そこは見慣れているけど、どこか見慣れない病院の一室……ここは知っているけど、僕には見慣れないとある診察室のはずだ。薬の匂いが妙にリアルなだけで……それだけのはずだ……
『どうしても気が晴れなくて憂鬱な時』
憂鬱なんて僕にとってずっとだ……
『自分にとっての終着駅を思い浮かべるんだ』
『……俺にそんな場所はありません……』
紳士そうな白衣を着た医者だろうか? 僕はそう告げたはずだ……
「穂君」
ハッと我に帰れば優が当然のことながら目の前にいる。コーヒーカップを両手に持ち僕を見ていたかと思うと、おもむろにコーヒーを一口飲んだ。
「私みたいなサイコが飲んではいけないものだけど、久しぶりだからとても美味しく感じる」
「ただのコーヒーだろ? 何がそんなに特別なんだよ?」
僕が訊くと優は美味しそうにコーヒーを飲みながら答えてくれた。
「私は精神が犯されているから、氷室先生に止められている。コーヒーなんて飲んだらもっと頭がおかしくなるって……」
もし優の言っていることが本当なら、彼女は僕が知っているおかしな優より、もっとおかしな優になるということなのだろうか?
「おかしいな……根暗な頃はとても癒されたのに、今は手が震える……胸も何だか苦しい……」
苦しみだす優。何だか顔色も少し悪いようだと僕は感じた。
「大丈夫かよ……」
僕が椅子から立ち上がり、優の肩に触れようとしたとき、何故か? 前髪の長い金色の髪をした一人の少女の姿が幻覚のように現れた……ただの一瞬の幻覚のように。
「大丈夫だよ……今の私の瞳は綺麗でしょ?」
優は自身の赤い瞳をうっとりとさせる。相変わらずとても綺麗な子だとは思うが、そのサイコらしさはとても隠しきれたものではないと思う。
「列車がもうそろそろ停まるよ。私たちの最後が始まる。それはとても儚くて誰にも伝わらない最後が……」
優が言葉すると列車は突然急ブレーキとかけたかのように停車した。
「俺は帰るんだ。お前にとって最後なら好きにしろよ……」
吐き捨てる僕に向かって優は小首を傾げて微笑んだ。
「ここが終着駅……私と君の……」
お前だけだろ……
僕たちが列車を降りると、そこは駅とは名ばかりな場所だった。駅のホームらしき場所は一応ある。しかし、いざ駅の外に出てみると、そこは明けない夜の世界なのだが、大きく違ったところといえば、暗い水によって水没した場所だった。まるで大きな暗い湖。列車の乗客たちは次々と虚ろな表情で暗い湖へと入っていく。まるで溺れて死んでいくのを何の躊躇もなく……
「どうしよう……? 私も終わりたいのかな……?」
僕の隣で小首を傾げる優の横顔はどこか寂し気だったけど……
「終われよ。どうせお前がいたって誰かの迷惑になるだけなんだろう」
僕は吐き捨てるかのように言ってやった。言ってやったのに……
「わかった。終わることにする。君のことは微かに知っていた気がする……」
暗い湖に入っていく優の後姿がどうしようもなく悲しく感じてしまう……
「微かに知っているって何だよ!?」
僕が叫ぶとある少女の姿を思い出す。孤独な学校生活で僕に時々話しかけてくれた金色の髪をした少女。前髪がいつも長くて、根暗で、大丈夫なのかと、言ってやりたっかた弱そうな少女の姿……確かあの子の名前も……
「優!」
僕は優を後ろから抱き締めて、暗い湖の向こう側へ行くのを止める。
「やめて……! もう汚れたくない!」
止めるのだけど優は僕の腕を引っかいたりして抵抗し、半ば錯乱している様子だった。
「俺、嬉しかったんだよ! お前が時々話しかけてくれるのがさ!」
これは思い出したから……男のくせに涙が出てしまう……
「……楽しみだった……莉緒以外の誰かと口が利けるのが……」
「少しだけ思い出した……穂君はいつも一人だったから……私と同じでいつも一人だから……だから惹かれたのかもしれない」
暗い湖に浸かる僕たち、まるで互いの傷を舐めあうようだが……僕はその優を心から大事にしたい……それは所詮弱い者同士だから……
「……もう帰ろう……」
後ろから抱き締める僕の手を優は力なく握ってくれる……
優は落ち着いたけど……体が少しだけ熱いように僕は感じた……
「……す……き……」
僕は暗い湖から明けない夜空を見上げるのだった……
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